アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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緑の亡霊
第9話 緑の亡霊


 

 夜のブラックマーケットは、腐った鉄の匂いがした。

 

 表通りの喧騒から一歩外れた倉庫街。潰れた工場を継ぎ足して作ったような施設の中で、不良たちはだらしなく椅子を鳴らしていた。天井からぶら下がった照明は白く、安っぽく、どこか病院みたいに冷たい。

 

「今回、マジで当たりだろ」

 

 銃を膝に乗せた不良生徒が、欠伸混じりに笑った。

 

「ただの護衛だろ? ここで突っ立ってるだけで金になるとか、世の中ちょろすぎ」

 

 別の仲間が鼻で笑う。

 

「だよな。しかも相手は素人上がりの流れ者だって話だろ。大物同士の取引って言っても、ここまで兵隊並べりゃ寄って来るわけねえ」

 

 施設の奥では、金属ケースが二つ、開けられたまま机の上に置かれていた。中身は見えない。見るなと言われている。報酬が良い仕事ほど、そこには触れない方がいい。全員がその程度の勘だけは持っていた。

 

 だから油断した。

 

 いつも通りの夜。仲間とだべって、適当に笑って、面倒が起きなければ朝まで座って終わる。そんな仕事のはずだった。

 

「おい、外の見張りから返事来たか?」

 

 誰かが無線へ向かって言った。

 

 返事がない。

 

「寝てんじゃねえの」

 

 笑いが起きる。

 

 その直後だった。

 

 ――パァン。

 

 乾いた発砲音が、天井の近くで響いた。

 

 照明が一つ、弾けた。

 

 白い光が砕け、ガラス片が床へ散る。部屋の端が急に暗くなる。

 

「……は?」

 

 誰かの間の抜けた声。

 

 次の瞬間、二発目。三発目。

 

 照明が、順番に落ちていった。

 

 パァン。

 パァン。

 パァン。

 

 白かった空間が、端から喰われるみたいに暗くなる。倉庫の隅。通路の角。階段の途中。出口脇。必要な場所だけを狙い撃ちにされているのが、かえって気味が悪かった。

 

「どこだ!?」

 

「撃ってんのはどこだよ!」

 

 怒鳴り声が跳ねる。誰かが慌てて銃口を上へ向ける。別の誰かは出口へ走ろうとして止まる。暗くなったのは、見えなくなっただけじゃない。どこから見られているのかが分からなくなったのだ。

 

 無線がノイズを吐いた。外の見張りからの声は、結局最後まで入らなかった。

 

「外、やられてるぞ……!」

 

 その言葉が最後まで広がる前に、すぐ近くでワイヤーの鳴る音がした。

 

 金属が噛む、短い音。

 それだけだった。

 

「……上だ!」

 

 叫んだ仲間の身体が、次の瞬間、横へ吹き飛んだ。

 

 何がぶつかったのか、最初は誰にも見えなかった。ただ、仲間の一人が壁に叩きつけられ、そのまま嫌な音を立てて崩れた。それだけで十分だった。

 

「撃て!!」

 

 銃声が一斉に弾ける。

 

 暗がりへ、柱へ、通路へ、影へ。半ばパニックでばら撒かれた弾丸が、コンクリートを削り、鉄骨を打ち、埃を舞わせる。

 

 その中を、何かが突っ込んできた。

 

 大きい。

 

 盾だった。

 いや、盾みたいに前へ押し出された、分厚いガンバッグだった。人間一人の上半身をそのまま隠せそうなそれが、物陰からぬっと現れ、そのまま真っ直ぐ前へ出てくる。

 

「う、うお――」

 

 叫んだ仲間の声は最後まで続かなかった。

 

 それが、そのままぶつかった。

 

 鈍い音。

 肺の空気が潰れる音。

 人間が軽々しく横へ吹き飛ぶのを見て、残った連中の足が一斉に止まる。

 

 月明かりが、砕けた窓の隙間から差し込んだ。

 

 その光の中に、緑色が見えた。

 

 外套。

 フード。

 大きすぎるガンバッグ。

 物陰の輪郭から半歩だけ出てきた人影。

 

 誰かが、喉の奥で潰れた声を漏らす。

 

「ひっ……」

 

 それは名前じゃなかった。呼びかけでもない。ブラックマーケットの連中が、本当に遭いたくない相手を思い出した時にだけ出る、嫌な震えだった。

 

「緑の亡霊――」

 

 その言葉を言い切る前に、視界がガンバッグの縁で塞がれた。

 

 世界が裏返る。床か壁かも分からない衝撃。そこで、不良の意識は途切れた。

 

     *

 

「馬鹿かお前ら……!」

 

 施設の奥、取引机の脇にいた主犯格の男が唾を飛ばした。

 

 護衛は崩れた。照明は落とされた。外の見張りは沈黙。銃声はまだ続いているのに、どこから来ているのか分からない。もう立て直せる空気じゃない。

 

 その隣で、もう一人が青ざめた顔でケースを抱え上げる。

 

「逃げるぞ!」

 

「荷は持て! 報酬分だ!」

 

 二人は出口脇の車へ飛び込んだ。エンジンが唸る。タイヤが砂利を噛む。頭から出口へ突っ込むように加速した、その瞬間。

 

 ――ドンッ。

 

 破裂音は重かった。

 

 ただの拳銃じゃない。そう分かる音だった。

 

 前輪が裂けた。

 

 車体が横へ滑る。ハンドルが取られ、横倒しに近い角度のまま壁へ叩きつけられる。金属が悲鳴を上げ、フロントガラスが白く砕けた。

 

「げほっ……!」

 

 ドアが蹴り開く。主犯格の一人が這い出る。もう一人も血まみれの額を押さえながら外へ落ちた。

 

「く、そ……どこだ……!」

 

 返事の代わりに、足音が一つだけした。

 

 物陰の奥。

 照明の落ちた壁際から、緑色がゆっくりと浮く。

 

 外套。

 フードの陰。

 月明かりに少しだけ触れた顔は、思っていたより若かった。若いのに、傷ばかりが先に目に入る。頬の線。顎の端。首筋。人間の顔にあるはずの滑らかさを、古傷が全部削っていた。

 

 手には、馬鹿みたいに大きいリボルバー。

 

 S&W M500。

 

 その銃口が、二人の真ん中へゆっくり向く。

 

 ヒバリは物陰から半歩だけ出た。月明かりに、濁った黒い瞳だけが冷たく浮く。

 

「逃げるなよ」

 

「報酬がなくなるだろ?」

 

 その一言で、主犯格の男は理解した。

 

 これは脅しじゃない。

 仕事だ。

 自分たちは獲物だ。

 

「ま、待て……金なら――」

 

 最後まで言わせてもらえなかった。

 

 ヒバリが撃ったわけではない。ガンバッグが振り抜かれた。

 

 鈍い音。主犯格の一人が横へ転がる。もう一人が悲鳴を上げて後ずさるが、その足元へワイヤーが走り、次の瞬間には足首ごと引き倒される。

 

「やめろ! やめろって!」

 

「うるさい」

 

 ヒバリの声は変わらない。

 

 縄が出る。いつから持っていたのか分からないくらい自然に、二人の手首が後ろでまとめられていく。抵抗した片方の肩へ、ヒバリはガンバッグを盾みたいに押し込んだ。体重ごと潰されて、相手の声が途切れる。

 

「立つな。引きずる」

 

 それだけ言って、縄を引いた。

 

 主犯格二人の身体が、砂混じりの床をずるりと滑る。抵抗するたびに、肩や膝が床を打って嫌な音がした。ヒバリは振り返りもしない。緑の外套だけが、照明の死んだ施設の中をゆっくり進んでいく。

 

 途中、まだ息のある護衛がその姿を見て、顔色を失った。

 

 誰も助けに入らない。

 入れる空気じゃなかった。

 

 緑の亡霊。

 

 その二つ名だけが、照明の死んだ施設の暗がりに残る。

 

 傷だらけの顔が月明かりに一瞬だけ晒され、次の瞬間にはもう闇に沈んだ。縄で繋いだ二人を引きずったまま、緑の外套はブラックマーケットの夜へ消える。

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