アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第10話 残弾

 

 報酬は、黒い封筒で渡された。

 

 薄汚れた事務机の向こう、脂ぎった指でそれを差し出してきた男は、渡す瞬間だけ妙に丁寧だった。目は合わない。合わせたくないのだろう。あるいは、合った瞬間に何か持っていかれるとでも思っているのかもしれない。

 

「……依頼は達成だ。護衛対象は確保、荷も無事。文句ねえ」

 

 ヒバリは封筒の重みだけを手の中で量った。数えなくても、だいたい分かる。足りない時の軽さは、触った瞬間に分かる。

 

「数えていいか」

 

「ど、どうぞ」

 

 情けない声だった。

 

 ヒバリはその場で封を切る。札を捲る。指先で厚みを揃える。約束の額は入っていた。端数の誤魔化しもない。そこだけは学習したらしい。

 

 机の向こうの男は、額の汗を拭いながら乾いた笑いを浮かべた。

 

「いやあ、あんたが来てくれて助かったよ。あの場、もう少しこじれてたら大損で――」

 

「次からは最初に言え」

 

 男の声が止まる。

 

「護衛の仕事に装甲車が出るなら、追加料金だ」

 

「……すまん」

 

「それと、あんな雑魚を何人並べても意味がない。銃声で自分から死角を潰す連中は足手まといだ」

 

「は、はい」

 

 そこでやっと、ヒバリは顔を上げた。

 

 男はすぐに視線を逸らした。それで十分だった。

 

 このあたりでは、二つ名だけでだいたい通る。緑の亡霊。顔も本名も知らない方がいい相手。そういう扱いだ。

 

 それで助かることもある。名前を知られないまま終わる仕事の方が、後腐れは少ない。

 

 封筒を懐へ突っ込み、ヒバリは踵を返す。

 

「待てよ、送らせるか?」

 

「いらない」

 

「でも外、まだ少し騒がし――」

 

「お前らに守られる方が面倒だ」

 

 それだけ言って、施設を出た。

 

 夜のブラックマーケットは、昼より息苦しい。

 

 看板の明かりは薄汚れていて、地面には何が染みついているのか分からない。遠くで誰かが笑っている。別の場所では怒鳴り声。金属音。安酒の匂い。焦げた油。血の跡。全部が混ざって、夜の空気を濁らせていた。

 

 ヒバリは大通りを避けて歩く。いや、歩くというより、壁と屋根のある方だけを選んで流れていく。表を堂々と通る意味はないし、顔を見られる意味もない。

 

 仮拠点は、ブラックマーケット外れの半壊した雑居ビルの三階にある。

 

 鍵は一応ある。だが、まともな扉じゃない。開けるたびに蝶番が嫌な音を立てる。

 

 中は狭い。

 

 窓は半分割れていて、板で塞いである。簡易ベッド。折り畳み机。積み上げた弾薬箱。工具箱。油差し。雑に見えて、武器の周りだけは整っている。生活の中心がそこにあるのが、嫌でも分かる部屋だった。

 

 ヒバリはガンバッグを床へ下ろした。

 

 壁に立てかける。肩が軽くなる。代わりに疲労が下へ落ちてきた。

 

 まず、銃からだった。

 

 M500を机の上へ置く。シリンダーを開く。残弾を確認する。使った数を頭の中で戻す。無駄撃ちはない。タイヤ一発。威嚇には使っていない。問題なし。

 

 次に、予備弾を並べる。一本、二本、三本。神秘弾の封も確認。足りる。だが補充は要る。今の値段だと、来週にはもう少しまとめて買っておきたい。

 

「……高いんだよ」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 銃弾はただじゃない。だから近い相手は、なるべくガンバッグで黙らせる。殴れば済む相手に高い弾を使う意味はない。爆弾だって同じだ。音も金も目立つ。

 

 机の横に置いたポーチを開く。スタン弾。小型爆薬。残数確認。一本不足。使った分は使った分だ。あれは必要経費。だが、必要経費はいつだって気分が悪い。

 

 次にワイヤーガン。

 

 フック先端の歪み。巻き取りの癖。ケーブルの擦れ。二回、強めに引いたところが少し毛羽立っている。次も使えないことはない。だが、もう一回大きく負荷をかけたら交換が要る。

 

 最後にガンバッグを開いた。

 

 見た目は盾。中身はそれだけじゃない。フレームの歪み。留め具。展開脚。受けた弾痕の深さ。叩きつけた時に角が僅かに潰れている。雑魚を二人吹き飛ばした程度で壊れるほど安くはないが、削れないわけでもない。

 

 ヒバリは親指で角の傷をなぞった。

 

「……殴った方が安いな」

 

 弾よりは。

 

 誰もいない部屋で、それだけが静かに落ちる。

 

 点検が終わると、ようやく封筒を開き直した。

 

 机の上に札を並べる。習慣みたいなものだ。まず自分の取り分を決める。

 

 食う分。

 弾薬費。

 補修費。

 情報屋への支払い。

 移動費。

 最低限だけを抜く。

 

 残りを見る。

 

 残りの方が厚い。

 

 ヒバリはそれをためらいなく二つに分けた。一つは予備。もう一つは、アビドス行きだ。

 

 封筒へ入れ直す。裏に何も書かない。書く必要がない。あの学校の旧ポストに落ちる封筒は、名前がなくてもそれで通る。

 

 しばらく、封筒を見たまま動かなかった。

 

 部屋は静かだ。外ではまだ人の気配がうるさいのに、この部屋だけは切り離されている。だから、余計なことを考える余地ができる。

 

 週に二回。

 

 ヒバリは頭の中で日を数えた。

 

 前に戻ったのが、あの救出の少し前。なら次は二日後でいい。向こうで使うのは長くて二日。夜に校舎を見て、旧ポストへ金とメモを落として、また戻る。それで回る。ずっと、そうやってきた。

 

 折り畳み机の端に肘をつく。薄いメモ帳を引き寄せて、次に戻る日だけを書き込む。

 

 そこで、不意に顔が浮かんだ。

 

 カイザーPMC基地から救い出された直後のホシノ。疲れきっていたくせに、後輩たちに囲まれて、ほんの少しだけ緩んでいた顔。笑おうとしていた。あの一瞬だけ、何事もなかったみたいに。

 

 胸の奥で、暗いものが鈍く動く。

 

 嫌悪か。

 苛立ちか。

 もっと別の、形にしたくないものか。

 

 どれでもよかった。どうせ碌でもない。

 

 ヒバリは小さく舌打ちした。

 

「……くだらない」

 

 考えるだけ無駄だ。ああいう顔が気に入らない。ただ、それだけでいい。

 

 メモ帳を閉じる。封筒をまとめて引き出しへ押し込み、照明を落とした。

 

 薄暗くなった部屋で、仮拠点の天井を一度だけ見上げる。

 

 ここは寝るだけの場所だ。帰る場所じゃない。考え込む場所でもない。

 

 ベッドへ倒れ込む。靴は脱がない。上着も半分だけ。いつもの癖だった。

 

 外のざらついた音が、板張りの窓の向こうで遠く鳴っている。その中で、ホシノのあの顔だけが一瞬また浮かびかけて、ヒバリは目を閉じた。

 

 振り払うように。

 

 そのまま、眠った。

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