アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

13 / 39
第11話 明日、戻る

 

 報酬は、机の上に並べられていた。

 

 黒いケース。封のされた札束。それと、情報料の分だけ別に分けられた薄い封筒。

 

 向かいに座る男は、最初から最後まで落ち着きがなかった。指先が机を叩きそうになって、叩かない。煙草に火をつけそうになって、やめる。視線は何度かヒバリの顔へ向かいかけて、そのたびに脇へ逸れた。

 

 部屋の中には他にも人間がいた。だが、誰も口を開かない。

 

 ブラックマーケットでは珍しいことじゃない。緑の亡霊が仕事を終えたあとの部屋は、だいたいこうなる。

 

「……裏拠点は、もう使えない」

 

 男がようやく言った。

 

「倉庫二つ、搬入口一つ、流しの兵站ルートも潰れた。しばらくはあいつら、この区画じゃ身動き取りづらいだろうな」

 

 ヒバリは札束へ指先を伸ばした。

 

 数えない。重さと厚みだけでだいたい足りる。

 

「依頼料はそれで全部だな」

 

「ああ」

 

「情報料は」

 

 男が、薄い封筒を指で押した。

 

「こっちだ。約束通り、上乗せしてある」

 

「少ない」

 

 男の喉がひくりと動く。

 

「……上乗せはした」

 

「しただけだろ」

 

 ヒバリの声は低い。怒鳴っていない。だが、その場にいる全員が、これ以上粘る気を失うには十分だった。

 

「カイザーの裏拠点を一つ潰すだけで済んだと思ってるなら、頭が軽い。あいつらの増設ルートまで割れた。流通の癖も読めた。次に潜る時は、もっと深いところまで行ける」

 

 沈黙。

 

 男は舌打ちしそうになって、できなかった。代わりに引き出しを開けて、もう一つ封筒を机へ置く。

 

「……追加だ」

 

「最初からそうしろ」

 

 ヒバリはそれを受け取る。

 

 そこでようやく、男の肩から見えない重さが少しだけ抜けた。

 

「しかし、よく一晩で片づけたな」

 

 部屋の端にいた別の男が、思わずという顔で漏らした。すぐに余計なことを言ったと気づいたらしい。口をつぐむ。だが、もう遅い。

 

 ヒバリはそちらを見もしない。

 

「一晩かかった時点で遅い」

 

 それだけ落として、封筒を外套の内側へ差し込んだ。

 

 カイザーが元からこの辺りに食い込んでいたのは知っている。ブラックマーケットの中で、自分のシマを持っているのも。

 

 問題は、最近になってその境目を曖昧にし始めたことだった。

 

 裏で兵を増やす。物の流れを変える。別口の倉庫を押さえる。そういう細かい動きは、表通りだけを見ている連中には見えない。

 

 だから先に見ていた。念のため。それだけのつもりだった。

 

 結果として、裏拠点が見つかった。

 それを売った。

 潰すなら依頼を出せと言った。

 出たからやった。

 

 それだけだ。

 

「……また何か掴んだら、先に流してくれ」

 

 男が言った。商売の声だった。感謝ではない。期待でもない。ただ、使える災害を手元へ引き寄せておきたいだけの声。

 

 ヒバリは立ち上がる。

 

「金次第だ」

 

 脇に立てかけていたガンバッグを肩へ預ける。その動きだけで、部屋の空気がまた少し硬くなる。誰もその荷物に視線を合わせたがらない。形だけで、何人かはそれが何をしてきたか知っているからだ。

 

 扉へ向かう。背後から、遠慮がちに声が飛んだ。

 

「……おい」

 

 足は止めない。

 それでも向こうは言った。

 

「カイザー、まだ広げる気だと思うか」

 

 ヒバリは片手で扉を押した。

 

「思うから潰した」

 

 夜風が、隙間から部屋へ流れ込む。

 

「次があると思って動け」

 

 それだけ残して、外へ出た。

 

      *

 

 仮拠点へ戻る頃には、ブラックマーケットの喧騒も少しだけ鈍っていた。

 

 寝ない街と言われても、夜が深くなれば声は変わる。怒鳴り声は減り、代わりに低い笑いと、遠くの金属音と、酔った足音だけが残る。

 

 半壊した雑居ビルの三階。軋む扉を押して中へ入る。

 

 狭い。

 

 板を打ちつけた窓。簡易ベッド。折り畳み机。壁に寄せた弾薬箱と工具。生活感は薄い。だが、無機質でもない。雑に見えて、必要なものだけはすぐ手が届く位置にある。

 

 ヒバリはガンバッグを壁へ立てかけた。

 

 外套を脱ぐ。袖と肩口についた埃を軽く払う。血の跡は薄い。ほとんど返り血じゃない。相手が吹っ飛んだ時に散ったものだ。どうでもいい。

 

 M500を抜く。シリンダーを開く。

 

 残弾確認。

 

 使った数だけを頭の中で戻す。余計な弾は出していない。タイヤに一発。威嚇に一発も使っていない。いい。問題ない。

 

 M82側は今日は深く触らない。砂と焦げ跡を軽く拭うだけで十分だ。ワイヤーも目に見えるほつれはない。今夜のところはそれで終わりにする。

 

 机へ腰を掛ける。封筒を取り出す。

 

 一つは情報料。

 一つは依頼料。

 一つは追加分。

 

 黒い封筒の口を切り、中身を机に並べる。その途中で、ふと手が止まる。

 

 明日、戻るか。

 

 口には出さない。だが、頭の中でその言葉はもう決まっていた。

 

 週に二回。

 向こうへ入るのは、長くて二日。

 

 それ以上は要らない。居つく気もないし、顔を出す気もない。ただ見て、落として、また戻る。それだけでいい。

 

 封筒を二つに分ける。自分の取り分と、それ以外。

 

 指先は迷わない。ほとんど癖だ。考える前に仕分けが終わる。

 

 明日の夜にアビドスへ入る。

 その次の朝まではいない。昼に目立つのは面倒だ。夜のうちに校舎を見る。ポストへ落とす。必要があれば屋上も見る。二日目の夜にはまた戻る。

 

 それで十分。

 

 机の端に封筒を寄せながら、不意に顔が浮かぶ。

 

 現場にいたアビドスの後輩たち。

 

 静かに前へ出る子。

 柔らかいのに芯がある子。

 うるさいが、あれはあれで真っ直ぐな子。

 無線の向こうで頭を回している子は、そこにいないのに現場の空気を変える。

 

 今のアビドス。

 

 ああいうのが残っているのか、と、考えたくもないのに思う。だから余計に面倒だ。

 

 もう一つ、別の顔が浮かんだ。

 

 柴関ラーメンの湯気の向こう。

 連邦捜査部シャーレの先生。

 

 来る時期が二年遅い。

 

 その事実だけで十分腹立たしい。

 

 二年前、こっちは救援を出していた。返事はなかった。何も来なかった。それが今さら、先生だ、シャーレだと寄越されても、遅すぎる。

 

 ……あれ個人のせいじゃないことくらい、分かっている。

 

 最近就任した。その程度のことは調べがついている。だから全部をあれ一人に被せる気はない。

 

 それでも。

 

 連邦生徒会が遅かった事実は消えない。その遅さの上に、今のアビドスがある。

 

 そこまで考えて、ヒバリは小さく舌打ちした。

 

「面倒だな」

 

 誰に向けた言葉でもない。

 

 先生の顔が浮かぶ。

 そのすぐ後に、救い出されたばかりのホシノの顔まで浮かびかける。後輩たちに囲まれて、少しだけ緩んでいた、あの顔。

 

 ヒバリは目を閉じた。

 

 要らない。

 今、考えることじゃない。

 

 机の上の封筒を重ねる。明日の分だけ脇へ寄せる。照明を落とす。

 

 薄暗くなった部屋で、仮拠点の天井を一度だけ見上げた。

 

 ここは寝る場所だ。

 考え込む場所じゃない。

 

 ヒバリはベッドへ倒れ込む。靴は脱がない。上着も半分だけ。いつもの癖だ。

 

 板を打ちつけた窓の向こうで、ブラックマーケットの音がまだざらついている。その中で、二年前に返らなかった救援と、今さら来た先生の顔だけが胸の奥に少し残っていた。

 

 ヒバリはもう一度だけ舌打ちして、目を閉じた。

 

 明日、アビドスへ行く。

 

 そのまま、眠った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。