アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第12話 夢を見た

 

 夢だと気づく前から、空気が今より軽かった。

 

 砂の匂いは同じはずなのに、重さが違う。窓の外に広がるアビドスの空は、今と同じように乾いているのに、まだ終わっていない色をしていた。

 

 対策委員会室の扉は開きっぱなしで、風が紙を揺らしている。部屋の真ん中では、ユメが笑っていた。

 

「だからね、そこはもっとこう、勢いで何とかなると思うんだよ」

 

「なるわけないでしょ」

 

 ヒバリは即座に返した。

 

「姉さんの“何とかなる”は、何ともならない時の方が多い」

 

「ひどいなあ」

 

 口ではそう言いながら、ユメは少しも堪えていない顔で笑う。

 

 その向かいで、ホシノが机に肘をつきながら、小さく息を吐いた。

 

「……最初から分かってるなら、止めればいいでしょ」

 

「止めてる」

 ヒバリはそちらを見ずに言う。

「効いてないだけ」

 

「じゃあ意味ないじゃん」

 

 その一言だけで、ヒバリはホシノを睨んだ。

 

「何」

 

「別に」

 ホシノは肩をすくめる。

「すぐ噛みつくなって思っただけ」

 

「そっちが姉さんに近い」

 

「は?」

 

 ホシノが眉をひそめる。

 

「何それ」

 

「そのまま」

 

 ぴくりと、ホシノの眉が動く。

 

 ユメが、そこでようやく二人の間に入った。

 

「はいはい、そこまで。二人とも喧嘩しない」

 

「してない」

 ヒバリは言う。

 

「してるでしょ」

 ホシノが言う。

 

 ほとんど同時だった。

 

 ユメが吹き出す。

 

「ほら、やっぱり似てる」

 

「「似てない」」

 

 また二人同時だった。

 

 ユメは、何もかも面白いみたいな顔で笑う。

 

 ヒバリは、それが嫌いじゃなかった。

 

 嫌いじゃないからこそ、気に入らなかった。

 

 姉さんの隣は、自分の場所だと思っていた。少なくとも、同級生の誰かが当然みたいに入り込んでいい場所ではない。

 

 なのにホシノは、そこにいる。

 

 普通にユメと話して、普通に呆れて、普通に支えるみたいな顔をする。今のホシノほど丸くない。言い方もきついし、棘もある。誰にでも近づけるような顔じゃない。

 

 だから余計に腹が立つ。

 

「姉さん、今日の見回りは私も行く」

 

「あ、私も」

 

「来なくていい」

 

「なんで」

 

「なんででも」

 

 ユメが困ったように首を傾げた。

 

「ヒバリ、ホシノちゃんだって手伝ってくれてるんだから」

 

「頼んでない」

 

「頼まれなくてもやること、あるでしょ」

 

「姉さんの隣にいること?」

 

 空気が、ぴたりと止まった。

 

 ホシノの眉がゆっくり寄る。

 

「何それ」

 

「そういう顔してる」

 

「どんな顔」

 

「気に入らない顔」

 

「知らない」

 

 ユメが、また少しズレたところで笑って止めに入る。

 

「もう、またそうやって張り合う」

 

 張り合ってない。

 

 そう言いたかった。けれど言う前に、ユメはホシノの方を向く。

 

「ホシノちゃんも、もうちょっと素直になろうね」

 

「……なんで私だけみたいな言い方になるの」

 

「だってホシノちゃん分かりにくいし」

 

「姉さん」

 

 ヒバリが呼ぶ。少し強めに。

 

 ユメは「あ、ごめんごめん」と軽く笑って、ようやくこっちを見る。

 

 それがまた気に入らない。

 

 毎回そうだ。姉さんは、きっと本気で分かっていない。自分が原因でこうなっているなんて思っていない。ただ、ホシノの方が少し不器用で、少し危なっかしく見えるから、ついそっちへ手を伸ばしてしまう。

 

 ヒバリから見れば、毎回ホシノの肩を持っているようにしか見えないのに。

 

「ヒバリも、そんな顔しないの」

 

「どんな顔」

 

「今の顔」

 

「姉さんがそうさせてる」

 

「えぇ?」

 

 本当に分かっていない声だった。

 

 ホシノが小さく笑った。

 

 それが聞こえた瞬間、ヒバリは椅子を鳴らして立ち上がる。

 

「何笑ってるの」

 

「笑ってない」

 

「笑った」

 

「気のせい」

 

「気のせいじゃない」

 

 ユメがまた間に滑り込む。

 

「はい、終わり! 二人とも今日はそこまで!」

 

 細いのに、妙なところで強い。昔からそうだった。

 

 ユメはヒバリの肩を押し、ホシノを目で制し、それから両方を見て笑う。

 

「喧嘩するなら、せめてお互い余裕がある日にしなよ。今の二人、どっちも余裕ないでしょ」

 

 またズレている。

 

 でも、そのズレ方すら懐かしかった。

 

      *

 

 場面がふっと変わる。

 

 夢はいつもそうだ。何の繋がりもなく、光だけが変わる。

 

 夕方だった。

 

 校舎の廊下が、橙に長く染まっている。窓の外では、砂が風に流されていた。

 

 ヒバリは荷物を持っていた。いつもより少し大きい鞄。数日分。アビドスを空けるための荷物だ。

 

 連邦生徒会へ行く。抗議する。何でこの学校がここまで削られているのに放っておくのか、直接言ってやる。

 

 そう決めた時の苛立ちまで、夢の中には残っていた。

 

 姉さんは止めなかった。困った顔はしたけれど、最後には「行っておいで」と言った。ヒバリが行かなきゃ気が済まないことも、少しくらいは分かっていたのかもしれない。

 

「本当に数日で戻るんだよ」

 

「戻る」

 

「喧嘩しない?」

 

「誰と」

 

「ホシノちゃんとか」

 

「するわけない」

 

 それが嘘だと分かっている顔で、ユメは笑った。

 

「まあ、戻ったらまた言い合いになるんだろうけど」

 

「ならない」

 

「なるよ。二人とも頑固だし」

 

「姉さんがあいつの肩持つからでしょ」

 

「またそういうこと言う」

 

 ユメは軽く笑って、ヒバリの額を指先で小突く。

 

「私がいない間に、ホシノちゃんとちゃんと話しなよ」

 

「嫌」

 

「即答だね」

 

「姉さんも、あいつにばっかり共感しないで」

 

「してないって」

 

「してる」

 

 ユメは少し考えるように首を傾げたあと、結局また笑った。

 

「ヒバリって、ほんと分かりやすいね」

 

「姉さんが鈍いだけ」

 

 そう返した時、確かにユメはいた。

 

 そこにいて、笑って、触れて、声を返した。

 

 夢の中では、そこから少しずつ景色が曖昧になる。

 

 ユメとホシノが、少し先を歩いている。何かを話している。声は聞こえない。ただ、二人の背中だけが妙にはっきり見えた。

 

 行かなきゃいけない、と思った。

 

 姉さんを呼びたい。ホシノにも何か言いたい。分からないのに、置いていかれるのだけは駄目だと、夢の中の自分はちゃんと分かっている。

 

 なのに。

 

 足が、勝手に逆へ動いた。

 

 一歩。

 また一歩。

 

 自分の意思とは関係なく、姉さんとホシノから離れる方へ、身体だけがするすると滑っていく。

 

「待って」

 

 声に出したはずなのに、届かない。

 

「姉さん」

 

 呼んでも、振り向かない。

 

 ホシノも、気づかない。

 

 二人の背中が遠ざかる。追いたいのに、足は止まらない。戻りたいのに、勝手に離れていく。

 

 やめろ、と心の中で何度も思う。

 

 それでも身体だけが言うことを聞かない。

 

 置いていかれる。

 

 そこで、夢は途切れた。

 

      *

 

 目が覚めた時、喉の奥だけがひどく乾いていた。

 

 天井は低い。板で塞いだ窓の隙間から、ブラックマーケットの薄汚れた朝の光が差している。

 

 仮拠点。

 

 夢の温度だけが、まだ皮膚の下に残っていた。

 

 ヒバリは息を吐く前に、小さく舌打ちした。

 

 最悪だ。

 

 毎回だ。アビドスへ行く前の日は、だいたいこうなる。同じ夢。少しずつ違うのに、最後だけは変わらない。楽しかった頃を見せておいて、最後にそれを持っていく。

 

 起きた瞬間から、機嫌は最低だった。

 

 ベッドから起き上がる。顔を洗う気にもならない。だが、行くと決めた以上は行く。

 

 机の上の封筒を一つ取る。アビドスに落とす金だ。

 

 外套を羽織る。緑色が肩を覆う。首元を直す。動き始めるまでに必要なことだけをして、ヒバリは扉を開けた。

 

 今日はアビドスへ行く。

 

 胸の奥の濁りは、消えないまま連れていくしかなかった。

 

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