アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第14話 追いつく昼

 

 シロコは、昨夜の窓の外をまだ覚えていた。

 

 暗がり。

 一瞬だけ揺れた緑。

 

 気のせいで済ませるには、輪郭がはっきりしすぎていた。

 

 朝の対策委員会室は、いつもより少しだけ静かだった。誰もが同じことを考えているのに、最初の一言を待っているような空気だった。

 

 だから、シロコが先に言った。

 

「いた」

 

 セリカが顔を上げる。

 

「またいきなり何よ」

 

「昨夜」

 シロコは続けた。

「窓の外に、誰かいた。見間違いじゃない」

 

 短い言葉だった。

 

 でも、そこで止めなかった。

 

「絶対いた」

 

 その断言で、部屋の空気が少し変わる。

 

 アヤネが端末を操作しながら頷いた。

 

「シロコちゃんの話だけじゃなくて、映像も確認しました」

 少し眉を寄せる。

「はっきりとではありませんが……カメラの端に、若干映っています」

 

 画面が向けられる。

 

 静止した映像の隅。壁際の暗がりに、ノイズみたいな緑が一瞬だけ引っかかっていた。

 

 それだけだ。

 

 それだけなのに、昨夜の窓の外を見たシロコには十分だった。

 

「これ」

 シロコは言う。

「同じ」

 

「私もそう思います」

 アヤネが頷く。

「時間も一致していますし、偶然とは考えにくいです」

 

 ノノミは、旧校舎のポストから持ってきた付箋を見て、ふわりと笑った。

 

「でも、見てもらえたんだと思いますよぉ」

 

「付箋?」

 セリカが聞き返す。

 

「ほら、これですぅ」

 ノノミが紙を摘まむ。

「端がちょっと曲がってるんです。貼った時はこんなじゃなかったので、たぶん一回触ってますよぉ」

 

 シロコも見る。

 

 確かに、端が少しだけ折れていた。風で偶然そうなったようにも見える。けれど昨夜のことを思い出した後では、偶然より先に別の背中が浮かぶ。

 

「見た」

 シロコは呟いた。

 

「でしょう?」

 ノノミが言う。

「ちゃんと見てもらえたんだと思います」

 

 セリカは素直に喜ばなかった。

 

「見てもらえたから何よ」

 腕を組んだまま、少しだけ唇を尖らせる。

「出てこないなら同じじゃない」

 

「同じではないよぉ」

 ノノミの声はやわらかい。

「少なくとも、届いてはいます」

 

 アヤネも端末を抱え直した。

 

「カメラを増やした意味はありましたね。警戒してくれているなら、それはそれで進展です」

 

 ホシノは少し離れた席で、曖昧に笑った。

 

「そっかぁ」

 

 軽い声だった。

 

 でも、その軽さは少しだけ薄い。

 

 シロコはその顔を見る。笑っている。けれど、昨夜の窓の外にいた緑を思い出した時、一番深く刺さっているのはたぶんこの人だ。

 

 先生が、全員の顔を見てから言った。

 

「少なくとも、昨夜ヒバリが学校に来ていた可能性は高い」

 一拍置く。

「そして、こちらの言葉も見ている」

 

 セリカが小さく舌打ちした。

 

「だったら、もうちょっと普通に出てこれないわけ?」

 

「普通に出てこれるなら、最初からそうしてるんじゃないかなぁ」

 

 ホシノがぼそっと言う。

 

 その返しに、誰もすぐには何も言えなかった。軽く聞こえるのに、軽く片づけられる話じゃないと分かる声だった。

 

 シロコは、付箋をもう一度見た。

 

 折れた端。

 短い礼。

 見てもらえた、というノノミの言葉。

 

 たぶん、また来る。

 

 そう思った。

 ほとんど確信だった。

 

      *

 

 報告を終える頃には、夜勤の疲れが一気に重くなっていた。

 

 シロコは少し遅れて学校を出た。朝から昼へ変わりかけた時間。日差しは高く、夜よりずっと影が短い。

 

 夜勤明けの身体は鈍い。

 

 それでもロードバイクに跨ると、少しだけ頭が冴える。

 

 昼のアビドスは、夜より見通しがいい。低い民家。開けた道。遠くまで伸びる白い砂。

 

 だから、道の端に見えた緑はすぐに目に入った。

 

 見覚えのある緑色の外装。

 

 背丈は、ホシノ先輩とそう変わらないくらいだった。

 その横に、本人の身長に届きそうな大きなガンバッグを斜めに負っている。盾みたいにも見える、無骨で長い塊。見た目だけなら重そうなのに、歩き方は妙に軽かった。

 

 荷物を運んでいるというより、最初から身体の一部みたいだった。

 

 シロコは反射みたいにブレーキを握る。

 

 昨夜の窓の外。

 カメラの端。

 折られた付箋。

 

 いた。

 

 今度は、はっきり見つけた。

 

 相手はゆっくり歩いていた。昼のこの時間。学校から少し離れた道。周囲は低い建物ばかりで、見晴らしもいい。

 

 今なら追える。

 

 シロコは迷わずペダルを踏み込んだ。

 

 最初は声をかけない。距離を測る。相手の歩幅を見る。気づいているのか、まだ気づいていないのかを確かめる。

 

 緑の背中は、振り向かない。歩幅も変わらない。逃げる気配もない。

 

 気づいているのかもしれない。

 

 その無反応が、逆にやりにくい。

 

 それでも、抜くなら今だ。

 

 シロコは一気に踏み込んだ。緑の横を静かに追い抜く。そのまま少し先でハンドルを切り、車体を横向きに止める。

 

 逃げ道を完全に塞ぐほどではない。

 

 でも、そのまま通り抜けるには少し面倒な角度。

 

 タイヤが砂を鳴らす。

 

 緑の影が止まった。

 

 シロコは呼吸を整える。心臓は速い。でも視線は逸らさない。

 

 目の前の相手も、まだ何も言わない。フードの陰。昼の光の中でも沈む緑。背中のでっかいガンバッグ。

 

 昨夜の窓の外。

 付箋を見た人。

 ずっと学校の外にいた先輩。

 

 シロコはまっすぐ相手を見た。

 

「……ヒバリ先輩?」

 

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