最初の印象は、最悪だった。
ユメ先輩に声をかけられたのは数日前だ。アビドスに力を貸してほしい、と。人手が足りないことも、この学校が長く苦しい状況にあることも、話の端々から十分伝わってきた。
ユメ先輩は優しかった。柔らかくて、困ってる相手を放っておけない人なんだろうな、というのがすぐ分かるくらいには。
だから、少しくらいなら付き合ってもいいと思った。
思ったのに。
ついてきてみれば、待っていたのは感じの悪い妹だった。
知らない顔を見るなり眉をひそめて、いきなり喧嘩腰。言ってること自体は分からなくもない。人が減って、信用した相手が消えて、綺麗事にうんざりしてるのも何となく伝わる。
でも、気に入らないものは気に入らない。
初対面であの態度はない。
しかも、こっちを見下した目のまま「表出ろ。見てやる」だ。
上等じゃん、と思った。
一回潰す。
ちゃんとこっちが上だと分からせる。
そういうつもりで、ホシノはグラウンドへ出た。
*
校舎脇のグラウンドには、訓練用なのか低い障害物がいくつか積まれていた。木製の低い壁、簡易バリケード、砂袋を重ねた遮蔽物。古びてはいるけど、使うには十分だ。
向こう側で、ヒバリが盾を片腕に噛ませる。
折りたたみ式の大型盾。片手には大口径リボルバー。構成だけ見れば近中距離型だ。火力は高そう。でも弾数は少ない。リボルバーならなおさらだ。
ホシノはショットガンを肩に馴染ませながら、相手を眺める。
小柄。細い。怖い顔。感じ悪い。口も悪い。
なのに、構えだけは妙に隙がない。
そこがまた腹立たしかった。
ユメ先輩が心配そうに二人を見比べる。
「二人とも、本気でやるつもりじゃ――」
「やるよ」
「やる」
またぴったり重なって、ユメ先輩がさらに困った顔になった。
少し離れた中距離で向かい合う。
この距離なら、すぐ詰められる。
相手は盾持ちでも、接近型だ。リボルバーは数が少ない。適当に避けて、リロード中に潰せば終わる。
そう思って、ホシノは地面を蹴った。
まっすぐ距離を詰める。
最初に押す。近づく。飲む。こっちの形に引きずる。
そのつもりだった。
「死ね!」
甲高い怒鳴り声と同時に、銃声が鳴った。
反射で頭を振る。
右を掠める。
間髪入れずにもう一発。
今度はしゃがみ込むように避けた。熱が髪をかすめる。
「……は?」
足は止めない。
でも、思考が少し遅れた。
この距離から、今の二発、両方頭だった。
適当に撃ったんじゃない。明確に仕留めに来てる射線だ。
ヒバリはそのままこちらを見ていた。嫌なくらい真っ直ぐに。外したことにも焦っていない。むしろ、避けるのが当然みたいな顔で、冷静にシリンダーへ指をかける。
見ながら、リロードしている。
この距離から当ててくるのかよ。
しかも、こっちを見たまま。
イケすかない奴は本当にイケすかない顔で、無駄のない手つきで弾を込めている。
「……早く距離詰めないとまずいね」
思わず、そんな独り言が漏れた。
軽口じゃない。本音だ。
あの精度で撃たれ続けたら、近づく前に終わる。
ホシノは斜めに走路を変えた。真正面の突撃をやめ、障害物の影を切る。木製の低い壁をひとつ挟み、その先のバリケードまで一気に入る。
次の銃声。
木片が跳ねた。
視界の端に、削れた壁材が飛ぶ。
止まれば駄目だ。次が来る。
ホシノは地面を滑るように蹴って、遮蔽物から飛び出した。
距離は縮んだ。
今度は行ける。
そう思った瞬間だった。
急に目の前に、盾が迫ってきた。
「っ!?」
反射で身体を捻る。
正面から突っ込んできたヒバリが、そのまま盾を叩きつけるように振り抜く。紙一重で外れた一撃が、背後の低い木製障害物に食い込んだ。
鈍い破砕音。
木片が弾け飛ぶ。
低い壁がほとんどそのまま吹き飛んだ。
「なんてバカ力だよ……!」
一撃ももらえない。
本気でそう思った。
盾ってもっと受けるための物じゃないのか。何でこいつのは殴る方が本職みたいになってるんだ。
ヒバリは盾を戻す勢いのまま、腰のリボルバーを抜いて撃つ。
近い。
ホシノはショットガンで銃身を弾くみたいに上へ流し、火花を散らしながら横へ逃げた。砂が跳ねる。ヒバリもそのままついてくる。
接敵した。
そこからは、ほとんど息をつく暇もなかった。
ヒバリは嫌な相手だった。近づけば終わると思っていたのに、近づいた後も普通に面倒だった。盾で押す。弾く。ぶつける。離れる。撃つ。近い距離での判断が速い。
ホシノも押し返す。ショットガンの間合いに入ればこっちが強い。射線と体重で押し込んで、踏み込みで崩す。けれどヒバリはまともに受けない。正面からぶつかるくせに、最後の一歩だけ斜めにずらす。その癖がうざい。
何度か撃ち合い、何度か盾が視界を塞ぐ。
接近戦用の二人だった。だからこそ距離のやり取りが激しい。完全に離れもしないし、べったり張りつきもしない。一歩間違えればどちらかが頭を割られる位置で、細かく押し引きを繰り返す。
「しつこい!」
「そっちが!」
言い返す声まで刺々しい。
腹立つな、本当に。
でも、その腹立たしさの中に少しずつ別の感情が混ざってきていた。
ちゃんと強い。
それも、思っていたよりずっと。
ヒバリは近づかれるたびに盾を使って強引に距離を切る。そのタイミングでリボルバーの弾も整えてくる。最初はただ必死なんだと思っていた。でも違う。あれは癖だ。意図してやってる。
バッシュで離脱。
呼吸ひとつ置いてリロード。
次の射撃で止める。
それを繰り返してる。
「……あれ?」
何度目かの押し合いのあと、ホシノはそこでようやく気づいた。
ヒバリの息が少し荒い。
肩の上下が大きい。足の踏み込みが、ほんのわずかに鈍くなっている。
「疲れてきたんじゃない?」
煽るように言うと、ヒバリの顔が余計に険しくなった。
「ぬかせ!」
盾が来る。
重い。
危ない。
でもさっきより一瞬だけ遅い。
「早く潰れろ!」
「そっちが、ね!」
撃ち合う。
ホシノの散弾が盾を叩き、ヒバリのリボルバー弾がバリケードの角を砕く。砂煙が上がる。視界が揺れる。
その中で、ホシノは相手の動きを見ていた。
来る。
また、あの形だ。
接近を嫌がった時のバッシュ。強引に押し返して、距離を切って、そのままリロードに入る流れ。
今度こそ読んだ。
ヒバリが踏み込む。
盾が真正面から迫る。
ギリギリで身体を落とし、横へ抜ける。風圧みたいな勢いが頬を打つ。そのままヒバリの背中側へ回り込んだ。
今だ。
至近距離。
ショットガンの銃口を叩きつけるように向ける。
引き金を絞った。
炸裂音。
「――ッぁ!」
予想外だったのか、ヒバリが悲痛な声を上げる。身体が大きく崩れる。これで終わる。そう思った。
けれど終わらなかった。
ヒバリはそのまま倒れず、崩れた体勢の勢いを無理やり殺さないまま、片腕の盾を横薙ぎに振り抜いた。
「っ、うお!?」
まともに食らう。
重いとかいう話じゃない。衝撃そのものが殴りつけてきたみたいだった。ホシノの身体が浮く。次の瞬間、背中から障害物に叩きつけられる。木材が軋み、肺の空気が全部押し出された。
痛い。
息ができない。
視界が白く弾ける。
そのまま地面に転がった。
何秒か、本当に何も考えられなかった。
耳の奥で音が鳴っている。
砂の匂いが近い。
身体がうまく動かない。
それでも、薄く開いた視界の先でヒバリが動いた。
盾を杖みたいに地面へ突き立てて、一度だけ立ち上がる。
けれど脚が笑っていた。膝が細かく震えている。呼吸もひどい。肩が上下して、今にも崩れそうだった。
それでもこっちを見る。
強く、ものすごく不機嫌そうに。
睨みつけるみたいに真っ直ぐこちらを見た。
その目だけは、まだ全然折れていなかった。
腹が立つくらい、最後まで感じが悪い。
「くそが」
低く吐き捨てる。
その一言を残して、ヒバリはそのまま前に倒れた。
盾が鈍い音を立てる。
グラウンドが静まる。
倒れたまま、ホシノはそれを見ていた。
相打ち。
たぶん、そういうことなんだろう。
気に入らない。
感じも悪い。
でも、ちゃんと強い。
視界の端で、ユメ先輩が慌てて駆け出すのが見えた。
そこでようやく、張っていたものが切れる。
「……ほんと、面倒」
掠れた声だけが漏れる。
次の瞬間、ホシノの意識も、そのまま暗く落ちた。