軽装甲車の側面を拭きながら、ヒバリは無言だった。
無言なのは機嫌がいいからじゃない。いつものことだ。喋る必要がなければ喋らないだけで、今日は特に、口を開けば砂まで入ってきそうな乾いた風が強かった。
アビドス生徒会の車両置き場兼簡易格納スペースは、今日も砂だらけだった。
低い屋根の下に軽装甲車が一台。少し離れたところに輸送用ヘリ。どっちも使うたびに砂を被るし、使わなくても砂を被る。結局、放っておけば全部すぐ汚くなる。
だからヒバリは、黙って手を動かしていた。
布で外装の砂を落とす。足回りを見る。窓の隅に入り込んだ砂をかき出す。ついでに点検表へ簡単に印を入れる。どこが緩んでいるか、燃料がどのくらい残っているか、次に動かすなら何が要るか。見ておくべきことは山ほどある。
面倒だ。
でも、誰かがやらないと普通に困る。
軽装甲車の側面を一度叩き、ヒバリは次にヘリの下へ回り込んだ。脚まわりに付いた砂を払おうとしたところで、背後から聞き慣れた声が飛んでくる。
「ヒバリ! ちょっと見てこれ!」
嫌な予感しかしない声だった。
ヒバリは振り返る前から顔をしかめた。
案の定、姉だった。しかも一人じゃない。その後ろにホシノもいる。
姉は何か紙束を抱えていて、やけに目がきらきらしている。ホシノはホシノで、少し呆れたような顔をしながらも、完全には止める気がない時の顔をしていた。
嫌な予感しかしない。
「今、見て分かんない?」
ヒバリは雑巾を持ったまま言った。
「清掃中なんだけど」
「それより大事かもしれないよ!」
「そんなわけないでしょ」
即答したのに、姉はまったく怯まなかった。
紙束をぱたぱたと振って、ずいっと前へ出てくる。
「ほら、昔のアビドスのパンフレット! 倉庫整理してたら出てきたの!」
「見て、ここ!」
半ば押しつけられるようにして紙を渡される。
古い紙だった。端が少し黄ばんでいて、折り目もある。表紙には、まだ人がいた頃のアビドスの風景写真。今よりずっと賑やかそうな街並み。見慣れないくらい整っている道。
ヒバリは嫌そうな顔のままページをめくる。
「……で」
「そこそこ!」
姉が指を差した先には、小さな特集記事みたいなものがあった。
アビドス近郊の鉱物資源。処理施設。試験採掘区域。そんな単語が並んでいる。
さらに読み進めると、昔この周辺で鉱石類が処理され、当時は採算が合わないと判断された低品位の鉱石や、不純物の多い残渣が一部まとめて廃棄された可能性がある、と書かれていた。
姉が息を弾ませる。
「ここにお宝が眠ってるはずなの!」
「昔は価値がないって捨てられた鉱石の中に、今なら高く売れるものが混じってるかもしれないんだって! 掘り起こしたら大金になるかも!」
ヒバリは無言で姉を見た。
次に、ホシノを見る。
止めろや、という視線だった。
普通ならここで、ホシノが「いや怪しいでしょ」とでも言って終わるはずだった。
でも、ホシノは少しだけ目を細めて、パンフレットを横から覗き込んでいる。完全に信じてるわけじゃない顔だ。けれど、完全に馬鹿にしてる顔でもない。
心なしか、ちょっとだけ目がきらついている。
ヒバリは本気で頭が痛くなった。
「……マジかよ」
「いや、あたしも最初はどうかと思ったけど」
ホシノが肩をすくめる。
「こういうのって、一応気になるじゃん」
「お前もそっち側かよ」
「そっち側って何」
「夢を見る側」
ホシノが少しだけ眉を上げる。
「感じ悪」
「知ってる」
姉はそんな二人を気にも留めず、ひたすら前向きだった。
「もし本当に残ってたらすごいよ! 学校の足しになるかもしれないし、借金だって少しは――」
「ならないでしょ」
「なるかもしれないでしょ!」
「“かも”で軽装甲車動かす気?」
「動かすよ!」
即答だった。
ヒバリは本気で嫌そうな顔をした。
ホシノが少しだけ吹き出しそうになるのが見えた。こいつ、止める気ないな。いや、最初から薄かったけど、今ので完全に消えた。
こいつらマジか。
本気かよ。
ヒバリはパンフレットを閉じる。
「そんな都合よく埋まってるわけないでしょ」
「だいたい、掘るって言っても場所広すぎるし」
「機材は?」
「燃料は?」
「地図は?」
「周辺の旧区画情報は?」
「砂の深さも分からないのに?」
姉はそこで、ほんの少しだけ詰まった。
でもすぐに顔を上げる。
「だから、今から準備するの!」
何の答えにもなっていなかった。
ヒバリは天を仰ぎたくなった。
隣でホシノがパンフレットをもう一度覗き込みながら、小さく言う。
「……まあ、行くだけ行ってみるのはありかもね」
「何もなかったら、それはそれで諦めつくし」
「お前まで何で乗るの」
「ちょっと面白そうだから」
終わってる。
ヒバリは額を押さえた。
「本気かよ……」
「本気だよ!」
「お前は黙ってて」
「何でぇ!?」
姉が不満そうな声を上げる。
でも、その明るい顔を見ていると、頭ごなしに全部叩き切るのも少しだけ面倒になった。面倒というか、疲れる。こっちが。
どうせ止めても、こいつらは別ルートで何かやる。
しかも準備不足のまま。
それが一番まずい。
ヒバリは深く息を吐いた。
「……分かった」
姉とホシノが同時にこっちを見る。
「軽装甲車を出すなら燃料を確認する。足りないなら携行缶も積む」
「発掘道具も積む」
「ドリル、ツルハシ、スコップ、ロープ、シート、予備水」
「二人はその間に周辺の地図情報と旧区画図を集めてきて」
「えっ、行ってくれるの!?」
「行かないと、お前らだけで勝手に行くだろ」
ヒバリは即座に返した。
「その方が事故る。最悪」
姉はぱっと顔を明るくした。
「やっぱりヒバリ、優しい!」
「違う」
「現実見てるだけ」
ホシノが横で小さく笑う。
「でも行くんだ」
「うるさい」
ヒバリは軽装甲車へ向き直った。
「暇なら手伝えよ。無理なら出稼ぎでも行って。私の視界に入らないでよ」
反射でホシノの眉が寄る。
一瞬、言い返しそうになるのが分かった。
でも、今のはちょっとだけ一理あった。
ホシノは何とも言えない顔のまま、軽く舌打ちしそうな息を吐いてからパンフレットを持ち直す。
「……地図、探してくる」
「最初からそうしろ」
「いちいち感じ悪いな、お前」
「知ってる」
姉はそのやり取りを見て、少しだけ笑っていた。
それから、よし、と小さく気合いを入れる。
「じゃあ手分けしよう!」
「ホシノちゃん、資料室!」
「ヒバリ、車両お願い!」
「私は工具庫から発掘道具持ってくる!」
「最初からそれ言えよ」
「言ったらヒバリが逃げるかもしれないし」
「逃げない。呆れてるだけ」
そう返しながら、ヒバリは軽装甲車のハッチを開けた。
燃料残量を確認する。いけるけど足りない。携行缶も要る。後部のスペースを見て、どこに何を積めるかざっと頭の中で並べる。ついでにタイヤの状態を見る。砂地なら空気圧も少し見ておきたい。
手は勝手に動く。
文句を言いながらでも、準備は進む。
後ろでは姉が工具庫の鍵を探し始めて、ホシノがパンフレット片手に資料室の方へ歩いていく。
途中で一度だけ振り返って、軽装甲車の横にしゃがみ込んでいるヒバリを見た。
「……意外とちゃんとしてるね」
聞こえるように言ってくる。
ヒバリは顔も上げずに返した。
「お前が適当すぎるだけ」
「はいはい」
気に食わない返事だったけど、もう言い返す気にもならなかった。
結局、こうなる。
夢を見る姉が話を持ってきて、半分呆れながら乗るホシノがいて、最後に現実の段取りを組むのが自分。
面倒だ。
本当に面倒だ。
でも、その面倒さで何とか回っている日もあった。
ヒバリは軽装甲車の後部を閉めて立ち上がる。
砂の向こうでは、姉が工具を抱えて走ってきて、ホシノが古い地図を何枚も丸めて持ってきている。
馬鹿みたいな話だった。
けれど、この時の三人は、わりと本気だった。
そしてたぶん、それで十分だった。