砂漠の真ん中だった。
本当に、何もなかった。
空は高い。日差しは強い。地平線まで見える。見えるくせに、目印になるものはほとんどない。低い岩と、風に削られた起伏と、延々続く砂。昔ここに何かが埋められたと言われても、そうですかとしか言えない景色だった。
軽装甲車が止まる。
エンジン音が切れた途端、外の静けさがやけに広くなった。
ホシノはドアを開けて、熱気に顔をしかめた。
「……帰っていい?」
「着いて一分も経ってないよ!?」
助手席から飛び出してきたユメが、さっそく元気だった。手にはパンフレットと旧区画図。来るまでの間もずっと見比べていたせいで、紙の端が少しよれている。
「この辺のはずなんだよねぇ」
「処理施設の旧ルートがここで、廃棄予定区域がこのあたりで――」
「“このあたり”広すぎでしょ」
ホシノが地図を覗き込みながら言うと、ユメは少しだけ気まずそうな顔をした。
「でも、絞った方なんだよ?」
「ほら、ここからここまで!」
「全然絞れてない」
ぴしゃりと言ったのは、車両の後ろで荷台を開けていたヒバリだった。
いつも通り感じが悪い。
感じが悪いまま、工具を地面へ下ろしていく。ツルハシ、スコップ、手持ちドリル、ロープ、水筒、シート。後部には予備水と簡易冷凍庫も積んである。必要そうなものは一通り揃っていた。
こういう時だけ妙に抜け目がない。
「文句言ってないで動いて」
「日が高いうちに、何も出ないって確認して帰るんだから」
「最初から何も出ない前提なんだ」
「当たり前でしょ」
正論だった。
腹は立つけど。
道具を一通り下ろし終えたところで、ユメが「あっ」と声を上げた。
「待って、そうだ。先に着替えよう」
「は?」
ヒバリとホシノの声が綺麗に重なった。
ユメは悪びれもせず、大きめのバッグを開ける。中から出てきたのは、どう見ても発掘道具ではなかった。
「水着!」
「何で?」
ヒバリが真顔で聞く。
「砂で服が汚れるかもしれないでしょ?」
ユメは当然みたいに言う。
「汗もかくし、動きやすい方がいいかなって」
「いや意味分かんないけど」
ホシノが即座に突っ込むと、ユメはさらに悪びれず、バッグの中から水着を取り出した。
二着。
それを見た瞬間、ヒバリの顔が固まった。
「……待って」
声が低くなる。
「何で、二着あるの」
「ヒバリの分と、ホシノちゃんの分!」
「違う」
ヒバリは即答した。
「それ、両方私のだろ」
空気が一瞬止まった。
ホシノが、水着とヒバリを交互に見る。
「……え」
ユメはにこにこしたまま、まったく悪びれていない。
「だってヒバリとホシノちゃん、体型ちょっと似てるでしょ? 入るかなって」
「お前、正気?」
ヒバリの声が本気で低くなった。
ホシノもさすがに一歩引く。
「いや、あたしもそこに入れられるの?」
「何その雑なくくり」
「雑じゃないよ?」
ユメは二人を見比べる。
「たぶんいける!」
「いけるじゃないんだよ!」
ヒバリが一歩前に出た。
「勝手に人の水着持ち出して」
「勝手に他人へ渡そうとして」
「その理由が体型似てるから?」
「どこから怒ればいいのか分からないんだけど」
「え、でもサイズは――」
「サイズの問題じゃない!」
珍しく、ヒバリの声がはっきり荒くなった。
ホシノは半分呆れ、半分笑いそうになりながら水着を見る。どう考えても発掘現場に持ってくるものではない。しかも、今の話を聞く限り、どうやらヒバリの私物らしい。
さすがに少し気まずい。
「……いや、それはあたしも遠慮しとくけど」
「当たり前でしょ」
ヒバリが即座に刺す。
「何でちょっと検討したみたいな間があったの」
「いや、してないしてない」
「嘘つけ」
ユメは困ったように水着を持ち直す。
「でも、服のまま砂まみれになるよりはいいかなって……」
そこでホシノが少しだけ言う。
「……まあ、理屈だけならね」
「そのまま車に戻ったら内部まで砂だらけになるし」
ヒバリが振り向く。
「お前も乗るの?」
「着るとは言ってない」
「理屈だけならって話」
そこでヒバリがぴたりと止まる。
数秒、真顔で軽装甲車を見る。車内清掃の手間。砂の入り込み。座席の隙間。帰りのことまで頭の中で計算している顔だった。
「……最悪」
低く吐き捨てる。
「確かに理にはかなってる」
「内部の掃除の手間が減る」
「でしょ!?」
ユメがぱっと明るくなる。
「嬉しそうにすんな」
ヒバリは心底嫌そうに言ってから、ユメの持つ水着をひったくるように取った。
「着替える」
「でもお前、次から私物を勝手に持ち出したら埋める」
「埋める!?」
「砂しかないし」
「発掘に来たのに埋める側!?」
ホシノが思わず突っ込む。
ヒバリは冷たい目で水着を握りしめたまま言った。
「お前も笑ったら埋める」
「笑ってないし」
「口元」
「厳しいな、お前」
「知ってる」
結局、三人はなぜか水着の上から薄い上着を羽織って、砂漠の真ん中を掘ることになった。
冷静に考えると意味が分からなかった。
*
掘削は、思っていたよりずっと地味だった。
ロマンも何もない。
目印を決める。範囲を区切る。掘る。掘る。ひたすら掘る。砂をどかす。下の土を崩す。たまに硬いところへ当たる。ちょっとだけ期待する。石だったりする。がっかりする。
「何か出た?」
「石」
「惜しい!」
「全然惜しくない」
ユメはドリル担当、ホシノはツルハシ担当、ヒバリは最初だけ掘削位置の確認と範囲の線引き。それから少し掘って、すぐ軽装甲車の方へ引き返した。
「え、ちょっと」
ホシノが顔を上げる。
「お前だけ休むの?」
「交代制」
ヒバリは振り向きもせずに言う。
「二人とも倒れたら誰が運転すんの」
「今ちょっと納得しそうになったのが悔しい」
ユメが汗を拭きながら笑う。
「じゃあ、次は私が休むね!」
「早い」
「暑いの! 掘ってるの重いの!」
「鉱石で大金って言ってたの誰だよ」
ホシノが言うと、ユメは真顔で返した。
「大金の前には努力が必要なの」
「言い方だけは立派」
結局、交代になった。
ヒバリが補助電源を入れると、車内の冷房が弱く息を吹き返した。ユメが車内へ転がり込み、冷房の風に「あぁ……」と生き返るみたいな声を出す。
ヒバリは呆れたように後部の簡易冷凍庫を開けた。
中を見たホシノが顔を上げる。
「……何でそれあるの」
ヒバリの手には棒付きのアイスがあった。
白い。
冷たそう。
しかも、一口食べた。
「冷凍庫」
「それは見れば分かる」
ホシノは本気で呆れる。
「何で冷凍庫にアイス入ってるの」
「入れたから」
当たり前みたいに返して、ヒバリはまた一口食べた。
見せつけるみたいに。
絶対わざとだ。
ユメがすぐに反応する。
「ずるい! 私もほしい!」
「掘ったら」
「性格わる……!」
「知ってる」
ホシノはツルハシを持ったまま、本気で文句を言いに行こうか少し迷った。
「お前、感じ悪いにもほどがあるでしょ」
「頑張ってる人にご褒美は必要でしょ」
ヒバリは淡々と言う。
「私は頑張ったし、今は運転手」
「お前さっきからずっと涼んでるだけじゃん」
「次の交代で働く」
「たぶん」
「たぶんって何」
ユメが車内からぶつぶつ言いながら手を伸ばす。
「ずるいぃ……」
「先に地図整理しろ」
「はいはい……」
ヒバリはアイスの棒を捨てると、代わりにツルハシを持った。
「どいて」
「感じ悪」
「掘る前から知ってるだろ」
ホシノが一歩退く。
ヒバリは地面の前に立つと、さっきまでのだるそうな空気を少しだけ消した。
振り上げる。落とす。
無駄がない。力任せじゃなく、硬い場所を見ている振り方だ。
ホシノは横目でそれを見る。
やっぱり、こういうのも上手い。
腹立つな。
「……意外と慣れてるね」
「整備と土木と雑務は大体繋がってる」
ヒバリは掘りながら答える。
「お前が何もしてないだけ」
「今日何回目それ」
「数えてない」
軽装甲車の中からユメが笑う。
「仲良しだねぇ」
「違う」
「違うね」
また重なった。
ユメの笑い声が少しだけ大きくなる。
*
しばらくして、やっぱり何も出なかった。
本当に、何も。
砂。土。石。たまにちょっと色の違う層が出る。そこで期待して、やっぱりただの地層で終わる。それを何回か繰り返した頃には、三人ともすっかり砂まみれだった。
空の色も少しずつ傾いてくる。
ユメは地面に座り込み、スコップを杖みたいにして前を見ていた。顔に汗と砂が張り付いている。
ホシノも似たようなものだ。腕が重い。喉が乾いた。もうお宝でも石でも何でもいいから、何か理由をつけて終わりにしたい。
ヒバリが地図と掘った場所を見比べて、最後に一言で切った。
「何もない」
ユメが少しだけ顔を上げる。
「まだこの辺が――」
「ない」
ヒバリは即答する。
「地層も違うし、処理跡もない。あったとしても掘り当てるだけ無駄」
「ここまでやって出ないなら、もう丸損」
ひどい言い方だった。
でも、たぶん正しい。
ユメがしょんぼりする。
「……無駄な出費だったな」
さらにヒバリが容赦なく追い打ちをかける。
「燃料、工具、人員、時間。全部無駄」
「夢見た代償としては高いんじゃない」
「そこまで言う……?」
「事実だし」
ホシノは一瞬、ユメの方を見る。
落ち込むかと思った。さすがにちょっと言いすぎだろ、とも思った。
でもユメは少しだけ黙ったあと、肩を落として、それから小さく笑った。
「そっかぁ」
「じゃあ、次はもう少しちゃんと調べてから来るね」
「まだやる気なんだ」
ホシノが呆れる。
「だってゼロじゃなかったし」
「今のはハズレだっただけ!」
「発想が強いな、お前」
「褒めてる?」
「褒めてない」
ヒバリが小さく息を吐いた。
呆れているのは分かる。けれど、本気で怒っているわけじゃないのも少しだけ分かった。
それから何も言わずに軽装甲車へ戻ると、後部の簡易冷凍庫を開けた。
「ほら」
投げてよこされたのは、またアイスだった。
ユメが目を丸くする。
「え、くれるの!?」
「帰りの車内で騒がれる方が面倒」
ヒバリはぶっきらぼうに言う。
「今のうちに黙らせる」
「言い方!」
「でもくれるんだ」
ホシノが受け取る。
冷たい感触が掌に気持ちよかった。正直、かなり嬉しい。悔しいけど。
ユメももう一本受け取って、ぱっと顔を明るくした。
「おいしい……!」
「生き返る……!」
「大げさ」
「大げさじゃないよぉ」
夕方の砂漠に、三人でアイスを食べる。
しかも水着で。
どう考えても意味の分からない光景だった。
お宝は出ない。鉱石もない。出費は無駄。丸損。成果ゼロ。
なのに、空気だけはそんなに悪くなかった。
着替え終わったヒバリが運転席へ乗り込む。
「片づけ終わったら帰る」
「二人とも、ゴミだけちゃんとまとめて」
「はーい」
「はいはい」
返事まで揃う。
ヒバリが心底嫌そうな顔をした。
ホシノはそれを見て、少しだけ口元を歪める。
「何」
「別に」
「感じ悪いなと思って」
「知ってる」
エンジンがかかる。
砂を巻き上げて、軽装甲車がゆっくり向きを変える。ユメは後部座席でまだアイスを食べている。ホシノも、少し溶け始めたそれを慌ててかじった。
前ではヒバリが黙って運転している。
相変わらず感じが悪くて、言い方もきつくて、でもちゃんと全員分の帰り道を考えている顔だった。
こんな日が、ずっと続くとは思っていなかった。
でも、この時はまだ、たぶん誰もちゃんと終わりを見ていなかった。
砂漠の向こうへ沈みかけた日差しの中を、軽装甲車はアビドスへ向かって走っていった。