アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第27話 破れた紙

 

 ヒバリが出ていったあと、生徒会室は急に広くなった。

 

 もともと人の多い学校じゃない。廊下に足音が響くことも少ないし、窓の外から聞こえるのは風と砂の擦れる音ばかりだ。それでも、さっきまでそこにいた誰かがいなくなると、部屋の温度まで変わったように感じる。

 

 ホシノはしばらく、扉の方を見ていた。

 

 ヒバリは振り返らなかった。

 

 当たり前だ。振り返るような性格じゃない。昔からそうだった。必要なことだけを言って、必要な場所へ行く。感情を混ぜるより先に動く。

 

 でも今日のヒバリは、それだけじゃなかった。

 

 怒っていた。

 

 責めなかっただけだ。

 

 ホシノには、それが分かった。

 

「……そりゃ、怒るよね」

 

 小さく呟いて、机の上へ視線を落とす。

 

 破れた紙がそこにあった。

 

 アビドス砂祭り。

 

 ユメ先輩がそう呼んでいた企画の紙。

 

 最初に聞いた時、ホシノは冗談だと思った。今のアビドスで祭りなんて、何を言っているのか分からなかった。人も足りない。お金も足りない。校舎の修理すら満足にできていない。毎日を回すだけで精一杯なのに、祭りなんてできるはずがない。

 

 だから、止めた。

 

 止めたつもりだった。

 

 でも、今机の上に広がっている紙を見ると、ユメ先輩はただ思いつきで言っていたわけじゃないのだと分かる。

 

 ホシノは椅子に座り、破れた紙の端に指を添えた。

 

 中央から斜めに裂けている。力任せに引っ張った跡があり、紙の繊維が白く毛羽立っていた。破れ目のそばには、ユメ先輩の字が残っている。

 

 旧商店街前広場。

 

 駅前掲示板。

 

 住民会への相談。

 

 物資搬入ルート。

 

 砂漠側道路は要確認。

 

 協力候補、後日再訪。

 

 細かい。

 

 思っていたより、ずっと細かい。

 

 ホシノは紙の端を合わせながら、息を止めた。

 

 出店の配置案。簡易的な人員表。必要な水と食料の数。発電機の手配先。協力してくれそうな住民の名前。断られた時の代案まで、小さく書き足されている。

 

 雑な夢物語ではなかった。

 

 ユメ先輩は、ちゃんと考えていた。

 

「……何やってるんですか、ほんと」

 

 それがユメ先輩に向けた言葉なのか、自分に向けた言葉なのか、ホシノにも分からなかった。

 

 指先が震える。

 

 紙の端がうまく合わない。

 

 裂け目の向こうに、昨日の光景がちらついた。

 

 ユメ先輩が紙を持って、少し困ったように笑っていた。

 

『ホシノちゃん、そんなに怒らなくても……』

 

『怒ってません』

 

『怒ってるよぉ』

 

『怒ってますよ』

 

 そこまでは覚えている。

 

 そこから先は、声が荒くなった。

 

 ユメ先輩がまた一人で何かを進めようとしているように見えた。甘い話を信じて、またどこかへ行こうとしているように見えた。何度も危ない目に遭っているのに、それでも人を信じようとするのが、どうしても許せなかった。

 

『また一人で勝手に動かないで下さい』

 

 自分の声が、頭の中で戻ってくる。

 

『甘い言葉なんて簡単に信じないで下さい』

 

 違う。

 

 本当は、そう言いたかったわけじゃない。

 

 危ないから行かないでほしかった。

 

 一人で抱え込まないでほしかった。

 

 もう少し、自分たちを頼ってほしかった。

 

 なのに口から出たのは、責める言葉ばかりだった。

 

『何回目ですか』

 

『もう知りません』

 

 紙が破れたのは、その時だった。

 

 どちらの手にどれだけ力が入っていたのかは、もう分からない。

 

 でも、破いたのは自分だ。

 

 少なくとも、ホシノはそう思っていた。

 

 ユメ先輩の手から紙がずれて、ホシノの指にも引っかかって、乾いた音がした。

 

 びり、と。

 

 その音だけが、やけにはっきり残っている。

 

 ユメ先輩は、破れた紙を見ていた。

 

 それから、ホシノを見た。

 

 怒ってはいなかった。

 

 それが、余計に嫌だった。

 

 ホシノは目を伏せる。

 

「……最低」

 

 言ってから、何に対しての言葉なのか分からなくなる。

 

 紙を破ったこと。

 

 ユメ先輩を傷つけたこと。

 

 昨日のうちに追いかけなかったこと。

 

 朝まで待ってしまったこと。

 

 ヒバリへの連絡が遅れたこと。

 

 全部が、胸の奥で同じ場所に積もっていく。

 

 でも、今それを数えてもユメ先輩は戻らない。

 

 ヒバリもそう思ったから、怒鳴らなかったのだろう。

 

 怒っていないわけじゃない。

 

 怒るより先に、探す方を選んだだけだ。

 

 ホシノは息を吐き、破れた紙に向き直る。

 

「……直します」

 

 誰に言ったわけでもない。

 

 机の引き出しからテープを出す。定規を置く。破れた端を合わせる。ズレた地図の線を繋ぎ、読めなくなった文字を別のメモと照合する。

 

 昼の光が、少しずつ傾いていく。

 

 紙の上には、ユメ先輩の考えたアビドス砂祭りの全体像が、少しずつ戻ってきた。

 

 旧商店街の前で、小さな出店を並べる。

 

 駅前に告知を貼る。

 

 まだ残っている住民に声をかける。

 

 水と食料は最低限。

 

 大きな催しではなく、学校がまだ残っていることを知らせるための小さな集まり。

 

 ユメ先輩らしいと思った。

 

 無茶だ。

 

 甘い。

 

 でも、ただの思いつきじゃない。

 

 ホシノは端末を開き、紙から拾った候補を打ち込んだ。

 

 旧商店街前広場。

 

 駅前掲示板。

 

 住民会。

 

 物資搬入予定の倉庫。

 

 修理業者。

 

 協力候補の企業名。

 

 砂漠側搬入ルート。

 

 最後の言葉を打った時、指が止まった。

 

 砂漠側。

 

 ただの搬入経路だ。

 

 そう処理するべきだと思った。

 

 それでも、見落とすのは嫌だった。

 

 ホシノは一度画面を閉じかけて、すぐに開き直す。感覚だけで消すのは駄目だ。ヒバリに言われた。感想はいらない。推測も後でいい。まず事実だけ。

 

 だから、そのまま送った。

 

『企画書から候補地を拾った』

 

『旧商店街、駅前、住民会、物資倉庫、修理業者、協力候補企業』

 

『砂漠側搬入ルートの記載あり』

 

 しばらくして、返信が来た。

 

『順に見る』

 

 それだけだった。

 

 少し置いて、もう一つ。

 

『学校を空けるな』

 

 ホシノは画面を見つめる。

 

 短い文だった。

 

 でも、そこにヒバリがいる気がした。

 

『分かった』

 

 そう返してから、ホシノは椅子にもたれた。

 

 部屋の中は静かだった。

 

 静かすぎて、廊下の向こうから足音が聞こえた気がした。

 

 ホシノは顔を上げる。

 

 誰もいない。

 

 風で窓枠が鳴っただけだった。

 

「……ユメ先輩?」

 

 呼んでから、自分で嫌になる。

 

 返事はない。

 

 当たり前だ。

 

 まだ帰ってきていないのだから。

 

     *

 

 ホシノは修復した企画書から拾った連絡先へ、短い確認を送っていた。

 

 ユメ先輩を見ていないか。

 

 砂祭りの話を聞いていないか。

 

 昨日、どこかへ向かう姿を見なかったか。

 

 夕方になる頃、何件か連絡が入った。

 

 近所の住民からだった。

 

『昨日の夕方前、ユメちゃんらしい子を見た気がする』

 

『でも遠目だったから、確かじゃない』

 

『誰かと話していたようにも見えた』

 

 別の店からも連絡が来た。

 

『砂祭りの話なら聞いた』

 

『本当にやるつもりだったんだね』

 

『でも昨日は見ていない』

 

 全部、曖昧だった。

 

 見た気がする。

 

 聞いた気がする。

 

 確かじゃない。

 

 でも、何もないよりはマシだった。

 

 ホシノは一つずつ記録する。時間。場所。相手の名前。言葉の内容。確度。確認が必要な場所。

 

 手を動かしている間は、まだ耐えられた。

 

 何かをしていれば、探している気がした。

 

 何かを書いていれば、まだ間に合う気がした。

 

 日が沈む少し前、ヒバリからまた連絡が来た。

 

『旧商店街、なし』

 

『駅前、なし』

 

『住民二名、目撃不確定』

 

『倉庫、これから確認』

 

 ホシノは返信欄に指を置く。

 

『無茶しないで』

 

 打ってから、送信した。

 

 すぐに返事が来た。

 

『今それを言うな』

 

 ホシノは画面を見たまま、息を止めた。

 

 責められたわけじゃない。

 

 でも、刺さった。

 

 昨日、自分はユメ先輩に同じようなことを言った。勝手に動くな。甘い話を信じるな。一人で行くな。

 

 それでも、ユメ先輩はいなくなった。

 

 今、ヒバリにも同じようなことを言おうとしている。

 

 止めたいのに、止められない。

 

 追いかけたいのに、学校を空けられない。

 

 ホシノは端末を机に置いた。

 

「……分かってるよ」

 

 誰に向けた言葉でもなかった。

 

     *

 

 夜になっても、ユメ先輩は帰ってこなかった。

 

 部屋の明かりだけが、暗い校舎の中で浮いている。

 

 ホシノは生徒会室に残り、修復した紙を机の上に広げていた。破れ目はまだ分かる。テープの跡も残っている。読めない文字もいくつかある。

 

 それでも、遠目には元通りに見えた。

 

 アビドス砂祭り。

 

 その文字だけは、ちゃんと読める。

 

 帰ってきたら、ユメ先輩はきっと笑う。

 

『ホシノちゃん、不器用だね』

 

 そう言って、紙のズレを直すかもしれない。

 

 それから、いつものように困った顔で笑って、でも最後には「ありがとう」と言うかもしれない。

 

 そんなことを考える。

 

 考えていないと、別のことを考えてしまうから。

 

 ホシノは端末を握ったまま、椅子に深く座った。廊下で音がするたびに顔を上げる。窓が鳴るたびに息を止める。外の砂が流れる音にさえ、足音を探してしまう。

 

 けれど、扉は開かない。

 

 ユメ先輩は帰ってこない。

 

 夜遅く、ヒバリから短い連絡が来た。

 

『今日は戻らない』

 

『外を続ける』

 

『何かあれば送れ』

 

 ホシノはしばらく画面を見ていた。

 

 それから返信する。

 

『分かった』

 

 少し迷って、もう一文打つ。

 

『ユメ先輩が帰ってきたら連絡する』

 

 送信する。

 

 返事はすぐには来なかった。

 

 ホシノは机の上の紙を見る。

 

 破れた跡は残っている。

 

 それでも、まだ形は残っている。

 

 だから、きっと大丈夫だ。

 

 そう思うことにした。

 

 その夜、ユメは帰ってこなかった。

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