アビドスへ戻った日の夜、ヒバリは旧商店街を歩いていた。
昼間でさえ人通りの少ない通りは、夜になるとほとんど息をしていないように見えた。砂が店先に溜まり、閉じたシャッターの隙間で風が鳴る。看板の文字は薄れ、窓ガラスは割れたままのところも多い。
ユメが祭りの話を持っていくなら、まずこの辺りだ。
そう思った。
昔から残っている店。まだアビドスを見捨てきっていない住民。学校の事情を少しでも知っている相手。そういう場所を一つずつ回る。
「姉を見なかったか」
最初の店で、ヒバリはそう聞いた。
店主は一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに困ったような顔をした。
「ユメちゃんかい? 何日か前なら来たよ。祭りをやりたいって、そんな話をしてた」
「昨日は」
「昨日は見てないね」
「誰かと一緒だったか」
「いや、一人だったと思うけど……すまないね、はっきりとは」
ヒバリは短く礼を言い、端末に記録する。
何日前。旧商店街。祭りの相談。昨日の目撃なし。
次の店でも、似たような答えだった。
祭りの話は聞いた。
ユメは本気でやるつもりだった。
人を集めるのは難しいと言ったら、それでも小さくでいいからと笑っていた。
けれど昨日は見ていない。
情報はある。
でも、ユメには届かない。
ヒバリは端末を閉じ、次の場所へ向かう。
怒りはまだ形になっていなかった。
焦りも、まだ手順の中に押し込められていた。
探す場所がある。
聞く相手がいる。
記録する内容がある。
それがあるうちは、まだ壊れずに済んだ。
*
翌朝、ホシノから連絡が来た。
『紙はだいたい直した』
『協力候補、一覧にした』
『ユメ先輩、まだ戻ってない』
ヒバリは歩きながら画面を見る。
戻ってない。
分かっていたことなのに、その文字を見るたびに胸の奥が少しずつ削れる。
『了解』
『学校を空けるな』
そう返すと、少し間を置いて返信が来た。
『分かってる』
短い返事だった。
普段なら、ホシノはもう少し余計なことを言う。文句も言うし、皮肉も混ぜる。けれど今は、それがない。
ヒバリは端末をしまった。
それを心配する余裕は、今はない。
次は住民会だった。
代表格の老人は、ヒバリを見るなり顔を曇らせた。
「ユメちゃん、帰ってないのか」
「見たのか」
「祭りの話なら聞いたよ。あの子らしい話だった」
「内容は」
「学校がまだ残ってることを、外に知らせたいって。大きなことじゃなくていい。残っている人だけでも、顔を合わせる日があれば違うかもしれないって」
ヒバリは黙って聞いていた。
姉らしい。
腹が立つくらい、姉らしい。
「協力すると言ったのか」
「できる範囲ならね。でも、うちも物資を出せるほど余裕があるわけじゃない。だから、別のところにも声をかけるって言ってたよ」
「別のところ」
「企業とか、業者とか。支援に興味を示しているところがあるとか言ってた」
ヒバリの目が細くなる。
「名前は」
老人は首を横に振った。
「そこまでは聞いてない」
「思い出したら学校に連絡を」
「ああ」
ヒバリはその場を離れ、すぐ端末を開いた。
『住民会、祭りの相談あり』
『企業か業者に声をかける予定だった可能性』
『名前不明』
ホシノからすぐ返事が来る。
『企業名、紙にいくつかあった』
『送る』
数秒後、候補名の一覧が届いた。
ヒバリはそれを見て、足を止める。
まともな名前もある。
怪しい名前もある。
連邦生徒会の窓口で、何度か見た名前も混じっていた。
「……面倒なのがいる」
小さく呟いた。
*
三日目の昼、ヒバリは協力候補の一つに向かった。
アビドス外縁にある小さな事務所だった。表向きは地域支援と物資仲介を扱っている。看板だけ見れば、善良な業者に見えなくもない。
受付にいた職員は、ヒバリを見るなり作り笑いを浮かべた。
「本日はどういったご用件で」
「アビドスの生徒が来たはずだ」
「どなたのことでしょう」
「梔子ユメ」
職員の笑みが、わずかに止まった。
それだけで十分だった。
「記録を出せ」
「申し訳ありませんが、個人情報に関わるため――」
「姉が行方不明になっている」
ヒバリは声を落とした。
「来たか来てないかだけ言え」
「確認いたしますので、後日改めて――」
その言葉で、ヒバリの中の温度が少し下がった。
確認中。
後日連絡。
別担当。
連邦生徒会で聞き飽きた言葉だった。
違う場所でも、同じ匂いがする。
「後日はいらない」
「ですが、担当が不在でして」
「なら担当を呼べ」
「本日は外出しておりまして」
「どこに」
「それはお答えできません」
職員の喉が動く。目が泳ぐ。嘘をついているのか、本当に知らないのか、まだ分からない。
ヒバリは受付台に手を置いた。
大きな音は立てない。
ただ、それだけで職員の肩が跳ねた。
「もう一度聞く」
声は低いが、荒れてはいない。
「姉はここへ来たか」
「……似た生徒が、相談に来た可能性はあります」
「いつ」
「数日前です」
「契約は」
「そこまでは……私は担当ではないので」
「誰が担当した」
職員は答えなかった。
ヒバリは、しばらく相手を見た。
言いたいことはあった。
胸ぐらを掴んで吐かせることもできる。奥の部屋まで踏み込んで記録を奪うこともできる。今すぐにでも。
でも、まだ早い。
ここで暴れれば、相手は隠す。
隠されたら、次に掘るのが面倒になる。
だから飲み込む。
「担当名と連絡先を送れ」
「確認して――」
「今」
職員は震える手で端末を操作した。
ヒバリは受け取った情報を確認し、すぐホシノへ送る。
『怪しい企業あり』
『ユメらしき相談履歴あり』
『契約不明』
『担当追う』
ホシノから少し遅れて返信が来た。
『そこ危ない?』
ヒバリは少しだけ指を止めた。
危ない。
そう返せば、ホシノは学校を出ようとするかもしれない。
危なくない。
そう返せば、嘘になる。
『まだ分からない』
結局、それだけ送った。
*
その担当者を追ううちに、いくつかの名前が出てきた。
正規の業者ではない。けれど、アビドスの生徒に仕事を回していた連中と繋がっている可能性があった。
四日目の夜、ヒバリはアビドス外縁の倉庫街にいた。
ユメが直接来た可能性は低い。けれど、アビドスの生徒に仕事を回していた連中がいるという話を拾った。
なら聞く。
答えなければ、答えられるようにする。
この頃のヒバリの装備は、今とは違っていた。
大きな盾。
リボルバー。
姉を守るために持ち始めた盾だった。けれど、守るだけの道具ではない。距離があれば、リボルバーで武器や足元を撃ち抜く。詰められれば、盾ごと踏み込み、まとめて薙ぎ払う。
狭い倉庫では、むしろ都合が良かった。
「何だお前――」
最初に銃を向けた男の手元を、ヒバリはリボルバーで撃った。
弾丸が銃身を弾き、男の手から武器が飛ぶ。
こちらが名乗る前に銃を向けた時点で、普通に聞く段階は終わった。
銃が床を跳ねる。
悲鳴が上がる前に、盾を構えて踏み込む。
一人目を吹き飛ばす。二人目を巻き込む。三人目が逃げようとする足元へ、もう一発。床が弾け、足が止まる。
次の瞬間、盾の縁が肩口へ叩き込まれた。
壁にぶつかる音。
倒れる音。
呻き声。
それで終わりだった。
ヒバリは倒れた男の前にしゃがむ。
「アビドスの生徒に仕事を回したか」
「し、知らねぇ……!」
「嘘をつくなら、次は聞き方を変える」
男の視線が、盾へ向いた。
大きな盾。
血のついていない、けれど嫌なほど重い盾。
「……仕事を回してる奴はいる。でも、うちじゃない。仲介だ。名前は知らねぇ」
「知ってる場所」
男は震えながら、倉庫街の奥にある別の連絡所の名を出した。
ヒバリは記録する。
聞き出した。
でも、ユメには届かない。
そこにいた誰も、ユメを見てはいなかった。
ただ、遠い場所に繋がるかもしれない糸が一つ増えただけだった。
*
ユメが戻らなくなって五日目の夕方、ヒバリは一度だけ学校へ戻った。
生徒会室には、ホシノがいた。
机の上には、修復されたアビドス砂祭りの紙と、端末にまとめられた候補地の一覧がある。紙の破れ目はまだ分かる。けれど、遠目には元通りに見えた。
ホシノの顔には疲れが出ていた。
それでも、初日よりは少しだけ声が戻っていた。
「おかえり」
「戻っただけ」
「それをおかえりって言うんじゃないの」
「言わない」
短いやり取り。
いつもなら、もう少し棘が立つ。
でも今は、その軽さすら必要だった。
ホシノは端末を操作し、企画書の一部を拡大する。
「ここ、見て」
画面には、砂漠側搬入ルートと書かれていた。
ヒバリは目を細める。
「砂漠側」
「でも、ユメ先輩が一人で砂漠に行くとは思えない」
「根拠は」
「砂漠用のバッグ、三つとも学校に置いたまま」
ヒバリは顔を上げた。
「確認した?」
「した。水も道具も残ってた」
「……なら、薄いな」
ヒバリは低く言う。
「姉さんが砂漠に出るなら、最低限の準備はする。それに、必ず連絡する」
「だよね」
「一人で何も持たずに砂漠へ行くほど馬鹿じゃない」
言い切ってから、ヒバリは一瞬だけ黙った。
そのはずだ。
そう続けそうになって、飲み込む。
ホシノも、そこには触れなかった。
判断としては、間違っていなかった。
少なくとも、この時点では。
「ユメ先輩ならさ」
ホシノが、修復された紙を見ながら言う。
「どこかで誰かを助けてるだけかもしれない」
「なら、見つけて連れ戻す」
「怒られるかな」
「怒るのはこっちだ」
その返しに、ホシノが少しだけ笑った。
本当に少しだけだった。
でも、笑った。
ヒバリはそれを見て、何も言わなかった。
まだ大丈夫だと思いたかった。
この五日間、ユメは見つかっていない。
でも、情報はある。
行ったかもしれない場所もある。
話をした相手もいる。
まだ探していない場所もある。
だから、まだ言える。
見つける、と。
*
五日目の夜。
ヒバリはまた外へ出た。
ホシノは学校に残った。
修復した紙を机に広げ、端末に情報をまとめ続ける。
校舎の窓には、まだ明かりが残っている。
ヒバリは校門の外で、一度だけ振り返った。
砂漠用のバッグは学校にある。
水も、道具も、残っている。
だから砂漠の線は薄い。
そう判断した。
合理的な判断だった。
ユメなら、何も持たずに一人で砂漠へは行かない。
行くなら必ず連絡する。
準備もする。
そういう人だ。
そういう姉だ。
だから今は、市街地を見る。
住民を見る。
企業を見る。
ユメが声をかけた相手を、全部辿る。
五日目の夜。
まだ五日。
そう言い聞かせられる間は、まだ探せる。
まだ、見つけられると思える。
だから二人は、「見つからない」とは言わなかった。
ホシノは、ユメが帰ってくる場所を守っていた。
ヒバリは、ユメが帰れない理由を潰して回っていた。
それが正しい役割分担だと、この時はまだ思えていた。