アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第29話 報告だけ

 

 十五日目の朝、ヒバリは学校へ戻らなかった。

 

 戻る理由がなかったわけではない。ホシノと情報を突き合わせる必要はあったし、修復したアビドス祭りの紙も、もう一度見ておきたかった。水も食料も、少しは補給した方がいい。体を休める必要があることも、頭では分かっていた。

 

 けれど、戻れなかった。

 

 戻れば、待つ時間が生まれる。

 

 待つ時間が生まれれば、考えてしまう。

 

 姉さんは、どこにいるのか。

 

 まだ生きているのか。

 

 考えたくないことほど、動きを止めた瞬間に追いついてくる。だからヒバリは、夜が明けても旧市街の外縁を歩いていた。

 

 五日目までは、ホシノは学校に残っていた。

 

 学校には連絡が来るかもしれない。ユメを見たという目撃情報も、祭りの話を聞いたという住民からの報告も、まずは学校へ届く。それに、校舎を空にすれば、外の連中が入り込むかもしれない。

 

 だから、ホシノは学校に残った。

 

 帰ってくる場所を守るために。

 

 情報が戻る場所を空にしないために。

 

 けれど、十日を過ぎたあたりから、それも崩れた。

 

 連絡は来ない。

 

 来ても、曖昧なものばかりだった。

 

 見た気がする。

 

 似ていた。

 

 別人だった。

 

 分からない。

 

 その間に、ヒバリは外で怪しい連中を潰して回っていた。アビドスに手を出そうとしていた連中も、学校へ近づくことを避け始めた。

 

 学校に残る意味が、少しずつ薄れていった。

 

     *

 

 十日目の夜、一度だけ二人は学校で顔を合わせた。

 

 生徒会室の机には、修復されたアビドス祭りの紙と、目撃情報の一覧が広がっていた。けれど、そのほとんどには斜線が引かれている。

 

 見た気がする。

 

 別人だった。

 

 昨日ではなかった。

 

 聞いただけ。

 

 分からない。

 

 情報は集まっているようで、何一つ近づいていなかった。

 

「私も出る」

 

 先に言ったのは、ホシノだった。

 

 ヒバリは端末から顔を上げる。

 

「学校は」

 

「もう、ここで待ってても情報は増えない」

 

 ホシノの声は疲れていた。

 

 けれど、揺れてはいなかった。

 

「最初は、ここに連絡が来ると思ってた。ユメ先輩が戻るならここだし、誰かが何か知ってたら学校に言ってくると思ってた」

 

 ホシノは机の上の記録を見る。

 

「でも、来ない。来ても、曖昧な話ばっかり。見た気がする、似てた気がする、違ったかもしれない。それだけ」

 

 ヒバリは黙っていた。

 

「それに、学校に手を出そうとする連中も減ったでしょ」

 

「……外で少し黙らせてるからな」

 

「少し?」

 

「少し」

 

 いつもなら、そこで少しは言い合いになった。

 

 けれど、その日はならなかった。

 

 ホシノは修復された紙を見下ろす。

 

「だから、ここに一人でいるより、外を探した方がいい」

 

「……戻る場所は必要だ」

 

「分かってる。でも、戻る場所だけ守ってても、ユメ先輩は戻ってこない」

 

 ヒバリは、その言葉に返せなかった。

 

 正しい。

 

 正しいから、腹が立つ。

 

「報告はする」

 

 ホシノが言った。

 

「場所と結果だけ。余計なことは言わない」

 

 それは、ヒバリが最初に決めたやり方だった。

 

 ヒバリはしばらく黙ってから、短く答えた。

 

「勝手に死ぬな」

 

「そっちもね」

 

「私は死なない」

 

「ユメ先輩も、そう言いそうだよ」

 

 その一言で、部屋の空気が止まった。

 

 ホシノはすぐに目を伏せる。

 

「……ごめん」

 

 ヒバリは何も言わなかった。

 

 言えば、たぶん責める言葉になる。

 

 だから、端末を閉じるだけにした。

 

「報告だけ送れ」

 

「うん」

 

 それから二人は、学校で顔を合わせる回数を減らしていった。

 

 十五日目には、二人とも外にいた。

 

 学校へ戻るのではなく、端末で報告だけを送り合うようになっていた。

 

     *

 

 端末が震える。

 

 ホシノからだった。

 

『北側、なし』

 

『旧駅周辺、なし』

 

『昨日の目撃情報、別人だった』

 

『次、外縁側を見る』

 

 短い文が並ぶ。

 

 会話ではない。

 

 報告だった。

 

 ヒバリも同じように返す。

 

『南倉庫、なし』

 

『企業担当、逃亡』

 

『住民会、追加情報なし』

 

『正規外の業者筋、継続』

 

 送信。

 

 それで終わり。

 

 大丈夫か、とは聞かない。

 

 休め、とも言わない。

 

 どちらも、相手が休むはずがないことを知っていた。知っているから、言っても意味がない。言えば、余計な感情が混ざる。

 

 だから、報告だけになる。

 

 いつからそうなったのかは分からない。

 

 少なくとも、五日目までは違った。

 

 あの時はまだ、学校で顔を合わせた。ホシノは少しだけ笑った。ユメなら誰かを助けているだけかもしれない、と言った。

 

 ヒバリも、それを否定しなかった。

 

 否定できなかった。

 

 だが、十五日目になると、同じ言葉はもう喉を通らなかった。

 

     *

 

 昼前、ヒバリは外縁の小さな事務所に踏み込んだ。

 

 数日前に接触した支援企業の、下請けの一つだった。書類上は物資仲介。実際には、人手不足の場所へ怪しい仕事を回している。アビドスのような、断る余裕のない場所に入り込むには都合のいい顔をした連中だ。

 

 受付はいなかった。

 

 奥の部屋から、慌てた足音がする。

 

「おい、裏から――」

 

 言い終わる前に、ヒバリはリボルバーを抜いていた。

 

 一発。

 

 逃げようとした男の足元で床が弾ける。

 

「次は当てる」

 

 それだけで、男の足は止まった。

 

 別の男が棚の裏から銃を取ろうとする。ヒバリは盾を構えたまま踏み込んだ。大きな盾の縁が男の腕を弾き、続けて胴へ押し込む。男は棚ごと後ろへ倒れ、声を上げる間もなく床に沈んだ。

 

 五日前より、力の加減が雑になっている。

 

 その自覚はあった。

 

 だが、直す余裕はなかった。

 

 盾を持つ腕が、少し遅れて上がる。

 

 リボルバーを握る指先に、乾いた砂がこびりついていた。

 

 最後にまともに眠ったのがいつだったか、思い出せない。

 

 ヒバリは倒れた男の胸元を踏み、低く聞く。

 

「アビドスの生徒に仕事を回したか」

 

「し、知らない……!」

 

「梔子ユメ」

 

 名前を出した瞬間、男の目が揺れた。

 

 ヒバリはそれを見逃さない。

 

「見たな」

 

「俺は……直接じゃない。相談に来たって聞いただけだ」

 

「内容」

 

「祭りの協力とか、物資の相談とか……詳しくは知らねぇ」

 

「誰が受けた」

 

「別の担当だ。もういない。昨日から連絡が取れない」

 

「どこへ回した」

 

「知らない。本当に知らない。契約も残ってない。話だけだったんだ」

 

 ヒバリの足に、わずかに力が入る。男が苦しげに息を詰まらせた。

 

「他には」

 

「砂漠側の道路とか、搬入経路とか、そんな話が出たかもしれない。でも、はっきり覚えてない。本人が行ったかも知らない。本当だ!」

 

 砂漠側。

 

 その言葉が、耳の奥に残った。

 

 ヒバリは男から足をどける。

 

 事務所の端末を確認する。記録は薄い。名前はない。残っているのは、祭りの協力に関する曖昧なメモと、物資搬入らしい走り書きだけだった。

 

 叩けば何か出ると思っていた。

 

 怪しい連中は、叩けばだいたい何かを吐く。企業は、記録を追えばどこかに名前が残る。業者は、金の流れを見れば繋がりが見える。

 

 けれど、出てこなかった。

 

 出てくるのは、祭りの話ばかりだった。

 

 協力できるか相談された。

 

 物資の搬入先を探していた。

 

 砂漠側道路の確認をしていたかもしれない。

 

 けれど、契約はしていない。

 

 本人かは分からない。

 

 最後にどこへ行ったかは知らない。

 

 何もない。

 

 なさすぎる。

 

 ヒバリは、そこで初めて考えた。

 

 もしかして。

 

 砂漠か。

 

 砂漠に?

 

 一人で?

 

 私にも連絡しないで?

 

 そんなわけがない。

 

 姉さんが、何も持たずに砂漠へ出るはずがない。砂漠用のバッグは学校に残っていた。水も、道具も、持ち出されていない。行くなら必ず連絡する。

 

 そういう人だ。

 

 そういう姉だ。

 

 だから、そんなことはない。

 

 あってはならない。

 

 けれど、十五日だった。

 

 十五日。

 

 もし本当に砂漠なら。

 

 もし、何も持っていないなら。

 

 もし、端末も繋がらないままなら。

 

 保たない。

 

 そこまで考えて、ヒバリは奥歯を噛んだ。

 

 考えるな。

 

 今は、まだ考えるな。

 

 その可能性を認めた瞬間、足が止まる。

 

 足が止まれば、探せなくなる。

 

 ヒバリは情報を抜き、地図を確認する。

 

 外縁の先。

 

 砂漠に近い。

 

 だが、まだ市街地側とも言える。

 

 ヒバリは端末に記録を送る。

 

『正規外の業者筋、確認』

 

『祭り関連の相談履歴あり』

 

『物資・搬入経路の相談があった可能性』

 

『ユメ本人の移動先は不明』

 

 少し間を置いて、ホシノから返る。

 

『砂漠側?』

 

 ヒバリは返信欄に指を置く。

 

 砂漠用のバッグは学校にあった。

 

 水も、道具も、持ち出されていない。

 

 姉さんが砂漠に出るなら、準備をする。必ず連絡もする。何も持たずに一人で行くはずがない。

 

 そう判断した。

 

 合理的だった。

 

 間違っていないはずだった。

 

『外縁寄り』

 

 そう返す。

 

『砂漠内とは限らない』

 

 送ってから、ヒバリはしばらく画面を見ていた。

 

 限らない。

 

 その言葉が、自分に言い聞かせているものだと分かっていた。

 

     *

 

 午後、ホシノから続けて報告が届いた。

 

『外縁の倉庫、一つ確認』

 

『誰もいない』

 

『古い搬入記録だけ残ってた』

 

『名前なし』

 

 少し間が空く。

 

『まだ探してない場所がある』

 

『ユメ先輩なら、誰かに助けられてるかもしれない』

 

 ヒバリは、廃ビルの階段に座ったまま画面を見ていた。

 

 十五日。

 

 その数字が、頭の中に残り続ける。

 

 水は。

 

 食料は。

 

 端末は。

 

 砂漠なら。

 

 そこまで考えて、ヒバリは奥歯を噛んだ。

 

 返信欄に文字を打つ。

 

『十五日だぞ』

 

 消す。

 

『水は』

 

 消す。

 

『砂漠なら持たない』

 

 消す。

 

 指が止まる。

 

 言えば終わる気がした。

 

 ホシノはまだ信じている。生きていると。どこかで待っていると。ユメなら、誰かを助けていて戻れなくなっているだけだと。

 

 それを否定した瞬間、何かが本当に壊れる。

 

 だから、送ったのは短い文だけだった。

 

『了解』

 

『場所を送れ』

 

 すぐに位置情報が届いた。

 

 ヒバリは立ち上がる。

 

 膝が少し重い。

 

 寝ていないせいか。食べていないせいか。それとも、考えないようにしていることが増えすぎたせいか。

 

 目の奥だけが、どんどん乾いていく。

 

 涙が出ないのではない。

 

 泣く場所を、身体が忘れ始めていた。

 

 探していないわけじゃない。

 

 旧商店街を回った。

 

 住民会を当たった。

 

 協力候補の企業も、外縁の業者も、正規ではない仕事を回す連中も潰して回った。

 

 捜索届も出した。

 

 連邦生徒会の窓口にも、治安維持側の窓口にも、出せる場所には全部出した。

 

 特徴も伝えた。

 

 服装も、髪色も、話し方も、持っていた物も、全部書いた。

 

 それでも、返ってくるのは確認中だった。

 

 連邦生徒会でも聞いた言葉。

 

 業者でも聞いた言葉。

 

 今度は、姉の捜索でも同じ言葉を聞いている。

 

 確認中。

 

 該当なし。

 

 情報なし。

 

 目撃なし。

 

 そのたびに、何かが少しずつ削れていく。

 

 痕跡を辿っても、途中で消える。

 

 誰かに聞いても、曖昧な答えしか返ってこない。

 

 記録を追っても、別人に行き着く。

 

 名前を出しても、知らないと言われる。

 

 姉さんが、どこにもいない。

 

 その事実だけが、日を追うごとに形を持ち始めていた。

 

 ヒバリは、それを認めたくなかった。

 

 認めたら、動けなくなる。

 

 動けなくなれば、終わる。

 

 だから、次の場所へ行く。

 

 次の名前を叩く。

 

 次の記録を開く。

 

 そうやっていないと、立っていられなかった。

 

     *

 

 夕方、アビドス高等学校の生徒会室には誰もいなかった。

 

 机の上には、修復されたアビドス祭りの紙だけが広がっている。

 

 破れ目にはテープが貼られ、読めなかった文字はいくつか書き足されていた。遠目には、元通りに見えなくもない。だが近くで見れば、裂けた跡は隠せていない。

 

 窓の隙間から、細かい砂が入り込む。

 

 紙の端に、薄く積もっていく。

 

 アビドス祭り。

 

 その文字だけが、誰もいない部屋でまだ明るかった。

 

     *

 

 夜に入る頃、ヒバリは外縁の高所にいた。

 

 崩れたビルの屋上。風が強く、砂が足元を流れていく。遠くには砂漠が広がっていた。昼の熱を失い始めた砂は、暗がりの中で静かに沈んで見える。

 

 端末が震える。

 

 ホシノからだ。

 

『東側、なし』

 

『外縁道路、なし』

 

『今日は戻らない』

 

『もう少し先を見る』

 

 ヒバリは画面を見つめた。

 

 もう少し先。

 

 その先には、砂漠がある。

 

 返信欄に文字を打つ。

 

『戻れ』

 

 消す。

 

『そっちを見るなら合流する』

 

 少し考えて、送信する。

 

 返事はすぐに来た。

 

『大丈夫』

 

『私が見る』

 

 ヒバリは端末を握る手に力を込めた。

 

 大丈夫。

 

 その言葉が、ひどく頼りなく見えた。

 

 ホシノはまだ信じている。

 

 それが悪いとは言えない。

 

 ヒバリだって、信じたい。姉さんがどこかで生きていると。少し困った顔で帰ってきて、二人に怒られて、いつものように笑うのだと。

 

 でも、十五日だ。

 

 十五日経っている。

 

 その事実だけが、どれだけ目を逸らしても消えない。

 

 砂漠用のバッグは学校に残っている。

 

 水も、道具も、持ち出されていない。

 

 姉さんなら、何も持たずに一人で行くはずがない。

 

 そのはずだった。

 

 ヒバリは、初めて砂漠の方を長く見た。

 

 何もない。

 

 風が流れているだけだ。

 

 どこまでも砂が続いているだけだ。

 

 あそこにいるはずがない。

 

 そう思いたかった。

 

 けれど、もう砂漠の線を除外できない。

 

 砂漠の線は薄い。

 

 それは今も変わらない。

 

 けれど、薄いから見ない、とはもう言えなかった。

 

 端末がまた震える。

 

『外縁側、なし』

 

 ホシノからの報告だった。

 

 ヒバリは、しばらく画面を見つめた。

 

 返信欄を開く。

 

 何も打てなかった。

 

 十五日目の夜。

 

 二人はもう、学校へ戻らなかった。

 

 直接顔を合わせることもなくなった。

 

 残っているのは、端末に積み上がる短い報告だけだった。

 

 なし。

 

 なし。

 

 なし。

 

 その文字だけが、少しずつ二人を削っていった。

 

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