アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第30話 薄い線

 

 十六日目から、砂漠側も捜索範囲に入った。

 

 本命ではない。

 

 ただ、もう除外できなくなっただけだった。

 

 砂漠用のバッグは学校に残っていた。水も、道具も、予備のバッテリーも、そのままだった。ユメ先輩が砂漠へ出るなら、必ず持っていくものばかりだ。

 

 だから、砂漠の線は薄い。

 

 そう判断していた。

 

 そう判断したかった。

 

 ホシノは生徒会室の隅に置かれた三つのバッグを見下ろして、しばらく動かなかった。

 

 一つはユメ先輩用。

 一つはホシノ用。

 一つはヒバリ用。

 

 昔、砂漠側へ出る必要があるかもしれないから、と揃えたものだった。

 

 どれも、使われていない。

 

 ユメ先輩は、持っていかなかった。

 

 だから、ここにいるはずがない。

 

 そう思いながら、ホシノは一つを手に取った。

 

 それでも、もう見ないわけにはいかなかった。

 

     *

 

 砂漠側を見る、と言っても、地図の上の一帯を歩けば終わる話ではなかった。

 

 外縁道路は、もう道路と呼べるほど残っていない。舗装は割れ、砂に埋まり、昔の搬入路を示す標識も半分以上が倒れている。風が吹けば、靴跡はすぐに薄くなる。少し離れれば、同じような砂丘がいくつも並んで見えた。

 

 どこを探したのか。

 

 どこをまだ探していないのか。

 

 それすら、端末の記録がなければ怪しくなっていく。

 

 十六日目、ホシノは外縁道路を見た。

 

 砂に半分沈んだ車止め。

 錆びた標識。

 空になった小さな倉庫跡。

 誰のものとも分からない古い缶。

 

 何もなかった。

 

『外縁道路、なし』

 

 そう送ると、すぐにヒバリから返事が来た。

 

『奥へ行くな』

 

『日が傾いたら戻れ』

 

『位置情報を切るな』

 

 短い文が三つ。

 

 それだけで、ヒバリがこちらを見ている気がした。

 

『分かってる』

 

『外縁だけ』

 

 ホシノはそう返した。

 

 少し迷って、もう一文打つ。

 

『まだ戻れる距離』

 

 送信してから、自分でその文面を見つめる。

 

 まだ。

 

 その言葉が、少しだけ嫌だった。

 

     *

 

 十八日目には、旧搬入路を見た。

 

 アビドス祭りの企画書にも書かれていた道だった。物資搬入ルート。砂漠側道路は要確認。ユメ先輩の字で、そう残っていた場所。

 

 ホシノは砂漠用のバッグを背負い、旧搬入路の手前まで歩いた。

 

 水を飲む。

 

 端末で位置を確認する。

 

 風向きを見る。

 

 全部、やり方は分かっている。

 

 分かっているから、余計に引っかかる。

 

 ユメ先輩も、分かっていたはずだ。

 

 砂漠へ出るなら、準備がいることくらい。水を持たなければならないことくらい。何も言わずに出れば、どれだけ心配されるかくらい。

 

 分かっていたはずだ。

 

 だから、ここにはいない。

 

 そう思いながら、ホシノは砂に埋まった道の先を見た。

 

 白い砂が、どこまでも続いている。

 

 何もない。

 

 誰もいない。

 

『旧搬入路、なし』

 

 送信する。

 

 ヒバリから返る。

 

『南側業者、該当なし』

 

『別担当、逃亡』

 

『追う』

 

 ホシノは画面を見つめた。

 

 ヒバリも別方向から探している。

 

 砂漠側にも入っている。外縁も見ている。けれど、それでもまだ市街地を捨てきれていない。

 

 もし、市街地側に手がかりが残っているなら。

 

 もし、誰かが保護しているだけなら。

 

 その方が、まだよかった。

 

 そうでなければ、砂漠を見るしかなくなる。

 

 砂漠を見るということは、考えたくない答えに近づくということだった。

 

 ホシノも同じだった。

 

 砂漠を見ているくせに、砂漠にはいないと思いたかった。

 

     *

 

 二十日目を過ぎる頃には、報告の文章がさらに短くなった。

 

『北側、なし』

 

『旧駅、なし』

 

『外縁倉庫、なし』

 

『住民情報、別人』

 

『業者筋、なし』

 

『名前なし』

 

 なし。

 

 なし。

 

 なし。

 

 その文字を打つたびに、何かが削れていく。

 

 最初の頃は、ホシノもまだ少し説明を入れていた。

 

 今は違う。

 

 場所。

 

 結果。

 

 なし。

 

 それだけで通じてしまう。

 

 通じてしまうことが、嫌だった。

 

 生徒会室に戻る日も減っていた。

 

 戻っても、長くはいられない。机の上には修復されたアビドス祭りの紙が広がったままになっている。

 

 人を集めるための紙だった。

 

 学校がまだ終わっていないと、誰かに見せるための紙だった。

 

 それが、誰もいない部屋で砂をかぶっている。

 

 窓の隙間から入り込んだ砂が、紙の端に薄く積もっていた。ホシノはそれを払う。払っても、また積もる。

 

「……ユメ先輩、怒りますよ」

 

 小さく言う。

 

 返事はない。

 

 もう、それが当たり前になり始めていることが怖かった。

 

     *

 

 二十三日目、ホシノは砂漠手前の標識跡まで出た。

 

 その日は風が強かった。

 

 足元の砂が流れ、顔に当たる。視界が白く濁る。端末の地図だけが、自分がどこにいるかを教えてくれる。

 

 少し離れると、外縁の建物が霞んだ。

 

 市街地が見えなくなる。

 

 その瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 

 ユメ先輩がここにいたら。

 

 一人で。

 

 何も持たずに。

 

 その先を考えそうになって、ホシノは首を振る。

 

 違う。

 

 ここじゃない。

 

 ユメ先輩は、こんなところに一人で来ない。

 

 ホシノは標識跡の周囲を見た。

 

 古いタイヤ痕らしきものがあった。けれど、いつのものか分からない。

 

 紙片を見つけるたび、心臓が跳ねた。

 

 空き缶でも、布切れでも同じだった。

 

 そして毎回、違った。

 

 違ってよかったはずなのに、何も残らなかった。

 

 端末に記録する。

 

『標識跡、古い紙片』

 

『ユメ先輩との関連不明』

 

 送信するか迷って、やめた。

 

 曖昧なものを送っても、ヒバリを削るだけだと思った。

 

 少しして、ヒバリから連絡が来る。

 

『風が強い』

 

『戻れ』

 

 ホシノは画面を見る。

 

『戻る』

 

 そう送った。

 

 しばらくして、ヒバリから返る。

 

『了解』

 

 短い。

 

 それだけだった。

 

     *

 

 二十五日目を過ぎると、ホシノの捜索範囲は少しずつ広がった。

 

 最初は外縁だけだった。

 

 次は旧搬入路の先。

 

 その次は砂丘の手前。

 

 さらにその次は、まだ外縁と呼べるかどうか分からない場所。

 

 毎回、砂漠用のバッグを背負った。

 

 ユメ先輩が持っていかなかったもの。

 

 持っていかなかったから、ここにいるはずがない。

 

 そう思うために、ホシノは毎回それを背負った。

 

 端末が震える。

 

『奥へ行くな』

 

 ヒバリだった。

 

 少し遅れて、もう一文。

 

『一人で深く入るな』

 

 ホシノは返信欄に指を置く。

 

『まだ戻れる』

 

 そう送った。

 

 ヒバリからの返事は、少し遅れた。

 

『位置情報を切るな』

 

『何かあればすぐ送れ』

 

 ホシノは小さく息を吐く。

 

『分かった』

 

 送信する。

 

 それから顔を上げる。

 

 砂漠は広い。

 

 広すぎて、探すという行為そのものを馬鹿にしてくるようだった。

 

 右を見ても砂。

 

 左を見ても砂。

 

 前を見ても砂。

 

 それでも歩く。

 

 歩かなければ、見つからない。

 

 歩いても、見つからない。

 

 それでも歩くしかなかった。

 

     *

 

 二十七日目の夜、ヒバリから短い通話が入った。

 

 ここしばらく、通話はほとんどなかった。

 

 ホシノは少し迷ってから出る。

 

「何」

 

『今日、どこまで見た』

 

「旧搬入路の先。標識跡から少し奥」

 

『奥へ行くなと言った』

 

「奥じゃない。まだ戻れる距離」

 

 通話の向こうで、ヒバリが息を吐いた。

 

『その“戻れる距離”が伸びてる』

 

 ホシノは答えなかった。

 

 否定できなかったからだ。

 

『一人で深く入るな』

 

「ヒバリだって、一人で動いてるでしょ」

 

『私は別だ』

 

「よくない」

 

『今それを言うな』

 

 前にも見た言葉だった。

 

 今度は声で聞いた。

 

 ホシノはしばらく黙る。

 

「……まだ、見てない場所がある」

 

 やっと出した声は、思ったより小さかった。

 

「だから、まだ」

 

 続きが出なかった。

 

 ヒバリも、何も言わなかった。

 

 しばらく、砂混じりの風の音だけが通話に入る。

 

『明日は市街地側を見る』

 

 ヒバリが言った。

 

『古い企業記録をもう一度当たる』

 

「まだ見るの」

 

『残っているなら見る』

 

「……うん」

 

『お前も、無茶はするな』

 

「分かってる」

 

 通話はそこで切れた。

 

 ホシノは端末を下ろす。

 

 分かってる。

 

 それも、嘘に近づいていた。

 

     *

 

 二十九日目の夜、ホシノは学校に戻った。

 

 生徒会室は暗かった。

 

 電気をつけると、机の上の紙が照らされる。

 

 アビドス砂祭り。

 

 修復されたその文字は、まだ読めた。破れた跡も、そのままだ。紙の端には、また薄く砂が積もっている。

 

 ホシノはそれを払った。

 

 それから、端末の捜索記録を開く。

 

 端末の地図には、捜索済みの範囲が薄い線で残っていた。

 

 北側。

 

 旧駅。

 

 旧商店街。

 

 住民会。

 

 外縁倉庫。

 

 旧搬入路。

 

 標識跡。

 

 線は少しずつ増えている。

 

 けれど、見つけたい一点には届かない。

 

 画面には「なし」が並んでいた。

 

 未確認の白い部分だけが、旧搬入路のさらに先に残っていた。

 

 何度か見た。

 

 でも、まだ奥までは見ていない。

 

 ヒバリには止められている。

 

 奥へ行くな。

 

 一人で深く入るな。

 

 位置情報を切るな。

 

 全部、正しい。

 

 正しいからこそ、ホシノは砂漠用のバッグを一つ取り出した。

 

 必要なものは、全部入っている。

 

 本当なら、ユメ先輩も持っていくはずだったもの。

 

 だから、砂漠にいるはずがない。

 

 そう思った。

 

 そう思わなければ、バッグを閉じられなかった。

 

 端末が震える。

 

 ヒバリからだった。

 

『明日も外縁を見るなら、位置を送れ』

 

 ホシノはしばらく画面を見た。

 

 それから、返信する。

 

『分かった』

 

 少し迷って、もう一文打つ。

 

『少しだけ奥を見る』

 

 送信。

 

 しばらく返事はなかった。

 

 そして、短く返ってきた。

 

『奥へ行きすぎるな』

 

 ホシノは画面を見つめる。

 

『うん』

 

 そう返した。

 

 ユメ先輩は、ここにはいない。

 

 砂漠にいるはずがない。

 

 それでも、明日はもう少し奥を見る。

 

 ホシノはバッグの口を閉じた。

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