アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

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第4話 最後の札

 夜のアビドス高等学校は、昼より静かだった。

 

 窓の外では砂が流れている。砕けた窓枠が風に細く鳴るたび、部室の中の沈黙が少しだけ揺れた。校舎に残る明かりは少なく、机の上に広げられた地図と端末だけが白く浮いて見える。

 

 出発前の準備は、もうほとんど終わっていた。風紀委員会には頭を下げた。トリニティ側にも協力を取りつけた。便利屋68も、表向きの了承はなくても、たぶん勝手に来る。それでも先生の手元には、まだ残っているものがあった。ホシノの端末。画面を開けば、短いメモが一つだけ残っている。

 

 『本当に困った時に連絡して』

 

 その下に、ヒバリという名前。

 番号が一つ。

 

 誰も口を開かないまま、その文字を見ていた。

 

 最初に息を吐いたのはノノミだった。

 

「ホシノ先輩が最後に残した相手、ですもんねぇ……」

 

 アヤネも、端末を見つめたまま言う。

 

「風紀委員会とトリニティの協力は得られました。でも、救出の成功率を少しでも上げるなら……この番号も使うべき、だと思います」

 

 セリカは露骨に顔をしかめた。

 

「今まで一回も聞いたことないんだけど。そんなアビドスの先輩がいるなら、なんでホシノ先輩は何も言わなかったわけ?」

 

 シロコが短く返す。

 

「ホシノ先輩が、話さなかった」

 

 それだけだった。

 

 責めてもいない。

 庇ってもいない。

 ただ事実だけを置く言い方だった。

 

 先生は端末を握り直す。

 

「かける」

 

 セリカが腕を組んだ。

 

「感じ悪かったら私、絶対キレるから」

 

「今から宣言しないでください……」

 アヤネが困ったように言う。

 

 ノノミが小さく笑った。

 

「でも、ちょっと分かりますぅ」

 

 シロコは何も言わない。

 ただ、止めもしなかった。

 

 先生が通話ボタンを押す。

 

 呼び出し音が鳴る。

 

 一回。

 二回。

 三回。

 

 四回目で、繋がった。

 

『……誰』

 

 女の声だった。

 

 低い。

 乾いている。

 最初から、人と仲良くする気がないと分かる声だった。

 

 セリカの眉がぴくりと跳ねる。

 ノノミも、少しだけ表情を固くした。

 

 先生が言う。

 

「アビドスの先生だ。ホシノの件で連絡した」

 

 短い沈黙。

 

 その向こうで、風の音がした。校舎の中でも街中でもない。もっと開けた、何もない場所の音だった。

 

『……あいつ、消えたんだ』

 

 心配ではない。

 呆れと苛立ちが先に来る言い方だった。

 

 先生は続ける。

 

「居場所は分かった。今から助けに行く。協力してほしい」

 

 また、少しの沈黙。

 

『……場所は?』

 

 それだけだった。

 感情ではなく、確認すべきことだけ確認する声。

 

「アビドス砂漠。カイザーPMC基地だ。中央の実験室に囚われている」

 

 一拍。

 

「手を貸してほしい」

 

 通話の向こうは、また少しだけ黙った。

 

 それから、低い声が落ちてくる。

 

『勘違いするな』

 

 冷たい声だった。

 

『……お前達と仲良くするつもりはない。アビドスを守るために必要なことをするだけだ』

 

 その一言で、部室の空気がまた変わる。

 

 自分たちを最初から輪の外に置いている。

 助ける。だが関わらない。

 そういう線の引き方だった。

 

 セリカが小さく吐き捨てる。

 

「感じ悪っ……!」

 

 ヒバリは構わない。

 

『もう切る』

 

「待っ――」

 

 通話はそこで終わった。

 

 短い電子音。

 沈黙。

 

 最初に爆発したのは、やはりセリカだった。

 

「何なのよあいつ!! ホシノ先輩が最後に頼る相手っていうから、もっとこう……せめて普通に話せるやつだと思うでしょ!」

 

「普通じゃないから最後なんじゃないかなぁ……」

 ノノミが困ったように笑う。

 

 アヤネはまだ整理している顔だった。

 

「少なくとも、敵ではなさそうです。それと……ホシノ先輩とは、かなり空気が悪いですね」

 

 シロコが静かに言う。

 

「でも、来る」

 

 短い断定だった。

 

 先生は頷く。

 

「対策委員会だけじゃ足りない。取り付けられる協力は全部使う」

 

 アヤネがすぐに端末を引き寄せる。

 

「風紀委員会、トリニティ側、便利屋68……再確認します。進入経路も整理し直します」

 

「ホシノ先輩を連れ戻せるなら、それでいいわ」

 セリカも今度は文句を言わなかった。

 

 ノノミが柔らかく頷く。

 

「最後まで行きましょう」

 

 シロコはもう地図へ目を落としていた。最短。進入路。退路。必要なもの。考えるべきことだけを、もう追っている顔だった。

 

     *

 

 施設襲撃当日。

 

 砂漠の空気は朝から乾いていた。遠くで銃声が響くたび、その乾きが少しだけ震える。

 

 東ではトリニティ側の牽制で巡回部隊が引き寄せられている。西では風紀委員会が車列を食い止め、断続的な火線を作っていた。さらに別方向では、便利屋68が好き勝手に騒ぎを大きくしているらしい。

 

 その隙を縫って、先生たちは前へ出た。

 

 先生。

 シロコ。

 ノノミ。

 セリカ。

 アヤネは後方支援。

 

 四人と一人で進むには、砂漠は広すぎた。

 けれど、今はそれでも行くしかない。

 

『先生、東側の巡回が少し薄くなりました。今なら予定ルートで前進できます』

 

「了解。速度を上げる」

 

 瓦礫混じりの砂地を進み、外周の起伏へ身を伏せたところで、基地の全景がようやく見えた。

 

 近くで見るそれは、遠目よりさらに硬かった。

 

 高い外壁。

 正面に据えられた固定式機関銃。

 巡回する装甲車両。

 土煙の向こうに見える戦車。

 そして、鈍い巨体を軋ませるゴリアテ。

 

 セリカが息を呑む。

 

「……多すぎでしょ」

 

 ノノミも笑みを失う。

 

「これは、さすがに正面からは厳しいですねぇ」

 

 無線越しのアヤネの声も硬かった。

 

『正面火力、想定よりさらに厚いです。固定機関銃二、装甲車複数、戦車一、ゴリアテ一。このまま飛び出すのは危険です』

 

「危険で済むの?」

 セリカが小声で言う。

「普通に死ぬでしょ、これ」

 

 シロコは施設を見据えたまま、短く言った。

 

「正面はだめ」

 

 先生も同じ判断だった。

 

 足止めはされている。

 他方面も動いている。

 それでも、最後の一押しにはまだ一手足りない。

 

 高台から見える外周の守りは、想定以上に厚かった。

 このままでは、突破する前にこちらが削られる。

 

 その時だった。

 

 先生のポケットの中で、ホシノの端末が震えた。

 

 全員の視線が集まる。

 

 先生が取り出す。

 画面に表示されていた名前を見て、セリカが眉を寄せた。

 

「……ヒバリ?」

 

 端末は、もう一度だけ震えた。

 

 乾いた風の中で、その小さな振動だけが妙に大きく感じられた。

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