夜のビル群は、砂漠の骨だった。
崩れた外壁。
床の抜けた上階。
風が吹くたび、むき出しの鉄骨が低く鳴る。
その高所に、ヒバリはいた。
腹這いにはならない。
膝をつき、半身で支え、双眼鏡を下ろさない。
眼下のカイザーPMC基地は、もう把握している。正面の固定式機関銃。巡回する装甲車両。土煙の向こうの戦車。外周のやや奥にいるゴリアテ。第二ゲート脇の制御盤。使える死角と、使えない死角。
数コールのあと、通話が繋がる。
『先生だ』
返ってきた声は思ったより近かった。
止まっている。まだ突っ込んでいない。
『正面火力が厚い。固定式機関銃、装甲車、戦車、ゴリアテ。中へ入る道がない』
「もう定位置にいる」
ヒバリは双眼鏡を戻す。
正面火器の並びを改めて拾い、頭の中で優先順位をなぞる。
「重いのを落とす。扉は開ける」
一拍。
「中はお前らでやれ」
短い沈黙のあと、先生が答えた。
『分かった』
それで十分だった。
ヒバリは通話を切る。
足元へ置いていたイクス・トルジョンを引き寄せ、スコープを覗き込んだ。
照準の先で、ゴリアテの主砲が鈍く光っている。
引き金を絞る。
乾いた破裂音。
一拍遅れて、ゴリアテの頭部で火花が爆ぜた。主砲が根元から吹き飛び、巨体が首を失ったみたいに軋む。
怒号が上がる。
次は固定式機関銃。
兵を殺す必要はない。支えている骨だけ折ればいい。銃架の基部。給弾部の軸。駆動の癖。そこへ通す。
一発。
右の銃座が垂れる。
もう一発。
左も沈黙した。
カイザー側の視線が一斉に跳ねた。
高所を見ろ。狙撃手だ。ビル群だ。西か。いや東だ。
遅い、とヒバリは思う。
もう次へ移っていた。
ワイヤーが閃く。
崩れたビルの骨を渡る。次の標的は装甲車。正面装甲を抜く必要はない。前輪の軸。足回り。戦える形だけ奪えばいい。
一発。
装甲車が派手に沈み込む。
続けて戦車。
履帯の継ぎ目。誘導輪。動かすための骨。
一発。
金属片が飛び、巨体が噛んだみたいに止まった。
無線の向こうで、アヤネの早口な報告が先生たちへ飛んでいるのが微かに聞こえる。
ゴリアテ主砲沈黙。固定式機関銃二基停止。装甲車行動不能。戦車も足を止めた。
それだけ崩れれば十分だ。
先生たちが動く。
シロコが先頭。
セリカが左。
ノノミが中央。
先生が後ろ。
第二ゲートの前で一瞬止まり、扉脇の制御盤へ視線が揃う。
見えている。
一発。
制御盤が爆ぜる。
火花。
閂の悲鳴。
扉が半端に口を開ける。
ヒバリは短く端末を鳴らした。
「こじ開けろ」
通話はすぐ切る。
先生たちが扉の中へ消える。
そこから先は、あいつらの役目だ。
なら、自分は外を止める。
次の標的は、扉へ向かおうとした予備火器。
一発で給弾部を弾く。火器が沈み、兵が地面へ飛び込む。
また移動。
基地外周を回ろうとした車両の足。
さらに一発で監視装置。
照準の端を横切る機械化兵。
人間より分かりやすい。
脚部。
膝関節。
駆動フレーム。
立てなくなれば、それで十分だ。
一発。
下半身のフレームが裂け、機械化兵が前のめりに崩れる。
もう一体。
膝関節を抜く。
砂の上で滑って止まる。
機械には容赦がいらない。
扉へ近づく足と、追撃に出る火器は全部折る。
西では便利屋68の火線がやかましく弾けていた。
東ではトリニティと風紀委員会が、外周のカイザー部隊を引きつけ続けている。
戦線は広く裂けたままだ。
それでもカイザーはしつこい。
基地外周を回り込み、第二ゲートへ寄ろうとする小隊。
後退支援のために予備火器を引っ張り出そうとする兵。
動けなくなった車両を盾にして狙撃手を探す視線。
全部、遅い。
先生たちが入った扉へ、誰も触らせない。
ワイヤー移動。
射点変更。
発砲。
また移動。
荒廃したビル群を渡り歩きながら、ヒバリは基地の火器を外側から一つずつ潰していく。撃つたびにカイザーの怒号が増え、撃つたびに追撃の形が歪む。
時間だけが過ぎる。
まだか。
遅い。
ホシノなら――
そう思って、すぐに自分で舌打ちした。
比べる相手じゃない。
中にいるのはホシノじゃない。先生と、あの後輩たちだ。
なら、持たせる。
さらに一発。
扉へ向かった車両の前輪が裂ける。
無線の向こうで、アヤネの声が少しだけ変わった。
内部警報。ルート再計算。脱出側の案内。
その変化で分かる。
取った。
そう判断したのは、ヒバリだけではなかったらしい。
基地側から一段高い警報が重なる。
外周のカイザー部隊が、露骨に後退へ移り始める。
指揮車両の近くで怒号が飛ぶ。しばらくして、全体の流れが「押し込む」から「引く」に変わった。
他の火線も、もう軽くない。
便利屋68が西で噛みつき、東ではトリニティと風紀委員会が引き際を削っている。
そのうえ、施設内のホシノまで奪還された。
ヒバリはワイヤーを外し、崩れたビルの縁へ膝をついた。
双眼鏡を上げる。
施設出口。
砂塵。
開いた扉。
しばらくして、その奥から人影が現れた。
先生。
アビドスの面々。
そして、その中心に――ホシノ。
立っている。
支えは要る。顔色も悪い。消耗しているのは遠目にも分かった。
それでも、自分の足で外へ出てきている。
そこまではよかった。
双眼鏡の中で、ホシノが少しだけ口元を緩める。
いつもの、何でもないみたいに流そうとする顔。
あのヘラヘラした笑い方。
その瞬間、頭に来た。
まさか本当に、カイザーなんかの言うことに乗ったのか。
借金だの学校だのをぶら下げられて、自分だけで払ったつもりか。
後輩を置いて。
余計な手間を全部こっちにかけさせて。
その顔で誤魔化すな。
「……ほんと、腹立つ」
風が吹く。
赤いマフラーの端が揺れる。
ヒバリは双眼鏡を下ろした。
端末を取り出す。
画面に残った登録名は、そのままだった。
ホシノ
今度は、指は止まらない。
発信した。