アビドスに、もう一人の三年生がいた   作:ゴリさん39

9 / 33
第7話 夜に残るもの

 

 ヒバリの名前が、対策委員会室の空気にまだ残っていた。

 

 救出から数日。カイザーPMC基地での一件は終わったはずなのに、あの夜の一撃と、低い声だけが、片づかないまま部屋の隅に残っている。

 

 放課後の対策委員会室。机の上には書類、修理予定のメモ、足りない備品の一覧。いつもなら誰かが文句を言って、誰かが笑って、ホシノが気の抜けた顔で流しているはずの時間だった。

 

 今日は違う。

 

 セリカが腕を組んだまま、真正面からホシノを見る。

 

「で」

 

 開口一番、それだった。

 

「そろそろちゃんと説明してくれない? ヒバリって誰なの。どういう関係なわけ」

 

 ノノミは柔らかい顔をしていたが、誤魔化すつもりはないらしい。

 

「私も知りたいですぅ。あの人、ホシノ先輩のことだけ見てましたし」

 

 アヤネも端末を抱えたまま続ける。

 

「ホシノ先輩が“本当に困った時に連絡して”と残した相手で、学校のことも知っている。しかも私たちには何も説明がなかった。普通の知り合いではありませんよね」

 

 シロコは短かった。

 

「話して」

 

 逃げ道を一つずつ塞ぐような声だった。

 

 ホシノは、いつものように困った顔で笑おうとした。

 

「いやぁ……」

 

 その軽口は、半分も形にならない。

 

 先生は少し離れた位置から、その空気を見ていた。今のホシノは、救出直後みたいに限界ではない。だからこそ、もう何も聞かないでは済まない。後輩たちの顔にも、それが出ている。

 

 ホシノは視線を落とし、机の上を指先で軽く叩いた。

 

「……ヒバリちゃんは、アビドスの子だよ」

 

「それは見りゃ分かるのよ」

 セリカが即座に返す。

 

「うん、まあ、そうだねぇ」

 

 ホシノは苦く笑う。

 

「昔からいた子。おじさんと同じ三年生」

 

 ノノミが首を傾げる。

 

「でも、私たち見たことないですよねぇ」

 

「見せる気、なかったからねぇ」

 ホシノが言う。

「向こうが」

 

 アヤネが眉を寄せる。

 

「意図的に顔を出していなかった、と」

 

「そういうこと」

 

 ホシノは椅子の背にもたれようとして、途中でやめた。まだ楽な姿勢を取るには体が噛み合っていないらしい。

 

「昔から、おじさんとは喧嘩ばっかりしてたよ」

 

「それはなんか想像つく」

 セリカが呆れたように言う。

 

「でしょ?」

 ホシノが少しだけ笑う。

「会えば噛みつかれてたし、おじさんも売り言葉に買い言葉だったしねぇ」

 

「なんでそんなに仲悪かったんですか?」

 アヤネが聞く。

 

 ホシノは少しだけ黙った。

 

「……昔から、合わなかったんだよ」

 

 雑な答えだった。だが、それ以上綺麗に言おうとすると、たぶん何かを誤魔化しすぎるのだろうと先生は思った。

 

 ノノミが慎重に続ける。

 

「でも、ずっとそうだったわけじゃないんですよねぇ」

 

 ホシノは目を細めた。

 

「間に入ってくれる先輩がいたからねぇ」

 

 その言い方だけで、部屋の空気が少し変わる。

 

 シロコが聞く。

 

「その先輩がいなくなってから?」

 

 ホシノはすぐには頷かなかった。けれど、否定もしなかった。

 

「……あの人がいた間は、まだ何とかなってたよ。おじさんが尖っても、ヒバリちゃんが噛みついても、結局はその先輩が止めてた。笑いながらねぇ」

 

 セリカが顔を曇らせる。

 

「その先輩がいなくなって、あいつは学校を出たってこと?」

 

「うん」

 

 ホシノの返事は短い。

 

「退学届を置いて、そのまま勝手にいなくなった」

 

 アヤネが言う。

 

「じゃあ、もうアビドスの生徒では――」

 

「そこまで綺麗に終わってないよぉ」

 ホシノが小さく割り込む。

「書類だけ置いて出ていった。手続きがどうなったかは……まあ、あの時のアビドスだしねぇ」

 

 曖昧だった。だが、それで十分だった。綺麗に区切れた別れ方ではなかったのだ。

 

「でも、完全に消えたわけじゃなかった」

 セリカが言う。

 

「そうだねぇ」

 

 ホシノは目を伏せたまま続ける。

 

「夜中に時々戻ってきてた。誰もいない時間にねぇ」

 

 その言い方が妙に淡々としていて、逆に引っかかった。

 

「戻ってきて、何してたの」

 シロコが問う。

 

「勝手に見て、勝手にいなくなる。で、たまに金だけ置いていってた」

 

 全員が止まった。

 

「……は?」

 セリカが最初に声を出す。

「金って何よ」

 

 アヤネも固まる。

 

「現金、ですか」

 

「うん。封筒だったり、裸だったり、その時々だけど」

 

 ノノミが小さく息を呑む。

 

「じゃあ……学校の修理とか、備品のお金って……」

 

「全部じゃないよぉ」

 ホシノはゆっくり言う。

「でも、かなり助かってた」

 

 セリカが机を叩く。

 

「そんな大事なこと、なんで今まで言わなかったのよ!」

 

「言ったところで困るだけでしょ」

 あまりにもあっさりした返しだった。

「君たちが入る前から、もうそうだったしねぇ」

 

 アヤネが低く言う。

 

「私は、ホシノ先輩が何とか帳尻を合わせていたんだと思っていました」

 

「まあ、半分は合ってるよぉ。使ってたのはおじさんだし」

 

「笑い事じゃありません」

 アヤネの声は珍しく硬かった。

「私は知らないまま、そのお金込みで学校を回していたんですね」

 

 ホシノは何も返さなかった。

 

 シロコが静かに聞く。

 

「出所は知ってた?」

 

 一番痛いところを、迷わず突く。

 

 ホシノは少しだけ黙った。

 

「……だいたいは」

 

「綺麗なお金じゃないって?」

 セリカが食いつく。

 

「うん。全部細かく聞いたわけじゃないよぉ。でも、そういうお金だってことくらいは分かる」

 

 部屋の空気がまた重くなる。

 

 ノノミが小さく言う。

 

「それでも、使ってたんですねぇ」

 

「使わないと学校が保たなかったからねぇ」

 

 あまりにもまっすぐな答えだった。

 

 そこに開き直りはない。ただ、そうするしかなかった事実だけがある。

 

「一人で決めた」

 シロコが言った。

 

 短い一言だった。

 責めるでもなく、けれど逃がしもしない。

 

 ホシノは苦く笑う。

 

「言えるわけないでしょぉ。“実は昔いた先輩が、どこかで汚い金を稼いで学校に入れてます”なんて」

 

 軽口だった。だが、部屋は少しも軽くならなかった。

 

 ノノミがそっと聞く。

 

「それでも、ホシノ先輩はヒバリさんに会ってたんですかぁ」

 

 ホシノは首を横に振る。

 

「会うってほどじゃないよぉ。おじさんが夜の巡回してる時に、時々気づくくらい」

 

「気づく?」

 アヤネが聞き返す。

 

「ポストの中身が増えてたり、誰もいないはずの屋上に気配があったり」

 ホシノの目が少しだけ遠くなる。

「まあ、あの子なりに“まだ見てる”ってことだよ」

 

「学校は見捨ててない」

 シロコが言う。

 

「うん」

 

「でも私たちとは関わらない」

 

「うん」

 

「ホシノ先輩とは仲悪い」

 

「昔からねぇ」

 

「で、今も最悪」

 

 そこだけは、ホシノは少しだけ言葉に詰まった。

 

「……まあ、うん」

 

 ノノミが苦笑する。

 

「整理すると、だいぶややこしいですねぇ」

 

「ややこしいで済むかな、これ」

 セリカが呟く。

 

 アヤネは端末を胸元へ引き寄せる。

 

「少なくとも、ヒバリさんが学校を完全に切ったわけではないのは分かりました」

 

 シロコは最後に一言だけだった。

 

「ホシノ先輩は、まだ何か隠してる」

 

 逃がさない目だった。

 

 ホシノはその視線を受けて、珍しく本気で困った顔をする。

 

「いやぁ……それは、その……あるけど」

 

「あるんじゃない」

 セリカが即座に返す。

「あるのね」

 

 ホシノは観念したように肩を落とした。けれど、それ以上は出てこない。

 

 先生はそこで口を開いた。

 

「今日はここまででいい」

 

 全員の視線が先生へ向く。

 

「聞きたいことはまだある。でも、今ここで全部出させても、きれいな答えにはならない」

 

「でも――」

 セリカが言いかける。

 

「ホシノもまだ万全じゃない」

 

 その一言で、部屋が少し静かになる。

 

 事実だった。助け出されてからまだ日が浅い。体力も戻りきっていない。精神的にも、平気な顔をしているだけだ。

 

 ノノミが小さく頷く。

 

「……そうですねぇ」

 

 アヤネも唇を引き結んだまま頷いた。

 

「分かりました」

 

 シロコは何も言わない。ただ、最後にもう一度だけホシノを見た。その目は、問いを諦めたのではなく、預けただけの目だった。

 

 ホシノは、ほんの少しだけ助かったように笑う。

 

「いやぁ、悪いねぇ」

 

 その軽さは最後まで薄かった。

 

     *

 

 その日の帰り、先生は一人でアビドスを出た。

 

 夜はだいぶ深い。砂漠の風は冷たく、昼間よりも街の骨組みだけがよく見える。頭の中では、さっきの話がまだ綺麗に沈みきっていなかった。

 

 ヒバリ。

 学校を出た在籍者。

 夜中に戻ってきて、金だけ置いていく影。

 ホシノが知っていて、受け取っていた金。

 

 歩きながら考えていると、ふと、湯気が見えた。

 

 こんな時間に、と思って視線を向ける。暖簾の揺れる、小さな屋台。

 

 柴崎ラーメン屋。

 

 先生は少しだけ足を止めた。腹は減っている。頭も回りすぎている。ちょうどいいかもしれないと思って、暖簾をくぐる。

 

「先生、いらっしゃい」

 

 柴大将が顔を上げた。

 

 その声につられて視線を向けた先、カウンターの端に、見覚えのある緑色の外套があった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。