音楽室からは、再び月光が聞こえてくる。木枯さんのピアノの音色を聞くと、不思議と胸が冷えていく気がする。
音楽室の扉を開け、中に入るとやはり木枯さんが涙を流しながらピアノを弾き続けていた。
「…」
金森先生がそっと近づき、木枯さんの背中に触れる。
「ほら、猫背になっているわよ。視野も狭くなるし呼吸も浅くなるって何度も言ってるでしょ?」
先生は木枯さんに優しく微笑む。初めて木枯さんが顔を上げた。
「先生…来てくれたんですね」
「ええ、ごめんなさい。遅くなっちゃって。みんなも席に座ってくれるかしら?コンクールにはもう出れないけど、聞いてあげて欲しいの」
僕たちは、こくりと頷き近くの席に座る。
木枯さんはぺこりと頭を下げ、演奏を開始する。今思えば、初めて木枯さんがこちらをみた気がするな…それだけ集中していたということなのだろう。
木枯さんの演奏は、先ほどまで聞こえてきた胸をざわつかせ、不安にさせるような演奏ではなかった。僕は音楽には疎い、芸術はわからない。でも、そんな僕でも聴き入ってしまうほど木枯さんの演奏は素晴らしかった。演奏をし終えた木枯さんは再びぺこりと頭を下げる。
「すっごいよかった!」パチパチ
本庄さんが思わず立ち上がって拍手をする。
「ありがとう…ございます…」
か細い声で僕たちに感謝を述べた木枯さんの体が徐々に薄くなっていく。よく見れば、金森先生の体もそうだ。
「明子…!」
「あなたは、私にこだわらずもっといい人探しなさい?いつまでも、過去にとらわれちゃダメよ?私は…本当に幸せだった!みんなも、ありがとう、私と…新山先生を助けてくれて」
金森先生の瞳から一雫の涙がこぼれ落ちる。
「さよなら…いつまでも元気で、長生きしてね」
僕も花村に言われた言葉だ、長生きすることは死者のせめてもの願いなのかもしれない。
徐々に二人の体が消えていき、何かが床に落ちた。指輪だ、きっと金森先生の手から落ちたものだろう。新山先生はそっと指輪を拾った。
「ふー…すまねえな、お前ら。迷惑をかけた」
服の袖で乱暴に目元を擦ると新山先生はこちらをむいて感謝の言葉を述べた。さすが大人というべきか、僕よりも立ち直りが早い。それとも、僕たちの前でこれ以上弱さを見せられないという大人ゆえの責任感なのかもしれない。僕たちは静かに頷いた。
「お前らには、話しておいた方がいいかもしれん。この学校で起きた事件について」
「事件…?」
「ああ、お前ら生徒には、行方不明者と自殺者で話が広まっているんだが、それは違う。実は、事件性のあるものとして処理されてるんだ」
「事件性?どういうことだ?」
「要するに、これまでの失踪と自殺には犯人がいるってことだ。日向、お前の読みは正解だ」
「新聞部が活動停止になったのも、学校としては触れられたくない部分に触れたからだろうな。学校側としては事件性はありません、失踪も自殺も偶然ですってことにしたかったからな、新聞部に痛いところをつかれたってわけ」
「鹿野先輩喜ぶと思いますよ。真実を明らかにすることが使命だっていつも言ってますし」
「事件性があるってことは、犯人がいるってことですよね?」
「…ああ、そうだ。そして、犯人はもう…死んでる」
「もしかして、それって踊り場の殺人鬼?」
「毎回申し訳ないんだけど…どんな噂か教えてくれる?」
「踊り場を歩いていると、ナイフを持った黒い影に会うんだって。なんでも、この学校で起きた連続失踪事件の犯人だとか」
「なんで死んじゃったの?」
「犯行現場を目撃されて逃げた犯人が、逃げられないと悟り腹にナイフを刺したんだ」
「そうだ、そしてそいつは俺の同僚の宗形なんだ」
「え…?」
先生が苦虫を噛み潰したような顔をしている。心中は穏やかではないだろう。連続失踪事件の犯人ということは、金森先生の死にも関わっているということだ。いや、でも少し待てよ…?
「犯行現場を目撃されたって、もしかしてその犯行現場は…」
「ああ、そうだ。花村の犯行現場だ。いや、正確に言えば花村の犯行現場だと思われる。確証は、ないんだ」
「どういうことだ?」
「宗形の最期を看取ったのは俺だ。放課後大きな音が聞こえてきたんだ。なんだと思って階段の方に向かうと、そこには血まみれの宗形が倒れてたよ」
「宗形が最期に言ったんだ。花村を殺したって…」
ぎゅっと拳を握りしめる。
「日向君…」
本庄さんが心配そうな声で名前を呼んでくる。
「そのことを誰にも言ってないのか?花村は自殺と聞いた。仲のいい日向にまで自殺と伝わっていた」
「もちろん言った、だが相手にされなかった。俺の発言だけじゃ確証は取れなかったんだ」
「だが、俺達はもう何度も階段の踊り場を通っている。しかし一度もそれらしい影は見たことない」
「そう言えば確かに」
もう何度も階段を上り下りしてる、なんなら僕は一度一人で行動もしている。それでも確かにそんなものは見ていない。
「場所が違うんだろな、あいつが倒れていたのは奥階段だ」
「奥階段はまだ通ってないね」
「よし、行こう」
「俺もついていく、お前らだけだと危ないからな」
先生は左手の薬指に指輪をはめ、じっと見つめる。大人がついてきてくれるのは正直心強い。それに、踊り場の殺人鬼に関しては花村や金森先生の件とも関わっている。放って置けないのだろう。僕もそうだ、もしかしたら花村を殺した犯人かもしれない。僕は…平静を保っていられるだろうか。
「ねえ、日向君」
突然本庄さんから声をかけられる。
「うん?どうかした?」
「怖い顔、してるよ」
言われてみれば確かにそうだ。先生の眉間に皺を寄せ、拳を握り締め続けていた。強く握り締めていたせいで手のひらがジンジンと痛む。
「ご、ごめん…」
「謝らないで。そうだ、先生、少しだけ休憩ください!」
「ん?ああ、別にそれは俺が決めることじゃないが…まあいいだろ。10分くらい休憩で」
「わかった」
「日向君も林君もちょっと顔洗いに行こ?クールダウンしにいこ?」
「ああ、そうだな」
僕たちは近くの水道に向かった。