僕は少し部屋で座っていようかな…
「京君おかえりなさい」
「ただいま怜ちゃん」
「墨君は?」
「先にシャワーを浴びてるよ」
「そっか、下ごしらえ終わったから京君のシャワーが終わったらご飯食べようね」
「うん、ありがとう。待たせちゃってごめんね」
「ううん、いいの。あの…少し時間ある?」
怜ちゃんが恥ずかしそうに俯く。
「うん、どうしたの?」
「私の部屋、来て」
「うん?いいけど、今?」
正直汗だくなので今怜ちゃんの部屋に入るのは少し憚られる。
「う…うん、今しかないの」
それほど緊急事態なのだろうか…?
「わかったよ、部屋行こ?」
「ありがとう!」
僕は怜ちゃんの後に続いて部屋に向かった。
「…」
その姿を見つめる一つの影に、気がつかないまま…
部屋に入ると、怜ちゃんは僕の方に向かって抱きついてきた。
「!!!!!?!?!?!?」
突然のことすぎて頭が理解できない。
「はぁあ…!京君の匂い…!」
「怜ちゃん!?」
「京君京君京君!」
「怜ちゃん落ち着いて!今は汗かいてるし」
「ずっとこうしたかったの。今までは理性が効いてたけど、今日の一件からもう我慢できなくて…!」
怜ちゃんが顔を僕の胸や首筋に押し付けてくる。
「怜ちゃん、せめてシャワーを浴びてから…」
「それじゃダメ!私は今の京君の匂いが嗅ぎたいの!」
理性の歯止めがぶっ飛んだ怜ちゃんは、目の焦点が若干合っていない。完全にキマってしまっている。
「はあ…!京君!すごくいい匂い…」
フェティッシュと呼ばれるものがある。全体ではなく特定の一部に強く惹かれるというものだが、どうやら怜ちゃんは匂いに惹かれるらしい。それも花の香りや香水といった一般的にいい匂いとされるものではなく、汗といったいい匂いとはいえないものに対してだ。
ずっと一緒に生活してきたが、そんなこと知らなかった…
首筋、お腹、胸…様々なところに顔を押し当てられる。
匂いをかがれるのって、こんな恥ずかしいんだ…
「はあ…!満足!」
疲れ切った僕と対照的に怜ちゃんはツヤツヤしてる。
「ごめんね、急に。流石に引いた…?」
「いや、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ…」
「そう?ならよかった。ずっとこうするのが夢だったの」
「あの…つかぬことを伺うけど、いつから、その…匂いフェチになったの?」
「えっと、私が小学校の時。昔一緒にロッカーの中に隠れたの覚えてる?」
「あー、学校でしたかくれんぼの時ね。覚えてるよ」
「私たち2人で同じロッカーの中に入ったよね。暑くて2人とも汗だくになって…その時から京君の匂いを嗅ぐとぽやーっとしちゃって。今までは我慢してたんだけど…もう我慢せずに甘えようと思って」
怜ちゃんが匂いフェチになった要因はどうやら僕にもあるようだ。
「これからもまた…していい?」
正直いって断りたい。匂いを嗅がれるのはとても恥ずかしいし、ちょっと困る…でも上目遣いでおねだりしてくる怜ちゃんを断ることができない。僕はぎこちなく頷いた。
「やった!嬉しい!」
今度は汗をかいた頭に顔を埋めてきた。
『京、風呂だ』
「あ、もう呼ばれてるからそろそろ…」
「うん、残念だけどこれくらいにしておくね。あ、ちなみにこのことはみんなには内緒で…」
「わ、わかった」
流石に身内の性癖を知りたくはないだろう。僕も言いたくはない。
怜ちゃんの部屋を後にすると、僕は自分の部屋で着替えを取り、風呂場へ向かう。
「うーん、湯船に浸かりたいけど…シャワーだけかな。みんな待たせると悪いし…」
ただ、なんとなく体はしっかりと洗っておこう。なんとなくだけど…
コンコンコン
「うん?」
「お兄ちゃん、湯加減どう?タオル持ってきたよ」
「あ、ありがとう睦月ちゃん」
シュルシュル…
うん?なんだこの音。衣擦れの音?
「ねえ、お兄ちゃん」
「どうしたの?」
「一緒に入っていい?」
「…え?」
「失礼しまーす」
「入っていいわけないでしょ!?」
僕は急いで湯船に避難する。お湯が張っていてよかった…
「タオルは巻いてるよ」
お風呂の扉を開けて入ってきた睦月ちゃんは、確かにバスタオルを体に巻いていた。
「なにやってるの!?」
「ほら、私が背中を流してあげるよ」
「遠慮するよ!」
「昔は一緒に入ったこともあるじゃん」
「小学生の低学年の時ぐらいでしょそれ!」
「お兄ちゃんはお姉ちゃんのお願いは聞くのに、私のお願いは聞いてくれないの?」
「なっ…!」
「さっき見たの。お兄ちゃんがお姉ちゃんの部屋に入っていくところ」
睦月ちゃんが虚な目でこちらを見つめる。目に光は止まっていない。見ているだけで吸い込まれていきそうだ。
「ずるいよ、お姉ちゃんだけ…お姉ちゃんにしたこと私にもして」
神に誓って僕は何もしていない。しかし、怜ちゃんには確かにされている。というか、怜ちゃんにしたことをしろというのなら、僕は座っているだけなのだが、どうしたものか…
「できないんだ。私には…」
悲しそうな目をして睦月ちゃんは目を伏せる。流石に見ていられない。僕は覚悟を決めた。
「睦月ちゃん、神に誓って僕は何もしていない。だから僕は今から怜ちゃんにされたことを睦月ちゃんにする。それでどう?」
「本当?」
睦月ちゃんは顔を上げる。瞳はまだ黒く濁っている。怜ちゃんごめん!黙っているって約束守れそうにないや…
僕は湯船に浸かったまま、睦月ちゃんに体を近づける。睦月ちゃんはぎゅっと目を瞑った。
クンクン…
「へ?」
気の抜けた声が聞こえてくる。睦月ちゃんの予想と違ったのだろう。
それもお構いなしで睦月ちゃんの匂いを思いっきり吸い込む。
「な…!な…!!」
「何してんだこの変態!」
「あいたあ!」
睦月ちゃんの胸に埋めていた顔、というか頭を思いっきり殴られる。ジーンとした痛みが頭いっぱいに広がる。
「変態!突然なにすんの!」
「いや…怜ちゃんにされたことをしてました…」
ハグをすることを恥ずかしがらない睦月ちゃんでも、匂いを嗅がれるのはやっぱり恥ずかしいらしい。
「もう!変態!ばか!」
ポカポカ僕の頭を叩く睦月ちゃんに、僕は必死で謝ることしかできなかった。
数分後
なんとか睦月ちゃんを落ち着けさせた僕は、改めて部屋で行っていたことを話した。
「で、お姉ちゃんの部屋に行ったのは運動後の匂いを嗅ぎたかったからだと…」
「はい…」
「まあ確かに、お姉ちゃんよくお兄ちゃんの服の匂いとか体操服とか嗅いでるからね」
「何それ初耳」
「みんな知ってるよ?逆に知らなかったの?」
「え、、知らないの僕だけ?」
「それで、ひとしきり匂いを嗅がれて終わったと」
「まあ確かに、そういうことするには短い時間か…わかった、その話信じる」
「ありがとうございます…」
睦月ちゃんの目には光が灯っている。よかった、許されたようだ。