「グルルルル…」
これはきっと過去の記憶だろう、僕の目の前には奇妙な生物が唸り声をあげている。
顔は猿で手足はまるで虎のような縞模様が見える。体は茶色の毛に覆われ、尾はヘビだ。その奇妙な生物と僕は対峙している。
「ここはお前のようなやつがいていい場所じゃない!ここから出ていけ!」
唸り声を上げる化け物に向かって誰かが叫ぶ。その声の出どころは僕、いや正確に言えばこの記憶の主だ。過去にこの記憶の主が化け物に向けて告げたのだろう。そして、その声に僕は聞き覚えがある。女子は男子と違い声変りはあまりない。だからすぐに分かった。この声は紅葉だ、紅葉が化け物と戦っている。
薄暗い地下室はまるで牢屋のようだ。
唸り声を上げ襲いかかる化け物の攻撃をかわし、紅葉は何やら呪文を唱えている。
「ウググググ…!」
苦しむ化け物を見ながら、紅葉は何かを唱え続ける。苦しんでいる様子から、何かしらの効果はあるようだ。
「封!」
紅葉が手を前にかざすと幾つもの縄のようなものが化け物に結びつき、体を捕らえる。
「あとは、封印するだけで…!」
今僕は紅葉の視線から記憶を見ている。だから紅葉の表情は分からない。だが、その顔にはきっと笑みが浮かんでいただろう。紅葉が勝ちを確信した瞬間、唯一縛られていなかった尾の蛇が少女の体を貫く。
甲高いガラスの割れるような音があたりに響き渡り、紅葉の体が吹き飛ばされた。ゴロゴロと体が転がり地面に倒れこむ。吹き飛ばされた体は扉の入り口にまで転がっていく。紅葉は震える手で扉に向かって札を投げつける。すると、バチバチと音を立てて火花が散るとともに扉が閉まった。扉が閉じる瞬間、化け物はこちらに怨嗟のまなざしを向けていた。
「この…まま…じゃ…」
紅葉は階段を這いずって上がる。見たことのない場所だったが、どうやらまだ行っていない地下だったらしい。
「だれか…お願い…お願い…この家を…守って…!」
紅葉の手にはいつのまにか握られていたガラスのようなものが握られていた。紅葉が地下から一階の廊下にまで這いずっていく。廊下に倒れこみ、動かなくなった紅葉は何かを唱える。
「誰か…助けて…」
視界が暗くなる瞬間、玄関の方から物音が聞こえてきた。おそらくだがこれは僕だろう。紅葉が何かしらの方法で僕を呼んだのだ。
「おね…がい…」
紅葉はそのまま意識を手放した。
「…」
「…思い出しました」
僕が目を開けると同時に、紅葉も目を開き、つぶやく。
「私は、この家の住人であり…あなたを呼んだ者です」
紅葉が僕の方を見ながら話す。僕は黙って聞いていた。
「この家で何が起きていたのか、全てお話させていただいてよろしいでしょうか」
「うん、お願い」
「まず、最初に…私はこの家で大切にされてきた人形です」
「人形…?」
「はい、京介さんは付喪神という言葉をご存じですか?」
「いや、詳しくは知らない」
「付喪神とは、長年大切にされてきた道具に魂が宿ることを指します。私はこの家のおじいちゃんおばあちゃんに大切にされてきた人形なのです」
「そうなんだ」
「私の本来の姿はこれです」
紅葉の体が人間から人形に代わる。なるほど、本来の姿はこっちだったのか。
これで記憶の中で視線の位置が低いことにも説明がつく。人形目線だったんだね。そういえばガラス張りの箱がこの部屋にあったけどもしかしたら紅葉が入っていた箱だったのかな。
「本来人形だから視線の位置が低かったんだね」
「はい、その通りです」
「紅葉は付喪神としてこの家で大切にされてきたとして、いったいこの家に何が起きたの?」
「この家、正確に言えばこの場所が問題だったんです。ここは霊脈、様々なモノを引き寄せます」
「…待って、霊脈って何?」
「霊力の源です。よくわからなければ不思議な力があふれ出る場所だと思ってください」
「はあ…なるほど?」
よくわからないからまた氏神様にでも聞いてみよっと。
「その霊脈を狙ってよからぬものがこの地に訪れました。それが、鵺(ぬえ)です」
「鵺?あの記憶の中に出てきた化け物のこと?」
「はい、私はその鵺を追い払っていたのです」
「紅葉が追い払っていたんだ、強いんだね」
「もちろん!あんな化け物に負けません!でも…」
紅葉の顔が曇る。
「…この家は迷いの家と呼ばれています」
「最初の人魂、十合さんが言ってたね」
「迷いの家、別名マヨヒガは山の中に現れる古民家の怪異です。伝承とも言いますね。そして、この家を迷いの家にしたのは…私なのです」
紅葉がこの家を迷いの家にした?話が見えてこない。
「おじいちゃんとおばあちゃんが死んでからこの家は私一人だけになりました。私ができること、それはこの家を守っていくことだと思ったんです」
「…」
「あの黒い本を覚えていますか?Book of Eibonと書かれた本です。あれは、魔導書です」
また知らない単語が出てきたが、もういちいち突っ込んで聞いていると話が進まない。きっと魔法のこととかが書かれている本なのだろう。
「その本には、空間を切り離す魔術について書かれていました。私はそれを実践したんです」
「結果は…成功しました。この家を現世から切り離すことができました」
頭がくらっとした。斑鳩先輩の時と同じようなことにまた巻き込まれているのか…
「えっと…この家がこの世でもあの世でもどこにもない異世界なのは分かった。でも紅葉は鵺を撃退できるくらいに強いのに何でこんな追い込まれた状況になってるの?」
「それは…この家を切り離すのにあまりにも強大な霊力を消費したからです。そこを鵺に狙われてしまいました」
「力を使い果たしたところを鵺に狙われたってこと?」
「はい…それでも何とか鵺を封印すること自体はできました。それが最後の記憶です」
家なんて大きいものを異世界に切り離すことはとてつもない霊力とやらが必要なのだろう。何とか封印までしたというのはさすがというべきか。
「しかし、その封印も不完全です。このままでは封印は解かれ、この家は奪われてしまうでしょう」
紅葉の目が伏せられる。
「鵺に砕かれたのは私の魂です。魂が砕かれてしまったときに記憶も一緒に砕かれてしまいました。魂を取り返し、記憶も戻ったことで私の力も戻ってきています。今なら京介さんをもとの場所に戻すことも可能です」
「ほんと!?」
「はい、門をつなげたら、元の世界に戻れるでしょう」
「…紅葉はどうするの?」
「私は、鵺を封印します」
「危険だよ」
「大丈夫です!私強いんですよ!」
嘘だ、紅葉は僕に心配をかけまいと虚勢を張っている。本当に大丈夫ならば僕を召喚しないはずだ。藁にも縋る思いで僕をここに呼んだのだ。それに、恐らくだが鵺は人魂を食べて力を蓄えているのだろう。紅葉も力が回復しているのかもしれないが、それだけではまだ不完全だろう。
「紅葉、僕も手伝うよ。二人で鵺を何とかしよう」
「そんな!だ、ダメですよ!」
「紅葉は誰かに助けを求めていたんでしょ?それで僕が呼ばれた」
「…」
「紅葉、一緒に戦おう」
「…」
紅葉の目が見開かれる。
「僕は、紅葉の力になりたい」
「京介さんって、お人よしですね」
紅葉がくすっと笑う。
確かに言われてみればそうかもしれない。せっかく帰れるのに先に危険を冒すなんて。
「私が封印を施します。それまで鵺の気を引いていてくれますか?」
「わかった、そうと決まれば準備をしよう」
「そうですね、あまりじっくりとしている暇はありませんが…」
「うん、急いで準備しよう」