第6話:漂流(サイレント・デッキ)
### 第1部:敗北の格納庫
UD-4L降下艇(ドロップシップ)の着陸脚が、重々しい金属音を立てて甲板に接地した。
油圧シリンダーが軋み、推進器のタービンが徐々にその唸りを止めていく。
「……着艦完了。現在地、連邦海兵隊フリゲート艦『USS ヴァルキリー』メイン格納庫」
パイロットのスパークス准尉が、震える手で操縦桿から手を離した。
彼の顔は、シートの計器類が放つ薄暗い光に照らされ、滝のような冷や汗に塗れている。
「少尉。手動(マニュアル)操作を完全に弾かれました。艦の自動誘導プログラムに、無理やり引きずり込まれたんです」
スパークスは振り返り、後部座席のマッケンジー少尉を怯えた目で見つめた。
「フライト・コントロールからの応答は?」
「ゼロです。音声も、データリンクも。軍の母艦が完全な沈黙(サイレント)状態なんて……あり得ない。まるで幽霊船だ」
機内の床には、失明したポポフと、腹部を貫かれて昏睡状態のヴェガが横たわっている。
これ以上の足止めは、彼らの命を確実に奪う。
「……降りて確認する。チェン、イサカに弾を込めろ。スパークス、タラップを下ろせ」
マッケンジーは残弾のほとんどないパルスライフルを構え、立ち上がった。
プシュゥゥゥッ、という排気音と共に、降下艇の側面ハッチが開き、重いタラップが降りていく。
機内に、ひんやりとした人工の空気と、焦げた金属、そして微かな腐敗臭が流れ込んできた。
マッケンジーとチェンが、警戒しながらタラップを下りる。
広大なメイン格納庫(ハンガーベイ)の主照明は完全に落ちていた。
壁面の非常用ストロボライトだけが、不規則に赤い光を瞬かせている。
出迎える整備兵も、医療チームの姿もない。
「……少尉、あれを」
チェンが一歩踏み出し、パルスライフルのアンダーバレルに装着されたフラッシュライトを前方へ向けた。
白い光の束が闇を切り裂き、格納庫の中央に築かれた「異様な建造物」を照らし出す。
それは、数台のM577装甲兵員輸送車や重機、そして貨物コンテナを強引に積み上げて作られた、巨大な即席のバリケードだった。
艦に駐留していた海兵隊の一個中隊が、ここで最終防衛線を張ったのだ。
「生存者は……いないのか?」
チェンは息を呑みながら、バリケードへと駆け寄った。
凄惨な光景だった。
床は、踏み場もないほどの夥しい数の空薬莢で埋め尽くされている。
至る所に黒く変色した血溜まりができ、防衛線を死守しようとした海兵隊員たちの無残な遺体が、折り重なるように転がっていた。
「少尉! 車両の武装が残っているかもしれません! 弾薬を……!」
チェンは泥まみれのブーツで装甲車によじ登り、ルーフに搭載された連装砲塔の給弾ハッチを乱暴にこじ開けた。
だが、チェンの期待はすぐに絶望へと変わった。
「……空っぽです。予備のドラムマガジンも、全部」
チェンは、空洞になった弾薬箱の中をライトで照らしながら、虚ろな声で報告した。
「反対側の車両は?」
「駄目です。機関部ごと、あの強酸でドロドロに溶かされています。……車内のガンラックも空だ。彼らは、持てる武器を全部引っ張り出して、最後の一発まで撃ち尽くして……それでも、全滅したんです」
一個中隊。
完全武装した百名近い海兵隊員が、装甲車の重火器まで持ち出して徹底抗戦し、それでも巨大な波に飲み込まれるように蹂躙されたのだ。
マッケンジーは装甲車の分厚いタイヤに触れた。
そこには、あのベリウスIVの地下で見たのと同じ、黒く悍ましい「樹脂」がこびりついていた。
「……地上と同じだ。奴らはこの船を、新しい『巣』に作り変えようとしている」
マッケンジーはライトの光を、格納庫の奥――漆黒の闇に沈む、艦の内部へと続く巨大な防爆扉へと向けた。
そこから先は、無数の死体と沈黙が続く、鋼鉄の迷宮だ。
「スパークス! ハッチを閉めてロックしろ! 絶対に開けるな!」
マッケンジーが降下艇のコックピットに向かって叫ぶ。
「し、少尉たちはどうするんですか!?」
「医療ブロックのメイン設備と、予備武器庫を探す。ヴェガとポポフから目を離すな!」
マッケンジーはチェンの肩を叩き、暗闇の奥へと顎をしゃくった。
「行くぞチェン。音を立てるな」
「……了解(コピー)、少尉」
残弾は一桁。頼れるのはチェンの背負った散弾銃のみ。
二人の海兵隊員は、沈黙した母艦の奥深くへと、静かに足を踏み入れていった。
### 第2部:パンドラの箱と裏切り
艦内のメイン通路は、文字通りの死地だった。
非常電源の頼りない赤光が、ひしゃげた防爆扉や、強酸でドロドロに溶かされた天井のダクトを不気味に照らし出している。
あちこちに設置されたC4爆薬の起爆痕が、壁面を黒く焦がしていた。
「……酷い有様ですね」
チェン一等兵が、足元に転がる千切れた海兵隊のブーツを避けながら呟いた。
「足元と頭上に気をつけろ。奴らはどこからでも来る」
マッケンジー少尉は、残弾ゼロのパルスライフルにフラッシュライトを取り付け、通路の先を慎重に照らしながら進んだ。
やがて、二人は広大な第3カーゴベイ(貨物区画)へと辿り着いた。
そこは格納庫とは違い、意図的に海兵隊が締め出されたような痕跡があった。
分厚い隔壁のロックが内側から破壊され、無理やりこじ開けられているのだ。
「少尉、これを見てください。海兵隊員(マリンズ)じゃありません」
チェンがライトを向けた先には、数人の死体が折り重なるように倒れていた。
彼らが着ているのは、連邦軍の標準的なタクティカル・アーマーではない。
漆黒の強化服に身を包み、肩にはウェイランド・ユタニ社の企業ロゴが刻み込まれていた。
高額な報酬で雇われた、企業直属の私兵部隊(PMC)だ。
「なぜ、会社の私兵がこんな所に……」
チェンの疑問に答えるように、マッケンジーのライトが貨物区画の中央を捉えた。
そこには、周囲の軍用コンテナとは明らかに異質な、純白の特殊冷凍カプセルが数基並べられていた。
厳重な気密ロックと、独立した生命維持装置を備えた、超重装甲のシリンダー。
だが、そのうちの最も巨大な一基は、ガラスが粉々に砕け散り、内部から無残に食い破られていた。
マッケンジーは油断なくカプセルに近づき、中を覗き込む。
カプセルの底には、あの不気味なゼノモーフの卵――それも、地下のハイヴで見たものよりも一回り以上大きく、悍ましい王冠のような模様の入った「王の卵」の抜け殻が転がっていた。
「……そういうことか。背広組のクソ野郎どもめ」
マッケンジーの口から、氷のように冷たい声が漏れた。
「少尉?」
「俺たちを地上の囮にしてデータを集めている裏で、こいつらを使って、本命の『生きたサンプル』を艦に運び込んでいたんだ。……一番最悪な、女王(クイーン)の種をな」
チェンは息を呑み、絶望的な事実を瞬時に理解した。
会社は最初から、星の制圧など考えていなかった。
ただ、この「究極の生物兵器の元凶」を密かに回収し、持ち去るためだけに動いていたのだ。
だが、その傲慢な管理は失敗した。
航行中に目覚めた最悪の種は、まず私兵たちを惨殺し、そのまま艦の海兵隊員たちへと牙を剥いた。
一個中隊が全滅したのは、外からの敵ではなく、内側に持ち込まれた「パンドラの箱」が開いたからだった。
「自業自得だ。だが、その尻拭いをさせられて死んでいった兵士たちは浮かばれないな」
マッケンジーは私兵の死体を冷たく一瞥した。
「チェン、私兵の装備を探れ。何か使えるものがあるはずだ」
「……はい!」
チェンは私兵の遺体を漁り、血に染まったタクティカルベストから、M41Aパルスライフルの予備マガジンを三つと、高純度のオートインジェクター(医療キット)を二本見つけ出した。
「少尉! 弾薬と医療キットです。これでポポフさんとヴェガさんを……!」
チェンが顔を輝かせた、その時だった。
ザザッ……!
マッケンジーの肩の通信機から、激しいノイズと共に、降下艇に残してきたスパークス准尉の切羽詰まった声が響き渡った。
『し、少尉! 応答してください! マッケンジー少尉!』
「こちらマッケンジー。どうした、スパークス。落ち着け」
『落ち着けるわけないでしょう! 艇の外部センサーに、複数の動体反応があります!』
スパークスの声は、極度の恐怖で裏返っていた。
『レーダーじゃありません……装甲の外側です! 何かが、降下艇(ドロップシップ)の装甲を直接引っ掻いて……! 外に、無数の何かが這い回ってる!』
ギィィィッ……。
通信機の向こう側から、硬質な爪がチタン合金の装甲を嫌な音を立てて削る音が、微かに、しかし確実に聞こえてきた。
「ハッチのロックは絶対に切るな! 今すぐ戻る!」
マッケンジーは通信機に向かって叫び、チェンから予備マガジンをひったくってライフルに装填した。
カチャリ、と小気味良い装填音が静かな貨物区画に響く。
「急ぐぞチェン! 走れ!」
二人は暗闇の通路を、降下艇の待つ格納庫へと向かって全力で駆け出した。
だが、狂った幽霊船は、彼らをそう簡単には帰してくれなかった。
### 第3部:無重力の死角
ブーツの靴底が、金属の床を激しく叩く音が艦内に響き渡る。
マッケンジー少尉とチェン一等兵は、入り組んだ通路を格納庫へ向けて全力で駆け戻っていた。
だが、二人が艦の中枢部である「重力制御ブロック」に差し掛かった瞬間だった。
ブゥゥゥン……!
突如として、艦内の照明が大きく明滅し、重低音の警報が鳴り響いた。
同時に、床を踏みしめていた二人の足から、ふっと「体重」が消え去った。
「なっ……体が……!」
チェンが驚愕の声を上げる。
床に転がっていた空薬莢や、千切れた配線、そして黒ずんだ血の飛沫が、まるでスローモーションのように空宙へと舞い上がり始めた。
エラーか、あるいはゼノモーフによる破壊工作か。
艦の人工重力システムがダウンし、区画一帯が完全な「無重力(ゼロG)」状態に陥ったのだ。
「壁のハンドルを掴め! 蹴り出して進むぞ!」
マッケンジーが咄嗟に壁面のパイプに捕まり、空中に浮き上がりかけた体を固定する。
だが、この環境変化を最も歓迎したのは、人間ではなかった。
「シャアアアアッ!」
頭上のダクトが弾け飛び、三体の漆黒の怪物が無重力空間へと躍り出た。
奴らにとって「上下」という概念は最初からない。
壁や天井を自在に這い回るゼノモーフたちは、無重力下では強靭な脚力と尾を使って壁を蹴り、まるで生きたミサイルのように三次元の死角から音もなく襲いかかってくる。
「少尉、上です!」
空中に浮遊していたチェンが、迫り来る一体に向けてイサカM37を構え、引き金を引いた。
ズドォォン!
12ゲージ散弾の強烈な破壊力が、怪物の胴体を空中で粉砕する。
だが同時に、凄まじい反動(リコイル)がチェンの体を襲った。
「うわぁっ!?」
足場のない無重力空間で重火器を撃てば、撃った本人が後方へ吹き飛ばされる。
チェンの体は錐揉み回転しながら、後方の壁へと激突しそうになった。
ガシッ!
壁のパイプを片手で握っていたマッケンジーが、もう片方の手でチェンのタクティカル・アーマーの襟首を力強く掴み取った。
「俺が支える! 撃ち続けろ!」
「了解ッ!」
マッケンジーという「錨」を得たチェンは、空中で体勢を立て直し、ポンプアクションで排莢して次弾を放つ。
散弾の反動をマッケンジーの腕力が殺し、二匹目の怪物を的確に撃ち落とした。
すぐさまマッケンジーも、チェンから受け取った弾倉で息を吹き返したパルスライフルを片手で構える。
ダダダダンッ!
正確な四点バーストが、壁を蹴って跳躍しようとした三匹目の頭蓋を貫通した。
空中に黄色い強酸の血が球体となって飛び散り、二人はそれを間一髪で避けながら、重力制御ブロックの出口へと滑り込む。
「抜けたぞ! 格納庫は目の前だ!」
マッケンジーが防爆扉のフレームを掴み、チェンを引き寄せる。
その時だった。
通路の頭上にあるスピーカーから、再びあの無機質な合成音声が響き渡った。
『――警告。重力制御ブロックにて、未知の生体反応と重度の汚染を確認』
『レベル4・検疫プロトコルを自動発動します。全防爆隔壁、閉鎖』
「なんだと!?」
マッケンジーが声を荒げた。
二人の目の前で、格納庫へと続く分厚いチタン合金の防爆隔壁が、けたたましいサイレンと共に頭上から猛スピードで落下し始めた。
「少尉! 扉が!」
チェンが隔壁の隙間へ滑り込もうと身をよじる。
「駄目だ、間に合わん! 下がれ!」
マッケンジーがチェンの肩を強く引き戻した直後。
ズドォォォォン!!!
大地を揺るがすような轟音と共に、防爆隔壁が完全に閉じられ、ロック機構が重々しく作動した。
分厚い鋼鉄の壁が、二人と格納庫を完全に分断してしまったのだ。
「嘘だろ……開け! 開けよ!!」
チェンが銃床で隔壁をガンガンと叩くが、数十センチの厚みを持つ防爆扉は微動だにしない。
手動オーバーライドのパネルも、赤いエラーコードを吐き出している。
マッケンジーは舌打ちをし、肩の通信機を叩いた。
「こちらマッケンジー! スパークス、聞こえるか! 検疫プロトコルで隔壁が閉鎖された! そっちの状況はどうなっている!」
だが、ノイズ混じりの通信機からは、スパークスの悲鳴と、パルスライフルの乱射音だけが聞こえてくる。
『少尉! 奴らが……タラップを……! ポポフさんが……あぁッ!!』
ガガガピーッ……。
強烈な電子音と共に、通信は完全に途絶した。
「スパークス! 応答しろ! スパークス!!」
マッケンジーの怒号が、静まり返った通路に空しく響く。
降下艇には、重傷を負って動けないポポフとヴェガ、そして実戦経験のないパイロットが残されている。
そして彼らを守るべき二人は、分厚い鋼鉄の壁の向こう側に閉じ込められてしまった。
鋼鉄の幽霊船は、その冷酷な牙を、生き残った者たちへ容赦なく突き立てていた。