シュガーケージ ─愚者は己の鎖を編む─   作:hl_be2

1 / 3
第1話 虎穴を出ずんば、友と師を得ず

 液晶の放つ青白い光を、人の温もりだと錯覚していた。

 

 深夜の自室。暗闇の中で顔を照らし出すその光源の向こう側にだけは、剥き出しの私を特別に愛してくれる「誰か」がいるのだと信じたかった。

 けれど、私を導くはずのその光が、ただ底なしに続く無機質な「眩しい闇」でしかないと気がついた頃。──私は大人のいう『勉強代』という言葉の本当の重さを、その身に刻み込むように理解させられていた。

 

 画面越しの甘い言葉も、向けられた熱も、所詮それは、私ではなく、私の都合の良さに向けられたものに過ぎなかったのだ。

 

 *

 

 体育館の冷たい床から這い上がってくる底冷えが、制服のスカートを抜けて肌を粟立たせる。

「──近年、デジタル犯罪が増加しています。特に皆さんの年頃の──」

 三百人が尾や翼を犇めき合わせながら整列する体育館に反響する声を聴きながら、ラコはひどく憂鬱そうに、あからさまに頭頂の耳を畳んで現実から逃避していた。

 

 濃いデニールに包まれた細い足を、白い袖を纏っていてもわかる華奢な腕で抱き寄せ、顔以外は一切肌を見せまいと着込んだ季節外れの冬用のセーラー服の少女は、苛立ちを示すようにスカートからはみ出た黒と灰色の尾で床を掃いて不安を主張していた。

 

 目線の先の壇上で、うっすら見えづらいスクリーンに投射された画面を解説する中年の男性は、ステージの横に立つ何人かの若い職員と一緒に市役所からやってきた。

 目線をも現実を突きつける画面から逃がしてやると、若い職員のうちのひとりに視線が捕らわれた。なにも特別なことは無い、捻じれた角もゴワゴワした体毛も無ければ、ステージの床を腐敗させる粘液のジュウジュウという音も無い女性だった。

 

「……ノーマジなんだ?」

 

 アマルでない者という意味の「ノーアマ」を「ノーマジ」と呼ぶことがある。混じっていない者を揶揄した、やや行儀の悪い言葉だった。普段使わないそんな言葉が口から飛び出すほど、気分が良くないことに自分で驚いた。辛うじて、フクロウの聴覚を持つクラスメイトにくらいしか聞き取れない奥ゆかしい呟きだったので、誰にも気が付かれていないことを願いながら、壇上のノーアマの女性をじっと見つめた。

 二十代前半くらいの、ひとつもアマル特徴を持たないように見える女性職員だった。アーモンド形の黄色い瞳とおそろいの黄色いストラップを首からかけているのが印象的で、たしか最初に壇上に上がったとき、マユゥと自己紹介をしていたことを思い出した。

 仕立ての良いチャコールグレーのスーツは、彼女の横に並ぶスーツに着られた若い職員と違って、一年先輩であるという威厳で手懐けられていた。

 動物的なアマル特徴を持たない、アマルではない者──「ノーアマ」に夢中になってしまった。意識を目に奪われたラコの耳は、その筋肉で自身の髪にぺたんと倒れ込む役割を忘れピンと立ち上がっていた。

 その途端に耳孔に届いた男性の声が、彼女を冷酷な現実へと引き戻した。

 

『明日は新しい動画送れよ。やらないと裏掲示板にばら撒くからな。全校生徒に知られたくないだろ?』

 

 昨夜、青白い画面に表示されたポップな吹き出しが脳裏にフラッシュバックする。

 ラコはえずいて口を押え、ぬるい手のひらの中で唇を強く噛み締めた。誰にも言えない歪んだ欲求を満たしてくれる共犯者だと思っていたのに、画面の向こうの相手はただの冷酷な捕食者だった。そんなわけないと唱えてきたこの数時間を丁寧に否定するように、スピーカーから響く声は図解までして答え合わせをしてくれる。スクリーンに映る愚かで哀れな被害者は、ラコそのものだった。

 

「……ねえ」

 

 突然横で空気が震え、ラコの肩が大きく跳ねた。視線が自分の顎をゆっくりゆっくりと牽引した。数秒かけて視界に捉えたのは、オレンジ色の綿あめのような、トイプードルのアマルの幼馴染だった。

 

「な、モコクン……? なんなの……」

「あんた、なんか変な匂いがするんだけど」

 

 目立たぬように四つん這いでやってきただろうモコクンと呼ばれた少女は、そのままの姿勢でラコの髪や首筋に濡れた鼻を押し付ける。

 

「ちょ、やめ……っ。キモイ、なに!」

 

 ラコは細い手をクロスして綿あめのようなモコクンの頭を押しのけようと力を込めたが、どうにもびくともしない。後ずさりをすれば、隣のクラスメイトにぶつかってしまい、いともたやすく追い詰められた。

 

「子供の時と同じ……。汗の匂いは嘘つかないんだよ。ラコ、なにが──」

「やめてってば……! うざい!」

 

 ラコは吐き捨てながら立ち上がり、注がれる視線を振り切って足早に体育館を後にした。背中にはいつまでもいつまでも、モコクンの視線が注がれている気がした。

 

 *

 

「まだ? いつまでかかってんの?」

 

 ボソボソとした男の声がイヤホンから流れ込んでくる。

 薄暗い部屋を照らす無機質な白い光は、少し前まで心地よささえ感じさせてくれていたものだが、今はひどく憎らしい。

 体育館で突き付けられる事件の解説で恐怖と不安を醸成されることから逃れて、いざ負の現実に向き合ってみると、これなら少しでも長く冷たい床で体を冷やしていたほうがましだったと自らの行動を恨んだ。早退してきたことを母親に説明するのにも一苦労したというのに。

 

「いま、やるから、待ってよ……!」

 

 声に微かな苛立ちを滲ませてみせたが、その手は従順に、そしてできる限り時間を稼ぐように緩慢に、セーラー服のファスナーへと伸びた。

 PCのモニター上部に据えられた黒いウェブカメラのレンズが、まるで銃口のように未成熟な身体を睨みつけている。

 ジジ……と鈍い音を立てて襟元が開き、冷たい空気が肌を撫でる。椅子の端に窮屈そうに乗せた踵が、恐怖で小刻みに震えていた。

 

「モタモタすん──」

 

 男の不快な声は、突如として響いたインターホンの音に遮られた。ラコは弾かれたように振り向き、自室のドアを数秒見つめていると、背後のイヤホンから舌打ちが漏れた。

 

「おい、おい!」

 

 画面の向こうで苛立つ声など、もうラコの耳には届いていなかった。頭頂部のトラの耳がピンと立ち、ドアの向こうの微かな気配を必死に探る。

 幼い頃から孤独を育て上げてきたこの自室に来客などあるはずがない。母親の客か、配達かなにかのはずだ。だが、本能が警鐘を鳴らしていた。数年ぶりに自分を気に掛けてくれた幼馴染の、モコクンのあのお日様のような匂いが、無防備な襟元にまだこびりついているような気がしたのだ。

 

 ドタドタ──と階段を駆け上がる乱暴な音が響き、予感は最悪の形で的中した。

 この閉ざされたプライベートの空間も、ましてや制服を乱したまま無機質なレンズを通して、いまにも男に晒そうというこの瞬間も、決して見られてはいけない。ラコは椅子から滑り降り、扉が開いた瞬間に威嚇して追い出せるよう、細い腿に全膂力を込めた。

 

「ラコ!!」

 

 扉が乱暴に開け放たれる音が、瞬時に掻き消されるほどの大声と共にモコクンが踏み込んできた。同時にラコが爪を鋭く飛びかかる。だが、一瞬の交錯の後、か弱いトラの少女は、健康的に日焼けしたしなやかな狩猟犬に組み伏せられて、あっさりとモコクンの座布団に成り下がった。

 

「重い……んだが……っ」

「お、重くねぇし!」

 

 うつ伏せで視界の半分をカーペットに占められながらも、モコクンと一緒に飛び込んできたもうひとつの人影があったことに気づき、視線を必死にそちらへ向ける。

 昼間のノーアマ、マユゥだった。

 ラコがその名を呼ぼうと口を開きかけたところで、シッ──という強い空気の音に遮られ、口を噤むことになった。

 モコの太ももをぺちぺちと叩いて退かせると、ラコの上体はようやく床から垂直を取り戻した。モコクンが申し訳なさそうに身体を支えるのを手伝った。

 

 マユゥは真剣な目で部屋を、特にパソコンとデスクを観察していた。恥ずかしさのあまり、いまなら顔でポップコーンが作れる自信が芽生えてきた。プライベートの強制暴露を止める間もなく、マユゥはウェブカメラのコネクタを抜きとり、カチカチとマウスを鳴らして通話アプリもミュートにしたようだった。

 耳に刺さったままのイヤホンからもしばらく声が聞こえてこない。画面の向こうの男も警戒してこちらを伺っている様子で、マユゥが冷静に、事態を把握して対処しているということが分かった。

 

「音、切ったから。ラコちゃん、この人になにか──、脅されてたりする?」

 

 ラコの口はしばらく、その開き方を忘れていた。やがて、肩に乗っていたモコクンの指に、すがるように自分の手を重ねると、その形を確かめるように撫でてから、こくりと小さく頷いた。わずかに安心を感じて、首の筋肉が緊張することをやめただけだったのかもしれない。

 

「……なにを言われてるの?」

「……AIで、変な画像作られて……ばら撒くって……」

 

 嘘ではなかったが、すべてを伝えられるほど恥知らずでもなかった。だが、マユゥには見透かされているようだった。

 

「……わかった。ラコちゃん、これから私は証拠の保全をするから、パソコン貸してもらうね。いいかな?」

 

 パンドラの箱をこうも簡単に開けられてしまうと思うと、また首の筋肉が緊張してしまうが、縦に振る以外に選択肢はなかった。少なくとも、画面の向こうの人間より、この部屋にいるふたりを信じることが正しいのはわかった。

 証拠の保全。昼間に説明されたことだ。話半分にしか聞けていなかったが、そのあとは通報や弁護士への相談が必要と言っていた気がする。それは、被害者──自分自身にも相当な忍耐を必要とすることであり、いますぐこの苦しみから解放されるものではないということが、はっきりと理解できた。

 モコクンも同じく理解したのか、ラコの肩に添えられた指に力がこもった。しかし、ふたりとも、マユゥの背を見届けることしか出来なかった。

 

「ん……?」

 

 マユゥの小さな疑問符に、ラコが肩を跳ねさせる。いま、なにを閲覧されているのか想像もしたくなかった。だが、意味をなさない監視もやめられず、マユゥがバッグから自身のスマホを取り出し、パソコンとスマホを見比べる姿をじっと見ていた。「まじかよ」と呟くマユゥの不穏な囁きに、額が氷のように冷たくなっていく気がした。

 

 くるりと椅子を回して、マユゥがこちらを振り向いた。しかしその顔は、想像とまったく違って、気まずそうな、居心地の悪そうな笑みが張り付いていた。

 

「ど、どうしたんですか……?」

「やばいこと?」

 

 ラコのたまらずの問いに、モコも続く。

 

「……私、こいつ黙らせられるかも。いますぐ」

「……え?」

「まじ!?」

 

 ドクンと不意な心臓の暴走にあって、まもなく窒息してしまうところだった。うまく呼吸ができない。目と耳でマユゥがなにを言うのかちゃんと聞いていたいのに意識がうまく向けられない。手足に力が入らず、滑った足指がカーペットの長い毛足を絡めとった。

 マユゥが椅子から離れて寄り添ってくれた。

 

「あのね、いまからちょっと、人には見せられん私が出る。……誰にも言わないって約束はしてほしい……かな」

 

 誰にも言わない。それは願ったり叶ったりだ。その契約は相互に結びたいものだった。ラコは大きくうなずくと、目の端でモコクンも力強くうなずいていたのが見えた。

 

「うし。……じゃ、この脇の甘いアホを特定すっか」

 

 パソコンの前に戻ったマユゥが、そのアーモンド形の目を見開いた。

 通話アプリの相手の名前の横に表示された、アットマークから始まる文字列をコピーすると、次々と検索をかけていく。文字列を少し短くしたり、並べ替えたりとしながら。

 

「きた。……このID、別垢だな。警戒心薄いやつだと思った。買ってほしいリスト? 誰が買うんじゃ。……受取人設定、ザル。イニシャル特定」

 

 マウスのホイールがハムスターケージの車のように高速回転していた。

 

「よし、映り込んでそう。補正でいけるか? ……見えた。住所特定」

 

 今度は地図アプリが開かれる。

 

「角度的に……、ここか。おいおい戸建? 子供部屋おじさんかよ。表札発見。イニシャル一致だし窓枠の色も間違いないな」

 

 次の瞬間、マユゥの指がキーボードに襲いかかった。

 タタタタタタタッ!! ターンッ!!

 

 しばらく画面を見つめるマユゥが、ふうと息を吐くと振り返り、ラコを手招きした。

 

「見て」

 

 トーク画面には“ブロックされているため、この相手にはメッセージが送れません”という表示があった。

 その上には、ラコの親を名乗って、やり取りを終わらせなければ通報するというメッセージが送られていて、文末には丁寧に相手の本名と住所が添えてあった。

 

「お、おわったの……?」

「ふう──……。そうだね、さすがにもう、ラコちゃんには来ないっしょ」

 

 顔の奥からあふれ出そうとする涙の勢いに負け、どんどんと顎が上向いていく。そして、ぶわっと音を立てるように大量の涙をこぼした。

 思わずマユゥに抱き着き、モコクンも覆いかぶさるように包み込んだ。

 

「ぜ……ぜんぜぇ……ッ!」

 

 わんわんと泣きながら、ラコはマユゥを見上げて滲む視界のままその目を見つめた。

 

「おじえでっ、ください……ッ! 特定の、じがた……ッ」

 

 マユゥが「おい」と呆れた声をあげるのと同時に、モコクンの手刀がラコの頭頂に振り下ろされた。ラコはその勢いのままマユゥの胸に沈み、またしばらく泣いた。

 

 *

 

 夜、ラコは久しぶりにすっきりした気分でベッドに横たわっていた。

 マユゥとのトーク画面をみる。

 

「先生、ありがとう。だいすき♡」

「うん。先生じゃないよ。どういたしまして」

 

 恩に着ないクールな大人。それでいて、自分よりも秘密を持ってる。マユゥはラコの憧れの存在となっていた。

 

「特定ってどうやるのか教えてね」

「だめだよ。特定しなくていいようにしてね。あと秘密なんだからもう話さないの」

 

 拒まれるほど、ロマンチックを感じて口角が緩むのを感じる。スマホを抱きしめて、体を悶えさせる。

 ──ブブッ、スマホが着信を通知すればすぐ様画面をのぞき込む。

『もこちゃん』と表示されていた。憧れの女性でないとわかるとため息をつきながら、モコクンから届いた長い長いメッセージを読む。

 何度かスクロールしてようやくすべてを読み終えたが、そこには驚くことに「よかったな」と「今度あそぼうな」ということしか書かれていなかった。よくここまで膨らませられるものだと呆れつつも、ラコは口角があがらないように、気の多い顔の筋肉を必死に手懐けた。

「ありがとう」のステッカーを30個連続で送りつけると、スマホを閉じて布団を引き上げた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。