夏の風が、校舎のバルコニーをやわらかく撫でていた。
白いワイシャツが、ふわりと揺れる。
「――◻️◻️くん」
振り返ると、浦和ハナコが立っていた。
水着の上にワイシャツを羽織っただけの、いつもの姿。
無防備で、けれど距離の詰め方だけは妙に計算されている。
「そんなに距離を取らなくても、よろしいのでは?」
うふふ、と柔らかく笑う。
「い、いや……その……」
◻️◻️は一歩、後ろへ下がる。
「ふふっ……顔、真っ赤ですよ?」
さらに一歩、詰める。
「もう少し、こちらをご覧になってくださいね」
距離が縮まる。
逃げ場が、なくなっていく。
「そんなに恥ずかしがられると、私……少し意地悪をしたくなってしまいます」
くす、と笑う。
「や、やめてくださいって……!」
また一歩、後退る。
ミシ、と。
足元で、小さな音が鳴った。
――けれど、気づかない。
「うふふ……本当に、逃げてばかりですね」
ハナコはさらに一歩、近づく。
もう、距離はほとんどない。
「そんなに下がってしまうと――」
その言葉の途中で。
バキ、と。
嫌な音が、はっきりと響いた。
「……え?」
◻️◻️の足元が、沈む。
一瞬だけ、視線が下に落ちる。
次の瞬間――床が、抜けた。
「――待っ」
言葉が途切れる。
体が、空中に投げ出される。
咄嗟に伸ばされた手が、宙を掴む。
何もない。
掴めない。
視線が、ハナコに向く。
その目に浮かんでいるのは、はっきりとした恐怖だった。
「ハナコ、さん――」
呼ばれた。
確かに、呼ばれた。
けれど。
その声は、途中で途切れる。
距離が、離れていく。
どうしても、届かない距離へ。
一瞬なのに、やけに長く感じる時間。
伸ばされた手と、手。
そのわずかな隙間が、どうしても埋まらない。
そして。
その姿は、視界から消えた。
遅れて、下の方から重い音が響く。
⸻
「――っ、あ……」
声が、出ない。
喉が、凍りついたみたいに動かない。
目の前の光景が、理解できない。
今、何が起きたのか。
分かっているはずなのに、理解が追いつかない。
「……◻️◻️くん?」
震える声。
一歩、踏み出す。
崩れた縁のすぐ手前で、足が止まる。
下を、見る。
見てしまう。
そして――
「……ぁ」
息が、止まる。
頭の中が、真っ白になる。
何も考えられない。
何も、受け止められない。
ただ一つだけ、はっきりしていること。
もう、届かないという事実。
「――いや」
小さな否定。
「いや、いや……」
首を振る。
理解を拒むみたいに。
「違います……今のは……」
自分に言い聞かせるように呟く。
けれど、声は震えている。
「私、そんなつもりじゃ……」
言葉が、崩れる。
息が浅くなる。
視界が揺れる。
そして。
「――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
張り裂けるような絶叫が、校舎に響いた。
⸻
事故として処理された。
老朽化による崩落。
誰の責任でもない、不運な出来事。
そういうことになった。
⸻
けれど。
ハナコの中では、何も終わっていない。
⸻
夜の街を、彼女は歩いている。
ふらり、ふらりと。
あてもなく。
ただ、彷徨うように。
その目は、何も映していない。
「……◻️◻️くん」
ぽつりと、呟く。
「もう……からかったり、しませんから」
返事はない。
「ですから……」
声が、かすれる。
「もう一度くらい……逃げてみせてくださいませんか?」
うふふ、と笑おうとして――
笑えない。
あの瞬間が、何度も蘇る。
落ちていく姿。
伸ばされた手。
届かなかった距離。
「……私が」
小さく、呟く。
「私が……やってしまったんですね」
否定もできない事実が、そこにある。
⸻
夜の街を、ハナコは歩き続ける。
もう、うふふと笑うこともなく。
ただ、虚ろな目で。
あの瞬間に取り残されたまま。
――何度繰り返しても、結末は変わらない。
一応、この作品の爆弾、◻️◻️の設定を置いときます。
名称◻️◻️
性別 男性
誕生日 3月11日
キヴォトス唯一の男子生徒、キヴォトスへの来る時期は世界線によって違うので、幼児として生まれることもあれば、高校生になってからキヴォトスにいきなり来ることもある。
どの世界線でも◻️◻️と言う名前だか、性格が違うこともある。
しかし、全ての世界で誕生日は共通のため、どの世界線でも18歳になることはない。
幼児転生型の◻️◻️は、大抵の世界線では、小学生、中学生の時期に死ぬ。
高校生まで生きることは、天文学的確率の運の良さが重なったもの。
作中で時々起こる認識改変は、キヴォトスがイレギュラーを排除しようとする浄化作用のため、逃れられない。