あっけなく死ぬ男子生徒の話   作:とーふめんたる

16 / 40
AI、セナのエミュに苦戦


セナっていいよね

 

 医療室は静かだった。

 

 器具は整っている。

 記録にも乱れはない。

 

 セナはカルテを閉じ、机の端に視線を落とした。

 

 折られた紙。

 

 ――明日、放課後。少しお時間いただけますか。

 

「……回りくどいですね」

 

 小さく呟く。

 

 本来なら、その場で済ませればいい話だ。

 わざわざ時間を区切る必要もない。

 

 それでも――そうしなかった。

 

「……まあ、明日で問題ありません」

 

 短く結論づけ、紙を引き出しにしまう。

 

 それ以上、考えるのはやめた。

 

⸻

 

 翌日。

 

 遠くで発破の音が響く。

 

「……またですか」

 

 温泉開発部。いつものことだ。

 特に気にする必要はない――はずだった。

 

 次の瞬間、揺れが走る。

 

「……近いですね」

 

 違和感だけを残して、セナは立ち上がった。

 

 医療キットを手に取る。

 

「確認しておきます」

 

⸻

 

 現場は煙に覆われていた。

 

 瓦礫の中に、倒れている生徒たち。

 

「動ける方は離れてください。意識のある方は返事を」

 

 簡潔に指示を出し、近い者から状態を確認する。

 

 軽傷は後回し。

 重い者から優先。

 

 いつも通りの手順。

 

 淡々と処理していく――はずだった。

 

 不意に、動きが止まる。

 

「……」

 

 少し離れた場所に、一人。

 

 見覚えのある姿。

 

 視線が、そこから外れない。

 

「……まさか」

 

 無意識に、足が向く。

 

 いつもより、遅い。

 

⸻

 

「……◻️◻️さん」

 

 名前を呼ぶ。

 

 返事はない。

 

 分かっているのに、呼んでしまう。

 

 しゃがみ込み、手を伸ばす。

 

 触れた瞬間、理解する。

 

 冷たい。

 

 それだけで、十分だった。

 

「……」

 

 呼吸の確認。

 

 反応なし。

 

 もう、確かめる必要はない。

 

「……死体、ですね」

 

 静かに、結論を口にする。

 

 普段と同じ言葉。

 

 ただの分類。

 

 ――のはずなのに。

 

⸻

 

 手が、離れない。

 

 服を掴んだまま、止まる。

 

「……どうして」

 

 ぽつりと漏れる。

 

 本来なら、次へ移るべきだ。

 

 他にも助けるべき“患者”がいる。

 

 分かっている。

 

「……行かないと」

 

 言葉にする。

 

 それでも、体は動かない。

 

⸻

 

 頭に浮かぶのは、昨日のこと。

 

 引き出しの中の紙。

 

 明日。

 

「……まだ、伝えていません」

 

 わずかに息が乱れる。

 

 たったそれだけのこと。

 

 後回しにしただけのこと。

 

 それが――もう、取り戻せない。

 

「……困りますね」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 

 思考は冷静なはずなのに、まとまらない。

 

 優先順位が崩れている。

 

 あり得ない状態。

 

⸻

 

「セナさん! こちらを――」

 

 声が飛ぶ。

 

 聞こえている。

 

 理解もしている。

 

「……申し訳ありません」

 

 少しだけ間を置いて、答える。

 

「今は……無理です」

 

 それ以上、言葉が続かない。

 

 理由を説明できない。

 

 自分でも分からない。

 

⸻

 

 もう一度、触れる。

 

 変わらない。

 

 分かっているのに、確かめてしまう。

 

「……どうして、あなたなんですか」

 

 小さく零れる。

 

 答えはない。

 

 返ってくるはずもない。

 

 それでも、ほんのわずかに待ってしまう。

 

⸻

 

 何も変わらない。

 

 呼んでも、触れても、揺らしても。

 

 そこにあるのは、“死体”だけだった。

 

⸻

 

 セナは、動けなかった。

 

 助けるべき“患者”が他にいると理解していても。

 

 目の前から、離れられない。

 

 判断はできている。

 次にやるべきことも、分かっている。

 

 それなのに。

 

 体が、まったく言うことを聞かない。

 

⸻

 

「……最悪です」

 

 かすかに、呟く。

 

 こんなことで止まるなど、あり得ない。

 

 個人一人の損失で、機能が停止するなど。

 

 あってはならない。

 

 それでも。

 

 視線は、動かない。

 

 手も、離れない。

 

⸻

 

 引き出しの中の紙。

 

 未完了のままの言葉。

 

 もう、渡す相手はいない。

 

⸻

 

 氷室セナは、その場に立ち尽くしたまま。

 

 ただ一つの現実だけを見続けていた。

 

 ――“患者”ではないもの。

 

 自分が、どうしても切り捨てられなかった“死体”を。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。