休日の街は、どこかゆったりとした空気に包まれていた。
「ねえ見て、これかわいい!」
丹花イブキは、ショーウィンドウの前で足を止める。指差した先には、色とりどりの雑貨やぬいぐるみ。目を輝かせるその様子に、隣にいた兄――◻️◻️は小さく笑った。
「さっきも同じこと言ってたぞ」
「いいの!かわいいものは何回見てもかわいいの!」
即答だった。拗ねたように頬を膨らませるイブキに、◻️◻️は肩をすくめる。
結局、その店でイブキは一つのぬいぐるみを選んだ。丸くて、少しとぼけた顔をしたペロロ。
「これにする!」
「ほんとにそれでいいのか?」
「うん!だってこの子、なんか……やさしそう」
その言葉に、◻️◻️は少しだけ目を細めた。
「……そっか」
会計を済ませ、袋を受け取ると、イブキは大事そうに胸に抱える。その姿を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなった。
「ありがと、お兄ちゃん!」
「どういたしまして」
何気ないやり取り。いつもと変わらない一日。
――そのはずだった。
⸻
帰り道。
二人は並んで歩き、信号のある横断歩道の前で立ち止まった。
「もうすぐ青だね」
イブキが言う。◻️◻️は頷きながら、周囲を一応確認する。
車の音、人のざわめき、遠くで誰かが騒いでいる声。
……その中に、少しだけ異質な音が混じっていた。
エンジンの唸り。
妙に荒い、制御を失いかけたような音。
信号が青に変わる。
「行こ――」
イブキが一歩踏み出した、その瞬間。
視界の端で、何かが異常な速度で迫ってくるのが見えた。
黒い車体。乱暴なハンドル操作。誰かの怒鳴り声。
風紀委員から逃げている――そんな状況を理解するよりも早く、体が動いていた。
「イブキ!」
強く腕を引く。
押し出すようにして、歩道側へ。
次の瞬間、強い衝撃が全身を貫いた。
⸻
音が遠くなる。
地面の冷たさだけが、やけにはっきりと伝わってきた。
ぼやけた視界の中で、イブキの顔が見える。涙でぐしゃぐしゃになっている。
「お兄ちゃん……っ、お兄ちゃん!!」
震える声。
必死に名前を呼ぶその声に、◻️◻️はゆっくりと手を持ち上げた。
うまく力が入らない。
それでも、なんとか――
イブキの頭に触れる。
やわらかい髪の感触。
「……よかった」
掠れた声が、かすかに出る。
「無事で……」
それだけで、十分だった。
イブキが生きている。
それだけで。
「やだ……やだよ……」
涙が落ちる。温かい。
◻️◻️は、もう一度だけ頭を撫でる。
いつもみたいに、優しく。
「……大丈夫」
安心させるように。
「……大丈夫、だから……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
手の力が抜ける。
視界が、静かに暗くなっていく。
それでも最後に見えたのは――
泣きながら自分を呼ぶ、妹の姿だった。
⸻
それから、しばらくして。
イブキの部屋。
ベッドの上に、あの日買ってもらったペロロのぬいぐるみが置かれている。
イブキはそれを抱きしめながら、ぽつりと呟く。
「ねえ、お兄ちゃん」
返事はない。
それでも、イブキは続ける。
「今日ね、学校でね……」
まるでそこに本人がいるかのように。
「ちょっとね、いいことあったんだよ」
ぎゅっと抱きしめる。
小さな手に力がこもる。
「聞いてる?」
静かな部屋。
時計の音だけが響く。
それでもイブキは、優しく撫でる。
あの日、自分の頭を撫でてくれたみたいに。
「……また一緒に行こうね」
かすかな笑顔。
けれど、その目にはまだ涙が残っていた。
「今度は……ゆっくり、見て回ろうね」
返事はない。
それでも、イブキは待ち続ける。
まるで、そこに兄がいるかのように。