シャーレの廊下を、七神リンは普段と変わらない足取りで歩いていた。
端末には業務の処理状況が表示されている。
いくつもの案件に「送信済み」「処理中」の表示。
その多くが、シャーレ宛てだった。
「……これで、だいぶ流れましたね」
小さく呟く。
一件一件は、特別重いものではなかった。
緊急性もそこまで高くない。だが、積み重なればそれなりの量になる。
——それを、リンは正確には把握していなかった。
部署ごと、案件ごとに分散して見ていたため、
「合計でどれほどの負担になるか」を、意識する機会がなかったのだ。
「先生なら問題なく処理できるはずですし……」
そう判断して、回した。
補助として、男子生徒◻️◻️にも協力を依頼していた。
二人いれば、十分回る——その認識だった。
「……連絡がつかないのは、珍しいですね」
端末を閉じ、シャーレの扉の前で足を止める。
何度呼び出しても応答がない。
わずかな違和感を覚えながら、リンはノックをした。
返事はない。
「……失礼します」
扉を開ける。
そして——中に入った瞬間、足が止まった。
「……え……?」
視界いっぱいに広がる、書類。
机の上だけではない。床にも、棚にも、積み上がりきらなかった紙が溢れている。
その量は——想定を、明らかに超えていた。
「……こんなに……?」
思わず声が漏れる。
自分が送ったはずの書類。
だが、ここまでの量になるという実感は、これまで一度もなかった。
一歩、足を踏み入れる。
紙を踏む感触が、やけに重い。
そのとき、視界の先に人影が見えた。
「——先生!?」
机の横に倒れている。
慌てて駆け寄り、膝をつく。
呼びかけても反応はない。肩に触れても動かない。
だが、かすかに呼吸はある。
「……過労……?」
顔色を見て、すぐに分かる。
無理を重ね続けた状態だ。
リンの視線が、周囲の書類へと向く。
一枚一枚は、見覚えのあるものばかりだった。
自分が確認し、問題ないと判断して送った案件。
「……そんな……はず……」
ぽつりと、否定するように呟く。
そのとき、不意に思い出す。
「……◻️◻️は……?」
補助として呼んだ男子生徒の姿が見えない。
リンは立ち上がり、振り返る。
開けたままの扉の先。
その横にある、物置と階段。
なぜか、そちらが気になった。
ゆっくりと歩み寄る。
そして、階段の下を覗き込んだ瞬間——
「……っ」
息が止まる。
そこに、倒れていた。
男子生徒◻️◻️が、階段の下に崩れるように横たわっている。
頭から血を流して、動かない。
「……どうして……」
足が止まる。
状況は、すぐに繋がった。
あの部屋と、この場所。
書類の山。
彼はそれを運び、処理し、また運んでいたのだ。
限界まで。
「……そんな量じゃ……なかったはず……」
小さく、言い訳のような言葉が漏れる。
一件一件は軽かった。
一度に見れば、多くはなかった。
——けれど。
全部を、まとめて見たことはなかった。
「……全部……重なって……」
視界の中で、書類の山と、倒れた二人が重なる。
そこで初めて、理解する。
自分が回した「量」の現実を。
リンの手が、わずかに震える。
だが、すぐにその震えを押さえ込む。
端末を取り出し、通信を開く。
「……医療班、至急。シャーレ及び隣接通路」
声は、いつも通り冷静だった。
「二名倒れています。意識なし。至急対応を」
通信を終え、リンは静かに立ち尽くす。
もう一度、シャーレの中を見る。
書類の山。倒れた先生。
そして、視線を戻す。
階段の下で動かない男子生徒。
「……私は……」
その先の言葉は、出なかった。
ただ、現実だけが——そこにあった。
死んでのかな、これ