落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第十話:【偽竜討伐、雷鳴の証明】

 

 

第一部:武の次元差、蹂躙される巨躯

 

鼓膜を劈く咆哮と共に、漆黒の巨躯が動いた。

すり鉢状の岩山を震わせるほどの質量が、明確な殺意を持ってオーンスタインへと迫る。

 

這い寄る暴風。

偽りの龍が大きく顎を開き、その奥で赤熱する魔力を限界まで膨れ上がらせた。

次の瞬間、岩盤すらもドロドロに溶かすほどの高熱の息吹(ブレス)が、凄まじい勢いで放射される。

 

四方世界の冒険者であれば、盾ごと灰にされるであろう致死の業火。

だが、オーンスタインは足を止めることなく、むしろその炎の奔流へと向かって踏み込んだ。

 

(……ぬるい)

 

彼の記憶にある原初の炎。

世界を焼き尽くし、神々の盾すらも容易く貫いたあの絶望の熱に比べれば、ただの生温かい突風に過ぎない。

黄金の獅子鎧が炎に舐められ、真鍮の表面が赤く照らされるが、中の肉体に届くほどの熱量ではなかった。

 

オーンスタインは卓越した歩法で炎の渦を抜け、一瞬にして龍の死角、巨大な前脚の側面へと滑り込んだ。

 

獲物を見失った龍が、苛立ち紛れに巨大な尻尾を薙ぎ払う。

岩柱をへし折りながら迫る、暴力的な質量の塊。

 

直撃すれば全身の骨が粉砕される一撃だが、オーンスタインは長大な十字槍を縦に構え、その重厚な「石突き」を岩盤に突き立てた。

 

激突。

鼓膜を揺らす轟音。

 

だが、オーンスタインの体は一歩も退かない。

石突きを支点にし、迫り来る尻尾の軌道を僅かに上へと逸らしたのだ。

 

環境と己の質量を完璧に支配する、次元の違う「型」の冴え。

力が戻りつつある今の彼にとって、力任せの薙ぎ払いなど、いなすことすら容易い児戯であった。

 

姿勢を崩し、大きく体勢を泳がせた偽りの龍。

その巨大な胸殻が、オーンスタインの眼前で完全に無防備に晒された。

 

「……ッ!」

 

鋭い呼気と共に、伝説の騎士が地を蹴る。

重厚な鎧の質量を乗せた、流星の如き神速の刺突。

長大な十字槍の穂先が、空気を切り裂く轟音を置き去りにして、龍の分厚い黒鱗へと突き刺さった。

 

刃こぼれした真鍮色の刃が、鋼のような鱗を容易く砕き、その奥にある分厚い肉へと沈み込む。

だが、竜狩りの神髄は、ただ「刺す」だけではない。

かつて、岩の鱗を持つ不朽の古龍たちを屠るために編み出された、無慈悲にして絶対的な殺技。

 

槍が深く突き刺さり、十字の「鍔(つば)」が龍の体表に激突した瞬間。

オーンスタインはそこで動きを止めず、両手で十字の支えを固く握り込んだ。

 

そして、全身の筋肉を軋ませ、自身の全体重と鎧の質量をその一点に集約させる。

十字の鍔を支点とした、てこの原理。

 

彼は傷だらけの腕力で、突き立てた長大な槍を、ゴリッと強引にねじ込んだ。

 

メチャクチャに引き裂かれる肉の音。

分厚い黒鱗が根本から捲れ上がり、龍の強固な胸殻が、まるで紙切れのように無惨に抉り開かれた。

 

「ギャァアアアアアッ!?」

 

すり鉢状の空間に、かつてこの地で響いたことのない、頂点の捕食者の悲鳴が轟いた。

絶対的な痛覚。

己の肉体を内側から破壊されるという、未知の恐怖。

 

抉り開かれた巨大な傷口から、滝のような鮮血が降り注ぐ。

血の雨を浴びながらも、オーンスタインの黄金の鎧は微動だにしない。

兜の奥の瞳は、ただ冷徹に、次に破壊すべき急所を見定めている。

 

痛みに狂った龍が、必死に距離を取ろうと後ずさる。

その瞳孔には、明らかな「恐怖」が浮かんでいた。

足元のちっぽけな黄金の羽虫が、己の命を容易く刈り取る死神であると、本能が完全に理解したのだ。

 

(逃がすものか)

 

オーンスタインは十字槍を引き抜き、血振るいもせずに再び切先を龍へと向けた。

偽りであろうと、この巨躯の裡にある濃密なソウルは、必ず己の器へと収める。

 

凄まじい痛みに身悶えしながら、龍は巨大な被膜の翼を広げた。

大地での戦いを放棄し、己の絶対領域である「空」へと逃れようとしているのだ。

 

だが、竜狩りの筆頭を前にして、空への逃亡などという甘い選択肢が許されるはずもなかった。

 

 

第二部:空への逃亡、地を這う竜狩り

 

凄絶な苦痛に身をよじらせながら、漆黒の巨躯が天を仰いだ。

先ほどの十字槍による一撃で胸殻を無惨に抉り開かれ、滝のように血を流す偽りの龍は、もはや完全に戦意を喪失していた。

 

絶対的な捕食者として君臨してきたこの最果ての地で、初めて味わう明確な「死」の恐怖。

眼下に立つ黄金の騎士は、決してちっぽけな羽虫などではない。

己の命を一切の容赦なく刈り取る、規格外の怪物であった。

 

生き延びるための本能が、龍に大地を捨てさせる。

巨大な被膜の翼が大きく広げられ、すり鉢状の空間に猛烈な暴風が巻き起こった。

 

バサァッ、と。

 

分厚い翼が空気を叩き据えるたび、周囲の岩盤が削れ、突風がオーンスタインの体を煽る。

巨体から振り撒かれる熱い鮮血が、無慈悲な雨のように降り注ぐ。

血の飛沫を浴びながら、龍は不格好に宙へと浮かび上がった。

 

四方世界の理において、空は龍の絶対領域である。

ひとたび飛翔を許せば、地上の剣士や槍使いに為す術はない。

遥か上空からの一方的な蹂躙、あるいは完全なる逃亡を許すのみだ。

龍もまた、空へ逃れさえすればこの死神から逃げ延びられると信じていた。

 

だが、オーンスタインの兜の奥で光る瞳は、逃げ惑う獲物を静かに見据えていた。

 

かつて彼が護り抜いたアノール・ロンドの空には、これよりも遥かに巨大で強靭な古龍たちが無数に飛び交っていた。

空を制する岩鱗の怪物たちを、いかにして大地へ引きずり下ろし、その命を絶つか。

それこそが、「竜狩り」と呼ばれる者たちの戦いの歴史そのものである。

 

(……空が、貴様の逃げ場になると思ったか)

 

龍の体がすり鉢の底から離れ、岩山の縁を越えようとした瞬間。

オーンスタインは動いた。

 

彼は龍の真下から槍を投げるような、外れれば隙を生む愚行はしない。

重厚な真鍮の鎧を纏いながらも、その足運びは信じ難いほどに軽快だった。

 

すり鉢状に傾斜した岩壁へ向かって一直線に駆け出し、そのまま壁面を蹴り上げて駆け登っていく。

 

環境制約の完全なる無効化。

彼にとって、垂直に近い岩壁すらも平坦な道に等しい。

岩の僅かな突起や亀裂を正確に捉え、重力を無視したかのような速度で立体的に駆け上がる。

 

足場が崩れかければ、十字槍の「石突き」を岩盤に突き立てて支点にし、己の質量をさらに上へと跳ね飛ばす。

生身の筋肉が悲鳴を上げ、鎧の重みが関節をきしませる。

だが、これまでの死闘で得た「ソウル」の残火が、彼の四肢に爆発的な推進力を与えていた。

 

龍がすり鉢の縁を越え、灰色の空へと逃れようとしたその時。

 

「……!」

 

オーンスタインは岩山の最上段から、虚空へと大きく身を躍らせた。

黄金の流星が、逃げ惑う漆黒の巨躯へと横から襲い掛かる。

 

狙うはただ一点。

数トンの巨体を支え、はばたきを生み出す翼の根本。

強靭な筋肉と骨が交差する、被膜の関節部である。

 

空中で身を捻り、彼は全身の質量を長大な十字槍へと乗せた。

風を切り裂く轟音と共に、刃こぼれした真鍮色の穂先が、龍の翼の関節部へ深々と突き刺さる。

肉を断ち切り、太い骨を強引に粉砕する嫌な音が空中に響いた。

 

「ギャガァアアアッ!?」

 

再び、絶望的な痛覚が龍の脳髄を焼く。

飛翔のための推進力を完全に絶たれ、巨大な翼が不自然な方向へとへし折れた。

 

空という絶対領域は、一瞬にして死の落とし穴へと変わる。

バランスを失った数トンの質量が、もがくように空を掻き毟りながら、すり鉢の底へと真っ逆さまに落下していった。

 

ズドォォォォンッ!!

 

大地を根底から揺るがす、凄まじい轟音。

巨大な地震が起きたかのように周囲の岩盤が隆起し、猛烈な土煙が巻き上がる。

自らの体重と落下の衝撃によって、龍の全身の骨が砕ける音が、すり鉢の底に無惨に響き渡った。

 

やがて、土煙がゆっくりと晴れていく。

 

そこには、翼をへし折られ、立ち上がることもできず、血の海の中で痙攣する偽りの龍の姿があった。

もはや高熱のブレスを吐く力すら残されてはいない。

ただ、近づきつつある確実な「死」に怯え、縦長の瞳孔を震わせるのみだ。

 

その巨躯の傍らに、一つの影が舞い降りた。

 

ズン、と。

 

重厚な着地音と共に、黄金の騎士が膝を曲げて落下の衝撃を殺す。

オーンスタインの鎧には、龍の返り血と土埃がこびりついているが、その立ち姿は揺るぎない威厳に満ちていた。

 

彼はゆっくりと立ち上がり、血塗られた十字槍を横に振って汚れを払う。

痛む関節を僅かに動かしながら、瀕死の獲物へと無言で歩み寄っていく。

 

空への逃亡は阻まれ、偽りの龍は再び大地を這い蹲る肉塊へと成り下がった。

あとは、この極上のソウルを己の器へと収穫するだけである。

 

オーンスタインは龍の巨大な頭部の前で立ち止まり、静かに左手を空へと翳した。

彼の手のひらに、チリチリと黄金色の火花が収束し始める。

 

それは、かつて古龍の岩鱗を貫き、神話の空を焦がした絶対的な力。

偽りの龍との狩りに幕を下ろすための、雷鳴の証明であった。

 

 

第三部:失われぬ雷、極上の魂

 

すり鉢状の底で、もはや飛ぶことも叶わず、血の海に沈む漆黒の巨躯。

龍は巨大な瞳孔に明確な恐怖を浮かべ、眼前に立つ黄金の死神をただ見上げていた。

 

大気を震わせていた威圧感は完全に消え失せ、残っているのは死を待つだけの矮小な命の灯火だけだ。

 

オーンスタインは、抉り開かれた龍の巨大な胸殻の前に立ち、静かに左手を翳した。

パチリ、と黄金色の火花が収束していく。

それは、この四方世界において「至高神の裁き」とすら錯覚されるであろう、神代の雷。

 

かつて岩の鱗を貫き、不朽の古龍たちを空から叩き落とした絶対的な力の残滓である。

彼は呼吸を整え、剥き出しになった龍の心臓へと狙いを定めた。

 

槍に雷を纏わせるのではない。

彼は極限まで圧縮した雷光そのものを、直接その手で握り潰すようにして「杭」の形へと練り上げた。

 

「……沈め」

 

声なき宣告と共に、雷の杭が零距離から龍の急所へと打ち込まれた。

轟音と閃光が、最果ての荒野を真っ白に染め上げる。

 

分厚い肉の壁を容易く貫通し、雷鳴が龍の体内を荒れ狂いながら駆け巡った。

心臓が完全に爆ぜ、内臓が炭化する凄まじい破壊の音。

 

断末魔の悲鳴すら上げることは叶わず、四方世界の頂点に君臨していた偽りの龍は、ついにその命を散らした。

 

死の静寂がすり鉢の底を満たす。

やがて、絶命した巨躯から、これまでの魔獣たちとは比較にならないほど巨大で、濃密な光の粒子が立ち上った。

この世界における極上のソウル。

 

それは眩い光の奔流となって、黄金の騎士の器へと吸い込まれていく。

枯渇しきっていた彼の内側が、一気に凄まじい熱を帯びて満たされていく感覚。

 

生身の肉体を苛んでいた強烈な筋肉痛、関節の軋み、そして鎧の重みによる絶望的な疲労感が、雪解けのように溶けて消え去っていく。

 

オーンスタインは、自身の両手を静かに見つめ、ゆっくりと握り込んだ。

 

確かに、力は戻った。

だが、同時に彼は、己の魂の底で一つの冷徹な事実を理解していた。

 

この四方世界で最強格とされる巨大な龍から得たソウルであっても、彼の記憶にある「全盛期」には遠く及ばない。

 

オーンスタインの脳裏に、壮麗なるアノール・ロンドの広間が浮かぶ。

黄金の光が差し込む大聖堂。

己の傍らには、決して騎士とは認められずとも、共に並び立ち、玉座への道を阻む壁となった巨大な処刑者スモウの姿があった。

 

あの頃の自分たちは、とうに全盛期を過ぎ、消えゆく火の時代の中でひどく弱り果てていた。

しかし、巨竜から莫大なソウルを吸収した今であっても、あの弱り切っていたスモウとの共闘時代にすら、その総量は全く及んでいないのだ。

この世界の理における頂点ですら、神話の時代の残り香には届かない。

 

だが、今のオーンスタインにとって、それは悲観するような事実ではなかった。

重要なのは過去の幻影に追いつくことではなく、今、この生身の肉体が完全に機能を取り戻したという現実である。

 

血管を引き千切るような雷の反動も、もはや致命的な足枷にはならない。

鎧の重みが筋肉を苛む強烈な痛みは消え去り、真鍮の皮殻は完全に己の手足と化している。

手足には確かな力が漲り、呼吸は深く、そして力強い。

 

神がかり的な全盛期の力はなくとも、四方世界を十全に動き回り、己の槍術をいささかの妥協もなく振るえるだけの「完全なる生身」の回復を果たしていた。

 

これでいい。

彼は静かに十字槍を傍らに引き寄せ、付着した黒い血を払い落とす。

 

かつての同胞たちに並び立つにはまだ足りないが、主の背中を追うための足枷は完全に外れた。

もはや、泥水すするような歩みは必要ない。

十全に動くこの体と、竜狩りの十字槍があれば、この見知らぬ四方世界のどこであろうと道を切り拓ける。

 

黄金の獅子兜が、ゆっくりと持ち上がる。

灰色の雲が切れ、最果ての地に一筋の淡い光が差し込んでいた。

 

オーンスタインは振り返ることなく、すり鉢の底から歩み出した。

巨竜の死骸を背に、真鍮の鎧を静かに軋ませながら。

 

彼の視線の先には、次なる強き者たちの気配と、どこまでも続く未知の荒野が広がっている。

主の背中へ至る、新たなる狩りの始まりであった。

 

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