落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第十一話:【帰還の足跡、未知なる龍鱗】

 

 

第一部:静寂の行軍、戻りし躍動

 

灰色の雲がどこまでも続く北の最果て。

生物の気配が途絶え、濃密な死の匂いだけが立ち込める荒野を、一人の黄金の騎士が歩んでいる。

 

彼の足取りは、数日前にこの過酷な地を訪れた時とは完全に別物であった。

 

泥を啜るように重く、一歩踏み出すごとに生身の肉体を苛んでいた絶望的な疲労感。

血管を引き千切るような激痛も、関節をきしませる真鍮の鎧の重圧も、今の彼からは完全に消え去っている。

 

最果てのすり鉢状の岩山で偽りの龍を屠り、極上のソウルを器に満たした結果だ。

神代の全盛期、主神の雷を振るっていたあの凄まじい次元には遠く及ばない。

 

それでも、この四方世界において、己の肉体と武術を十全に振るうための「完全なる生身」の機能を、彼は確かに取り戻していた。

 

ザクッ、ザクッ。

 

荒れた大地を踏みしめる音は、力強く、そして等間隔で一切の乱れがない。

重厚な真鍮の鎧を纏っているにもかかわらず、その歩みはまるで鏡面を滑るかのように滑らかであった。

 

それは、かつて太陽の都アノール・ロンドの壮麗な回廊を警護していた頃の歩法。

主神の四騎士筆頭として、あらゆる外敵から玉座を護っていた「竜狩り」の、隙のない佇まいそのものである。

 

(……良い塩梅だ)

 

オーンスタインは歩きながら、静かに左の拳を握り込み、開いた。

四肢の奥底には、ソウルの熱が静かな炎となって燃え続けている。

 

生身の血肉が隅々まで力強く脈打ち、自身の意志に寸分の狂いもなく追従してくる。

長く、果てしない次元の放浪の末に味わった、絶対的な枯渇。

 

そこから抜け出した今、彼はただ「五体満足で動ける」という当たり前の事実に、僅かな高揚すら覚えていた。

彼は長大な十字槍を肩に担ぎ直し、南へ向かって歩みを続ける。

 

道中、飢えた獣や小鬼(ゴブリン)の群れが黄金の騎士を獲物と定めて襲いかかることもあった。

だが、今のオーンスタインにとって、それらはもはや「狩り」の対象にすらならない。

 

正面から狂ったように飛びかかってきた一匹に対し、彼は十字槍の穂先を向けることすらしなかった。

ただ、歩幅を僅かに広げ、すり足で前へと踏み込む。

 

ドンッ!

 

重厚な真鍮の鎧を纏った「自身の質量」を、弾丸のような速度でぶつけたのだ。

ただの体当たり。

だが、竜狩りの踏み込みから生み出されるそれは、攻城兵器の一撃にも等しい。

 

小鬼の胸の骨はひしゃげ、臓物を撒き散らしながら数メートル後方の樹木へと叩きつけられた。

背後から迫るもう一匹には、肩に担いだ槍をそのまま背後に滑らせる。

 

重厚な真鍮の「石突き」が、振り返ることもなく正確無比な軌道を描き、小鬼の頭蓋を打ち砕いた。

卓越した技術の「型」と、歩法の変化だけで、襲い来る障害を物理的に排除していく。

 

最果てで龍を屠った彼にとって、この程度の羽虫は、足を止める理由にすらならなかった。

 

 

第二部:辺境の街、ざわめくギルド

 

辺境の街の正門は、昼時の喧騒に包まれていた。

だが、その日常の風景は、一人の騎士の接近によって完全に凍りついた。

 

ズン、ズン、と。

 

地を揺らすような、重厚かつ規則正しい足音が響く。

太陽の光を鈍く反射する、巨大な真鍮の鎧。

 

兜には獅子の意匠が施され、背の丈を優に超える長大な十字槍を肩に担いでいる。

そして彼の背には、分厚い麻布で幾重にも包まれた、大人の上半身ほどもある巨大な荷物が括り付けられていた。

 

数日前、ふらつくような足取りで現れた放浪者とは別人の如き威風。

門番たちは通行証の提示を求めることすら忘れ、ただ硬直して道を開けた。

 

オーンスタインの足取りに迷いはない。

彼は街の中央に位置する、冒険者ギルドの重厚な扉の前で立ち止まった。

 

扉が開かれた瞬間、室内の喧騒が水を打ったように静まり返る。

幾十もの冒険者たちの視線が、一斉に彼へと突き刺さった。

 

オーンスタインはそれらを気にかける風もなく、鑑定を行う窓口へと真っ直ぐに歩みを進めた。

 

「……買取か、鑑定か」

 

初老の鑑定士が、黄金の騎士の只ならぬ気迫に圧倒されながらも短く尋ねた。

オーンスタインは無言のまま十字槍を床に立てかけ、背中の巨大な布の包みを解いてカウンターの上に下ろした。

 

ゴトンッ。

 

天板が悲鳴を上げるような、異常な質量を感じさせる鈍い音。

布が完全に開かれた瞬間、ギルド内の空気が物理的な圧力を伴って一気に重くなった。

 

「な……っ!?」

 

布の中に鎮座していたのは、漆黒の巨大な龍の鱗であった。

表面は光を一切反射せず、深い闇そのもののように沈み込んでいる。

 

死してなお、近づく者の肌を焦がすような高熱の魔力の残滓が、陽炎のように立ち昇っていた。

「りゅ、龍だ……! それも最果ての地にのみ君臨するという、巨竜の本物の鱗……!!」

 

鑑定士の絶叫が、ギルド内に爆発的な衝撃をもたらした。

最下位である「白磁」の認識票を下げた男が、単独で龍を狩り、その証を持ち帰ったのだ。

 

狂騒に包まれるギルドの中心で、オーンスタインだけが沈黙を保っていた。

彼にとって、あの偽りの龍は、死闘の果てに得た奇跡などではない。

 

主の背中へ続く道を塞いでいた障害物を、槍で抉って退かしただけのこと。

オーンスタインは動揺する鑑定士を見下ろしたまま、小さく顎をしゃくった。

 

早く対価を寄越せ。そして、次なる道標を示せ、と。

 

 

第三部:琥珀の再会、交差する言葉

 

ギルドの金庫からかき集められた、莫大な金貨が詰め込まれた皮袋。

オーンスタインはそれを今後の活動資金として受け取り、腰のベルトにしっかりと括り付けた。

 

彼が踵を返そうとした時だった。

 

「…………あ」

 

人だかりが割れ、一人の小さな影が彼の手前に進み出た。

かつて、小鬼(ゴブリン)の群れから救い出したあの少女であった。

 

彼女を救い出したあの時よりも、遥かに強く、揺るぎない存在として立っている黄金の騎士。

少女の口元に、安堵と深い感謝の入り混じった、小さな微笑みが浮かぶ。

 

彼女はオーンスタインの前に歩み寄ると、ゆっくりと己の名を口にした。

そして、手にした羊皮紙の切れ端に何かを書き込み、彼に示して見せた。

 

それは明確な「対話」と「教育」の意志であった。

オーンスタインは黄金の獅子兜の奥で、静かに目を伏せる。

 

主の背中を追うためには、ただ魔獣を狩るだけでは足りない。

人々が語る伝承や噂を知るためには、彼女が示そうとしている言葉という「鍵」が必要であった。

 

ズン、と。

 

オーンスタインはゆっくりと片膝をつき、巨大な体を折って少女と視線の高さを合わせた。

自身の胸を一度だけ静かに叩き、少女の導きを受け入れる意思を、騎士としての沈黙で示す。

 

その日を境に、彼はしばらくこの辺境の街に留まることとなった。

得られた報酬を資金とし、ギルドの近くに身を置く。

 

昼間は少女と共に、この世界の言葉と文字を学ぶ。

かつて槍だけを振るってきた巨大な手が、真剣に文字の形をなぞっていく。

 

それは血生臭い辺境にあって、どこか温かな光景であった。

主の雷の気配を追いながらも、彼は焦ることなく、腰を据えて己の牙を研ぐ。

 

だが、彼らが過ごす平穏な時間は、そう長くは続かない。

森の奥底では、統率された小鬼の軍勢と、それを率いる「小鬼王(ロード)」の悪意が、街へと向けられようとしていた。

 

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