落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第十四話:【戦士たちの休息、琥珀の日常】

 

 

第一部:凱旋の朝、定着する二つ名

 

牧場を埋め尽くした小鬼(ゴブリン)の死骸。

その中央で夜明けの光を浴びていた黄金の騎士は、朝日が街の尖塔を照らす頃、静かに帰還を果たした。

 

辺境の街、冒険者ギルド。

昨夜の防衛戦に加わった者たちが、泥と血に塗れた身体を休め、勝利の安堵に浸っている。

だが、その喧騒は、一人の男の登場によって一瞬で凪いだ。

 

重厚な真鍮の鎧を鳴らし、入り口の扉を潜ったオーンスタイン。

彼の歩みは、数千の軍勢を正面から粉砕してきたとは思えぬほどに静かであった。

そして何より、激闘を経たはずのその黄金の装甲には、返り血一滴すら付着していない。

 

(……静かだな)

 

オーンスタインは兜の奥で、周囲の反応を冷静に観察していた。

冒険者たちは、彼が通り過ぎるたびに、まるでモーゼの十戒のように左右へ道を開ける。

そこにあるのは、昨夜、絶望的な「肉の盾」を神代の雷で撃ち抜き、小鬼英雄を屠ったその「神業」への、底知れぬ畏怖であった。

 

「……お疲れ様でした、オーンスタインさん」

 

カウンターの奥で待っていた受付嬢の声は、僅かに震えていた。

彼女は震える手で、一つの重い皮袋と、新しい認識票(タグ)を取り出した。

 

「昨夜の特別報酬です。それと、こちらを……」

 

差し出されたのは、黒く鈍い光を放つ金属の板。

十等級のうち、下から二番目に位置する『黒曜』の認識票であった。

 

「本来であれば、昨夜の功績だけで『銀』に届く内容です。ですが……」

 

彼女は申し訳なさそうに、言葉を選んだ。

言葉も通じず、素性も定かではない放浪者を、一晩の戦果だけで銀等級へ引き上げることは、ギルドの規律が許さなかった。

だが、彼女の瞳には、最大限の敬意が宿っていた。

 

オーンスタインは新しい認識票を手に取り、その感触を確かめた。

彼にとって、人間が決めた階級など、過ぎ去った神代の栄光に比べれば塵に等しい。

だが、この地で「竜狩り」として再び歩むための、確かな一歩であることは理解できた。

 

「おい、見たか……あの『金獅子』の旦那だ」

「ああ……龍を屠った雷の騎士……『竜狩り』様だ……」

 

周囲の冒険者たちが、畏怖を込めて囁き合う。

公式な二つ名ではない。だが、昨夜の光景を見た者たちの間で、その呼び名は既に、不動の伝説として定着し始めていた。

 

オーンスタインは、手渡された莫大な金貨の袋を解き、中身を一瞥した。

彼は袋の中から、数枚の金貨を無造作に抜き取った。

 

そして、傍らで彼を待っていた、あの少女へと歩み寄った。

かつて洞窟の底、地獄のような絶望から彼が抱き上げた、新米魔術師の少女だ。

 

オーンスタインは無言のまま、片膝をついて少女と視線の高さを合わせた。

そして、抜き取ったばかりの金貨を、彼女の手のひらにそっと置こうとした。

 

(……教えの対価だ)

 

彼にとって、言葉を、文字を授けてくれる彼女は、最も価値ある協力者であった。

騎士として、受けた恩義には相応の礼を尽くす。それが、主から授かった不変の矜持。

だが、彼女の手のひらに置こうとしたのは、平民が数ヶ月は遊んで暮らせるほどの額だった。

 

「……えっ? あ、あの、これ、は……?」

 

困惑し、顔を赤らめる少女。

その背後から、一人の筋骨隆々な男が割り込んできた。

腰に巨大な槌を下げた、この街の腕利きの鍛冶屋である。

 

「おい、アンタ! その鎧、ちょっと拝ませてくれ!」

 

鍛冶屋は鼻息を荒くし、オーンスタインの威圧感すら無視して、小手や胸当ての繋ぎ目を観察し始める。

 

「なんだ、この硬度は……! 王都の最高級品でもこれほど滑らかな打出しはできねえぞ。……おい、ここだ! この傷! この抉れ方……どんな化け物に襲われりゃ、こんな……!」

 

鍛冶屋は震える手で、鎧の表面に刻まれた微かな痕跡に触れようとした。

それは昨夜の戦いではなく、遠い過去、アノール・ロンドで巨竜の爪を防いだ時の傷跡。

 

オーンスタインはその指を拒まず、愛おしげに自らの甲冑を撫でた。

失われた故郷、そして主と共に歩んだ戦場の記憶。

だが、その神聖な沈黙を切り裂いたのは、鋭い拒絶の声だった。

 

「……親方、やめて。勝手に触らないで!」

 

少女が、弾かれたように鍛冶屋とオーンスタインの間に割り込んだ。

彼女は震える両手を広げ、獅子兜の騎士を守るようにして鍛冶屋を押し戻す。

その瞳には、かつて洞窟で怯えていた面影はなく、毅然とした、しかし必死な拒絶が宿っていた。

 

「この方は、あんたが勝手に触れていいような人じゃないの。……今は私の、『教え子』なんだから。見世物みたいに扱うのはやめて!」

 

自分を暗闇から抱き上げてくれた、温かくも冷徹な真鍮の感触。

それを、ただの好奇心で汚されることが、彼女には耐えられなかった。

一度は捨てかけた命。それを繋ぎ止めてくれた「光」は、今、自分だけが言葉を教える権利を持つ、何よりも大切な存在なのだ。

 

鍛冶屋は、少女のあまりの剣幕に気圧され、たじろぎながら手を引っ込めた。

 

「……あ、ああ、すまねえ。つい職人気質が出ちまってな」

 

オーンスタインは、なぜ少女がこれほど激昂しているのか、その理由を正確には測りかねていた。

だが、彼女が自分のために、自分よりも大きな男へ敢然と立ち向かったことだけは理解できた。

 

黄金の騎士は静かに立ち上がり、少女の小さな肩に、大きな真鍮の籠手を置いた。

その重みを感じた瞬間、少女の強張っていた肩が、ふっと安堵に震えた。

 

 

第二部:無言の乾杯、不器用な食卓

 

ギルドの喧騒が引き潮のように落ち着いた、午後の木漏れ日。

酒場の一角、使い込まれた厚い木のテーブルに、二つの「異質な沈黙」が並んでいた。

 

黄金の獅子騎士と、煤けた鉄兜の男。

オーンスタインの前には、少女が運んできた冷えたエールの杯。

ゴブリンスレイヤーの前には、いつも通りの、飾り気のない安酒の杯。

 

二人は言葉を交わさない。

ただ、互いに杯を僅かに掲げ、一度だけ軽く打ち合わせた。

 

コツン、という乾いた音が、周囲の騒音に紛れて消える。

 

それは、昨夜の死線を共に越え、この街を護り抜いた戦士同士にしか分からない、無言の共鳴であった。

オーンスタインは兜を僅かに傾け、独特の苦味がある黄金色の液体を喉に流し込む。

かつてアノール・ロンドの祝祭で口にした、神々の美酒とは似ても似つかない。

だが、戦いの後の渇きを癒やすその冷たさは、今の彼にとって、この世界の理に深く触れる「生」の味であった。

 

「……あの、オーンスタインさん」

 

隣に座る女神官が、意を決したように声を上げた。

彼女の瞳には、尊敬と共に、奇跡を扱う者としての純粋な困惑が宿っている。

 

「昨夜の、あの黄金の雷……。呪文も、聖印も使わずに放たれていましたよね。あれは、地母神様……あるいは、別の神様からの『奇跡』なのですか?」

 

この世界の常識では、魔法や奇跡には必ず代償や回数、あるいは神への祈りが必要となる。

だが、オーンスタインが放った雷は、それら全ての理を嘲笑うかのように、あまりにも「自由」であった。

 

オーンスタインはゆっくりと女神官に向き直った。

彼は言葉を紡ぐ代わりに、空いた左手を自らの胸――黄金の獅子を象った胸当ての中央へと当てた。

 

(……これは神からの授かりものではない)

 

それは、彼自身のソウル。

かつて主から分かち合われ、幾星霜の戦いの中で己の一部となった、魂の熱量そのもの。

女神官は、その仕草の意味を正確には理解できなかった。

だが、それが借り物ではない、彼自身の「内側」から溢れ出す力であることだけは、直感的に察していた。

 

「魂そのものを、力に……。そんなことが、本当に……」

 

女神官が絶句する中、オーンスタインは無造作に腰の袋から金貨を一枚取り出した。

そして、戸惑う彼女の前に、それを静かに置いた。

 

(……昨夜、我が背後を祈りで繋ぎ止めた礼だ)

 

「ええっ!? い、いえ、そんな! 私はただ、自分の役割を果たしただけで……!」

 

慌てふためく女神官。

彼女にとって、金貨一枚はあまりにも重すぎる。

一回の冒険、あるいは一ヶ月の生活を支えて余りある「対価」だ。

 

「だめですってば、オーンスタインさん!」

 

そこへ、焼きたての黒パンを抱えた少女が戻ってきた。

彼女は女神官の前にある金貨を見るなり、顔を真っ赤にしてオーンスタインの腕を軽く叩く。

 

「そんなに簡単に金貨を出しちゃダメです! 冒険者さんはお釣りを持ってないんですよ? さっきのパン屋さんでも、あんなに困ってたじゃないですか!」

 

少女は「まったくもう」と呆れたように笑いながら、オーンスタインの前に置かれた金貨を素早く回収した。

彼女は、かつて絶望から自分を救い出してくれた「神」のような騎士が、実はこの世界の経済に関しては赤子同然であることに、妙な可笑しさと「愛おしさ」を感じていた。

 

先ほど、ギルドを出てすぐのパン屋でのことだ。

オーンスタインは、少女に「お腹が空いた」と言われ、当然のように金貨を一枚差し出した。

パン屋の主人は、差し出されたその輝きを見て、腰を抜かしてひっくり返ったのだ。

 

「『お、お釣りが払えねえよ! この店ごと買い取る気か!?』って、店主さん泣きそうだったんですよ?」

 

少女は諭すように言いながら、オーンスタインの前に安価な黒パンを置いた。

金貨一枚あれば、このパンが数千個は買える。

それを教えるのも、今の彼女にとっての「家庭教師」としての大切な仕事であった。

 

「……女神官さん、ごめんなさい。この人、強いくせに世間のこと全然知らないみたいで」

 

少女は女神官にぺこりと頭を下げると、オーンスタインの隣に、当然のような顔をして腰を下ろした。

その距離は、以前よりも心なしか近くなっている。

女神官は、少女の瞳の奥に宿る「守護者への淡い熱」に気づき、少しだけ顔を綻ばせた。

 

黄金の騎士は、少女に窘められたことが少し意外だったのか、兜を僅かに傾けた。

だが、彼は言われるがままに金貨を引き込めると、少女が置いた硬い黒パンを不器用に手に取った。

 

真鍮の指先で、慎ましくパンを割る。

その不似合いな光景は、彼がこの辺境の街に、少しずつ、だが確実に根を下ろし始めている証でもあった。

 

 

第三部:琥珀の午後に、芽吹く想い

 

ギルドの喧騒が引き潮のように落ち着いた、琥珀色の午後。

テラスの片隅で、少女――あの凄惨な洞窟から救い出された新米の魔術師は、炭を握るオーンスタインの大きな手元をじっと見つめていた。

 

(……あの時は、真っ暗だった)

 

ふとした瞬間に、あの日の光景が脳裏をよぎる。

仲間の悲鳴。小鬼たちの下劣な笑い声。冷たい石の床。

死すら許されない絶望の中にいた自分を、物理的な「光」となって救い出したのが、目の前のこの騎士だった。

 

彼が不器用に記す、『雷』の一文字。

その力強い筆跡を見るたび、彼女の胸の奥は、締め付けられるような熱に侵されていく。

 

「……あ、あの、オーンスタインさん。ここは、もう少しだけ、力を抜いて……」

 

彼女はそっと、彼の黄金の籠手に自分の指を重ねた。

冷たい真鍮の感触。

だが、その内側からは、あの洞窟で自分を抱き上げた時と同じ、圧倒的な生命の拍動が伝わってくる。

 

「……っ」

 

指が触れた瞬間、彼女の顔がカッと熱くなった。

自分は救われた「被害者」で、彼は「救世主」。

だが今、こうして言葉を教えている間だけは、自分が彼を導く唯一の存在になれる。

この切実な優越感が、彼女の中に消えない執念を、そして名前の付けられない「恋心」を育てていた。

 

オーンスタインは彼女の指の震えをどう解釈したのか、静かに筆を止めた。

彼は獅子兜の奥にある瞳で、じっと彼女を見つめる。

そこには軽蔑も、あるいは欲情もなく、ただ「幼き導き手」に対する真摯な信頼だけがあった。

 

(……この人は、どこか遠くを見ている)

 

少女は直感していた。

これほどの力を持ちながら、この街の平和や、金貨の価値にすら興味を示さない彼が見据えている場所。

そこには

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