落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第十六話:【琥珀の日常、鱗の記憶】

 

 

第一部:黒曜の報告と、小さな管理者

 

朝の辺境の街。

活気づく冒険者ギルドの扉を、重厚な真鍮の鎧が押し開けた。

 

足を踏み入れたのは、黄金の獅子騎士と、その腰のあたりほどの背丈しかない小柄な魔術師の少女。

昨日、初めての黒曜等級としての依頼を完遂した二人の帰還であった。

 

ギルド内の喧騒が、ほんの僅かにトーンを下げる。

冒険者たちの視線は、畏怖と好奇心を持って「金獅子」の巨体へと注がれていた。

 

オーンスタインは周囲の視線など意に介さず、静かな足取りで受付のカウンターへと向かう。

少女もまた、彼の分厚い手甲のすぐ横を、小走りでついていった。

 

「おはようございます、オーンスタインさん。それに、あなたも」

 

受付嬢が、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべて二人を迎えた。

オーンスタインは無言のまま頷き、昨日壁から剥がした依頼書をカウンターに置いた。

 

「旧墓地の動く死体(アンデッド)討伐ですね。ご苦労様でした」

 

受付嬢が羊皮紙を受け取ると同時に、ギルドの奥から初老の職員が足早に歩み寄ってきた。

彼は手にした報告書を見ながら、信じられないものを見るような目で黄金の騎士を見上げる。

 

「……先ほど、見回りの衛兵から墓地の確認報告が来ました」

 

初老の職員の言葉に、近くにいた冒険者たちも聞き耳を立てる。

あの小鬼(ゴブリン)の軍勢を、神代の雷で丸ごと吹き飛ばした規格外の男だ。

旧墓地など、地形ごと消し飛んでいるのではないか。

誰もがそう危惧していた。

 

「驚きましたよ。墓石の一つ、柵の木片一つすら傷ついていなかった」

 

職員の言葉に、ギルド内がしんと静まり返った。

 

「動く死体は十数体。そのすべてが、骨の髄や急所だけを正確に穿たれ、無力化されていました。……魔法の爆撃や、力任せの破壊ではない。あのような閉所で長槍を振り回し、器物を一切壊さずに敵だけを処理するなど、人間業ではありません」

 

それは、ただの圧倒的な破壊力よりも、遥かに恐ろしい事実であった。

極限まで研ぎ澄まされた、武の極致。

この黄金の騎士は、暴力の化身などではなく、完璧に己の力を統制できる無双の武芸者なのだと、改めて証明された瞬間だった。

 

「……流石ですね」

 

受付嬢は感嘆の溜息を吐き、規定の報酬である銀貨五枚をカウンターの上に並べた。

 

「こちらが今回の報酬になります。黒曜等級としての、確かな第一歩ですね」

 

オーンスタインは、並べられた銀貨を兜の奥から静かに見下ろした。

彼にとって、この銀の金属片がどれほどの価値を持つのか、やはり全く理解できない。

ただの鉄くずと何が違うのか。

 

彼が無造作にその一枚を掴もうと、真鍮の籠手を伸ばした時だった。

 

「あ、お待ちください!」

 

横から小さな手が伸びてきて、オーンスタインの巨大な腕を押し留めた。

少女である。

 

彼女は受付嬢に向かって、えへん、と小さく胸を張った。

 

「オーンスタインさんは、この街のお金のこと、まだよく分かっていないんです。放っておくと、パン一つに金貨を出しちゃうくらいですから」

 

ギルドの受付嬢は、目を丸くして瞬きをした。

周囲の冒険者たちからも、「あの旦那が?」と意外そうなざわめきが漏れる。

 

「だから、私が! オーンスタインさんの稼いだお金は、私が全部しっかり管理します! 無駄遣いも、ぼったくりも、絶対にさせませんから!」

 

少女の宣言は、ギルド中に響き渡るほど力強かった。

それは単なる親切心ではない。

 

彼のお金を預かるということは、彼の生活の基盤を自分が握るということ。

他の誰にも、この黄金の騎士の世話は焼かせないという、彼女なりの切実な「独占宣言」であった。

 

オーンスタインは、なぜ彼女が自分の前に立ち塞がって胸を張っているのか、正確には理解していない。

だが、彼女が自分を害そうとする意志がないこと、そして何やら一生懸命に自分のために動いていることだけは伝わっていた。

 

彼は差し出しかけた手を静かに下ろし、少女の自由にさせた。

 

「……ふふっ」

 

その様子を見ていた受付嬢が、思わず口元を押さえて吹き出した。

 

神話から抜け出してきたような恐ろしい騎士が、腰の高さほどしかない少女に財布の紐を完全に握られている。

そのあまりにも歪で、それでいて微笑ましい光景に、ギルドの空気が一気に和らいだ。

 

「分かりました。では、オーンスタインさんの報酬は、今後あなたが『管理者』として受け取るということでよろしいですね?」

「はいっ! お任せください!」

 

少女は銀貨五枚を大切そうに革袋にしまうと、オーンスタインを見上げて満面の笑みを浮かべた。

 

(……やれやれ、すっかり尻に敷かれてるじゃねえか)

(金獅子の旦那も、あの嬢ちゃんには形無しだな)

 

冒険者たちの間に、どこか温かい笑い声が広がる。

 

こうして、恐るべき『竜狩り』の財布は、一人の新米魔術師によって強固に守られることとなったのである。

 

 

第二部:市場の喧騒と、金獅子の影

 

冒険者ギルドを出た二人は、朝の活気に満ちた市場へと足を踏み入れた。

 

石畳の通りには、無数の露店がひしめき合っている。

焼きたてのパンの香ばしい匂い。

近隣の村から持ち込まれた、色鮮やかな野菜や果物。

そして、商人たちの威勢の良い声が、あちこちで交差していた。

 

その人混みの中を、黄金の巨漢が歩く。

 

オーンスタインの姿は、この泥臭い辺境の市場において、あまりにも異質であった。

朝の陽光を反射する、豪奢な真鍮の甲冑。

背に背負われた、身の丈を越える長大な十字槍。

 

すれ違う街の住人たちは、初めはその威容に息を呑み、慌てて道を譲った。

 

無理もない。

彼はただ歩いているだけで、歴戦の猛者のような、あるいは王族の近衛兵のような、圧倒的な重圧(プレッシャー)を放っているのだ。

 

だが、その張り詰めた空気は、彼の足元をちょこちょこと歩く少女の存在によって、不思議と中和されていた。

 

「オーンスタインさん、こっちです! まずは紙と、炭を買い足さないと」

 

少女は彼から預かった銀貨の入った革袋を大事そうに抱えながら、振り返って手招きをする。

 

オーンスタインは無言のまま、彼女の小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めた。

その足取りには、戦場で見せるような殺気は微塵もない。

ただ静かに、幼き導き手の後を追う従者のようであった。

 

二人が立ち寄ったのは、雑貨を扱う老人の露店だった。

 

少女が値段の交渉をしている間、オーンスタインは暇を持て余し、隣の青果店に並べられた果物に目を留めた。

それは、故郷ロードランでは見たことのない、真っ赤に熟した丸い果実だった。

 

彼は真鍮の巨大な籠手で、その一つをそっと持ち上げる。

 

分厚い金属の指先。

少しでも力加減を間違えれば、果実など容易く潰れてしまうだろう。

だが、オーンスタインの所作は、ひどく繊細で優しかった。

 

兜の奥で、じっと果実の丸みを観察する黄金の騎士。

 

「……へへっ、旦那。お目が高いね。今朝採れたばかりの、一番甘い奴だ」

 

恐る恐る声をかけた青果店の主人は、オーンスタインが果実を傷つけることなく、愛おしげに扱っているのを見て、ふっと警戒を解いた。

 

見た目は恐ろしいが、決して粗暴な化け物ではない。

その不器用な優しさが、無言のまま伝わったのだ。

 

少女が買い物を終えて戻ってくると、オーンスタインは無言でその赤い果実を彼女の前に差し出した。

 

「え? あ、私に……?」

 

少女が目を丸くすると、彼は静かに一度だけ頷いた。

文字を教え、そして今、自らの「管理者」となってくれた彼女への、ささやかな労いだった。

 

「……ありがとうございますっ!」

 

少女は花が咲いたように笑い、果実を両手で受け取った。

そして、代金の銅貨を青果店の主人に手渡す。

 

その一連のやり取りは、周囲の目を大いに惹きつけていた。

 

「……ねえ、見た? あの金色の騎士様」

「ええ……すっごく大きくて、怖そうだけど……なんだか、素敵ね」

「あの嬢ちゃんにだけ、あんなに優しくしてさ……」

 

ヒソヒソと、だが確かに熱を帯びた囁き声。

声の主は、市場へ買い出しに来ていた街の娘たちや、非番の女冒険者たちだった。

 

オーンスタインの甲冑は、男たちの闘争心を刺激するだけでなく、女性たちの目から見ても「美しい」のだ。

一切の装飾に隙がなく、無骨な中にも洗練された神代の芸術品。

 

そして何より、物言わぬ屈強な戦士が、小柄な少女を守るように付き従うその姿は、多くの女性の心を密かにときめかせていた。

 

視線が、熱い。

オーンスタイン自身は、周囲の反応など全く気にかけていない。

彼にとって、人間の雌からの視線など、風が吹くのと同じ程度の意味しか持たなかった。

 

だが、隣にいる少女は違った。

 

(……むっ)

 

少女は周囲の空気に敏感だった。

あちらこちらの露店の陰から、あるいは建物の二階の窓から、黄金の騎士へと向けられる好意的な視線。

頬を赤らめ、彼を見つめる女たち。

 

その瞬間、少女の胸の奥で、黒くて熱い何かがチリッと焦げた。

 

(だめ、だめです。オーンスタインさんは、私の……!)

 

彼女は咄嗟に、オーンスタインの分厚い腕に両手でしがみついた。

ぎゅっと、これ見よがしに身を寄せる。

 

「……?」

 

突然腕をホールドされたオーンスタインは、兜を僅かに傾けた。

歩きにくくなったわけではないが、なぜ彼女が急に自分に縋り付いてきたのか、理由が分からない。

 

「オ、オーンスタインさん! はぐれちゃ大変ですから、こうやって歩きましょう! ね!」

 

少女は少し早口でそう言うと、周囲の女たちに向かって、鋭い視線を送った。

まるで『この人は私の教え子で、私が管理してるんだから、手を出さないで!』と威嚇する、小さな番犬のように。

 

そのあからさまな牽制に、女たちは苦笑いをして視線を逸らした。

 

オーンスタインは、やはり彼女の意図を理解できなかった。

だが、人混みの中で迷子にならないための配慮だろうと解釈し、腕にしがみつく彼女の重みをそのまま受け入れることにした。

 

こうして、端から見れば「恋人同士の熱烈な密着」にしか見えない状態で、二人は市場での買い物を続けるのだった。

 

小さな魔術師の、独占欲に満ちた琥珀の日常。

だが、彼らが次に赴く場所で、運命は再び静かに動き出す。

 

 

第三部:岩石蜥蜴と、古竜の面影

 

市場の喧騒を抜け、二人は再び冒険者ギルドへと戻ってきた。

 

少女の腕には、新しく買った羊皮紙の束やインク瓶、そしてオーンスタインから渡された赤い果実が、大事そうに抱えられている。

 

ギルドの扉を潜ると、朝の活気は落ち着き、昼間の閑散とした空気が漂っていた。

酒場スペースで昼間から安酒を煽る数人の冒険者を除けば、依頼掲示板の前には人影もまばらだ。

 

オーンスタインは、再び張り出された羊皮紙の群れを見上げた。

 

彼の目的は、この街で日銭を稼ぎ、安穏と暮らすことではない。

かつての主、太陽の長子たる「無名の王」へと至る手がかりを探すこと。

それが、彼がこの異世界に降り立った唯一の理由であり、存在意義であった。

 

彼の視線が、ある一枚の依頼書でピタリと止まった。

 

そこに書かれている文字の詳細は読めない。

だが、余白に描かれていた一枚の粗い挿絵が、黄金の騎士の目を釘付けにした。

 

ゴツゴツとした岩のような鱗。

四肢に生えた鋭い爪。

そして、地を這う凶悪な爬虫類の姿。

 

(……竜の、眷属か)

 

オーンスタインの脳裏に、遠き故郷の記憶が鮮烈に蘇る。

 

岩のように硬い鱗を持ち、世界を支配していた不朽の古竜たち。

そして、その竜と同盟を結び、嵐の飛竜と共に天を駆けた彼の主の姿。

 

もし、この異世界にも「竜」やそれに連なる種が存在し、独自の生態を築いているのなら。

彼らの痕跡を辿り、その頂点たる存在の元へ至れば、次元を超えて空を旅する手立てが見つかるかもしれない。

あるいは、主の影に少しでも触れることができるかもしれない。

 

オーンスタインは、真鍮の籠手でその依頼書を静かに、だが確かな力強さで剥がし取った。

 

「オーンスタインさん? それは……」

 

隣にいた少女が、背伸びをするようにして羊皮紙を覗き込む。

彼女はそこに書かれた文字を追い、スラスラと読み上げた。

 

「『大岩蜥蜴(ジャイアント・ロックリザード)の討伐』……。街から北にある岩場に棲み着いた、厄介な魔物です」

 

少女は少しだけ眉をひそめた。

 

「全長は馬車ほどもあって、普通の剣じゃ弾かれちゃうくらい、すごく硬い岩の鱗を持っているそうです。……鋼等級の冒険者さんが、何人かで協力して倒すような相手ですよ?」

 

少女は解説を続けながら、ふと、黄金の騎士の横顔を見上げた。

そして、息を呑んで言葉を失った。

 

獅子兜の奥で、瞳が静かに、しかしどうしようもなく熱く燃えている。

 

先ほどまで市場で自分の後ろを歩き、不器用に果物を選んでいた、穏やかな従者のような気配。

それは、もう完全に消え去っていた。

 

そこにあるのは、途方もなく遠い空を見据える、探求者の熱。

そして、かつて無数の巨竜の鱗を貫き、岩を砕き、空を裂いてきた『竜狩り』としての、研ぎ澄まされた刃のような闘気であった。

 

(……ああ)

 

少女の胸の奥が、きゅっと、音を立てて痛んだ。

 

市場で女たちの視線を牽制し、彼の腕にしがみついて「独占」できた気になっていた自分が、ひどく滑稽で、子供じみて思えた。

 

彼が見ているのは、この街の平和ではない。

自分との温かい、琥珀色の日常でもない。

 

どこか遠い、神話の果てにある「王」の背中なのだ。

この人は、いずれ必ず、自分の手の届かない空の彼方へ旅立ってしまう。

その事実を、彼の燃えるような闘気が、残酷なほどに突きつけてきた。

 

寂しさと、どうしようもない焦燥感が、少女の喉を塞ぐ。

泣き出しそうになるのを、彼女は必死に奥歯を噛み締めて堪えた。

 

それでも。

 

「……オーンスタインさんの十字槍なら、きっと、あの硬い鱗も貫けますよね」

 

少女は、胸の痛みを押し殺して、無理に明るい声を出した。

 

彼が王を求めて旅立つ、その日が来るまで。

せめて今だけは、自分が彼の一番近くで、その進む道を導く存在でありたい。

足手まといではなく、彼の隣を歩く「相棒」でありたい。

 

「行きましょう、オーンスタインさん。私が、北の岩場まで案内します」

 

少女は抱えていた果実や荷物を革袋にきっちりとしまい込み、強い決意を込めて黄金の騎士を見上げた。

 

オーンスタインは、健気な少女の瞳を静かに見つめ返す。

彼女の内に渦巻く、痛いほどの切実な寂しさに、彼が気づいているのかは分からない。

だが、彼は確かな信頼を込めて、その小さな頭に手を置き、一度だけ深く頷いた。

 

市場での温かな日常は、ここで終わりを告げる。

己の魂に刻まれた「鱗」の記憶。

無名の王の影を追う、金獅子の新たな狩りが、今始まろうとしていた。

 

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