落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第十九話:【街道の風景と、規格外の旅人】

 

 

第一部:馬車と並走する影

 

澄み切った青空が広がる、辺境の街の朝。

正門を抜けた街道沿いには、東の大陸や南の都市へ向かうための『乗合馬車』や『貸切馬車』が数多く待機していた。

 

少女は革袋で運賃を支払い、南の中継地点『水の都』へ向かうための貸切馬車を一台手配した。

 

「さあ、オーンスタインさん! これに乗れば、あとは座っているだけで水の都に着きますよ!」

 

長旅のワクワク感からか、少女は馬車の木製ステップを軽やかに上り、満面の笑みで手招きした。

オーンスタインは小さく頷き、彼女に続いて馬車に乗り込もうと、ステップに足をかけた。

 

その、瞬間だった。

 

ミシッ……メキメキメキッ!!!

 

「ヒヒィィィンッ!?」

 

嫌な破砕音と共に車体が大きく右に傾き、繋がれていた二頭の馬が、後方の尋常ではない重さに恐怖して悲鳴を上げたのだ。

 

「うわあっ!? ちょ、ちょっと待て旦那! 馬車が壊れる!」

 

御者台に座っていた中年の男が、慌ててオーンスタインを制止する。

 

無理もない。

常人なら一歩も動けないほどの分厚い真鍮の重鎧。さらに身の丈を越える巨大な十字槍。

総重量など到底計算できるはずもなく、オーンスタインが乗り込めば、馬車の車軸が完全にへし折れるのは明白だった。

 

結局。

 

「……ごめんなさい、オーンスタインさん。私と荷物だけ、乗せてもらうことになっちゃって……」

 

馬車の窓から顔を出し、少女が申し訳なさそうに眉を下げる。

オーンスタインは気にした様子もなく、馬車のすぐ横に立ち、無言で首を振った。

『俺は歩くから、気にするな』というように。

 

「いやいや嬢ちゃん、気にするなって言われてもな……。本当にこのデカい旦那、歩きでついてこれるのか? 馬車は結構なスピード出すぞ?」

 

御者が半信半疑で馬に鞭を入れる。

車輪が回り出し、馬車は徐々に速度を上げ、やがて平原の街道を滑るように走り始めた。

 

だが、御者の心配は完全に杞憂に終わった。

 

ガシャァン……ガシャァン……。

 

馬車がどれだけ速度を上げても、黄金の騎士は窓のすぐ外を、まるで地面を滑るような神速の歩法でピタリと並走していたのだ。

息一つ乱すことなく。大股で歩いているだけに見えるのに、走る馬車の速度と完全に同調している。

 

「……嘘だろ。馬より速く歩く鎧なんて、聞いたことねえぞ……」

 

御者はドン引きした顔で、何度も後ろを振り返った。

 

それから半日ほどが過ぎた。

街道の風景は、荒涼とした岩場から、徐々に緑豊かな平原へと移り変わっていく。

 

馬車の中の少女は、窓枠から身を乗り出し、ずっとオーンスタインに話しかけたり、水筒を差し出したりと甲斐甲斐しく世話を焼いていた。

 

「オーンスタインさん、喉渇いてませんか?」

「……」

「あっ、あの山、すごく綺麗ですよ! ロード……故郷にも、あんな山はありましたか?」

 

彼が言葉を返せなくても、少女はずっと楽しそうに笑いかけている。

 

その様子を御者台からチラチラと見ていた男は、オーンスタインが敵意のない大人しい(?)存在だと分かると、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。

 

「なあ、嬢ちゃん」

 

御者が、馬車の中に声をかける。

 

「そのデカい旦那、言葉があんまり通じない異国の騎士なんだろ? 嬢ちゃんが財布の紐まで握って、甲斐甲斐しく世話焼いてるが……」

 

嫌な予感がして、少女の肩がピクリと跳ねる。

 

「もしかして、駆け落ちしてきた『新婚夫婦』かい? 旦那さんって呼ぶには、ちょっと嬢ちゃんにはデカすぎる気もするがな!」

 

「ふ、ふ、ふぅふぅぅっ!?」

 

からかいの言葉に、少女の顔が一瞬で茹でダコのように真っ赤に染まった。

慌てて窓枠から身を引き、両手をぶんぶんと振り回す。

 

「ち、ちがっ! 違います! 夫婦とか、そういうんじゃなくて! 私はオーンスタインさんの相棒というか、お財布係というか! とにかく、そんな、あのっ!」

 

パニックに陥り、早口でまくし立てる少女。

その異常な慌てふぶりに、窓の外を並走していたオーンスタインが、不思議そうに兜の奥の瞳を向けた。

 

(……フウフ?)

 

この世界の言葉を少しずつ学習している彼だが、流石にその単語は知らない。

オーンスタインは歩みを止めることなく、窓の中の少女を見つめ、少しだけ小首を傾げた。

 

「……フゥ、フ?」

 

ひどく掠れた、不器用な発音。

意味も分からず、ただ聞こえた音をオウム返ししただけだ。

 

「わあぁぁぁぁっ! 今のは覚えなくていいです! 絶対に忘れてください!」

 

少女は顔から火が出そうなほど真っ赤になりながら、両手で自分の顔を覆い隠して座席にうずくまってしまった。

 

「がはははっ! こりゃあいい。言葉が分からなくても、愛は伝わってるみたいじゃねえか!」

「もう! 御者さん、からかわないでくださいーっ!」

 

街道に、御者の豪快な笑い声と、少女の情けない抗議の声が響き渡る。

黄金の獅子は、やはり言葉の意味が分からず、ただ静かに青空の下を並走し続けていた。

 

 

第二部:星空の野営と、新しい言葉

 

陽が完全に落ち、夜の帳が街道を包み込む頃。

一行は街道沿いの開けた平原に馬車を停め、野営の準備を始めていた。

 

「ふぁぁ……俺はもう寝るぜ。見張りは……まあ、旦那がいりゃあ必要ねえだろうがな」

 

御者の男は、馬車の荷台で毛布に包まると、早々に高い鼾(いびき)をかき始めた。

 

それもそのはずである。

焚き火から少し離れた暗がりに、見上げるような黄金の巨人が静かに立っているのだ。

 

彼が兜の奥から鋭い視線を周囲に配り、微かに闘気を漂わせているだけで、街道筋に潜む魔物や野盗はおろか、羽虫すら恐れをなして一切寄り付かない。

これほど安全で、かつ威圧感のある野営は、ベテランの御者にとっても初めての経験だった。

 

パチパチと、焚き火の爆ぜる音が夜の静寂に響く。

 

「オーンスタインさん」

 

火の番をしていた少女が、立ち尽くす黄金の騎士を振り返った。

 

「そんなに離れていないで、こっちに来ませんか? 火のそば、暖かいですよ」

 

彼女が隣の丸太をポンポンと叩くと、オーンスタインは静かに歩み寄り、ガシャァン、と重厚な音を立てて腰を下ろした。

 

揺らめく炎が、真鍮の甲冑を赤く照らし出す。

昼間の「からかい」を思い出して少しだけ頬を染めつつも、少女はえっへん、と小さく胸を張った。

 

「さて! 久しぶりの『言葉の授業』を始めましょうか!」

 

彼女は手頃な枯れ枝を拾い上げると、焚き火に照らされた地面の土をキャンバスにして、キュッキュッと文字を書き始めた。

 

「私たちが次に向かっている場所。これが……『水(みず)』です」

 

流れるような三本の線を引く。

 

「そして、これが……『都(みやこ)』」

 

オーンスタインは、地面に書かれた文字と少女の顔を交互に見つめ、兜の奥で静かに瞬きをした。

 

かつて神代の時代、彼もまた主の書物や古い碑文を読んできた。

だが、この異世界の言語体系は全く異なる。彼は今、真っ白な子供のように、少女から世界を教わっているのだ。

 

「……ミ、ズ。……ミヤ、コ」

 

長きに渡り使われていなかった彼の声帯から、ひどく掠れた、低く重い声が漏れた。

ゆっくりと、確かめるように音を反芻する。

 

「はい! すごいです、オーンスタインさん。バッチリですよ!」

 

少女は花が咲いたように笑うと、続いて、その二つの単語の隣に、もう一つの文字を書き足した。

 

「じゃあ、最後はこれです。『旅(たび)』」

 

旅。

その言葉を聞いて、オーンスタインの黄金の瞳が僅かに揺れた。

 

「オーンスタインさんが、王様を探すために歩いてきた道のことです。そして……」

 

少女は、少しだけ照れくさそうに、けれど真っ直ぐに彼を見上げた。

 

「これからは、私がオーンスタインさんと一緒に歩く道のこと、ですね」

 

焚き火の熱のせいだけではない。

彼女の琥珀色の瞳には、もう「置いていかれるかもしれない」という焦燥はなかった。

隣に座る神代の騎士が、自分の歩幅に合わせて、共にこの世界を歩んでくれることを知ったからだ。

 

オーンスタインは、地面に書かれた『旅』という文字をじっと見つめ続けた。

 

かつてアノール・ロンドを捨て、主を追って古竜の頂を彷徨い、そしてこの見知らぬ四方世界へと迷い込んだ孤独な道程。

それは果てしなく暗く、ただ魂を摩耗させるだけの孤独な『探索』だった。

 

だが今、彼の傍らには、小さな火を囲み、無邪気に笑いかけてくれる存在がいる。

孤独な探索は、いつしか、誰かと肩を並べて歩く『旅』へと変わっていた。

 

「……タ、ビ」

 

オーンスタインが、ひときわ深く、その言葉を口にする。

 

そして、彼は大きな真鍮の籠手をそっと伸ばし、少女の頭を不器用にぽん、と撫でた。

 

「えへへ……。私、オーンスタインさんの先生ですからね。もっといっぱい、言葉を教えますから」

 

少女は嬉しそうに目を細め、彼の手のひらに自分の小さな手を重ねた。

 

「でも……」

 

不意に、少女は何かを思い出したように顔を真っ赤にし、ぷいっとそっぽを向いた。

 

「昼間の、変な言葉はもう忘れちゃっていいですからね! 『フウフ』とか、そういうの!」

 

オーンスタインは不思議そうに小首を傾げたが、少女が照れ隠しに焚き火をつつく姿を見て、兜の奥で僅かに目を細めた。

それは、彼なりの静かな微笑みだった。

 

満天の星空の下、二人の夜は穏やかに更けていく。

 

 

第三部:湿る風、巨大な運河の街

 

それから数日。

馬車が東へ進むにつれ、街道の景色は劇的な変化を見せていた。

 

青々と茂る草原は徐々に湿地帯へと変わり、街道の傍らには無数の小川や運河が、まるで網目のように張り巡らされている。

風は湿り気を帯び、微かに川魚や水草の匂いを運んでくる。辺境の乾いた岩場とは完全に異なる、水郷の景色であった。

 

黄金の騎士オーンスタインは、相変わらず馬車の横を、滑らかで静謐な歩法でピタリと並走し続けている。

その足取りは、故郷ロードランにある「白竜シース」の結晶の書庫や、雨の降りしきる「小ロンド」を歩いた時の感覚を、彼に微かに思い出させていた。

 

不意に、街道の前方の茂みが、ガサリと不自然に揺れた。

 

「ヒッヒッヒ……。お頭、来たぜ。カモだ」

 

街道脇の湿地に隠れた野盗の群れ。

その一人が、近づいてくる一台の貸切馬車を見つけ、下俗な笑みを浮かべた。

 

「貸切馬車か。上出来じゃねえか。御者と……ガキ、それに女がいるな」

 

お頭と呼ばれた、顔に古い傷のある男が、馬車の窓から見える少女の姿を見て、ニヤリと唇を舐めた。

 

「いつもの仕事だ。御者は殺せ。ガキは売れ。女は上玉だ、俺のもんだ。金目のものは全部奪え。……へへっ、最近はカモが少なくて退屈してたんだ。たっぷり楽しませてもらおうじゃねえか」

 

野盗たちは、自分たちがこの街道の『支配者』であると疑っていなかった。

これまで何度も、同じように馬車を襲い、金と命を奪ってきた。

彼らにとって、これから起きることは「いつもの仕事(ルーチンワーク)」に過ぎない。

 

楽観と欲深さに満ちた野盗たちが、一斉に街道へと飛び出した。

 

「止まれッ! 荷物を置け! さもなきゃ、命はねえぞッ!!」

 

野盗のリーダーが、錆びた大剣を御者台に向けて吠える。

彼らの背後からは、十人近い男たちが、棍棒やナイフを手に、汚らしい声を上げて馬車を取り囲んだ。

 

「ひいぃぃっ! 野盗だああっ!」

 

御者の男は、慌てて馬車を停め、御者台から転げ落ちるように地面に這いつくばった。

馬車の窓から覗いた少女の顔も、恐怖に青ざめる。

 

「へへっ、嬢ちゃん。大人しくしてれば、悪いようには……」

 

リーダーの男が、少女の顔を覗き込もうと、馬車のドアに手をかけた、その瞬間。

 

馬車の影から。

陽光を反射して輝く、巨大な黄金の鎧が、静かに野盗たちの前に進み出た。

 

「……あ?」

 

リーダーの男の言葉が、喉の奥で凍りついた。

見上げるような、巨軀。

黄金の獅子を模した、威圧的な兜。

そして、その背には、身の丈を越える巨大な十字槍が背負われている。

 

「な……何だ、あれは……?」

 

野盗たちの欲深さに満ちた顔が、一瞬で絶望と恐怖に染まった。

彼らがこれまで見てきた、どんな魔物や、どんな熟練の騎士とも異なる。

全身から立ち昇る、圧倒的な、神話的なまでの『強者』の気配。

 

それは、彼らの常識の物差しでは測れない、異次元の存在だった。

「いつもの仕事」などという楽観は、その黄金の獅子を見上げた瞬間に、砂の城のように崩れ去った。

 

オーンスタインは、ただ無言で野盗たちを見下ろした。

獅子兜の奥から、静かで、しかし途方もなく重い殺意が、周囲の空気を歪ませる。

 

彼がソウル(熱量)を僅かに放っただけで、周囲の湿地の空気がパチパチと音を立てて爆ぜ、黄金の雷の残滓が火花を散らす。

 

槍を構えるまでもない。

ただ見下ろすだけで十分だった。

 

「……ッ!」

 

リーダーの男は、恐怖のあまり悲鳴を上げることすらできず、錆びた大剣を地面に落とした。

その膝はガクガクと震え、次の瞬間には、腰を抜かして泥の中にへたり込んだ。

 

「ば……化け物だああっ!!」

「助けてくれ、俺が悪かったああっ!」

 

他の野盗たちも、棍棒やナイフを放り出し、蜘蛛の子を散らすように街道の奥へと逃げ惑った。

中には、恐怖のあまり泡を吹いて気絶する者や、腰を抜かして動けなくなり、その場で失禁する者までいた。

 

黄金の獅子は、逃げ惑う彼らに追撃を加えることなく、ただ静かに十字槍を背負い直した。

 

「……オーンスタインさん。また、気配だけで……」

 

馬車の窓から少女が顔を出し、安心したように、けれど少し呆れたように溜息を吐いた。

彼女にとっては、これもまた「いつもの旅の景色」になりつつあった。

 

「がはははっ! さすが旦那だ! 槍を抜く暇さえ与えねえなんてな!」

 

這いつくばっていた御者も、慌てて立ち上がり、黄金の騎士の威容に感謝の言葉を述べた。

 

馬車は、腰を抜かしている野盗のリーダー(既に動く気力もない)を置いて、再び水の都へ向かって走り出した。

 

それから数時間。

街道の前方に、巨大な防壁と、無数の水路に囲まれた大都市『水の都』の偉容が見えてきた。

 

運河を往来するゴンドラや、巨大な石造りの建物、そして街を護るようにそびえ立つ防壁。

湿った風が、新たな出会いと、新たな物語の気配を運んでくる。

 

凸凹な二人の旅は、辺境を離れ、ついにこの巨大な水郷の大都市へと到着しようとしていた。

 

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