落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第二十二話:【転移の鏡と、深淵の這う者】

 

 

水の街の地下深くに広がる、神代の遺跡。

オーンスタインの神雷によって小鬼(ゴブリン)の群れが消し炭となった水路を抜け、一行はさらに奥へと歩を進めていた。

 

水路の終端。

そこは、水が完全に干上がり、むき出しの冷たい石畳が広がる広大な空間だった。

位置関係から察するに、おそらく至高神の神殿の真下、この巨大な遺跡の『中心部』にあたる場所だ。

 

「……ここが行き止まりか。いや」

 

先頭を歩いていたゴブリンスレイヤーが、松明を高く掲げた。

 

暗闇が退き、照らし出された部屋の奥。

そこには、神殿の祭壇にも似た古びた石造りの台座と、その上に鎮座する不気味な巨大な『鏡』があった。

 

「あの鏡……! 魔力が渦巻いておるぞ」

 

鉱人道士(ドワーフ)が警戒するように杖を構える。

だが、鏡の表面は黒く濁り、何も映していない。

時折、波紋のように表面がぐにゃりと歪み、微かな瘴気を吐き出しているだけだ。

 

「……原因はこれか」

 

ゴブリンスレイヤーは、鉄兜の奥で低く呟いた。

水の街の地下という、外部から侵入しにくい閉鎖空間に、なぜこれほど大量の小鬼が巣食っていたのか。

 

「転移の鏡だ。街の外にいる小鬼どもは、あの鏡を通じてここへ送り込まれていたらしい」

 

「転移ですって? そんな高度な古代の遺物を、小鬼が自力で扱えるわけないわ」

 

妖精弓手(ハイエルフ)が、忌々しそうに弓を下ろす。

 

「ああ。裏で糸を引いている者がいる。……だが、あの鏡を壊せば、この街への小鬼の供給は絶てる」

 

極めて合理的な結論。

小鬼殺しが鏡を破壊する算段を立てている横で、ドワーフとお財布係の少女は、別のものに目を奪われていた。

 

「ドワーフの親方さん、見てください。鏡の隣に、大きな石の炉みたいなものがあります」

 

少女が指差したのは、冷え切った巨大な石の器だった。

 

「おおっ!? これは……!」

 

ドワーフは転移の鏡そっちのけで、その石の炉に駆け寄った。

分厚い手で炉の縁を撫で、残された灰の臭いを嗅ぐ。

 

「間違いない……。嬢ちゃん、そして金獅子の旦那! ここはかつて、神代の『種火』がくべられていた祭壇じゃ! とてつもない高熱で石が変質した痕跡がある!」

 

その言葉に、背後で周囲を警戒していたオーンスタインの肩が僅かに反応した。

やはり、この遺跡には彼の故郷(ロードラン)の祭祀場に通じる『火』の残滓が存在していたのだ。

 

だが。

 

「……火そのものは、とうの昔に失われておるようじゃがな。あるいは、誰かが持ち去ったか」

 

ドワーフが残念そうに溜息を吐いた。

 

手がかりはあったが、目的の『火』はない。

少女がしょんぼりと肩を落とそうとした、その時だった。

 

「――」

 

オーンスタインが、無言のまま少女の襟首を掴み、ヒョイッと自分の背後へ引き寄せた。

 

「えっ? オ、オーンスタインさん?」

 

彼らのやり取りを静観していたゴブリンスレイヤーも、ピタリと動きを止めた。

 

「……何か来るぞ」

 

ゴブリンスレイヤーが小盾を構える。

 

遺跡の中心部に、急速に『異変』が広がり始めていたのだ。

 

小鬼の足音ではない。

気配も、息遣いもない。

ただ、部屋の無数の通路から、空気がねっとりと重くなるような、極めて異質な威圧感が這い寄ってくる。

 

「……な、何よこれ。息が、詰まりそう……ッ」

 

妖精弓手が、自らの首元を押さえて後退る。

エルフの鋭敏な感覚が、過剰なまでの生存本能のアラームを鳴らしていた。

 

遺跡の壁や天井が、不自然に赤黒く変色しているように見える。

そして漂ってくるのは、甘ったるい、死肉が腐ったような酷い悪臭。

 

「ふしゅるるる……。なんという、穢れた気配。小鬼どもの悪臭とは比べ物にならん」

 

蜥蜴僧侶(リザードマン)が、嫌悪感に牙を剥き出しにした。

 

四方世界の住人である彼らには、その臭いの正体が分からない。

だが、オーンスタインだけは、痛いほどによく知っていた。

 

(……この臭い。まさか)

 

黄金の兜の奥で、彼の目が鋭く細められる。

 

それは、彼の故郷であるロードランの最底辺。

光の届かない病み村の奥底や、大樹のうつろに巣食う、極めて不快で致命的な異形たちの残り香。

 

――『深淵』に近い、呪いの臭い。

 

オーンスタインは、背負っていた十字槍をゆっくりと右手に持ち替えた。

そこに、いつも纏わせている神聖な雷光はない。

 

代わりに放たれたのは、一帯の温度が数度下がったかと錯覚するほどの、冷たく、純度の高い『殺気』。

 

ただの小鬼退治から、一転。

彼が長らく離れていた『害虫駆除(深淵の掃除)』の時間が、ひっそりと幕を開けようとしていた。

 

「ギィッ! ギャハハハハッ!!」

 

不気味な沈黙を破り、部屋の奥に鎮座する『転移の鏡』の表面が水面のように揺れた。

そこから、下劣な笑い声と共に数匹の小鬼が姿を現す。

 

彼らは新たな獲物を求めて、この水の街の地下へと送り込まれてきたのだろう。

だが、その邪悪な笑みは、次の瞬間に『理解不能な恐怖』へと変わることになる。

 

ベチャッ。

 

湿った、ひどく不快な音が響いた。

 

「……ギ?」

 

小鬼の一匹が頭上を見上げた瞬間。

遺跡の天井に張り付いていた『何か』が、その小鬼の顔面へと落下してきたのだ。

 

「ギャァァァァァッ!?」

 

小鬼が顔を抑えて悲鳴を上げる。

その悲鳴を聞いて、ゴブリンスレイヤーたちが松明の明かりを向けた先。

 

そこにいたのは、四方世界のどんな魔物辞典にも載っていない、おぞましい異形だった。

 

「な、なんじゃあれは……!?」

 

鉱人道士が思わず後ずさる。

 

それは、四足で這い回る巨大なカエルのような、あるいはトカゲのような醜悪な姿をしていた。

何よりも異様なのは、頭部の大半を占める『巨大すぎる二つの眼球』である。

今にも破裂しそうなほどに膨れ上がった黄色い偽眼が、ギョロギョロと無作為に動いている。

 

(……いや。あの巨大な目は飾りだ)

 

ゴブリンスレイヤーは、極めて冷静にその異形の構造を観察していた。

巨大な偽眼の下、顎の付け根あたりにある小さな黒い点。それこそが、この化け物の『本当の目』だ。

 

「……ッ、上だ! まだ来るぞ!!」

 

蜥蜴僧侶が上空を見上げ、叫んだ。

 

その警告と同時に、遺跡の暗がりから、ボトボトと雨のように『それら』が降ってくる。

一匹や二匹ではない。数十、いや、数百に近い群れだ。

 

彼らは喉の奥にある巨大な袋を、カエルのようにグゥゥゥッと膨らませた。

 

「シィィィィィィィッ……!!」

 

異形たちが一斉に、その口から『灰色がかった煙』を吐き出した。

 

「ギ、ギギッ……!?」

 

煙をまともに浴びた小鬼たちが、喉を掻きむしるようにして倒れ込む。

だが、それはただの毒ガスではなかった。

 

「な……嘘、でしょ……?」

 

妖精弓手が、青ざめた顔で弓を落としそうになる。

 

煙に包まれた小鬼たちの肉体が、足元から急速に『変色』し始めていたのだ。

生きた皮膚が、硬く冷たい無機物へと変わっていく。

数秒と経たないうちに、苦悶の表情を浮かべていた小鬼たちは全員、赤黒い結晶が混じった『石像』へと成り果てていた。

 

そして、完全に石化した小鬼の石像は、そのまま自重に耐えきれずに崩れ落ち、無惨な破片となって床に散らばった。

 

「石化……いや、即死の呪い(カース)か!?」

 

ドワーフが悲鳴のような声を上げた。

 

四方世界にも石化の魔法や魔眼を持つ化け物はいる。

だが、これほど広範囲に、これほど一瞬で対象を死に至らしめる『死の霧』など、聞いたこともない。

 

「下がるな! 息を止めても無駄だ、あの霧に少しでも触れるなッ!!」

 

ゴブリンスレイヤーが、かつてないほど切羽詰まった声で叫んだ。

皮膚に触れただけで呪殺される。防御力も魔法耐性も意味を成さない、完全な『理不尽』。

 

だが、閉鎖された地下遺跡の空間で、数百の異形が吐き出す死の霧は、逃げ場を奪うように急速に充満していく。

 

「ヒャァァァァァッ……!」

「シィィィィィッ!!」

 

バジリスク(呪い蛙)の群れは、巨大な偽眼を揺らしながら、次なる獲物――銀等級の冒険者たちへと狙いを定めた。

 

這いずる不快な音と共に、死の霧が津波のように押し寄せてくる。

 

「いや……こないで……ッ!」

「プロテクション(聖壁)を……くっ、詠唱が間に合わない……!」

 

後衛にいたお財布係の少女と女神官が、迫り来る灰色の絶望を前に身を寄せ合った。

 

剣も、魔法も、奇跡も届かない。

触れれば終わる、絶対的な死の気配。

小鬼殺しでさえ、この理不尽な初見殺しの前にはなす術がないと悟った、その瞬間。

 

ガシャンッ。

 

少女たちの目の前に、見慣れた巨大な黄金の背中が、静かに割り込んだ。

 

どれだけ待っても、その恐ろしい『石化の呪い』が彼女たちの肌に触れることはなかった。

 

「……え?」

 

恐る恐る目を開けた少女の視界を塞いでいたのは、見慣れた、だが今までで一番頼もしい『黄金の背中』だった。

 

オーンスタイン。

彼は少女たちの前に静かに立ち塞がると、右手に持った長大な十字槍を、ゆっくりと水平に構えた。

 

バジリスクの群れが、標的を遮った黄金の騎士へと一斉に顔を向ける。

醜悪な偽眼が揺れ、喉元の袋が不気味に膨らんだ。

 

「シィィィィィィィッ!!」

 

数百の群れが、一斉に極大の死の霧を吐き出した。

逃げ場のない地下遺跡で、灰色の絶望がオーンスタインの巨体を完全に飲み込もうとする。

 

「いかんッ! 金獅子の旦那ァ!!」

 

ドワーフが血相を変えて叫んだ。

 

その瞬間だった。

 

ブゥゥゥゥンッッ!!!

 

大気をへし折るような、鼓膜を破る爆音が地下空間に轟いた。

 

オーンスタインが、右腕一本で長大な十字槍を――神速で、横薙ぎに一閃したのだ。

 

それは魔法でも、奇跡でもない。

ただの『物理的なスイング』。

 

だが、常識を外れた神話の膂力と、規格外の質量を誇る真鍮の武器が生み出した一撃は、地下遺跡の中に『局地的な暴風』を巻き起こした。

 

「な……ッ!?」

 

妖精弓手が、吹き荒れる突風に思わず目を細める。

 

ごぉぉぉぉっ! という轟音と共に、迫り来ていた灰色の死の霧が、文字通り『吹き飛ばされた』。

物理的な質量を持たないはずの呪いのガスが、暴風の壁に叩きつけられ、天井や後方の壁へと散らされて完全に霧散していく。

 

「バ、バカな……。呪いを……ただの『風圧』でかき消したじゃと!?」

 

ドワーフが、自分の目を疑うように呆然と呟いた。

魔力による相殺ですらない。純粋な『暴力的なまでの風』が、理不尽な死の魔法を力技でねじ伏せてしまったのだ。

 

霧を剥がされ、バジリスクたちが無防備な姿を晒す。

偽眼がギョロギョロと動き、困惑したように喉を鳴らした。

 

その隙を、竜狩り(オーンスタイン)が見逃すはずがない。

 

スッ……。

 

ガシャリ、という金属音は鳴らなかった。

250センチを超える黄金の巨体が、重力を無視したかのように、床を滑るような『無音の歩法』で一瞬にして距離を詰める。

 

「――ッ」

 

ゴブリンスレイヤーの目すら追いつけない、神速の踏み込み。

 

オーンスタインは一切の雷を纏っていなかった。

純粋な、洗練され尽くした『槍の技』のみ。

 

ドスッ!

ドスッ! ドスッ!!

 

肉を穿つ、冷酷な音が連続して響く。

オーンスタインの十字槍は、バジリスクの巨大な偽眼には一切触れなかった。

その下にある、喉元の小さな黒い点――『本当の目』だけを、精密機械のような正確さで次々と串刺しにしていく。

 

「シ、ギィィィィ……ッ!?」

 

悲鳴を上げる間も与えない。

槍を引く動作すら見えず、ただ黄金の閃光が瞬くたびに、異形たちが致命の急所を貫かれて絶命していく。

 

それは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。

舞踏のように美しく、そして死神のように無慈悲な『作業』。

 

かつて神話の時代に、空を覆う不朽の古竜たちの分厚い鱗の隙間を的確に穿ち続けた、四騎士筆頭としての絶対的な技量。

深淵の底から這い出たような不快な害虫など、彼の槍術の前にはただの動く的でしかなかった。

 

「……なんという、槍さばき」

 

蜥蜴僧侶が、己の武器を下ろしたまま魅入られたように呟いた。

剣の達人でもある彼から見ても、その動きは一切の無駄がなく、究極の機能美に到達している。

 

ものの数分。

滑るように遺跡を駆け巡った黄金の騎士が、最後の一匹の喉元を石突で砕いた時。

広大な地下空間には、バジリスクの死骸だけが散乱し、再び静寂が戻っていた。

 

「……終わったか」

 

ゴブリンスレイヤーが、松明を掲げ直しながら油断なく周囲を見渡す。

死の霧は完全に消え去り、もはや動くものは何一つない。

 

オーンスタインは槍についた体液を軽く振り払うと、部屋の奥――小鬼と異形たちを呼び寄せていた『転移の鏡』へと静かに歩み寄った。

 

彼は鏡の前に立つと、振り返ってゴブリンスレイヤーを見た。

 

「ああ。それはもう必要ない。……壊してくれ」

 

小鬼殺しの淡々とした許可。

それを聞いたオーンスタインは、小さく一度だけ頷いた。

 

そして、十字槍の石突を高く振り上げ――鏡の中心へ向けて、渾身の力で叩きつける。

 

ガシャァァァァンッッ!!!

 

甲高い破砕音と共に、怪しく光っていた巨大な鏡が、無数の破片となって飛び散った。

鏡枠に込められていた魔力が、光の粒子となってフッと霧散していく。

 

「……これで、水の街の小鬼騒動の根源は断たれた」

 

ゴブリンスレイヤーは、粉々になった古代の遺物を見下ろしながら、小さく息を吐いた。

 

「ふぅ……。生きた心地がしなかったわよ。あの気味の悪いカエルのお化け、一体何だったのよ……」

 

妖精弓手が、ようやく緊張を解いて座り込む。

 

「オーンスタインさん!」

 

お財布係の少女が、小走りで黄金の騎士に駆け寄り、その分厚い真鍮の装甲に抱きついた。

 

「ありがとうございます……! オーンスタインさんがいなかったら、私、本当に石ころにされちゃうところでした……!」

 

オーンスタインは、足元で自分を見上げる少女の頭を、大きなガントレットでポン、ポンと不器用な手つきで二回ほど撫でた。

 

言葉は通じずとも、その仕草だけで、彼が『無事でよかった』と安堵していることが十分に伝わってきた。

 

「……ふしゅるるる。全く、我らは金獅子殿に頼りきりですな」

 

「まったくだ。だが、これで剣の乙女様への依頼は無事に達成じゃ!」

 

銀等級のパーティにも、ようやく安堵の笑みが広がる。

古代の遺跡に潜んでいた『深淵の呪い』は、一人の神話の騎士の純然たる武技によって、完全に払拭されたのだった。

 

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