落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第二十四話:【潮騒の港町と、波間に響く友の声】

 

 

どこまでも続く、抜けるような青空だった。

 

水の街での激闘を終え、大司教からの破格の報酬と、次なる目的地への道標を得た二人は、東の大陸への船が出る港町を目指して街道を進んでいた。

 

「ほら、オーンスタインさん! 見えてきましたよ!」

 

街道を往く乗合馬車。

その御者台の隣にちょこんと座ったお財布係の少女が、身を乗り出すようにして遠くを指差した。

 

吹き抜ける風が、微かに潮の香りを運んでくる。

平原の向こう、地平線の先でキラキラと太陽の光を反射しているのは、広大な海だ。

 

『……ウ、ミ』

 

馬車のすぐ横。

ドスッ、ドスッ、と一定のリズムで大地を踏みしめながら、黄金の巨人が低い声で呟く。

 

「はい! 海(うみ)です!」

 

少女がパッと花が咲くような笑顔を向けた。

 

オーンスタインは馬車には乗っていない。

いや、正確には「乗れない」のだ。

 

彼の身を包む重厚な真鍮の鎧は、常人であれば一歩も動けないほどの圧倒的な質量を誇る。

試しに乗合馬車の荷台へ片足を乗せた瞬間、車軸が悲鳴を上げてひしゃげそうになり、馬が泡を吹いて倒れかけたため、乗車は即座に却下された。

 

結果として、彼は馬車の隣を『自分の足で走って並走する』という手段を取っていた。

 

だが、その動きは異様だった。

疾走する馬車に遅れまいと走っているはずなのに、彼の巨大な体躯は上下に一切ブレない。

重力を無視したかのように滑らかに地を蹴り、恐るべき歩幅で淡々と横を並走しているのだ。

 

すれ違う旅人や商人たちが、目を剥いて悲鳴を上げ、慌てて道を譲っていく。

無理もない。見上げるような黄金の巨人が、馬車と同じ速度で無音のまま迫ってくる光景は、控えめに言って悪夢でしかない。

 

だが、当のオーンスタインは周囲の怯えた視線など全く気にしていなかった。

 

(……これが、海)

 

兜の奥の視線は、遠く広がる青い水面へと向けられている。

 

彼の故郷(ロードラン)にも、水辺はあった。

だが、それは果てしなく続く灰の湖であったり、暗く澱んだ深淵の底であったりした。

これほどまでに明るく、生命力に満ち溢れた広大な青は、彼の永きに渡る記憶の中にも存在しない。

 

「海に着いたら、あの船(ふね)に乗るんです! そしたら、東の大陸へ行けますからね」

 

少女が、遠くの港に停泊しているマストを指差して教える。

 

『……フ、ネ』

 

「そうです、ふ・ね! オーンスタインさん、新しい言葉を覚えるのが早くなりましたね!」

 

オーンスタインは、嬉しそうに笑う少女を見下ろし、兜の奥で微かに目を細めた。

 

言葉が通じない異世界での旅。

最初は互いの意思を汲み取るのも一苦労だったが、夜の野営や移動の合間に、彼女は根気強くこの世界の言葉を教えてくれた。

そのおかげで、今では簡単な単語であれば、片言だが発音できるようになりつつある。

 

(……不思議なものだ)

 

彼は、己の手にある長大な十字槍を軽く握り直した。

 

神の都を捨て、無名の王を追う孤独な探索の旅。

それは、ただ過去の幻影にすがり、己の魂をすり減らすだけの、終わりのない虚無の行軍だった。

 

だが今はどうだ。

隣には、風に髪を揺らして笑う小さな同行者がいる。

彼女の言葉を学び、新たな景色を知り、未知の地へと足を踏み入れようとしている。

 

かつての親友――アルトリウスが言った通り。

この脆く小さな存在は、亡者に堕ちかけていた彼を現世に繋ぎ止める、何よりも確かな『光』となっていた。

 

「ああっ! 見てください、港町が近づいてきましたよ!」

 

少女の弾んだ声に、オーンスタインは前方を向いた。

 

街道の先に、石造りの防壁と、無数の帆柱が林立する活気ある街並みが見えてきた。

潮騒の音が、徐々に大きくなっていく。

 

未知なる海を越え、竜の伝承が眠るという『東の大陸』へ。

二人の新たな冒険の幕開けとなる港町は、もう目の前まで迫っていた。

 

---

 

潮の香りが、一段と濃くなった。

 

無数のカモメが空を舞い、男たちの荒々しい怒号と、荷車が行き交う喧騒。

四方世界でも有数の規模を誇るその港町は、東の大陸や様々な島々へと向かう船が集まる、活気に満ちた海の玄関口だった。

 

「ひゃあ……! すごい人ですね、オーンスタインさん!」

 

人混みの中、少女はオーンスタインの巨大な腕にしっかりと掴まりながら、目を丸くして周囲を見渡していた。

 

二人が歩くたび、周囲の群衆がモーセの十戒のようにパカッと真っ二つに割れて道ができる。

 

2.5メートルを超える黄金の巨大な鎧が、無音で滑るように歩いてくるのだ。

街の人々がギョッとして道を譲るのも無理はない。

 

だが、そんな周囲の怯えた視線などどこ吹く風で、二人は港に停泊している最も巨大な帆船へと向かった。

東の大陸へと向かう、頑丈な大型の商船だ。

 

しかし、そこで彼らはさっそく『壁』にぶち当たることになった。

 

「だーっ! ダメだダメだ! 乗せられねえって言ってんだろ!」

 

商船の甲板へ続くタラップの前。

日に焼けた筋骨隆々の船長が、オーンスタインを見上げて大きく腕を交差させた。

 

「見ろよこのデカさ! 客室のドアどころか、天井につっかえちまう!」

 

「そ、そんな! この鎧、見た目ほど重くないんですよ!? ね、オーンスタインさん!」

 

少女が必死に庇うが、船長は譲らない。

 

「おまけに、そんな重てぇ鉄の塊が甲板を歩き回ったら、最悪床板がぶち抜けちまうだろうが!」

 

船長は忌々しそうに黄金の巨人を睨みつける。

 

「それにだ。……海の男ってのは験(げん)を担ぐんだよ。そんな、中身が入ってるのかも分からねえ『呪われたゴーレム』みてえなモンを船に乗せたら、海神様の怒りを買っちまう!」

 

船員たちも、オーンスタインの放つ威圧感に怯え、遠巻きにヒソヒソと囁き合っている。

 

神代の騎士に向かって呪われたゴーレムとは失礼な話だが、彼らにしてみれば命を預ける船の安全が第一なのだ。

 

乗船拒否。

オーンスタインは兜の奥で小さく息を吐き、諦めて背を向けようとした。

 

だが。

 

「……呪われたゴーレムじゃありません」

 

彼の手を引いていた少女が、スッと前に出た。

 

その声は、いつもオーンスタインに向ける甘えたようなものではない。

歴戦の冒険者たちと渡り合ってきた『黒曜等級』としての、静かで力強い声だった。

 

「彼は、辺境の街を救い、水の都の地下で異形を討伐した高位の冒険者です」

 

少女は首元から自身の認識票を引っ張り出し、船長の目の前に突きつけた。

艶やかな黒い輝きを放つ、黒曜の札。

 

「こ、黒曜等級だと……!? こんなガキが!?」

 

驚く船長を畳み掛けるように、少女はローブの懐から、あの革袋を取り出した。

大司教(剣の乙女)から受け取った、破格の報酬だ。

 

ジャラァッ!

 

乱暴に袋の口を開け、近くの木箱の上に中身をぶちまける。

 

太陽の光を反射して眩く輝いたのは、小山のような大量の金貨。

そして。

その金貨の山の頂上で、周囲の黄金とは明らかに違う、ひときわ冷たく神聖な輝きを放つ『一枚の硬貨』があった。

 

「な、なななっ……! は、白金貨(プラチナコイン)ァ!?」

 

「おいマジかよ……たった一枚で、こんな船が丸ごと新造できる額だぞあれ……!」

 

船長も船員たちも、一斉に目玉を飛び出させて硬直する。

歴史に名を残すような国家級の依頼でしかお目にかかれない、伝説の貨幣。

 

「もし、彼が歩いて床板が抜けたら、この金貨の山で船を修理してください」

 

少女は金貨の山をポンッと叩き、有無を言わせぬ笑顔で言い放った。

 

「そして……客室に入らないなら、一番天井が高くて頑丈な『貨物室』の一角を貸し切ります。この白金貨一枚で、足りますよね?」

 

たった一枚の白金貨で、荒くれ者の船長の頬を物理的に叩くような、圧倒的な交渉術(ゴリ押し)。

 

金銭感覚が完全に欠落しているオーンスタインに代わり、パーティーの『絶対的お財布管理者』である彼女が、その手腕をいかんなく発揮した瞬間だった。

 

「ひぃっ……! ま、毎度ありぃぃぃぃっ!! 貴賓室(貨物室)のご案内だ野郎どもォ!」

 

かくして、白金貨の絶大な暴力の前に船乗りたちの迷信はあっさりと吹き飛び。

二人の乗船は、無事に(強引に)決定したのだった。

 

***

 

出航は明日の早朝。

無事に荷物を船室に運び終えた二人は、潮風に吹かれながら港町の市場を散策していた。

 

「あははっ。船長さんたち、白金貨を見たら急に態度が変わっちゃいましたね」

 

少女が、露店に並ぶ色鮮やかな果物を眺めながらクスクスと笑う。

 

オーンスタインは無言で彼女の後ろを歩きながら、その小さな背中を頼もしく見つめていた。

 

(……見事なものだ)

 

神の都にいた頃、彼は金銭というものを扱ったことがない。

必要なものは全て与えられ、ただ槍を振るうことだけが彼の存在意義だったからだ。

 

こうして現世の理(ルール)で力強く立ち回る少女の姿は、彼にとってひどく新鮮で、眩しいものだった。

 

「あっ、オーンスタインさん。見てくださいこれ」

 

ふと、少女がある露店の前で足を止めた。

 

そこには、船乗りたちが航海の無事を祈って身につける、海ガラスや銀細工のお守りが並べられていた。

 

少女の視線の先。

そこにあったのは、古い銀貨を溶かして打たれたような、荒削りだが力強い『獅子』の意匠が刻まれた、小さなペンダントだった。

 

「……獅子。オーンスタインさんと同じですね」

 

少女はそれを指先でそっと撫で、嬉しそうに見上げる。

 

オーンスタインも、その銀の獅子を見つめた。

かつて彼に与えられた『獅子の指輪』の精緻な紋章には遠く及ばない、素朴な造り。

 

だが、未知の海を渡る少女の胸元を飾るには、悪くない。

 

彼が、スッと巨大な手を伸ばそうとした時。

 

(……いや)

 

オーンスタインは、己の懐には銅貨一枚すら入っていないことを思い出した。

 

完全に少女に財布を没収(管理)されている神話の騎士は、静かに手を下ろす。

 

「おじさん、これください!」

 

結局、少女が自分で財布から銀貨を取り出し、そのペンダントを購入した。

 

彼女は嬉しそうに獅子のペンダントを掲げ、自分の首にかけようとする。

 

だが。

 

『――マテ』

 

オーンスタインが、低い声と共に、少女の手をそっと遮った。

 

「え? どうしたんですか?」

 

小首を傾げる少女。

オーンスタインは無言のまま、彼女の手から獅子のペンダントを摘み上げた。

 

彼の巨大な真鍮のガントレットに比べれば、それは豆粒のように小さく、脆い。

彼はペンダントを両手で包み込むようにして、兜の奥で静かに目を閉じた。

 

(……この小さき光を、護りたまえ)

 

彼自身の内に宿る、神のソウルの熱量。

そのごくごく僅かな欠片を、祈りとして銀の獅子へと注ぎ込む。

 

バチッ。

 

微かな、本当に微かな静電気のような音が鳴り、オーンスタインの指先から『黄金の雷』の極小の火花が散った。

 

「……っ」

 

少女が息を呑む。

 

オーンスタインがゆっくりと手を開くと。

ただの銀細工だった獅子のペンダントは、内側から微かな、けれど確かな『黄金の光』を帯びて、じんわりと温かく発光していた。

 

『……オマモリ、ダ』

 

彼は片言の言葉と共に、光を宿した獅子のペンダントを、少女の細い首にそっとかけてやった。

 

物理的な防御力などないかもしれない。

だが、神代の四騎士筆頭が、ただ一人の少女のためだけに込めた『祈り』と『雷』。

 

これ以上に心強いお守りが、この四方世界にあるだろうか。

 

「オーンスタイン、さん……」

 

首元に触れる、温かい黄金の光。

少女は胸元でペンダントを両手で強く握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼした。

 

「ありがとうございます……! 私、これ……ずっと、ずっと大切にします……っ!」

 

周囲の視線も気にせず、少女はオーンスタインの分厚い装甲に泣きながら抱きついた。

 

彼がいつか遠くへ行ってしまうことを、ずっと恐れていた少女。

彼女にとって、この不器用な護りの証は、何よりも嬉しい「彼からの初めての贈り物」だった。

 

オーンスタインは、泣きじゃくる少女の頭を、大きな手で優しく、何度も撫でた。

 

潮風が、二人の間を穏やかに通り抜けていく。

 

未知なる海を越えるための、確かな絆。

波の音に包まれた港町で、彼らの東への旅立ちの準備は、静かに整いつつあった。

 

---

 

夜の帳が下りた港町は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 

波の音が、規則正しく響く。

時折、夜風が窓を揺らし、潮の香りを部屋の中へと運び込んでくる。

 

宿屋の最上階、白金貨の力で借り切った特別室。

天蓋付きのふかふかのベッドでは、お財布係の少女が、規則正しい寝息を立てていた。

 

彼女の胸元では、今日市場で買ってもらった『獅子のペンダント』が、微かな黄金の光を放っている。

少女は眠りの中でさえ、その不器用な護りの証を両手で大切そうに握りしめていた。

 

その穏やかな寝顔を。

オーンスタインは、窓辺から静かに見下ろしていた。

 

部屋の明かりは灯っていない。

窓から差し込む、青白い月明かりだけが、彼を照らしている。

 

明日の早朝、彼らはあの海を越えて『東の大陸』へと旅立つ。

 

未知なる領域。

かつての主である無名の王の痕跡と、古い種火を求めて。

 

(……)

 

オーンスタインは、視線を夜の海へと移した。

暗く、どこまでも広がる水面が、月光を反射して鱗のように輝いている。

 

不意に。

彼は、己の頭部を覆う『黄金の獅子の兜』に、両手をかけた。

 

ガシャリ。

 

重々しい金属音が、静寂の部屋に微かに響く。

 

神の都を離れ、永きに渡る探索の旅を続けてから。

彼が人前で兜を脱ぐことは、ただの一度もなかった。

 

だが、今夜は。

この穏やかな波の音と、静かな月明かりに促されるように。

彼は、ゆっくりと兜を外し、傍らのテーブルへと置いた。

 

窓から吹き込む夜風が、彼の髪を揺らす。

 

「……んっ」

 

その時、ベッドから微かな寝返りの音がした。

ふかふかの布団から顔を出した少女が、薄く目を開ける。

 

夢うつつのまま、いつもの黄金の背中を探 primary して。

彼女は、窓辺に立つ『その姿』に、ハッと息を呑んだ。

 

兜を外した、オーンスタインの素顔。

 

それは、四方世界のいかなる人間の尺度にも当てはまらない、異質な美しさを持っていた。

 

不死(亡者)に近い状態まで摩耗しきっていた名残で、頬にはやつれがあり、肌は陶器のように青白い。

だが、その内側から滲み出る、神族特有の絶対的な威厳と、彫刻のように整った顔立ち。

 

月明かりに照らされた彼は、まるで神話の壁画から抜け出してきた神そのもののように、静かで、冷たく、そして美しかった。

 

少女は、声を出すことすら忘れて、ただ魅入られていた。

心臓が、早鐘のように高鳴る。

怖いわけではない。ただ、その圧倒的な存在感に、魂が震えていた。

 

(オーンスタイン、さん……)

 

彼もまた、少女が目を覚ましたことに気付いていた。

だが、慌てて兜を被り直すことも、顔を隠すこともなかった。

 

ただ静かに、その深い色をした瞳を少女へ向け、見つめ返す。

 

何も言わず。

ただ、自分という存在の『ありのまま』を、彼女の瞳に映すことを許容していた。

 

言葉の通じない異邦の騎士と、辺境の小さな魔術師。

二人の間に、静かで、とてつもなく優しい沈黙が降りていく。

 

『――ふっ。ようやく、兜を脱ぐ気になったか』

 

ふと。

波の音に混じって、気さくな笑い声が響いた気がした。

 

(……アルトリウス)

 

オーンスタインは、目を伏せる。

実体のない、記憶の残滓。

だがその声は、かつて神の都で肩を並べた頃と同じように、温かく、親しげだった。

 

『お前は昔から、背負い込みすぎる。……だが、今は違うようだな』

 

深淵の闇を歩き、小さな狼を護り抜いた、最も気高き親友。

 

『その小さき灯火を、手放すなよ。友よ。……お前の新たな旅路に、太陽の導きがあらんことを』

 

幻聴は、波の音に溶けるように、ゆっくりと消えていった。

だが、オーンスタインの胸の奥には、確かな温もりが残っていた。

 

無名の王を探す、終わりのない旅。

それはもう、孤独な亡者の行軍ではない。

 

「……オーンスタインさん」

 

少女が、ベッドから身を起こし、小さな声で呼んだ。

 

彼は静かに頷き。

窓辺から離れて、彼女の傍へと歩み寄る。

そして、その素顔のまま、不器用な大きな手で、少女の頭を優しく撫でた。

 

安心させるように。

これからも、共に歩むと誓うように。

 

少女は嬉しそうに微笑み、その手に自分の小さな手を重ねる。

 

夜の海が、静かに二人を包み込んでいる。

 

夜明けは近い。

東の大陸へと続く、新たな冒険の海原が、彼らを待っていた。

 

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