落日の竜狩り ―真鍮の鎧と主への誓約―   作:もいもい130

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第二十六話:【極彩色の異邦と、嵐を呼ぶ竜の峰】

 

 

長きに渡る航海の末。

巨大な帆船は、ついに未知なる大地へとその錨を下ろした。

 

「お嬢様、旦那……! どうか、お達者で!」

 

「またいつでも、俺たちの船に乗ってくだせえよ!!」

 

タラップを降りる二人に向けて、船長と荒くれ者の船乗りたちが、涙ぐみながら大きく手を振っている。

 

嵐の海で彼らの命を救い、そして莫大な富をもたらした二人への、惜しみない感謝と敬意。

 

「はい! 皆さんも、気をつけて帰ってくださいね!」

 

少女も振り返り、ちぎれんばかりに手を振り返した。

 

オーンスタインは無言のまま、かつて海大蛇を沈めた十字槍を軽く掲げ、彼らなりの不器用な別れの挨拶とする。

 

そして二人は、ついに新天地の土を踏んだ。

 

古い竜の伝承が眠るという、東の大陸。

その玄関口となる巨大な港湾都市は、これまでの街並みとは、何もかもが異なっていた。

 

「わぁっ……すごい……!」

 

少女が、感嘆の声を漏らして周囲を見渡す。

 

まず目に飛び込んでくるのは、その極彩色の景色だ。

 

石造りが基本だったこれまでの街とは違い、ここでは木と竹を精巧に組んだ多層的な建築物が、複雑に重なり合うようにして斜面にへばりついている。

 

屋根には美しい反りを持った瓦が葺かれ、軒先には魔除けの意味があるのか、色鮮やかな真紅や琥珀色の提灯が無数に吊るされていた。

 

入り組んだ水路を、小舟が滑るように行き交う。

 

行き交う人々も、見慣れたチュニックや革鎧ではない。

ゆったりとした美しい絹の着物や、深い色のターバン、あるいは顔を隠すような編み笠など、多種多様な装束を纏っている。

 

そして何より、風に乗って運ばれてくる『匂い』と『音』が違った。

 

(……不思議な匂いだ)

 

オーンスタインは、兜の奥で微かに鼻を鳴らした。

 

鉄と血、あるいは獣の脂の匂いが染み付いていた辺境の街とも違う。

 

甘く、それでいて鼻の奥をツンと刺激するような、未知の香辛料の強い香り。

どこかの露店で肉が炙られているのか、香ばしい醤油のような匂いも混ざっている。

 

どこからともなく、二弦の胡弓のような、独特の哀愁を帯びた弦楽器の音が響いてくる。

 

圧倒的なまでの、異国の熱気と活気。

 

神代の都(アノール・ロンド)の、静謐で凍りついたような美しさしか知らなかった彼にとって、この噎せ返るような人間の生命力は、ひどく新鮮だった。

 

「オーンスタインさん、見てください! あんな食べ物、私初めて見ました!」

 

少女が、目を輝かせながら市場の方を指差す。

 

大鍋から立ち昇る白い湯気。

竹の皮で包まれた未知の食べ物や、極彩色の南国の果実が所狭しと並べられている。

 

『……アア』

 

オーンスタインは、短く頷き、少女の後を追って歩き出した。

 

ズンッ……ズンッ……。

 

彼が歩を進めるたび、石畳が微かに震える。

 

2.5メートルを超える圧倒的な巨体と、全身を包む重厚な真鍮の装甲。

そして、その手に握られた、身の丈を超える長大な十字槍。

 

ただでさえ異質なその姿は、この極彩色の異国にあっても、強烈すぎるほどの存在感を放っていた。

 

「な、なんだあれは……!?」

「黄金の……大男? いや、中身が入っているのか……?」

 

行き交う商人や、奇妙な法衣を纏った僧侶たちが、ギョッとして道を空ける。

 

無理もない。

彼らにしてみれば、神話の壁画から恐ろしい軍神がそのまま抜け出してきたようにしか見えないだろう。

 

遠巻きに放たれる、畏怖と警戒の視線。

 

だが。

当のオーンスタインは、そんな周囲の反応など全く意に介していなかった。

 

彼が見つめているのは、ただ一人。

自分の前を歩く、小さな魔法使いの背中だけだ。

 

「あっ、こっちにもお店がいっぱいありますよ!」

 

少女は、周囲の怯えた視線など気にする素振りも見せず、オーンスタインの巨大なガントレットに包まれた指を、ギュッと握りしめた。

 

そして、迷子にならないようにとばかりに、力強く彼の手を引く。

 

その胸元では、彼が雷を込めた『獅子のペンダント』が、東の国の陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 

(……たくましいものだ)

 

オーンスタインは、兜の奥で微かに目を細めた。

 

言葉の通じない未知の国。

得体の知れない魔物や、危険な罠が潜んでいるかもしれない領域。

 

それでも、彼女の足取りに迷いはない。

隣に自分がいるという絶対の安心感が、彼女の背中を力強く押しているのだと、伝わってくる。

 

「さあ、オーンスタインさん! 大司教様が言っていた、古い種火を扱える鍛冶師さんを探しましょう!」

 

少女が、振り返って満面の笑みを向ける。

 

『……アア。行コウ』

 

オーンスタインもまた、片言の言葉で応え、彼女に引かれるままに歩みを進める。

 

かつての主、無名の王の痕跡。

そして、神代の光る楔石を鍛えるための、古き炎。

 

未知なる匂いと音に包まれた、極彩色の異邦。

東の大陸での二人の新たな探索が、今、雑踏の喧騒の中へと静かに溶け込んでいった。

 

---

 

極彩色の市場を抜け、迷路のような路地裏へと足を踏み入れる。

 

先ほどまでの甘い香辛料の匂いは、いつしか鼻を突くような鉄の匂いと、むせ返るような石炭の煙へと変わっていた。

 

東の大陸の港湾都市、その一角に広がる職人街。

カァン、カァン、とリズミカルな打撃音が、あちこちから響き渡っている。

 

これまで見慣れた石造りの炉とは違い、ここでは巨大な壺のような形をした奇妙な『土炉』が並んでいた。

 

吹き上がる炎の色も、どこか赤黒く、ねっとりとした熱を孕んでいるように見える。

 

「ええと、大司教様が言っていたのは……『双頭の龍が彫られた古い土炉』を持つ職人さん、でしたよね」

 

少女は、入り組んだ路地をキョロキョロと見回しながら進む。

 

彼女の背後を歩くオーンスタインの巨体は、狭い路地ではさらに圧迫感を増していた。

 

軒先に吊るされた提灯に兜の房が触れるたび、職人たちがギョッとして作業の手を止める。

だが、二人はそんな視線を意に介さず、路地の最奥へと進んでいった。

 

やがて。

火の気が少なく、薄暗い行き止まりの工房。

その奥に、黒ずんだ双頭の龍が彫り込まれた、古く巨大な土炉を見つけた。

 

「あそこです、オーンスタインさん!」

 

少女が小走りで近づく。

 

工房の土間には、極彩色の刺繍が入った長衣をだらしなく着崩した、初老の男があぐらをかいていた。

 

彼は長い煙管を咥え、気怠げな紫色の煙を細く吐き出している。

 

「……なんだい、嬢ちゃん。ここは迷子センターじゃないぜ」

 

男は、片目をすがめるようにして二人を見た。

 

「それに、その後ろのデカブツ。……ウチじゃあ、そんな見世物用の鈍重な鎧も、物干し竿みてえな槍も打てねえよ。異国の傭兵なら、他を当たりな」

 

シッシッ、と犬でも追い払うように手を振る。

見るからに偏屈で、気難しい職人だった。

 

だが、少女は全く怯まなかった。

 

「見世物じゃありません。彼は、本物の『竜狩り』です」

 

凛とした声で言い放つ。

 

「そして……私たちは、これを打てる『神代の炎』を探して、海を渡ってきました」

 

少女はローブの懐から、布に包まれた『それ』を取り出した。

 

薄暗い工房の中で。

包みを開いた瞬間、冷たくも神聖な、星の瞬きのような光が溢れ出した。

 

水の街の地下で、大結晶トカゲから得たドロップアイテム。

『光る楔石』。

 

「…………っ!」

 

初老の鍛冶師の顔から、スッと気怠さが消え失せた。

 

カランッ。

咥えていた長い煙管が、音を立てて土間に落ちる。

 

男は弾かれたように立ち上がり、少女の手元にある光る石を食い入るように見つめた。

 

「こ、こいつぁ……。ただの魔石じゃねえ。……内側に、とんでもねえ密度の『力』を圧縮してやがる……」

 

震える手を伸ばすが、触れることすら恐れ多いというように、空中で指を止める。

 

「……信じられねえ。こんな純度の高い石、おとぎ話の『神代の鉱石』そのものじゃねえか」

 

鍛冶師の目は、完全に職人のそれへと変わっていた。

 

狂気じみた熱を帯びた瞳で、石を見つめ、次いで背後のオーンスタインを見上げる。

 

その視線は、もはや見世物を見るようなものではなかった。

 

オーンスタインの装甲の継ぎ目、真鍮の輝き。

そして何より、彼が手にしている長大な『十字槍』のただならぬ製法を、瞬時に見抜いたのだ。

 

「……ひぃっ。なんだあの槍は。刃の一片にまで、呪いみてえに濃密な雷の力が練り込まれてやがる……。人間の腕で打てる代物じゃねえ……」

 

鍛冶師は、恐怖すら混じった声で呟き、ずるずると後ずさった。

 

オーンスタインは無言のまま、ただ静かにその様子を見下ろしている。

 

「……お前さんたち、一体何者なんだ……」

 

「通りすがりの、冒険者です」

 

少女は真剣な眼差しで、鍛冶師を真っ直ぐに見据えた。

 

「この石を、彼の槍を鍛えるために使いたいんです。……打てますか?」

 

鍛冶師は、ごくりと息を呑んだ。

 

そして、落ちた煙管を拾い上げることも忘れ、大きくかぶりを振った。

 

「……無理だ。嬢ちゃん。俺の腕がどうこうって話じゃねえ」

 

彼は、己の背後にある巨大な土炉を指差した。

 

「この神代の鉱石は、地上の炎……人間が熾す火じゃあ、表面を温めることすらできねえよ」

 

鍛冶師は、忌々しそうに、そしてどこか畏怖を込めた声で告げた。

 

「こんな途方もねえ石を溶かし、打つにはな。……『天の火』か、あるいは竜の息吹そのものたる『神なる火』……」

 

「つまり、神代の『種火』が必要になる」

 

オーンスタインの内に宿るソウルが、その言葉に微かに反応した。

 

かつて神の都で、巨人の鍛冶屋が振るっていた、あの古き火の記憶。

 

「種火……。それは、どこにあるんですか?」

 

少女が身を乗り出す。

 

鍛冶師は、深々とため息をつき、東の空へと視線を向けた。

 

そこは、極彩色の街並みの向こう。

分厚い暗雲に覆われた、決して人が近づいてはならないとされる、禁忌の領域。

 

「……行くってのかい。あの、死と嵐が支配する『峰』へ」

 

初老の鍛冶師の言葉が、工房の暗がりに重く響き渡った。

 

---

 

薄暗い土間の中で、初老の鍛冶師がゆっくりと口を開いた。

 

「この東の大陸はな、お前さんたちがいた西の土地とは違って、未だに『神代のバケモノ』がゴロゴロと眠っているんだ」

 

男は、皺枯れた声で語り始めた。

 

「この港町から遥か西。翡翠のように輝く大河を越えた、さらにその奥地。……大陸の背骨とも呼ばれる険しい山脈の頂に、『竜鳴(りゅうめい)の峰』と呼ばれる場所がある」

 

少女は息を呑み、オーンスタインの装甲の傍にそっと身を寄せた。

 

「そこは、一年中、分厚い暗雲と激しい雷雨に覆われている。生きた人間が足を踏み入れることなど叶わねえ、絶対の禁忌の領域だ」

 

鍛冶師の目が、恐怖と畏敬の念に揺れる。

 

「言い伝えによれば……その嵐の頂には、古の飛竜たちが巣食い、そして……『嵐を統べる軍神』が、竜に跨って空を支配しているという」

 

ピキッ……。

 

その瞬間だった。

オーンスタインの分厚い真鍮の装甲の表面を、青白い火花が走った。

 

「ひっ……!?」

 

鍛冶師が短い悲鳴を上げ、後ずさる。

 

バチッ……! バヂヂヂッ!!

 

オーンスタインの意思とは無関係に。

彼の内に燻っていた神族のソウルが、かつてないほどの激しい熱を帯びて、物理的な雷の火花となって溢れ出したのだ。

 

(……我が、主よ)

 

兜の奥で。

長く、果てしない探索の旅を続けてきた彼の魂が、歓喜に震えていた。

 

間違いない。

嵐を統べる軍神。そして、竜に跨る御姿。

 

それはかつて、神の都で彼が絶対の忠誠を誓い、共に竜を狩った主君――『太陽の長子』たる無名の王の伝承そのものだった。

 

ついに。

ついに、見つけたのだ。

 

ただ過去の幻影にすがり、亡者へと堕ちかけていた彼が。

異世界へと迷い込み、小さな光と出会い、ここまで歩みを進めてきた果てに。

最も確かな、主の痕跡を。

 

「……オーンスタインさん」

 

不意に。

バチバチと雷を放つ彼の巨大な手に、小さな、けれど温かい手が重ねられた。

 

見下ろすと、少女が彼を見上げていた。

 

彼女は、オーンスタインの静かな、けれど激しい高揚を、その魂の共鳴を通して確かに感じ取っていた。

 

言葉は通じなくとも。

彼がどれほど長い間、その存在を探し求めてきたのかを、彼女は誰よりも知っている。

 

「行きましょう。……その『竜鳴の峰』へ」

 

少女は、迷いのない、力強い声で言った。

そして、腰を抜かしている鍛冶師へと振り返る。

 

「教えてくれて、ありがとうございます。私たちがその峰へ行って、神代の種火を見つけてきますから」

 

「ば、馬鹿な! 正気か嬢ちゃん! あそこは生きて帰れる場所じゃ……」

 

「大丈夫です」

 

少女は、黄金の巨人を背にして、胸を張って微笑んだ。

 

「だって、私の隣には……世界で一番強い『竜狩り』の騎士がいますから」

 

その絶対的な信頼の言葉に。

鍛冶師は絶句し、ただ呆然と二人を見上げるしかなかった。

 

***

 

極彩色の市場の喧騒へ戻ってきた二人。

先ほどまでのただの物珍しさは消え、その足取りには明確な『目的』が宿っていた。

 

『……イイノカ』

 

不意に。

オーンスタインが、低い声で尋ねた。

 

これから向かうのは、未知の大陸の、さらに奥地。

神代の化け物が巣食い、猛烈な嵐が吹き荒れるという死地だ。

 

小さな人間の少女が、軽々しく足を踏み入れていい場所ではない。

 

だが、少女はオーンスタインの手を力強く握り返した。

 

「もちろんですよ! オーンスタインさんが探していた、大切な人なんでしょう?」

 

彼女は、東の大陸の青空を見上げて笑う。

 

「それに、約束しましたからね。……オーンスタインさんが見つけるまで、私がずっと、一緒にお手伝いするって」

 

胸元で、獅子のペンダントが太陽の光を反射して輝いた。

 

オーンスタインは、兜の奥で静かに目を閉じ。

その小さな手を、決して傷つけないように、不器用な優しさで握り返した。

 

遥か西。

極彩色の街並みの向こう、大陸の奥深くに連なる険しい山脈の影が見える。

 

あの空の果てに、かつての主が待っている。

 

確かな絆と、黄金の雷を胸に宿し。

異邦の騎士と小さな魔術師の、東の大陸での新たな冒険が、今、高らかに幕を開けた。

 

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