<本編完結>親友のお隣さん~万の羽が彩るハッピーエンド~ 作:白豆男爵
BAD END√1:失ったものは
私が病院のベッドで寝たきりの万羽のそばで過ごして三日が経った。
彼の右手を強く握る。不安を抱きながら、彼の帰りを待つ。
次の瞬間、万羽の指が少し動いた。
「う...」
「万羽っ!」
私は起き上がった彼に呼びかける。しかし...
「...すみません、どなた...でしょうか?」
「...え?」
今、なんて?どなたって...
「私だよ、酒寄彩葉!万羽と一緒に暮らしてる...」
「すみません、あなたのことはその、記憶になくて...」
万羽は命を賭そうとして、踏みとどまった。
しかし生死の境界線に踏み込んだ代価は重く、彼の記憶を奪っていった。
それがわかったとき、私の中で何かが折れた。
もう、疲れた。万羽は十分頑張った。だったら
「さっき一緒に暮らしてるって言ったよね。なんでだと思う?」
「さ、さあ?俺にはわからないです...」
「それはね...私があなたの恋人だから。」
私はこの時初めて、強がり以外で万羽を騙した。
病院の検査の結果、万羽の記憶は、中学入学以降の人間関係に関する記憶がごっそり無くなってしまったことがわかった。
どうやら学んだ知識などは問題なく覚えているようで、普通の生活を送るのに支障はなかった。
「ここが、今の俺の家...」
「それを言うなら『俺たち』の家ね。私も一緒に住んでるんだから。」
「ああ、すまん。」
記憶喪失は病院では治せない。
万羽はすんなりと退院し、私たちの家に帰ってきていた。
万羽が退院する前にこの家にあるかぐやを思い出させるようなものはすべて処分した。
これからは、私と万羽の2人だけの思い出でこの家を満たそう。
「そういえば、深見叶って人知ってるか?俺の幼馴染なんだけど...」
その言葉で、私の動きが止まる。
そっか、中学以降の記憶がないから叶さんのことは知ってるけど他界したことは知らないんだ。
「叶さんはね、遠いところにいるの。だから、会えないんだ。」
また、嘘をついた。これ以上万羽に苦しんでほしくなかったから。
「そっか、なら仕方ないな。きっと美人に育ってるんだろうな...いつか、会えたらいいな。」
その言葉に、モヤっとする。
私がいながら他の女の人に思いを馳せるなんて...
私は万羽の後ろから抱きつく。
「私が彼女なんだから、今は私のことだけ考えてよ...」
「あっ、ごめん。そうだよな、失礼だったよな。気をつけるよ。」
「分かればよろしい。」
そうして、私と万羽の新しい生活が始まった。
万羽が退院して翌日、学校の昼休みに私、万羽、芦花、真実の4人で会話していた。
「えーっと、綾紬芦花さんと、諫山真実さん。」
「そうそう、前の万羽っちは名字で呼んでたよ。」
「まあこれを期に私たちのことも彩葉みたいに下の名前で呼んでくれてもいいけどね〜。」
「いきなりそれはハードルが高いので名字で呼ばせていただきます...」
ああ、久しぶりの日常って感じがする。
それに、芦花や真実なら万羽を取られる心配もないし。
2人にはかぐやのことは話題に出さないでと事前に話をしてある。
もちろん、「なんで?」と言われたが、下手に記憶を刺激しすぎるとよくない、とそれっぽいことを言って言いくるめた。
「綾紬や諫山のことを覚えていないのが申し訳ない...」
「いいのいいの。思い出なんてこれからいっぱい作ればいいんだから。」
「真実の言う通り。気にしないで、気楽に行こ。」
「ありがとう、2人とも。」
「あっ、私飲み物買ってくる。」
「彩葉が行くなら俺も行くよ。」
私が立ち上がると同時に万羽も席を立つ。
何事にも一緒についてきてくれるのはちょっと嬉しい。
「芦花や真実と仲良くするのはいいけど、私が彼女だってこと、忘れないでよ?」
「もちろん、俺は彩葉一筋だよ。」
「っ///あ、ありがと///」
私は思わぬカウンターに赤面しながら自動販売機に向かった。
万羽君が記憶喪失になった。最初に彩葉にそう聞いたときは言葉を失った。
万羽君の方も心配だけど、それ以上に彩葉のことが心配だった。
かぐやちゃんが帰っちゃったのに続いて万羽君の記憶喪失。彩葉のそばからどんどん大切なものがなくなっていく様は見ているこっちまでつらかった。
でも登校してきた彩葉は思っていた何倍も元気な顔をしていて...
「おはよう、芦花、真実。」
いつもと変わらない、そんな挨拶をしてきた。
次に思ったのは、万羽君との距離感が異様に近いこと。まるで付き合いたてのカップルみたいな、そんな感じだ。
しかし、その関係性は見ていてどこか共依存にも見えて、2人は何をするにしても一緒に行動していた。
それを見て気づいた。
彩葉は、自分の喪失感を、万羽君に縋り付くことで埋めているのだと。かぐやちゃんとの思い出を忘れて、万羽君1人に依存しようとしているのだと。
万羽君も彩葉に思う所があるのか、彩葉を拒絶することは一切しなかった。
私にはもう、その関係に何も言うことはできず、友達としてそばで見守ることしかできなかった...
それから私と万羽は、2人でたくさんの思い出を作った。
万羽は記憶がなくなり、恋人を名乗る私のことすら忘れてしまったことに多少なりとも罪悪感を覚えていたのだろう。私のお願いを聞き、叶えることは彼なりの贖罪だったのかもしれない。
一方私はその罪悪感につけ込んでいるとわかっていながらも、万羽の彼女として彼氏に甘えることをやめなかった。私の心は、万羽に縋り付くことでした癒えなくなってしまっていた。
そんなどこか歪にも見える私たちの関係は続いていき、2人揃って東京大学の法学部に入学。そして大学卒業を期に結婚した。
神崎に性を変えた私は予定通り弁護士となり、万羽を助手に据えて事務所を立ち上げた。
私たちは今年で28歳。あれからもう十年経った。
ある日の休日、2人での思い出で満たされたいつもの部屋で会話をする。
「久しぶりの休みだな。せっかくだしどこか出かけるか?」
「うん、それなら私、前から気になってたカフェがあるんだ〜。」
「じゃあそこに行こうか。ちょっと準備してくるよ。」
「万羽。」
私は準備に向かおうとする彼を抱きとめる。
「...なんだ?」
「愛してる。」
「ああ、俺もだよ。」
私たちは唇を重ね、互いの愛を確かめ合う。
これがこのおとぎ話の結末。
これが私たちのエンディング。
誰が何と言おうと、私たち2人のハッピーエンドだ。
もし、九尾化の後遺症で記憶喪失になったら...というバッドエンドでした。
そばにいて頼れる、神崎万羽という柱を失ったことで彩葉の心がポッキリ折れてしまった結果が今回のエンディングです。
万羽の生来の優しさが共依存じみた関係を生み出しました。俗に言うメリーバッドエンドというやつなんですかね。
万羽は彩葉に付いていくために文転して彩葉にめっちゃ教えてもらって頑張りました。
九尾化を制御したことで輪廻自体は崩壊してるので、『Reply』が届かなくてもヤチヨの存在は消えませんが、彩葉たちがヤチヨの正体に気づくこともなければ、事情を知ったヤチヨは自分から正体を明かすこともありません。かぐやはずっと月で仕事してるし、芦花や真実では彩葉の喪失感を埋めることはできません。
救いはない(無慈悲)
さすがに次はハッピーなお話を書こうと思います。