松下千秋にセ〇ハラしたい   作:マメち

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第二話

バスを降りた瞬間、昇降口に人だかりができていた。

 

クラス分け表だ。

 

「あーあ」

 

隣に立った一之瀬帆波が、眉尻を下げる。形のいい唇が、子供みたいに尖った。

 

 

 

「残念。旭くんとはクラス違っちゃったね」

 

 

 

帆波はBクラス。俺はDクラス。既定どおりだ

 

 

「仕方ないですよ」

 

 

俺は言う。

 

 

「でも何かあれば、すぐ飛んできますから」

 

「うん! お昼、絶対一緒に食べよ? 約束だよ!」

 

周囲の男子の視線が刺さる。羨望と嫉妬が混ざった、あの特有の眼差し。

最高だ。

 

「じゃあまた後でね、旭くん!」

 

「行ってらっしゃい。姉さん」

 

手を振って校舎へ消えていく背中を見送り、俺は一人になった。

 

人ごみが引く。ネクタイを一センチ緩め、Dクラスへ向かう。

 

---

 

 

---

 

教室の空気は、すでに澱んでいた。

 

窓際に堀北鈴音。その斜め前に綾小路清隆が無気力に座っている。須藤健が後ろの席で椅子を引っかいている音がする。

 

だが俺の視線はそのどれにも止まらない。

 

教室の中ほど、窓側の席。

 

栗色の髪の少女が、スマホをいじっていた。

 

バスで見かけた顔だ。松下千秋。

 

一見、周囲に無関心な女子高生の擬態。だが目だけが違う。視線が教室をなめるように動き、誰がリーダーになるかを、誰が使えるかを、静かに値踏みしている。

まるで松下ルートを攻略しろと言わんばかりに彼女の隣席は俺へ転がり込んだ。

 

「ここ、いいかな」

 

顔を上げた松下の表情が、ほんの一瞬だけ歪んだ。

 

バスで繰り広げた「姉弟ごっこ」を見ていたのだろう。

 

彼女の目には「痛い男」という評価がはっきり書いてある。

 

 

「……空いてるけど。というか座席表見たんでしょ」

 

「ありがとう」

 

鞄を置き、椅子を引く。座る位置は通常より半歩分近い。

 

「さっきのバスでも一緒だったよな」

 

「……見てた。仲良さそうだったじゃない、首席の一之瀬さんと」

 

「帆波姉さんのこと? 本当にいい人だよ。話せばわかると思う」

 

「そう」

 

 

視線がスマホへ戻りかける。会話終了のサインだ。

 

俺は右手を差し出した。

 

 

「一ノ瀬旭。よろしく。」

 

「は?」という顔で俺の手を見る。

 

一秒、二秒。

 

 

無視の選択肢が頭をよぎったのだろうが、初日からクラスメイトとの関係を悪化させるのは「普通の女子高生」の立ち回りに反する。彼女はそう判断した。

 

「……松下千秋です。よろしく」

 

渋々、手が伸びてくる。

 

華奢な指先だった。手入れが行き届いている。だが握り返したとき、その芯にある力に俺は内心で息をのんだ。

 

 

帰宅部の手ではない。

 

 

 

——捕まえた。

 

 

 

握手を続けたまま、親指の腹を彼女の手の甲に這わせた。

 

「っ——」

 

 

肩がびくりと跳ねる。引き抜こうとする手首を、俺は逆に引き寄せた。二人の顔が、急に近

くなる。

 

「な、何——」

 

「綺麗な手なのに」

 

 

俺は小声で言う。

 

 

「変な筋肉の付き方してるな」

 

松下の息が止まる。

 

「帰宅部じゃないよな。何かやってた? ……それとも、何か別のことを『隠してる』のかな」

 

 

瞳孔が、きゅっと収縮した。

 

図星を突かれた顔ではない。「なぜわかった」という顔だ。

 

 

「……離して」

 

「ごめんごめん、肌触りがよくて」

 

 

パッと手を離す。何事もなかったようにヘラと笑う。

 

 

「これからよろしくね、千秋ちゃん」

 

 

そう言うと更に目を開き、彼女は一度深呼吸をして体制を整えた。

 

 

「……はぁ。隣人ガチャ外れかな?一ノ瀬くん。イケメンだからってなんでも許されるわけじゃないんだよ?だから…気安く呼ばないで。」

 

 

松下は自分の手をスカートの布地に押しつけるようにして、俺を睨んだ。その目から「無

関心」の色が消えている。代わりに「警戒」と、薄い「嫌悪」と——判断を保留している目

が、俺を測っている。

 

悪くない。

 

 

「——ホームルームを始める。席につけ」

 

 

茶柱佐枝が入ってきた。

 

俺は前を向く。机の下で足を組み、つま先を松下の太ももの側面にそっと当てた。

 

 

「っ」

 

息を呑む気配。足が引かれる。

 

 

 

俺は気づかないふりで黒板を見たまま、口元だけで笑った。

 

---

 

 

---

 

「今月分として、お前たちの学生証には十万プライベートポイントが振り込まれている」

 

 

茶柱が言い終わった瞬間、教室が爆発した。

 

 

「マジかよ!」

「何でも買えんじゃん!」

 

 

池が椅子から転がり落ちそうな勢いで叫んでいる。女子たちがスマホ画面を見せ合っている。

 

俺は隣を見た。

 

松下千秋が、スマホの残高表示をじっと見ていた。

 

表情は「すごい」と驚いたふりをしている。だが目は笑っていない。

 

 

 

*本当に、リスクなしで?*

 

 

 

そう疑っている目だ。

 

俺は体を斜めに傾け、彼女の顔を下から覗き込んだ。

 

 

 

「すごいね、千秋ちゃん。いきなり大金持ちだ」

 

 

松下が露骨に体を引いた。

 

 

「……だから、その呼び方やめてって言ってるでしょ」

 

「いいじゃないか、クラスメイトなんだし。それにしても10万円かぁ……。これだけあれば、君のその『綺麗な見た目』を維持する化粧品も、たくさん買えそうだね」

 

 

耳元での囁き。 松下はハッとして俺を睨んだ。

 

 

「……何が言いたいの?」

 

「いや? ただ、君は周りの女子よりも身だしなみに気を使ってるみたいだからさ。お金がかかって大変そうだなって思っただけだよ」

 

 

これは半分カマかけで、半分は事実だ。 彼女は自分の価値を高めるための投資を惜しまない。 「金がかかる女」というレッテルは、彼女にとって決して不快なものではないはずだが、俺の言い方には含みがある。

 

「っ、余計なお世話。……あんたこそ、一之瀬さんに何か奢ってあげたら? 『弟』なんでしょ?」

 

 

皮肉で返してくる。

 

俺はさらに距離を詰めた。二の腕が彼女の肩に触れる。

 

 

「帆波姉さんはそういう人じゃないよ。きっと自分のためより、みんなのために使おうとする」

 

「は……?」

 

「だから、俺が守らないといけない」

 

 

真面目なトーンで言い、それからすっと唇を彼女の耳元に近づけた。

 

 

「俺の『個人的な欲望』に使う金は別だけどね。——ねえ、千秋ちゃん」

 

「っ……近い——」

 

 

のけぞろうとする彼女のローファーのつま先を、俺の足で踏む。逃げ道をふさぐ。

 

 

「もし今月ポイントが余ったら、俺にちょうだいよ」

 

「は!? なんであなたなんかに——」

 

「代わりに、この学校の『本当の仕組み』を教えてあげる」

 

 

松下の動きが止まった。

 

 

「……何か、知ってるの」

 

「さあ。どうだろうね」

 

 

踏んでいた足を離し、体を戻す。

 

ちょうど茶柱が「質問がなければ終わる」と告げたタイミングだった。

 

 

「また後でね」

 

 

立ち上がり、ウインクを投げる。松下は呆然としたまま、探るような目で俺を見ていた。頬が、怒りと羞恥と困惑で薄く色づいている。

 

チョロいとは言わない。

 

ただ、反応が素直で助かる。

 

---

 

 

---

 

平田洋介が「みんな少し時間いいかな」と自己紹介の流れを作り始めるのを横目に、俺は席を

立った。

 

『協調性のない男』

 

松下の呆れた視線にウインクで返し、廊下へ出る。

 

Bクラスへ向かう。一之瀬帆波の元へ。

 

---

 

 

---

 

Bクラスの前は、すでに明るかった。

 

中心に帆波がいる。周りに数人が集まり、彼女はすでにそこに小さな引力を作り出していた。

 

 

「帆波姉さん!」

 

入り口から声をかけると、彼女がパッと顔を上げた。花が咲くような笑顔で駆けてくる。

 

 

Bクラスがざわめく。

 

「あの首席の一之瀬さんが」

「さっきのDクラスの子じゃん」

「名前で呼んでる」

「超イケメンじゃない!?」

「激レア糸目だ!!」

俺の設定はギャルゲー仕様で顔立ちは良くなっているらしい。

 

 

「ちょっといいかな。廊下で」

 

「うん、いいよ」

 

 

人の少ない廊下の隅まで連れ出し、声を落とす。

 

 

「ポイントのことなんだけど」

 

「十万円ね! 夢みたいだよね!」

 

「姉さん」

 

 

俺は彼女の目を正面から見る。

 

 

「使わないほうがいいかもしれない」

 

 

帆波の表情が変わった。

 

 

「……どうして?」

 

「国が運営する高校が、ただの高校生に毎月十万を、リスクなしで渡す理由がない。罠か、評価の一部か——どちらにしても、素直に使うのは危ない気がする」

 

 

俺は彼女の両肩に手を置いた。

 

 

「姉さんは優しいから、友達のために使おうとすると思う。でも、今月だけは様子を見てほしい。俺の考えすぎなら、それでいいから」

 

 

これは同時に刷り込みだ。

 

「俺は姉さんの役に立てる弟だ」という印象の積み上げ。そして、帆波が極貧に落ちる

 

未来を、俺は純粋に阻止したいとも思っている。

 

その二つは矛盾しない。

 

 

「……わかった」

 

 

帆波は頷いた。

 

 

「旭くんがそこまで言うなら、気をつける。確かにうまい話すぎるよね」

 

「ありがとう。——姉さんに何かあったら、許さないから」

 

「頼もしいなあ」

 

 

 

彼女が俺の頭を撫でた。

 

温かい手だ。

 

俺はその温度を背中に感じながら、Dクラスへ踵を返す。

 

彼女の「光」が、俺の歪んだ内側を照らす。影がより黒く見える。

 

---

 

 

---

 

戻ると、ちょうど軽井沢恵の自己紹介が終わったところだった。

 

「遅れてすみません」と軽く手を上げ、滑り込むように席に座る。

 

 

 

「どこ行ってたのよ。半分終わったわよ」

 

 

松下が小声で言う。もう最初の口調とは変わっている。俺にだけ向ける声のトーンが、すでに別物になっていた。

 

 

「姉さんに会いに」

 

「ブラコンも大概にしなさいよ」

 

「シスコンだよ。間違えないでくれ」

 

 

平田がこちらに気づく。

 

 

「戻ってきたね。じゃあ次、お願いできるかな」

 

 

俺は立ち上がった。

 

 

クラス全体が向いてくる。俺は一拍置いて、口を開く。

 

 

「一ノ瀬旭です。Bクラスに遠い親戚がいて、姉弟みたいな感じで仲良くしてます。——趣味は、人間観察かな」

 

 

教室にさざ波が立つ。

 

 

 

「一之瀬さんの?」「あの首席の?」「コネじゃん」。

 

 

 

「一見普通に見えて、実は裏で何を考えているかわからない人を見つけるのが好きで。」

のが好きで。」

 

 

俺は視線を教室全体に流し、最後に松下で止めた。

 

 

 

「というわけで、特に秘密を持ってる人と仲良くしたいと思ってます。よろしく」

 

拍手はまばらだったが、注目は集まった。

 

着席する。

 

 

「……今の、私への当てつけ?」

 

 

松下が低く言う。

 

 

「一般論だよ」

 

 

机の下で彼女のふくらはぎを靴先で撫で上げた。

 

 

「っ——!」

 

 

 

声を上げられない。教室の喧騒の中、彼女の太ももが緊張で硬くなる。

 

顔だけが、ゆっくりと紅潮していく。

 

 

 

「やめ……変態……っ」

 

「しーっ。平田くんがこっち見てるよ」

 

 

 

俺は平然と前を向いたまま言う。

 

 

 

「次は俺の番か……」

 

 

 

 

 

斜め後ろから、気だるい声がした。

 

綾小路清隆が立ち上がる。

 

俺は松下の足を解放してやりながら、ほくそ笑んだ。

 

役者は揃っている。

 

これが始まりだ。

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