4月も終わろうとしていたある日の夕暮れ。 Dクラスには、まだ破滅の足音は届いていない。生徒たちは給料日の到来を無邪気に待ちわびていた。
俺、一ノ瀬旭は、男子寮4階の自室で、ベッドに寝転がりながら天井を見上げていた。 手元にあるスマホには、ある女ととの密談が表示されている。
『クラス内勢力図・改訂版』が表示されている。
軽井沢グループが平田の取り合いで揉めはじめていること、櫛田がおとなしい女子の統率を始めたこと、クラスで浮いている女子男子、高円寺の上級生との交流に至るまで事細かに
『なんでこんなことしなくちゃならないの』
『そろそろ勘づき始めただろ?前借りだと思って協力してよ。報酬は用意するから』
『えっちなのは駄目だから』
スマホの画面に、松下千秋からのメッセージが表示されている。
「あ、バレた?」
返信する前に、俺はベッドの上で体を起こす。夕陽が窓から斜めに差し込んで、部屋の壁に長い影を作っていた。
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『当たり前でしょ。私はそんなの望んでない』
『だったら何がいいの?』
『情報料。相場で』
『相場って』
『Dクラスの情報、他に買う人間いると思わない?』
やはり聡い。すでに他クラスのリーダー格になるであろう人間にまで接触しているか。
『……一万pt』
『安い』
『一万五千』
『三万』
『二万』
『三万、これ以上は安くできないよ?』
『…二万五千、僕もかつかつなんだよ』
『嘘つき』
『じゃあこっちも聞くけどさ、二万五千で他クラスが買い取ってくれると思ってんの?それに』
『その情報、信頼性があっても役に立つかわかんないじゃん』
沈黙。ムキになりすぎたか?とりあえず続けるか
『情報の信用性がほしいな。こっちも担保がいる。』
『それってなによ』
『値段じゃない。僕が欲しいのは、千秋ちゃんにしか出せないもの』
また間があく。今度は五分。
カーテンの隙間から見える空が、オレンジから紫に変わり始めていた。
『どういう意味』
『証明。千秋ちゃんが本気で取引する気があるって証明』
『…………』
『嫌なら別にいい。他を当たる』
これはブラフだ。他に当たれる人間はいない。だが松下はそれを確かめる手段を持っていない。
『どんな証明』
食いついた。
俺は画面を見つめたまま、次の一手を考える。要求は具体的であるほどいい。曖昧な脅しより、明確な条件の方が、相手に選択の余地を与える。選択の余地がある方が、人間は動く。
『写真一枚』
『は』
『今日着てるやつでいい』
『正気?』
『嫌なら別にいい』
三度目の沈黙。今度は長かった。十分近く、画面は既読のまま止まっていた。
廊下を誰かが歩く音。隣室のシャワーの音。寮の夜が始まっていく。
そして。
画面が光った。
添付ファイル、一件。
俺は親指でタップする。
展開された画像の中に、薄いピンクの布地が映っていた。レースの縁取り。指の先が端を摘ま
んでいる。背景は床らしき木目。
たったそれだけの写真だった。
だが、松下千秋が撮って、送ってきた写真だった。
『これで満足?』
怒りと羞恥が半々に混ざったような文面。
『ありがとう』
『……それだけ?』
『取引成立。次の情報、明日の朝に送る』
『待って』
『なに』
『今の写真、どうするの』
俺はしばらく画面を見た。
それから、こう打つ。
『トーク画面、スクショしちゃった。掲示板に乗せていい?』
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返信は、三秒で来た。
『は???』
『冗談』
『…………殺す』
『情報の続き、待ってる。こっちの情報は今度ね。』
スマホを胸の上に置いて、俺は再び天井を見上げた。
松下千秋。
Dクラスの中では目立たない位置にいる。軽井沢グループにはいるが、櫛田の周辺には属していない。だが情報の質は高い。観察眼がある。そして、今証明された。
追い詰められたとき、動く人間だ。使える。窓の外で、鳥が一羽、電線から飛び立った。