愛と勇気と正義にかけて、市民をお守りいたします! 作:イングラマン
―――ボクには前世の記憶がある。たぶん、前世のボクと思しき男性の生涯の記録だ。
といっても大それた記憶じゃない。普段は夜までアニメみたりゲームして、朝には出社して夕方過ぎには帰宅する。他人に拠らない孤高で、自己完結した植物の様な生活。
記憶の中の男が生きた世界では、科学技術がボクが今いる時代よりも著しく発展していた。
携帯電話は拡張性高く多種多様な機能を内包し、大型テレビなんかは奥行きがなく板みたいに薄っぺらいのに、高解像度でインターネットにも繋がる高性能ぶり。ナイアガラ洗濯機、AI搭載冷蔵庫。まるでSFのような世界だった。
ボクが今いる時代のインターネットなんて電話回線を間借りしたダイヤルアップ方式でチャットぐらいしかできないし、サブスク配信や動画投稿なんて以ての外だというのに。
話がそれた。男はいわゆるロボットオタクで、部屋にはその手の趣味の玩具がラックの上にずらりと並んでいた。高給取りのくせにいい齢して独身なのは、趣味を邪魔されたくないからなんじゃないかと子供心に邪推した。
そんな訳でけっこういいとこに務めてた男は、そこそこの勤労と引き換えに得た報酬で割と悠々とした独身貴族を満喫した生活を送り。
そしてある日、センチュリーと思しき高級車に追突されて死んだ。
我ながらつまらない死に方だと思う。ひどい言い方だけど何分かつての自分の事だし、事故死なんて世間ではありふれてる。ニュースでも一瞬流れて誰の記憶にも留まらずに消えていく。
ちょっと変わっているところと言えばロボットアニメがお気に入りってことぐらいで、やはり変哲でもない。
そうしたどこにでもいた男の半生の記憶をもって、新たな家族のもとで生まれたのがボクだ。
父は元機動隊員の巡査。母は建設会社の社長令嬢。
まったく絡む要素がない取り合わせだが、建設現場でスタッフが崩落事故に巻き込まれた際に、たまたま通りがかった非番中の父が作業用の重機を使って助け出したのが出会いのきっかけだと、現場で父の活躍の一部始終を目撃した母が語っていた。
いつも穏やかな母もその光景を語る時だけは、熱っぽい表情を浮かべていたのが印象的だった。
事件後、当時社長で現在は会長役に退いたボクの祖父が、礼も聞かずに立ち去ろうとする父と父の男気に痛く感心し、あれよあれよという間に母とのお見合いをスタートさせた。
さすが戦後のドサクサ期に持ち前の剛腕で会社を立て直したお爺ちゃんだ、めちゃ強引。
で、実際にお見合いが始まってみると異性との交際経験皆無の父は、緊張のあまりボーッとして池のほとりで足を踏み外し池に落っこちてしまった。
真っ先に事故現場にかけつけ、颯爽と被災者を救助したヒーローがお見合いでは失敗を繰り返す始末。そんな滑稽さに旧家の令嬢として育てられ、おっとりとして並大抵の事では動じない母も内心は困惑していたそうだ。
それでも恋する女性は盲目だったみたいで、繰り返される父の失敗に巻き込まれても愛嬌としか受け取らなかったみたい。
大海の様に広い器をもつ母と元警官で古い価値観を持つ堅物な父は相性が存外良かったみたいで、なんやかんやがあるうちに二人はめでたく結婚。一人娘にも恵まれた。
それがボク、太田ヒカル。
そう娘だ。女の子に生まれちゃった。どうにも前世は男として生きてきた記憶がある分、自意識もそっちに引っ張られ、今世は女であることに違和感があった。
一人称も最初は俺だったし言葉遣いも今よりずっと粗野だった……気がする。そのことでかなりお父さんと揉めた。
「もっと女らしくせんかー!」とか「男みたいな真似ばかり、するんじゃないー!」とか頭に湯気を上らせて……令和のDEIに油を注ぐような言葉ばかり口にしていた。
結局、口論の果てに一人称をボクに変えることで妥協させた。それ以外は絶対イヤ。
お父さんは元警官だけあって躾に厳しいがところどころ娘のボクに甘いし、縦割り社会に身を置いていたためか上下関係というか、一度でも力関係をはっきりさせられるとそれ以降頭が上がらなくなる習性がある。
特にお母さんにはボクもお父さんも頭が上がらない。お嬢様育ちでありながら、穏やかな顔で懇々と言い聞かせてくるのは苦手だ。
そうそう家族は現在、母の建設会社で生計を立てている。母は経理や窓口などの事務担当、結婚を機に警察職を退いた父は母の会社に就職。今は作業員としてレイバーを操縦し、日々現場で活躍している。
そうレイバー……産業用に開発された多足歩行型作業機械のことで、人間が乗り込んで操縦するロボットの事である。ロボット……本物のロボットだ。
建設、土木の分野で広く普及し今や日本の建築現場ではなくてならない必需の特殊車両である。
ボクはこれを知った時感動した。ガンダムやボトムズとは違うけど、間違いなく社会に溶け込んで生きているロボット。
うひょー!サンキュー神様!興奮して鼻を膨らませたボクは父に言った。
「お父さん!ボクにものせてー!」
「だーめにきまっとろーが」
一蹴された。しかしそこで諦めきれない。渾身のおねだりポーズを繰り返し”何もしないでみているだけ”という条件で承諾してもらった。昭和親父の人情に助けられた。
金属と油の匂い、エンジンの鼓動、お父さんの操作に連動して動く機械で作られた手足。シート超しに伝わるレイバーの力強い振動と、操縦席から見える景色に圧倒された。
なにより本物のロボットに乗り込んでいるという実感が心をうち震わされた。
その時にのったレイバーは今と比べればかなり古い。ハイパーテクノロジー黎明期に生みだされたプロトレイバーだったんだけど、ボクにとってはお父さんとの大事な思い出の象徴だ。
そしてこの感動を今度は自らの手で叶えるために、ボクは千葉県にある教習所に通い続け特殊車両免許を取得し、晴れて実家の建設会社に就職……ではなく、かつてのお父さんと同じ警察官の道を選んだ。
理由はもちろんレイバーを操縦したいから。しかも建設に用いられる一般的なレイバーじゃなくて特機仕様のスペシャルなやつ。そういったらお父さんに怒られた。
「バカにしとんのかー!!そんな軽薄な理由で警官が務まるかーーッ!」
お父さんの怒鳴り声に耳をふさぐが、顔を赤くして唾を飛ばすお父さんには通じない。
「それにだなぁレイバーが好きならウチで働けばいいだろ、女だてらに警官でなくてもだな!」
「ウチで乗れる奴はもう乗ったってば、ボクはウチじゃ乗れない奴に乗りたいの。それにお父さんやみんなが仕事に使ってるレイバーを犯罪に使うなんて許せないもん。警官になってボクがとっつかまえてやる」
「だとしても警官になるなんて父さんは断じて許さんぞ!」
「なんだよこの頑固おやじ!」
頭ごなしに否定されて頭に血が上ったボクはお父さんと取っ組み合いになった。組み合いは一瞬。ボクが勢いのまま投げ飛ばし、お父さんを気絶させてしまったことで決着がついた。あとでお母さんにしこたま怒られた。
流石にやりすぎた。お父さんは黒帯保持者とはいえ昔の話だ。畳みで目を回す父に代わってお母さんが言うには、ボクが危険な目にあうことをお父さんは心配しているという。
若い頃は暴力団や武力闘争を叫ぶ極左集団を相手に危険な作戦に身を投じてきた父だ。その危惧はより身近でリアリティを感じられたのかもしれない。
「でも…ボクは警官になりたい。なってお父さんみたいな立派な警察官としてお仕事したい」
「……決意は固いんですね。わかりました。この人には後で私から言っておきます」
「ううん。ボクもちゃんという、今度はケンカしない……ってお父さん?」
隣を見るといつの間にか気絶から回復していたお父さんが、横たわりながら滝の様な大粒の涙を流していた。その姿がまるで壊死したタヌキみたいでちょっと怖かった。
ボクの話を聞いて立ち直ったお父さんは何も言わなかった。まだ怒っているのだろうかと訝しむボクに、お母さんは照れているだけよ……なんて言ってくれたけど。
確かに警察官になる勉強をはじめても、お父さんは特に口を挟んだりはしなかった。
強いて言えば警官時代の話で「警察は上司に睨まれると出世せんぞ」とか謎の忠告をくれたが。
あとはボクが国家公務員試験に合格し晴れて警察官になれた時なんかは、会社の人たちと一緒になって祝いの席を設けてくれた。
酔っぱらったお父さんがボクの『お父さんみたいな立派な警官になりたい』発言を、仲間内で繰り返し聞かせていたときなんかは顔から火が出そうになったけど……。
ほんと恥ずかしい昭和のお父さんだ。
なにはともあれ、こうしてボクは警察官としての道を歩み始めたんだ。
♦
ひんやりとした心地のいい冷気と、うっすらとした朝靄に包まれた閑静な住宅地帯。
早朝に出歩いている人間は殆どおらず、すれ違うのはもっぱら牛乳配達、新聞配達に精を出す勤労精神にあふれた年若いお兄さんやお姉さんばかり。
世間が動き出すよりも早い時間帯にボクたち特車二課第二小隊が、なぜ出動しているかというと、往来を無許可で闊歩する不審なレイバーがいると近隣住民からの通報を受けたためだ。
ボクたち第二小隊の任務はその暴走レイバーの機能停止、ないし運転手を確保することである。
そして現在、集団住宅地に隣接した団地公園で目標を待ち伏せ中だ。
「ねー!遊馬ー!」
バイザー部から身を乗り出して、機体下肢辺りにいる指揮担当の若い男、篠原遊馬に届くように大音声で呼びかけた。
「なんだー!」
「相手菱井のブルドッグだっけーッ?」
「そうだー!」
「じゃあこの子じゃ厳しくなーいッ?」
「……そんなのは今に始まった事じゃないでしょーがーー!」
そうなのだ。
このずんぐりむっくりとした体形が愛らしい我が相棒『96式 ASUKA MPL』は第一小隊がマナベ重工製の『97式パイソン』にのりかえた際に新設の第二小隊に回ってきた機体だ。つまりおさがりのレイバー。
3年前に世に出たレイバーだが、日進月歩で技術革新が起きるレイバー産業。篠原重工が原型機『ASUKA96』を世に送り出したのと同年に多くのレイバー企業が新機種を発表。一瞬で時代遅れとなった。
もともと民間の作業用レイバーを警察用に改修を施した機体なので無理もないけど。うちの会社では現役で働いているんだけどなぁ。
「……考えないと。この子がお荷物なんて言われてたまるもんか」
前髪をかき上げて、思案する。
……そういえば相手は酔っ払いだったっけ。平成の時代ってほんとおおらかだ。
当たり前のように酒飲んで車を運転しては、たびたび事件や事故を起こしている。前世平成生まれの未来っ子としては信じられない。
「ねー遊馬ー!」
「あーもうなんださっきからー集中しろー!」
遊馬に怒鳴られた。階級こっちが上なのに。
「件の暴走レイバーって飲酒運転だっけー!」
「それがどうかしたのかー!」
じゃあいけるかも…。レイバー運搬用トレーラーと回線をつなげる。
「ヒロミちゃんヒロミちゃん、牽引用のワイヤーもってきてる?」
「あ、はい……持ってきてますけど。またやるんですか?」
だって効果あるし。特に酔っ払いみたいな前後不覚野郎には。
キャリアからロープを持ち出す。ワイヤーと呼称されてはいるがレイバーサイズの重機をも引っ張れる優れものの特殊鋼製ロープなのでかなり太い。
「さっさとつないじゃうから遊馬どいてー」
「おーい!もうレイバーは近くまで来てるんだぞー!」
「じゃあ足止めでもしといてー!」
「できるかーーッ!」
怒鳴る遊馬を無視して、テキパキとロープの両端を遊具の足に縛る。これは実家で培ったスキルで手慣れたものだ。数分とかからず作業を完了させた。
直後、公園一帯に大きな足音が轟いた。電線で羽を休めていたスズメが驚いて飛び立ち、木々をザワザワと大きく揺らした。ギリギリ間に合った。
「きた!」
建物の間を縫うように公園の入り口にレイバーが現れた。全身を赤味が帯びた派手やかな黄色の警告色で塗装し、前面が乗用車のボンネットの様に突き出た形をした作業用レイバー。
菱井インダストリー製のブルドッグ――が、どっしりとしたガニ股気味の脚をよろよろと千鳥足でふらつかせている。
しかも不注意から足を踏み違え、寄りかかった先の電柱を地面から剥してしまった。ひっどい運転。
「そこのブルドッグ、搭乗員に告げるーー!ただちにレイバーを停止し、操縦席から離れなさーーい!」
遊馬がマニュアルに則り暴走レイバーの運転手に停車勧告を発する。
「なんだとー飲んでわるいかー!」
すぐさまブルドッグの搭乗員から怒鳴り声が返ってきた。
ぼんやりと据わった目つき、むくんだ赤ら顔、呂律の回らない舌。一升瓶を脇に抱えており、キャノピー越しからでも搭乗者が深く泥酔しているのがわかる。
「飲んで運転するのがいけないの!」
「俺の気持ちなんて若造のお前にわかるかー!」
「わかる!わかるから降りて話し合おう!」
なんちゅー気の抜けた会話だ。代りに大声で怒鳴ってやる。
「お前みたいなやつがいるから納税者の皆様が迷惑するんだ!さっさと降りろバカ!」
「なんだとー!」
「レイバーで暴れたところでせいぜい3面記事の隅っこを飾り立て、物笑いの種にされてすぐに世間様から忘れ去られるのがオチなんだから降りろって言ってんのー!」
「なんちゅー気の抜けた罵倒するんだあいつ」
聞こえてるぞ遊馬!
でも酔っ払い相手には効果覿面だったみたい。もともと赤らんでいた顔がますます赤味を増していき、体はプルプルと小刻みに震えている。これお父さんで見たやつだ。
「この野郎!この野郎ーー!女だから優しくしてやりゃあつけあがりやがって、なめんじゃねーー!!」
酔っ払いはツバとか涙とか諸々の体液を垂れ流しながら、ブルドッグの長い両腕を突き出してこちらに向かって走り出した。
ボクは96式を一歩下がらせ、重心を少し後ろに傾ける。運転手の気迫に飲まれたように見せかける。
「うへへへッッ!!」
いかがわしげな笑い声を振りまき突撃してくるブルドッグ。こちらにあと一歩、腕が届きそうなギリギリの間合いで遊具の両端にかけたワイヤーにブルドッグは足を引っかけた。
「ぉ…ぉおお!」
もつれる様に前のめりになるブルドッグ。しがみつこうと両手をばたつかせている。
刹那にブルドッグの胴体を96式の腕で叩きつける。残した前足に踵が引っ掛かるように重心を崩させ、逆方向に機体を押し倒した。ズゥウウンと砂埃をたてて仰向けに倒れるブルドッグ。
前後の激しい振動で身体を強かに打ち付けたのか、運転手はシートの上で身を捩じっている。
「どう?まだ続けます…?」
近くで見ていた遊馬が倒れたブルドッグの装甲をよじ登る。
搭乗口をのぞき込んだ遊馬は、試合終了を告げるレフェリーのように、ブンブンと両腕を交差して叫んだ。
「目ぇ回してるーっ!」
「はぁ……」
せっかくカッコよく決めたのに。なんだか締まらない。
暴走していたレイバーは止めたし、被疑者も無事に確保できた。レイバーにも殆ど損傷なし、無事に任務終了……なんだけどなぁ。
ボクが項垂れているとパチッ…パチッ…と乾いた音が聞こえた。顔を上げると公園近くの団地アパートのベランダから、父親と共に観戦していた子供が手摺越しに手を叩いていた。
他にも何人かがちらほらと倣う様に、ボクたち第二小隊の健闘を称える拍手をした。
「パトレイバーかっこいいー!」
―――どのような人であれ、自分の働きを認めてくれる人がいてくれて嬉しく思うし、それまでの苦労も報われるというもんだ。
ボクは労わる様に96式のハッチの縁を撫でてから、ボクらが身を挺して庇った小さな市民に向けて小さく敬礼を掲げた。
被疑者の様子を見ていた遊馬、ヒロミちゃん、進士さんたちも照れてはにかんでいる。
とにかくこれでお仕事終了……っと。どういうわけか遊馬がまだこっちを見上げていた。
「なぁ今のなんだよーっ」
「大内刈りもどきーっすごいでしょ」
「96式でそんなことができたとはなー」
ふふん。もっと褒めてよろしいわよ。
96式をレイバーキャリアに戻し、運転席に移る。この大型トラックはレイバー運搬用に篠原重工が提供したもので、これもまた第一小隊からのおさがりだ。
運転席には身長2メートルを超す優しき巨漢『山崎ヒロミ巡査』とコンピューターやプログラムに強く、前職はサラリーマンと異色の経歴を持つ『進士幹泰巡査』が迎えてくれた。
「そういえばブルドッグが前に倒れそうになった時、どうして後ろに押し倒したんです?あのままでもよかったんじゃ」
帰り道で進士さんにそう尋ねられたけど、ボクとしてはそこまで大きな理由はない。
「あのままうつぶせに倒れたら危ないかなって。運転席が潰れることはないけど、頭打っちゃうかもしれないし」
「そこまで考えていたんですね」
「咄嗟だよ咄嗟…えへへ」
褒め上手なヒロミちゃんにおだてられたボクは面はゆくなった。
特車二課へと帰還後。整備班員の顔役的存在『シバシゲオ』さんから、腕と足にかかった負荷以外、96式に目立ったダメージなしとお褒めの言葉を頂戴した。やったぜ。
♦
警視庁警備部特殊車両二課―――通称『特車二課』は本庁桜田門から大きく外れた僻地に存在した。
警視庁警備部直轄部隊でありながら棟屋は13号埋立地――特車二課は陸の孤島と呼ばれる東京湾岸線沿いに面したぽっかりと突き出た出島の様な場所にあった。
令和であればフジテレビの社屋やガンダムベース、東京ビックサイトなどの大型施設が点在する観光地『東京臨海副都心』が近くにあるが、平成10年はそれほど開発は進んでいない。
特車二課は課長からはじまり整備班だけで20名を超し、事務係を含めれば40名。実働部隊である第一小隊と新設した第二小隊、この大所帯に加え、全長八メートル近くにも及ぶレイバーやそれらを運搬する大型トレーラーを維持管理するための受け皿となる敷地を本庁は持っていなかった。
しかし特車二課設立を急務とした警視庁は倒産した工場を都庁から引き受け、この棟屋を分署としてそのまま流用した。
上空から棟屋を見下ろせば、古めかしい瓦棒屋根が工場跡の名残を感じさせる。
庁舎の2階、出入口側に面した場所に特車二課隊長室がある。
デスクには濃く赤茶けた長髪をヘアゴムで後ろに纏めた特車二課隊員服を着た女性がひとり、書類仕事に勤しんでいた。女性以外には誰もおらず、時折ボールペンを走らせる音が室内に響く。
そこへ白髪交じりの短髪をオールバックに纏めた三白眼の中年男性が、ノックもせずに入室してきた。が、女性は驚きもせず一瞥した。
「あら、後藤さん。どこへいってたの?」
「あぁ、ちょいと本庁の方にね」
男性は挨拶もそこそこに女性を素通りして空いたデスクに向かい、窓の外に視線を向ける。
特車二課の周囲は空き地で囲われており、ブタクサやススキなどの雑草で覆い茂られている。顔を上げれば澄んだ青空と羽田から飛び立つ旅客機がよく見える。とても東京都内とは思えない長閑な風景が広がっていた。
仕事がなくて暇なのか、サマーチェアで日光浴を満喫している初老の男性、整備班班長の榊清太郎の姿が見える。
「……それって新型レイバーの件?」
「そう。ようやく書類がそろってね」
「今朝はお手柄だったわね。さぞ課長も喜んでいたでしょう」
「……おかげで話が難航したよ」
表情の変化が乏しい男――第二小隊隊長、後藤喜一警部補にしては、今朝の捕り物劇に苦々しい言葉を取ったことを南雲しのぶは意外に感じた。
「あらそう?うまくやってるじゃないのお宅の子」
「それで本庁が渋っちゃってね。まだ96式でいけるんじゃないかって」
「それは…っ」
「お宅の第一小隊のお下がりが時代遅れであるにもかかわらず成果を上げ続けちゃうもんだから……どのレイバーメーカーも持てる技術を注ぎ込んで鎬を削る昨今。技術進歩が激しいこと……シノブさんとこのお下がりが既に骨董品と化しているんだもの」
窓の外を見ると小さな人影が見えた。ランニングウェアを着た、長髪を一房に束ねたおさげの少女が庁舎の周辺を走っている。
「あいつには負担をかけ続けているよ……」
待機時間を使って体力向上に努める少女の健気な姿を見て、後藤は申し訳なさそうに呟いた。
特車二課創設期、第一小隊のみで首都圏のレイバー犯罪を全てカバーしなくてはならない圧倒的人手不足に特車二課が悩まされて間もないころ、海の物とも山の物ともつかず身一つでやってきた隊長の後藤をはじめ太田、篠原、進士、山崎の5名が第二小隊に集結し任務にあたっていた。
業界では新参者の篠原重工が、3年前に市場販売をスタートさせた土木用の『ASUKA96』を濃紺に塗り替え、鉄板を張り付けただけのセコハンレイバー一機で出撃しなければならない苦しい日々。
事態の打破にもがいていた太田が、あーでもない、こーでもないと機体調整で榊班長らと相談していたのを思い出す。よく仕事をこなしてくれていたと思う。
「報告書読ませてもらったわ。今朝はワイヤートラップで解決したんですってね、もうレイバー関係ないわね」
「……どんな汚い手を使ってでも事件を解決しろと教えたのは俺だしね。でもまぁ、96式で頑張りすぎたせいで新型機の導入が遅れているなんて口が裂けてもいえないでしょ」
「じゃあどうやって課長たちを説得したのよ」
「篠原重工が警視庁の新型機の導入にずいぶんと入れ込んでいたからね。そこをつつかせてもらったの」
何でもないように言い放った後藤のその一言に、南雲シノブは目を丸くして溜息を吐いた。
「呆れた。身内をゆすったのね」
「頑張ったやつが報われないなんて悲しいでしょ」
後藤はニヤリとほくそ笑んだ。
渾身のキメ顔だったが、彼を知る南雲は得体のしれない妖怪でも見ている様な目をしていた。
『第七管区より通報、東京港倉庫街にて爆弾テロ犯が操るレイバーが出現!機動隊から齎された情報によると機種は菱井のヘラクレス21!第一小隊出動せよ!第一小隊出動せよ!繰り返す―――』
突如、特車二課に舞い込んできた通報に南雲は椅子を蹴飛ばす様に立ち上がった。
手早くデスクの上の書類を片付け、ハンガーに向かおうとする。だが、隊長室から出ていこうとした南雲を後藤は呼び止めた。
「ヘラクレスっていえば今年出たばかりの菱井のニューモデルだよ……」
「97式でも戦いようはあるわよっ……なんならロープマジックでもお手玉でもして見せますから!」
今朝の捕り物で活躍した、新設の第二小隊に負けまいと意気込みを見せた南雲は隊長室から駆け足で飛び出していった。
女だてらに勇ましく振舞う彼女をぼーっと見送った後藤は他に誰もいない隊長室でぼそりと零した。
「いや、お宅にそんな器用さはないでしょ……」
数分後、97式改をトレーラーキャリアに乗せて意気軒高と出撃していく第一小隊を、後藤は隊長室の窓から見下ろしていた。
♦
南雲シノブ率いる第一小隊が事件現場に到着した時には既に倉庫街には火の手が回っていた。爆弾テロ犯が操る一つ目のガッチリとした体格のロボットが東京港を蹂躙していたのだ。
叩き潰された資材用コンテナから散乱した原料が引火し、他の倉庫にまで火の手が及んでいる。
犯行を食い止めようとしたパトカーや装甲車もレイバーに踏みつぶされるか、あるいは投擲物として投げ飛ばされ、スクラップと化していた。
「ククク……来るなら来てみろー!全部燃やしてやるーッ」
大惨事を作り出したヘラクレス21を駆るテロリストの暗い笑いが、炎上する倉庫街に響き渡る。
東京湾埋め立てに反対を表明し、爆弾テロを実行した犯人を睨みつける南雲は部下に出撃の号令を下さんとヘッドマイクを握りしめた。
しかし現場に駆け付けた捜査1課の刑事が横から割り込み、彼女の猛りを諫めた。
「せっかく追い詰めた爆弾魔なんです!荒っぽいことして死なせちゃったりしないで下さいよ南雲警部補!」
「あなたにはこれが追い詰めたように見えますか…ッ」
「いや……新型のレイバーを奪ってこんなところに立て篭もるとは思わなかったもんで」
「甘いッ!」
南雲の一喝に若い刑事はウッとのけ反った。
「モモちゃん!特車二課だよ!!」
『ご覧ください!本庁のお荷物、税金の無駄遣いと悪名高い警視庁警備部、特車二課が現場に駆け付けてくれました!通報からすでにかなりの時間が経過しています!』
他局に先駆け、いち早く事件を取り上げる事に成功した女性テレビレポーターとスタッフクルーが興奮気味に実況している。
―――通報を聞きつけたテレビ局が現場に駆け付ければ、税金で賄われた無骨なだけの警察用レイバーが悪漢が操るレイバーを鎮圧する瞬間を余すところなく撮影し、電波に乗せてお茶の間に提供する。
警官VS犯罪者という一目でわかる単純明快な構図と、レイバーによる息をのむ大迫力のロボットバトルは娯楽に飢えた大衆の心を大いに刺激した。
20世紀末に到来した人型重機による捕り物劇は、今やお茶の間を賑わせる首都圏の娯楽と化しつつあった。
『犯人の操るレイバーは警察の再三の警告にも応じず、破壊活動を繰り返しています!いったい犯人の目的とは!そして燃え上がる倉庫と東京港の運命は!?このまま……どうなってしまうのでしょうか!!』
一つ目にガッチリとした体形をした二足歩行のレイバーが、我が物顔をして堂々と倉庫を破壊、蹂躙する様はさながら特撮映画に出てくる巨大怪獣だ。
屋根や鉄筋は粉々に打ち崩され、原料を保管したタンクは引火して大炎上。その散々たる光景を前にして自然と表情が険しくなった南雲は、トレーラーキャリアに搭乗している隊員たちに改めて号令を下した。
「全機搭乗ォッ!突入用意!」
「全機搭乗ーーッ!」
警察用に白地に黒い模様を差した警視庁所有のレイバー運搬用大型トレーラーキャリアの荷台が、ジャッキアップにより垂直に起き上がる。仰向けで寝かされていた青い装甲の人型ロボットが大地を踏みしめ屹立した。
左腕に身の丈ほどの長さもある巨大なラージシールドを装備し、外観はどんな荒事にも耐えられる頑強そうな出で立ちを成している。
警視庁初の人型レイバー『97式改 パイソン』が、暴虐の限りを尽くすヘラクレス21の前に立ちはだかった。
「…クソッ青いレイバー!特車二課かっ!」
警察用レイバーの姿を見るや否やテロリストは、後ずさる様に光の刺さない薄暗く閉ざされた大型倉庫へと姿を隠してしまった。
気炎を巻き上げていた先ほどの様子とは打って変わり、臆病風に吹かれている。
「南雲警部補!菱井インダストリーの技術者をお連れいたしました!」
「こちらへ!」
機動隊員に案内されて現れたのは白衣を着た二名の男性だ。胸には菱井の社名とロゴが刺繍されている。
刻一刻と逼迫する緊急事態に南雲は前置きなし、単刀直入に斬りかかった。
「ずばりお聞きします。ヘラクレス21の弱点はどこでしょう?」
「ヘラクレスの弱点というと…ヘラクレス袋にスペシウム光線をぶち込むとか?」
「真面目なお話をしているんです!」
緊急事態を前に体をくの字に曲げて、茶化してくる壮年の技術者に苛立った南雲は目をカッと開いて吠えた。
両者の間に漂う険悪なムードに、すかさずもう一人の菱井の技術者が南雲との間に割って入った。
彼はバッと両腕を広げて胸を張り、ヘラクレス21の性能を誇るように大声で謳い上げた。男の背後にある倉庫からドーンッと爆炎があがる。
「弱点などありません!強力なパワー!強靭な運動性こそ『ヘラクレス21』の特徴です!まさしく、燃える男の汎用レイバー!」
「……まぁオタクの旧式レイバーなら2対1でも負けませんよ」
「全機突入ぅうぅうう――――ッッ!!!!」
全く面白くないジョークと自社製品自慢をひけらかす男たちに、早々に見切りをつけた南雲は大音声で号令を発した。
暗闇に閉ざされた倉庫内に南雲の勅命を受けた2機の97式パイソンがなだれ込んでいく。その後姿を南雲は険しい顔をして黙って見送った。
工事用ヘルメットを被る現地レポーターがカメラに向かって叫ぶ。
『特車二課が誇る97式改が、今、犯人の潜伏する倉庫に突入を開始いたしました!果たして犯人逮捕までに何分を要するのでしょうか―――ッッ!!」
――突入してから47分後。97式改の標準装備であるレイバー用大型警棒で頭部を滅多刺しにされたヘラクレス21が、同様に頭部を破壊された97式改の2機に引きずられて倉庫から姿を現した。
機動隊によってヘラクレス21から引きずり出されたテロリストは、両手を手錠に繋がれパトカーに連行されて行く。
南雲は少なくない損害を出しつつも事件を収束させられたことに一息ついた。
しかし彼女の目の前には、頭を無くして倒れた97式改とヘラクレス21が横たわっている。
そして現場の至る所では鉄やプラスチックの原料が散乱し、倉庫の延焼を食い止めようと消防庁のレイバー『パイロバスター』が消火作業に当たっている。
もはや廃墟と化しつつある、赤く燃え盛る倉庫街を見た南雲は拳を固く握り締めた。
♦
1995年、発生した直下型地震により深刻な損害を被った東京都は発生したガレキの処分を兼ねて、川崎から木更津間を堤防で埋め立て、いずれ来る温暖化による海水面上昇、同時に首都圏の土地不足を一挙に解消する、一石三鳥を狙った一大国家事業『バビロンプロジェクト』を立案。
途方もない巨大な堤防建設計画を達成するため、日本中のレイバーの大半が首都圏に集中した。
『レイバー』……ハイパーテクノロジーの急速な発展と共にあらゆる分野に進出した汎用多足歩行型作業機械のことで主に土木、建設の分野で広く普及したが、同時に新たな社会的脅威『レイバー犯罪』と呼ばれる凶悪事件が急増。
続発するレイバー犯罪に警視庁警備部はレイバーを導入した特機部隊、特殊車両二課パトロールレイバー中隊を新設して、これに対抗した。
通称『パトレイバー』の誕生である。
当作品では97式改は既に型落ち枠に入りかけています