愛と勇気と正義にかけて、市民をお守りいたします! 作:イングラマン
猛然と殴りかかるヘラクレス21の腕を横にずらして弾き、同時にカウンターの要領で右掌底を当てる。よろけた拍子にローキックし、足を挫いた。ヘラクレス21への追撃の手を直感的に止める。
起き上がり様に相手からの怒りの猛反撃、横殴りのフックともいえないスイングパンチ。2度躱し、空を切った太い右腕を掴み、背後に回り込み捻り上げる。
身動きが取れなくなったヘラクレス21がジタバタと足掻く。幾らパワーが自慢のヘラクレスといえど、関節を極められては容易くは抜け出せまい。指揮車にいる香貫花がスピーカーで犯人に投降を呼びかけた。
『搭乗員に告げる!ただちにエンジンを停止し、レイバーから降りてきなさい!」
「ぐぉおお!は、はなせぇえ~~~ッ」
そう言われて手を離すつもりはない。膝裏を小突いて膝カックンの要領で跪かせる。
前のめりになったヘラクレス21が無事な左手を地面に突き出しふんばる事で、ヘラクレス21の両腕がボクの目論見通り完全に塞がった。
『太田巡査部長!わからず屋に代わってやってさしあげなさい』
「あいあいさーっ」
空いている腕を前方に回し、イングラムの指先でハッチ開閉のノブをきゅっとつまんで回す。
閉じられたヘラクレス21のコクピットハッチが口蓋が開く様にグイーンッとせり上がる。驚いた犯人の顔がボクにもよく見えた。
うつ伏せに近い状態だと作業用レイバーは安全上、オートバランサーが下肢に力を入れて立ち上がろうとするから余分な動作はできない。それはルーチンワーク化した事で動作に遊びが少なくなった分、操作しやすいともいえる。
それはそうと搭乗者を保護するキャノピーが開いてしまったものだから、シートベルトで体を固定しているだけの搭乗者は血の気が引く思いだろう。
「げげげー!」
泡喰った男を無視してハッチを閉められないようにコンソール部分をイングラムの指先で押し潰す。レバー諸共ひしゃげたコンソールでは、このレイバーは二度と動かせない。
今だーッと様子を見守っていた警官隊がレイバーになだれ込んでいく。大勢の警官が犯人を機内から引き擦りだし、手錠をかけてパトカーに連行していった。
画面に表示されている損害報告にマニュピレーターのダメージはない。反省してパンチから拳法の掌底に切り替えたのが功を奏したようだ。
『隊長。暴れていたヘラクレス21の鎮圧、完了しました』
『おー、お疲れさん。悪いけど、泉の方に援護いってくんないかな、どーも、手こずってるみたいなのよ」
『了解しました。太田巡査部長!』
香貫花の指示にうなずく。
「聞こえます。太田機、泉機の援護に向かいます!」
先導する香貫花の指揮車の後に続いていく。
突如、発砲音が1号機がいる辺りから聞こえた。火薬を爆ぜたような音が現場に轟くが、物にあたったような感じはしなかった。
たどり着いた先では現金輸送車を襲っていた片割れのブルドッグがイングラムと取っ組み合い…というよりリボルバーカノンを構えた1号機が襲われているようだった。左肩のパトランプが破損しているし、リボルバーカノンを持った右腕を頭より高い位置に押し上げられている。
そして現場一帯に37ミリの弾痕らしきものがない。どうやら野明は空砲で犯人を脅そうとしたが失敗し、拘束されてしまったようだ。
『ヒカル、犯人はこっちに気づいていないわ。背後から仕留めなさい』
「オッケー」
『サスペンションをAモード。ハネないように細心の注意を払って近づきなさい。目標までの距離300』
組みつかれている野明には悪いが犯人の背中ががら空きだ。
電磁警棒を引き抜き、出来る限り駆動音が鳴らないように気配を殺し、膝立ちですり寄る。あともう少しでというところで、スピーカーで拡張された声が格闘現場に響いた。
『野明!太田機が援護に駆けつけてくれたぞ!二人がかりでやっつけるんだッ』
「え、ヒカルちゃん!?やった!」
バカ!掴まれているイングラム1号機が肩越しにボクを見たせいでブルドッグが背後から忍び寄るボクの存在に気づいてしまった。
セミオート歩行を解除し急いで走る。振り向いたブルドッグを肩で強引に押し当てて擁壁に拘束する。
「野明ッ!電磁警棒!」
「わ、わかった!」
『目標は脇の下だ!野明、一発で決めろよ!』
ボクの意図を察した1号機が左腕のシールドから電磁警棒を引き抜き、ブルドックの横っ腹にある駆動部に切っ先をねじ込んだ。
電磁警棒から発生した電流はブルドッグのRAMを焼き尽くし、青白い火花を散らしていく。
「ふぅ…」
煙を上げて沈黙したブルドッグを、擁壁に腰掛ける様にしてゆっくりと下ろす。スタンスティックから生じた電流の影響で、痺れて動けなくなっている強盗犯の姿がキャノピー超しに見えた。
緊張が弛緩し、口から吐息が零れた。
「はぁ~~……ありがとうヒカルちゃん」
「……ううん、気にしないで」
『いいえ、気にするべきよ。あなたたちが声をあげなければ、もっと迅速に且つ致命的なダメージを与えて事件を解決できていたわ』
香貫花ぁ……そうなんだけど、それは今言わなくてもいいんじゃないかな。
案の定、凍える様な双眸と共に叱責された遊馬と野明がムッとして香貫花に食ってかかった。
『あなたたちって……俺もかよ!』
「わ、私とアルフォンスだって必死に戦って!」
『Shut up!言い訳無用!―――大体いつもいつも、あなたたちは私とヒカルの足を引っ張って作戦を台無しにしているじゃないのッ!』
「「なんだとーッ!!」」
スピーカー越しにギャーギャーと騒ぐ3人の喧嘩を聞きながら、ボクは天を仰いだ。
これじゃまるで学校だよ……ついでに外部スピーカーで拡張された喧騒が現場一帯に広く届いてしまい、とにかく目立った。
キャリアの前にいた進士さんとヒロミちゃんは苦しそうにお腹を押さえてるし、後藤隊長と傍に控えている警官隊や野次馬は、なにやってんだよって呆れた顔でボクたち4人を見ていた。
♦
レイバーを使った現金輸送車襲撃事件の強盗犯を見事捕えた特車二課第二小隊は、現場の事後処理を警官隊や所轄の刑事たちに託し、特車二課のある埋立地に帰還していた。
そして泉野明を含めた第二小隊はハンガーでイングラムの破損個所のチェックと修理を受けていた。
「今日の出動はわりかし簡単だったな。しっかしレイバーを使えば簡単に金が手に入ると思っているんだからなぁ……あぁやだやだ」
「あーん。回転灯が壊れちゃったよー……ぎゃー!ここにも傷がある―っ!」
ハンガーの階段を上っていた篠原遊馬は、イングラムの肩に跨り装甲の傷を悲し気に摩る泉野明を見上げた。
先の現金輸送車襲撃事件。犯人グループが使用した違法改造ブルドッグの攻撃でイングラム1号機は肩のパトランプを破損していた。野明は特車二課に帰還してからというもの、イングラムについた擦過傷を見ては頻りに落ち込んでいる。
しかし格闘用レイバーの被害としてみれば、軽微な代物だ。そう気落ちするなと遊馬は落ち込んでいる野明に気さくに声をかけた。
「んなもん安いもんだ。すぐに直るし、部品代だって大してかからねーよ」
「……そーいうことじゃなくてですねー」
「じゃあ何なんだよ」
うっ…と答えに窮した野明は何とはなしに隣のハンガーを見た。特に傷らしい傷も見受けられないイングラム2号機。破損した1号機と違い整備員も点検と整備だけに留めている。
戦いの場から帰ってきても威風堂々と佇む有りようが野明には眩しく映った
「2号機、頭変わっちゃったんだよね」
「ん?……あぁ、今ついているのはテスト用の試作型を回してもらったんだよ。センサー類が充実しててこれまでよりいい働きができるんじゃないの。たぶん」
「流石ヒカルちゃんだねー……はぁああ」
らしくなく、負けん気旺盛な野明が溜め息をついて項垂れる姿を見た遊馬は、なんだこいつと任務達成の余韻から醒めてしまった。イングラムを受領したときは飛び上がるほどの喜びようだったというのに。
「どうしたんだよらしくないな」
「うっさいなー……もっとアルフォンスをうまく扱えないとなーって思っただけ」
「あれだけやれれば、十分だろ。大したダメージも負ってないし」
「……それがイヤなんだってば」
野明は先の出撃を思い出していた。
確かに初出撃に比べればそこまでの損傷を負わなくなった。だがそれは先輩のフォローがあってこその成果だし、なにより自分の操作技術が巧者であればイングラムの破損率を今よりも下げられていた筈だ。
ああは言い返してみせたが、香貫花の歯に衣着せぬ叱責にそこそこ心が抉られていた。
「パトレイバーはもとより荒仕事を承知の上で作られているんだ。壊れるのを恐れて尻込みしていたらこれから先、危なっかしくて仕事にならないぞー」
レイバーを大事にしつつも、なんやかんやでレイバー隊員として任務優先だったヒカル。しかし遊馬の新しいパートナーは出撃の度に機体についた傷を気にして、過保護が度を越している。
野明の操縦にもその傾向は現れており、小手先や小技ばかり達者になる1号機の在り様に遊馬は危うさを覚えていた。
とはいえイングラムに縋りついて泣いている相棒の事ばかり気にかけてはいられない。遊馬は今回の出撃データのバックアップを保存しに二課棟電算室へと去っていった。
―――その日、第二小隊のお茶汲み当番だった野明は隊長室に煎茶を運んだ折り、ハンガーでの遊馬とのやり取りを後藤隊長に打ち明けていた。
後藤は事件の報告書と昨日の日報を読みながら野明の相談事を一通り聞き終え。
「ん~。篠原の言う通りだな。泉はイングラムを大事にしすぎだよ」
野明は賛同を得られなかった事による上司への軽い失望から、口から不満が零れ出そうになるのをグッと堪えた。百面相をしている野明を横目に後藤は話を続ける。
「胴体につく傷は勲章だと思った方がいい……イングラムは現行のレイバーでは性能がダントツなんだ。それを信じるこったな」
「でもヒカっ……太田巡査部長だって」
野明は自分と同じように可能な限りイングラムの損傷を避け、2号機を大事にしているヒカルを引き合いに出した。
「太田の奴は頭から火中の栗を拾いに飛び込んでいくし、それでいて火傷もせずに帰ってきてくれる技術と勘があるからなぁ。現場指揮官としてはこの上なく安心して送り出せるよ」
「それは!……そう…ですね」
前回の出撃では総合性能においてイングラムより格下とはいえ、力自慢のレイバーに真っ向から立ち向かい無力化。その上、もたついてピンチに陥っていた自分を手助けしてくれた先輩の勇猛な戦いぶりを思い出す。
自分もあんな風になれるだろうか。自ら望んで飛び込んだ職場だが、野明は少し自信を失いかけていた。何回かの出撃を経て得た物は自身の至らなさを痛感する経験ばかり。
しかしなぁ――と、後藤は啜っていた湯呑を置いた。
「太田のやり方が必ずしもレイバー隊員にとって正しいやり方ってわけじゃないんだ。例えば太田だけど、あいつは実家で子供のころからレイバーに触れてきた経験と学習があってこそできているわけで。泉は泉のやり方を模索した方がいいよ」
「私の……それってどういう」
「それは~……教えない」
えーっと非難の声をあげる野明を後藤は無視した。
特車二課は98年に警備部で試験的に導入がなされたばかりの新設部隊だ。事件解決に至る資料も少ないし、ノウハウによる蓄積も不足している。まだまだ前途多難、よく言えば有為多望の部隊。
細かく指導して手解きを加えれば、これからの特車二課第二小隊を恣意的な方向に歪めかねず、此れが特異な事件にあっては致命的な後れを取る可能性も否定できない。後藤は若者に艱難辛苦を与えて成長を促す――とりわけていう放任主義者だった。
♦
じりじりと詰め寄り野明の袖をつかもうとするが距離を取られる。
もうこれを何度も繰り返している。これが試合なら野明はとっくに指導で反則負けしているところだ。ボクは小さく溜め息を吐いた。
「野明、稽古をつけて欲しいと言ってきたのキミの方じゃなかった?」
「そ、そうなんだけどー!」
「……わかった、そっちから来ないならボクからいく」
「え……ちょっ!待ってー!」
バシーンッ!一足で踏み込み、前屈みで腰が引けていた野明の足を払い、畳に押し倒した。背中を強かに打ちつけた野明は軽く咳き込み、何が起こったのかわからないと目を白黒させている。
「うぎゅぅ……」
「泉巡査、次からは技を掛けられるのを恐れないで来て。下手に腰が引けていると受け身が取れなくなって却って危ないんだから」
「はい…」
野明がしょんぼりと肩を落としている。きつく言い過ぎたかな。
「次は私よ」
野明と入れ替わるように柔道着を着た香貫花がボクの前に立った。
……ほんと何を着ても似合うな香貫花は。野暮ったい柔道着でも香貫花みたいな美人が着るとそれだけで絵になるんだもん。
「どうしたの?」
「あ、ううん!なんでもない!」
お互いに軽く礼をして、さっそく稽古を始める。それを野明に観戦してもらい、ボクらをお手本として技や体捌きを記憶してもらう。
ボクたちはいま、特車二課庁舎の屋上に畳を敷いて柔道の稽古をしていた。先日の上野の一件から幾度かの出動を繰り返した結果、野明は1号機を傷つけられる事に臆病になってしまった。
しかし泉野明巡査はへこたれない。
本格的に格闘技の技術を学ぶ事で、その経験をイングラムに応用しようと考えたわけ。それだけでなくボクと2号機をお手本に立ち回り方を模索しようとしている。
動機は何であれその意欲を買ったボクは隊長から許可を得て、屋上で柔道の練習をすることにした。
香貫花にはボクから頼んで稽古に参加してもらっている。野明が休憩を取っている間も技術を見て物にしてほしいからだ……と事前に香貫花と軽く打ち合わせしたんだが、さっきから彼女の勢いが猛烈だ。
「ハイハイハイーーッ!」
全然手抜かりしていない。香貫花、これが野明のための見取り稽古だってわかっているよね?
「くっ…!」
先ほどから小内狩りから大外刈りと様々な連続攻撃をボクにしかけてくる香貫花。が、どれも不発に終わり香貫花の顔に焦りの色が現れた。疲労で僅かに足さばきと呼吸が乱れたのを感じる。
今度はボクの前足を払い大内刈りでトドメを刺そうと大きく踏み出してきた。同時に重心がブレた香貫花の懐に素早く回り込み、一気に担ぎ上げて畳に落とした。バシンッと畳を叩く乾いた音が屋上に鳴り響いた。
「……っと、これが一本背負い。ぼーっとしてないで、ちゃんと見てた!?」
「は、はいぃ!」
「イングラムのオートバランサーなら下肢をCモードに一任して、跳ね上げるだけで技を実行できるから覚えておくと実戦でも役に立つよ!」
「さ、参考になります…」
野明の顔がなぜか強張っている。しかもらしくなく敬語を用いているし。
よく見れば野明の視線はボクだけでなく香貫花の方にも注がれていた。
「……」
視線を落とすとボクに襟を掴まれたまま、畳に落とされた香貫花が睨むように見上げていた。
何そのむくれた顔……ボクだって言いたいことあるんですけど、さっきの打ち合わせと全然違うし。
「これ練習なんだけど」
「わ、わかっているわよ……っ」
不機嫌そうにぷいっと顔を背けられた。もう、本当に負けず嫌いなんだから!
指摘されて顔を赤くした香貫花は、ボクたちを無視してさっさと畳の隅で正座をしてしまった。
瞼をきつく閉じて瞑想しているつもりなんだろうけど、雑念塗れなのが傍からでもハッキリと見て取れた。
「も~~っ……まいっか。野明、さっそく始めよう!」
「あの、太田巡査部長……少しは休まれた方が」
「ううん。全然平気!へっちゃらだよ!早速野明に教えたとこ覚えてもらわなきゃ!」
ムンっと力こぶを作ってみせると、野明がへらへらと乾いた笑いを浮かべた。
「あ、あははっ………お手柔らかにお願いします」
何故だか距離ができちゃってるけど、せっかく教えた技を体に覚えてほしいので野明と技をかけあった。何度もお互いを投げたり投げられているうちに、体力の尽きた野明が先にへばってしまった。
「ちょっとー、人に付き合わせて先にダウンするなんてどういう了見?」
「た、タンマ……」
野明がもう無理と肩で息をしている。どうしようかと悩んでいると、途中から香貫花だけでなく様子を見に来た第二小隊の男の子たちも自主訓練に混ざってきてくれた。おかげで目一杯、充実した稽古をとれた。
更衣室で下着姿になった野明は、肩や肘など体術訓練で作った青痣を鏡でチェックしていた。ボクも野明もまだまだ青春真っ盛り、体に負った傷や痣のケアだって殊更気を遣う。
出来た青痣を調べ終えた野明は一つ溜め息をつくと、鞄から湿布を取り出した。乾燥保護のシールを剥がすと、ロッカールームに消炎剤特有のスーッとした匂いが漂った。
着替えを終えたボクは、一人で湿布を張れずにグズグズしている野明を見かねて声をかけた。
「野明、後ろ見せて、シップ張ってあげる」
「いいですよ……自分でやりますから」
「背中は自分じゃ張れないでしょ。遠慮しないの」
強引に野明を更衣室のベンチに座らせ湿布を奪い取り張り付ける。
メントールの匂いがする湿布の冷えた感触に野明の体がビクンと跳ねた。
「ひゃっ…!」
「午後には勉強会もあるんだから、疲れたからって居眠りしちゃだめだよ」
「はい…」
肩や脇の下をさすっている野明を置いて、ボクは先に更衣室から出ていった。
昨日の出動から帰ってきてからというもの、野明に覇気が見受けられない。
気にはなったが上官であるボクがあれこれ言った所で、野明はソレを命令として受け取ってしまう。少々悩んだが、ボクよりも適任者がいる事を思い出し、彼に任せることにした。
バチンッ!―――思いっきり人肌を叩く乾いた音が背後の更衣室から聞こえた。
♦
レイバー犯罪を始め、従来より質的に全く異なる形態に多様化し量的にも増加の一方をたどる現代犯罪に対抗するため、警視庁は新たに警察官予備校を設立。
10ヵ月はかかる教育期間を可能な限りカリキュラムを絞り、過密スケジュールで密度を補うことで、多くの警察官見習いを卒業。人員不足しがちな各部署に輩出した。
これら促成栽培の煽りは警察内部の綱紀の乱れ、モラルの低下を招いた。幸い特車二課には鬼の整備班長こと榊清一郎、第一小隊隊長の南雲隊長がそれぞれ睨みを利かせてくれているので、隊内の綱紀粛正が図れていた。第二小隊はボク、香貫花、隊長の3名で手綱を引き絞っている。
第二小隊の面々で正規の警察教育を受けたのは後藤隊長とボクの二人。香貫花は巡査部長相当とはいえカルフォニア州で教育を受けた、ニューヨークの警察官で成り立ちが違う。
遊馬、野明、進士さん、ヒロミちゃんの4名が予備校出身者。特に進士さんは前職がサラリーマンという異色の経歴の持ち主だ。
書類作成をはじめとした国語教養、刑事罰等の法学、逮捕術、柔道などの体術訓練の術科。実務。これら予備校時代では不足している4つのうち知識と科目を、うなるほど余っている待機時間を用いてみっちりと補う。
「であるからにして―――『海の家』というのはバビロンプロジェクトに猛反発している環境保護団体だ」
「隊長、バビロンプロジェクトってそもそもなんでしょうか。ニュースでは聞いていたんですけど北海道にいたころはピンとこなくて」
「あー……」
野明の質問に隊長がそばで控えていたボクを見る。
いえ、そこは答えてあげてください。ボクらの仕事にも少なからず関りがあるんですし。
もう!……隊長に助け舟を出そうと立ち上がった。
「バビロンプロジェクトを説明するにはまず、発端となった1995年に起きた東京都中部大地震について話さないといけないんですが……泉巡査は覚えてますか?」
「え、ええっと……はい、一応」
3年も前の出来事だ。そのころは北海道で高校生をしていた野明にはきっと遠い世界の出来事だろう。
さしあたり電話回線を間借りした脆弱なインターネットでは情報収集ツールとしては役不足だ。
98年の平成初期でもニュースソースとなりうるのはテレビや新聞で、得られる情報に大きく偏りが生まれる。
「東京湾とそれに面した23区が被害を受け、当時は多くの被災者を出しました。自衛官や警察官、役所の職員までもが、機に乗じた火事場泥棒や不穏分子から国民を守るための自警活動、仮設暮らしで困窮する被災者を救援する任務につきました。企業や各自治体からもボランティアをだしてもらい、世界各国からも手厚い援助を受けた東京都民はなんとか立ち直ることができました。が、問題はその後……直下型地震で生じた大量のガレキの処分に悩まされた東京都は大護岸工事を計画。川崎から木更津間に堤防を築いてその内部を埋め立てて開拓し、用地を確保、温室効果ガスによる海水位の膨張への対策、更にガレキの撤去も兼ねられる、この一石三鳥を狙った稀有壮大な計画……これがバビロンプロジェクトの概要です」
「おぉ……」
バビロンプロジェクトの壮大さに野明が感動した様な熱っぽい吐息をもらす。
けれど川崎から木更津の間と説明されても地方出身の野明にはイメージができないようなので、ホワイトボードに大きくか……かけない。ボクの身長が足りない。
「隊長…その…」
「あぁ、はいはい。そこ笑わないように」
申し訳ないが隅で見守っていた隊長に引き継いでもらう。
席でクスクス忍び笑いしている遊馬たちを隊長が窘め、ボクは睨みつけるが効果がない。むーっ!
「……というわけだが、当初は完成までに凡そ半世紀はかかると試算されたこの計画もレイバー産業の発達によって現実味を帯びたわけだ。だが一昨年辺りから始まったこの計画は日本のレイバーの生産台数を37倍に増やした上に年々増加傾向にある上、それが都内に一挙に集結してしまったもんで、諸君らも知る通りレイバー犯罪なんていう厄介な代物を抱え込むようになってしまったんだな―――それで」
ホワイトボードにざっくりとした東京近郊と千葉県の地図を描き、木更津と川崎らしい場所を円で囲み、東京湾に直線を引く。
それから隊長は半目になって上を向き。
「……俺、何話してたっけ?」
「『海の家』です。隊長」
ガクンッと第二小隊の生徒たちがよろけてしまった。
ボクは手が止まってしまった隊長にぼそっと小声で囁く。
「そうそう……で、東京湾の海流の影響やら湾内の魚なんかの生態系のダメージを無視した無謀な計画として猛反対した過激な環境保護団体が無数に出現。もともとバビロンプロジェクト反対以外、大したイデオロギーも持たなかった連中だが……『海の家』はその中でも抗議活動で最も早く武力闘争を叫び、テロ活動で真っ先にレイバーを用いたのもここだ。んで、今最も公安やら警察が睨みを聞かせている団体で、俺たち特車二課設立の遠因ともなったわけだな」
「ライバルみたいなものですか?」
「そんな可愛げのあるもんじゃないよ」
テロ団体をライバルとする、野明のどこか調子外れな言い回しをバッサリ否定した。
「じゃあこれに付随して共産主義を信奉する反政府ゲリラについてだな……」
我々警備部の実務に関する講義はこの後も続いた。
日本国内で暴力やテロリズムを用いて共産主義、社会主義社会を実現せんとする左翼冒険主義の反政府ゲリラや環境テロ団体を大雑把に解説。それらが一般人に紛れて都内で跳梁跋扈する現代日本。ボクが今いる日本って前世よりも絶対に治安が悪い。
更に輪をかけて悪質なのが預金や債券などの安全策で資産を投じるよりも、テロリストに投資してハイリターンを得ようとする悪どい資産家の存在だ。
汚職や犯罪で入手した資金をテロリストの持つ架空名義口座に送金して出所をひた隠し、テロリストは詐欺や強盗等の非合法、合法、問わずに回収した株式、債券、不動産と併せて己の目標を達成するための道具に置き換える。
バビロンプロジェクトの建築ラッシュに伴い、実体経済よりも大きく上回るペースで銀行から借り入れした企業による不動産売買や投資が続いていることも、日本でテロリストが元気いっぱいな一因になっている。
「テロ活動はバビロンプロジェクトの即時中止以外にも富裕層への攻撃、他にも壁画や絵画にペンキをぶちまけるパフォーマンスがあるが、これは大事な物が破壊されるショックを地球環境にも向けてほしいらしい……では授業はここまで、おつかれさん」
授業終了を告げる隊長の挨拶と同時にそれぞれが大学ノートや筆記用具を纏めて席を立つ。その中で、野明だけがぼんやりと遠い目をしていた。上の空だ。
時折、ボクをチラと盗み見ては溜息を吐いて、授業中も心ここにあらずといった様子だった。授業後、欠伸をかきつつオフィスに戻ろうとしていた遊馬の腕を掴んだ。
「遊馬、ちょっと顔貸して」
「なんだよ、お、おい!」
なんだなんだとこっちを興味深げに見る皆を無視し、遊馬を強引に引っ張っていく。
連れ込んだ先は給湯室。戸惑う遊馬を室内に放り込み、蛇口から注いだ水を入れたヤカンをコンロの上に置いて火をかける。
沸騰するまでの間にインスタントコーヒーの粉末を塗したスプーンをカップに塗す。きっと授業後で疲労しているであろう、第二小隊を労うためのコーヒーを作る。ちらっと遊馬の奴を見ると何故だかがっかりしていた。
「用って、お茶汲みの手伝いかよ」
「それもあるけど……ねぇ、ここ最近の野明の様子、変じゃなかった?」
「あいつはいつも変だろ」
なんだそんなことかと腕を組んで壁に寄りかかってしまった。確信した。こいつ、フォローどころか野明の変化に気づいてすらいない。ボクは露骨に溜息を吐いた。少しして沸騰したお湯を全てのカップに注ぐ。コーヒーのコクのある香りが混じった湯気が給湯室に立ち籠めた。
うん、いい香り。贅沢を言うなら、粉を溶くタイプじゃなくてドリップが好みなんだけど………来客用ならばともかく、自分たちで使う分は総務は経費として落としてくれない。ここの棚にあるお茶とお茶請けは全て隊員達のカンパによる買い置きだ。お湯を注いだ人数分のマグカップをお盆に乗せる。
「そうじゃなくて。んもぅ、いいからこれもって!」
「なんなんだぁ?人を引っ張りまわしといて」
不満げな遊馬にコーヒーカップを載せた盆を突き出す。ボクの方は使い切りサイズのクリームが詰まった袋とグラニュー糖が入った壺を乗せた盆をもった。
第二小隊オフィスの扉を開き、授業後で疲労している各自の席にコーヒーを配る。
「はい、コーヒーどうぞ」
「あぁ、すみません。僕が当番なのに」
「いいんだよ。ヒロミちゃんも疲れてるでしょ」
本日のお茶汲み当番のヒロミちゃんを強引に座らせる。遊馬も、トンっとそれぞれが職場に持ち寄ったマグカップをデスクに配っていく。
ただボクと遊馬が一緒に入室したのを見ても、コーヒー淹れたマグカップを差し出しても、野明は変わらずぼんやりと天井を見上げていた。ボクが注意したのもあり、流石の遊馬も野明の異常に気付けたようだった。
それからの数日。物憂げな野明の様子が目立っていた。
当小説はフィクションです。
なんか書ききったら3万字に達していたので3分割を3週に渡って投稿します。