"やさしい"ウマ娘――UN-CROWNED―― 作:灯火011
数万のサイリウムが揺れる、熱狂のウイニングライブ。
ターフのセンターポジション、最も眩いスポットライトを一身に浴びていたのは、豪奢な勝負服に身を包んだ「最速のウマ娘」だった。
「ちょ、ステップ……これであってんのか!?」
ウイニングライブなど、彼女にとっては人生初の経験だ。普段なら「コスパが悪い」「面倒くさい」と絶対に逃げ出していたはずのその舞台で、彼女は振り付けを時折間違えながらも、最高に晴れやかで、少しはにかんだような笑顔で歌って踊っていた。
その後ろでは、タキオンやルドルフ、シービーといった歴代の覇者たちが、泥だらけの顔を笑顔にほころばせ、最強のセンターを盛り上げるように完璧なバックダンスを披露している。
誰もが彼女の勝利を祝福し、彼女の不器用なステップに歓声を上げていた。
■
ライブが終わり、控え室へと続く通路。
そこは、世紀の瞬間をカメラに収めようと殺到したマスコミの嵐だった。
「最強の証明、おめでとうございます! 今の率直なお気持ちを!」
「今後のローテーションは!? あれだけの速さをお持ちなのですから! トゥインクルシリーズへの再出走のご予定や、中央への正式な移籍の予定はありますか!」
「あのシンボリルドルフやアグネスタキオンを圧倒した瞬間の手応えを教えてください!」
無数のマイクとフラッシュの波に揉まれ、彼女は、
「いや、あの、ちょっと……」
と完全に目を回していた。そこへ、マスコミの群れを強引に掻き分けて飛び出してきた集団があった。
「先生ーーーーッ!!」
「すっげえええ! 先生、マジで勝っちゃったよ!!」
「ちょーかっこよかった! ダントツの1着!!」
招待席から駆けつけてきた、宇都宮のトレセン学園の教え子たちだった。興奮で顔を真っ赤にした生徒たちに飛びつかれ、彼女は驚きながらも、照れくさそうに頭を掻いた。
「お前らなぁ……こんなとこまで入ってきちゃダメだろ」
「だって先生! 私たち、感動して喉枯れるくらい叫んだんだよ!?」
「先生すごい! 世界一!」
目をキラキラさせて尊敬の眼差しを向けてくる教え子たち。その真っ直ぐな言葉に、彼女の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「バ、バカ。大げさなんだよ。……ほら、帰ったら約束通り特大餃子おごってやるから、あんま騒ぐな」
ぶっきらぼうに言いながらも、その表情は嬉しさで完全に緩みきっていた。
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その賑やかな喧騒から少し離れた、関係者用の静かなVIPルーム。秋川理事長の前で、一組の中年夫婦が深々と頭を下げていた。
「……何と御礼を申し上げればよいか。本当に、本当にありがとうございました」
それは、彼女の両親だった。父親の声は震え、母親の目からは止めどなく涙が溢れていた。
「あの子が、あんな風に心の底から笑って、自由に走れる姿を……また見ることができるなんて、夢にも思いませんでした」
「私たちのせいだったんです。あの子の才能に怯え、化け物を見るような目を向けてしまった。そのせいで、あの子は心を閉ざし、殻に閉じこもってしまったのに……」
娘から走る喜びを奪ったのは、自分たちだ。その後悔を何年も抱え続けてきた両親にとって、ターフの真ん中で泣きじゃくり、ライブで笑顔を見せた娘の姿は、何にも代えがたい救いだった。
「あの子を暗闇から引っ張り出してくださって、本当に、感謝してもしきれません……っ」
再び深く頭を下げる両親に対し、秋川理事長はバサッと扇子を広げ、豪快に、そしてどこまでも温かく笑い飛ばした。
「些事!! 気にするな!」
「理事長……」
「私が望むのは、全てのウマ娘の幸福なのだから! 才能を持つ者が、その才を恐れることなく、空高く羽ばたける世界。それがこのトレセン学園の意義だ!」
理事長は扇子を閉じ、両親に向かって真っ直ぐに力強い視線を向けた。
「それよりも。今は彼女を褒めて、褒めて、褒めまくってほしい! あの子が一番欲しかったのは、他でもない! 君たちからの、祝福の言葉のはずだからな!」
その言葉に、両親はハッとして、そして何度も力強く頷いた。部屋の扉が静かに開き、秘書の駿川たづなが、いつもの穏やかで優しい微笑みを浮かべて立っていた。
「さあ、こちらへ。世界一の娘さんが、お待ちですよ」
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マスコミの喧騒を抜け、ようやく控え室の前まで辿り着いた彼女は、ふうっと大きく息を吐き出した。
「疲れたぁ……レースよりしんどいぞ、これ」
首元をパタパタと扇ぎながら歩いていた彼女の足が、ふと、止まった。
通路の先。
たづなに案内されて立っていたのは、見慣れた、けれどずっと顔を合わせるのが怖かった、両親の姿だった。
「……父さん。母さん」
彼女の呼吸が、ほんの少しだけ浅くなる。レースで勝った。本気を出して、名ウマ娘達をねじ伏せてしまった。
もしまた、あの頃のように怯えた目を向けられたら。そんな一抹の不安が、無意識に彼女の足を縫い止めた。
だが、駆け寄ってきた両親の顔には、恐怖など微塵もなかった。代わりにそこにあったのは、娘の無事と勝利を誰よりも喜ぶ、ただの親の顔だった。
「……頑張ったな。ああ、本当に、よく走った」
父親が、震える手で彼女の肩を抱き寄せ、ぽつりと、万感の思いを込めて言った。母親も、声にならない声を漏らしながら、泥と汗にまみれた背中を、ただひたすらに、優しく撫で続けた。
『よかった、普通のウマ娘だったんだ』と安堵された、あの日の敗北。
けれど今は違う。誰よりも速いバケモノであることを、世界で一番本気で走ったことを、目の前の両親が心の底から喜んで、褒めてくれている。
「…………っ」
ターフの上で枯れるほど泣いたはずなのに。彼女の瞳から、再び大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。彼女は、両親の肩に顔を埋め、まるで子供の頃に戻ったように、小さく、けれどはっきりと答えた。
「……ありがとう。お父さん、お母さん……!」
通路の奥。物陰からその光景をそっと見守っていたルドルフとタキオン、そしてG1ウマ娘たちが、邪魔をしないように静かにその場を立ち去っていく。
もう、誰の感情も壊さない。
彼女がどれほど圧倒的な力を見せつけても、世界はそれを拍手と笑顔で受け入れてくれる。
長きに渡って彼女の心を縛り付けていた『最速の呪縛』は、今、この瞬間、完全に解き放たれ――。
誰よりも速い彼女の背中を押す、永遠の『祝福』へと変わったのだから。