"やさしい"ウマ娘――UN-CROWNED――   作:灯火011

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Uncrowned

 トレセン学園の寮、その静かな自室。

 

 ベッドの上に寝転がったナイスネイチャは、携帯端末の画面から目を離せずにいた。

 

 画面の中で流れているのは、先日の『ドリームリーグ』の録画映像。三人のウマ娘が、歴史上誰も見たことがないような極限の死闘を繰り広げ、ほぼ同時にゴール板を駆け抜ける瞬間。そして、鼻差で勝利を掴み取った赤い勝負服のウマ娘が、大観衆のど真ん中で声を上げて泣きじゃくる姿。

 

 ネイチャは、その泥だらけで不格好な、けれど世界中の誰よりも輝いている彼女の顔を見つめながら、小さく息を吐いた。

 

「……本当、バカみたいに速いんだから。あいつ」

 

 その呟きには、呆れと、そして深く、温かい親愛の情が込められていた。

 

 

 数日後。トレセン学園のトレーニングコース。

 

 今日もネイチャは、自分の才能の限界と向き合いながら、泥臭くターフを蹴っていた。彼女の周りには、トウカイテイオーやメジロマックイーンといった、生まれながらにして主役の星の下に生まれたような天才たちが、圧倒的なオーラを放ちながら駆け抜けていく。

 

 彼女たちと自分とは、住む世界が違う。自分はしょせん、脇役のブロンズコレクター。

 

 何度も何度も心の中で繰り返してきた諦めの言葉。それでも、どうしてもこのターフにしがみついてしまうのは、昔、たった一度だけかけられた「あの言葉」の呪縛――いや、祝福のせいだった。

 

 休憩に入り、ベンチでスポーツドリンクを煽りながら、ネイチャの記憶は、あの日の地方の小さなグラウンドへと飛んでいった。

 

 

「――もう、やめようかな。アタシ、才能ないし」

 

 夕暮れのグラウンド。

 

 小学生だったネイチャは、自分のタイムが全く伸びないことに絶望し、膝を抱えてポロポロと涙をこぼしていた。

 

 周りの子たちはどんどん速くなっていくのに、自分だけが取り残されていく。いくら真面目に練習しても、届かない壁がある。子供ながらに「主役にはなれない」という残酷な現実を突きつけられ、心が完全に折れかけていた。

 

「おい。何泣いてんだよ、お前」

 

 ふいに、頭上からぶっきらぼうな声が降ってきた。顔を上げると、そこにはいつも一人で黙々と走っている、無愛想な同い年の少女が立っていた。

 

 彼女は、地元のクラブでも浮いた存在だった。あまりにも速すぎるからだ。彼女が本気で走ると、周りの大人たちは皆、顔を引き攣らせて気まずそうに目を逸らす。だから彼女は、いつもどこか退屈そうに、手を抜いて走っていた。

 

「……ほっといてよ。アタシなんて、どうせ走ったって無駄なんだから」

 

 ネイチャは、拗ねたように顔を背けた。才能の塊みたいなこいつに、自分の気持ちなんて分かるはずがない。

 

 しかし、少女はネイチャの隣にどっかりと座り込むと、ため息交じりに言った。

 

「あのさ、お前、コーナー曲がる時、いつも力みすぎなんだよ。外側に膨らむのを怖がって、変にブレーキかけてるだろ」

 

「……え?」

 

「お前は体幹がしっかりしてるから、もっと身体を倒していい。インに切れ込むつもりで体重かけてみろ。あそこの立ち回りは、お前、すげぇ上手いんだから」

 

 それは、慰めでも憐れみでもなく、ただの客観的な事実の指摘だった。誰も見ていないと思っていた自分の走りを、この圧倒的な天才が、誰よりも正確に見ていてくれた。

 

 そして何より、「お前は上手い」という、初めてもらった確かな肯定の言葉。

 

「な? 私を信じてさ、やってみろよ。一回だけ」

 

 少女に背中を押され、ネイチャは半信半疑のまま、もう一度グラウンドに立った。言われた通り、コーナーで恐怖心を捨て、体重を預けてみる。すると、いつもロスしていた遠心力が推進力へと変わり、自分の身体が嘘のようにスムーズに前へと運ばれていった。

 

「……っ!!」

 

 息を切らしてゴールした時のタイム。それは、これまでどうしても破れなかった壁を、ほんの少しだけ超えた『自己ベスト』だった。

 

「……出た。出たよ……自己ベスト! アタシ、速くなった……!」

 

 ネイチャは、ボロボロと涙を流しながら、そのまま少女に抱きついた。

 

「ありがとう……っ! アタシ、走るの、やめない……っ! もっと、速くなれる……!」

 

 大した記録じゃない。天才たちから見れば、鼻で笑われるような遅いタイムだ。それでも、自分にとっては、暗闇に差し込んだ希望の光だった。

 

 泣きじゃくるネイチャを抱きとめながら、少女は、少しだけ驚いたような顔をして、それから、今まで見たこともないような、ひどく優しくて、安心しきったような笑みを浮かべた。

 

「……そっか。よかったな」

 

 あの時、少女がなぜあんなに嬉しそうな、そして泣きそうな顔をしていたのか。

 

 自分が勝ってバケモノ扱いされることより、才能のない自分が自己ベストを出して喜ぶ姿に、なぜあんなに救われたような目をしていたのか。今なら、痛いほどよく分かる。

 

 彼女は、他人の感情を壊してしまう自分の才能が怖くてたまらなかったのだ。だから、誰かの力になれる「教員」という道に、自分の居場所を見出した。自分の走りで世界を壊すより、誰かの走りを支えることで、世界と繋がっていたかったのだ。

 

 

「ネイチャ? どうしたの、ぼーっとして。休憩終わりだよ!」

 

 テイオーの無邪気な声にハッとして、ネイチャは過去の記憶から現実へと引き戻された。

 

「あ、うん。ごめんごめん、ちょっと昔のこと思い出しててさ」

 

 ネイチャは、首に巻いたタオルで汗を拭い、立ち上がった。

 

 あの不器用で優しいバケモノは、ついにトラウマを乗り越え、ターフのど真ん中で世界中の称賛を浴びて、大泣きした。

 

(ならさ。アタシがここで立ち止まっているわけにはいかないじゃん?)

 

「……よーし! いっちょ、やってやりますか!」

 

 ネイチャは、大きく伸びをして、再びターフへと歩き出した。

 

 主役じゃなくてもいい。天才じゃなくてもいい。

 

 ただ、あの日の少女が「お前は上手い」と背中を押してくれたこの走りを、自分自身で誇れるようになるまで。

 

 夕日の差し込むトレセン学園のコースで。

 

 ナイスネイチャは、誰かのための脇役ではなく、自分自身の最高記録を更新するために、力強く大地を蹴った。

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