"やさしい"ウマ娘――UN-CROWNED――   作:灯火011

3 / 29
第3話:皇帝の玉座と、黒板のチョーク

 トレセン学園、生徒会室。

 

 重厚なマホガニーのデスク越しに、シンボリルドルフは会心の笑みを浮かべていた。彼女の目の前には、あの模擬レースでエリートたちを絶望の底に叩き落としたジャージ姿の少女が、出された高級な紅茶とクッキーをまじまじと見つめて座っている。

 

 

「単刀直入に言おう。君の走りは、ウマ娘の到達点であり、究極の理想だ。現時点でもね」

 

 ルドルフの声には、隠しきれない熱が帯びていた。皇帝として、常にウマ娘の幸福と未来を背負って走り続けてきた彼女にとって、この規格外の才能はまさに天からの贈り物だった。

 

「私は、すべてのウマ娘が幸福になれる時代を創りたい。君のその圧倒的な力は、ターフで輝くことで無数のウマ娘に希望を与え、新たな時代の道標となる。……どうだろうか。私と共にトゥインクル・シリーズを走り、頂の景色を見ないか?」

 

 熱弁を振るうルドルフ。それは、学園の誰もが憧れ、平伏す「皇帝の勧誘」だった。

 

 しかし、少女はサクサクとクッキーを齧りながら、きょとんとした顔で首を傾げた。

 

「ん? ああ、なるほど。ウマ娘を導いて、立派に育てたいってことですよね。会長さん」

 

「……! いかにも。君にも、その志がわかるか!」

 

「わかりますよ。すごく良いことだと思います。俺も、同じようなこと考えてこの学園に来たんで」

 

 ルドルフの顔がパッと輝いた。通じた、と。この怪物もまた、自分と同じ高い視座でウマ娘の未来を憂い、情熱を燃やしているのだと。

 

「そうか! ならば話は早い。君のデビュー戦の手配は私が—――」

 

「だから、俺は早く教員免許を取って、教壇に立ちたいんですよ」

 

「…………え?」

 

 ルドルフの言葉が、空中でピタリと止まった。

 

「いや、俺の目標は教育者になることなんです。ウマ娘たちに、正しい知識と社会のルールを教えて、立派な大人に育てる。それが俺の情熱であり、夢なんですよ。だから、会長さんの『ウマ娘を導きたい』って気持ちは、すごく共感できます」

 

 少女は、極めて真面目な、まっすぐな瞳でルドルフを見ていた。そこに嘘や嘲りは一切ない。彼女は本気で「教育」への情熱を燃やしていた。

 

「……ま、待ってくれ。君の言う『導く』というのは、ターフの上で圧倒的な強さを見せつけ、皆の憧れとなることではないのか?」

 

「え? なんで俺が走らなきゃいけないんですか? チョーク持って黒板に字を書くのに、足の速さ関係ないでしょ」

 

「なっ……! 違う、そうではない! ウマ娘の本能は走ることだ! 君ほどの途方もない才能があれば、歴史に名を刻む名馬として――」

 

「あー、そういう『名誉』とか『G1』とか、俺、本当にどうでもいいんですよ」

 

 少女は紅茶を一口飲み、ふう、と息をついた。

 

「考えてもみてくださいよ。俺が本気でレースに出たら、どうなります?」

 

「それは……誰もが君の背中を追いかけ、切磋琢磨し……」

 

「違いますよ。俺が全部のレースで1位かっさらって、他の子たちの『勝つ喜び』を奪うだけです」

 

 それは残酷なまでの、真理だった。模擬レースの惨状を見ればわかる。彼女が走れば、切磋琢磨など生まれない。ただただ、圧倒的な暴力による「蹂躙」が起きるだけだ。

 

「俺は教育者になりたいんです。生徒には、自分たちで競い合って、泣いて笑って、成長してほしい。そこに、絶対に勝てない『俺』という障害物が混ざる意味、ありますか? 俺の脚の速さなんて、教育には邪魔なだけのバグなんですよ」

 

 ルドルフは言葉を失った。反論できなかった。少女の言葉は、教育者としての確固たる信念に基づいている。彼女はウマ娘の未来を想うがゆえに、「自分はターフに立たない」という結論を出しているのだ。

 

「でも……っ、君自身の『走りたい』という渇望は! 魂の叫びはどうなる!!」

「ないですね、そんなもん」

 

 あっさりと、少女は首を振った。

 

「会長さんは凄いですよ。その『かけっこ』にそこまで本気になれて、みんなの期待を背負って走れるんだから。立派だと思います。尊敬しますよ」

 

「かけ……っこ……?」

 

「でも、俺の生き方は違います。俺は、ターフで目立ちたいんじゃなくて、あの子たちが『かけっこ』で頑張る姿を、コースの脇でストップウォッチ持ちながら『よくやったな!』って褒めてあげたいんです。……だから、俺が公式戦に出ることは、絶対にありません」

 

 少女は残りのクッキーを口に放り込むと、立ち上がってジャージの埃を払った。

 

「紅茶、ごちそうさまでした。教育への情熱があるものどうし、お互い頑張りましょうね。じゃ、俺は図書館で教育心理学のレポート書かなきゃいけないんで、これで」

 

「ま、待て……! 話はまだ……っ!」

 

 ルドルフが伸ばした手は、少女のジャージを掠めることすらできなかった。

 

 バタン、と扉が閉まる。

 

 

 広い生徒会室に、ルドルフだけが取り残された。静寂の中、彼女は自分の手が微かに震えていることに気づいた。

 

 否定されたわけではない。罵倒されたわけでもない。

 

 ただ、自分が人生のすべてを懸け、血反吐を吐きながら守り抜いてきた「トゥインクル・シリーズの栄光」と「ウマ娘の闘争本能」という絶対の価値観を、無邪気な「教育への情熱」によって、根底から『必要ないもの』として切り捨てられたのだ。

 

「彼女は……私の歩む道を、立派な『お遊び』だと言ったのか……?」

 

 皇帝の呟きは、誰の耳にも届くことなく、空虚な部屋に溶けて消えた。

 

 自分と同じ未来を見据えながら、ウマ娘としての根幹を全く必要としない「真の怪物」。その存在は、ルドルフの確固たる信念に、修復不可能なヒビを入れていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。