"やさしい"ウマ娘――UN-CROWNED――   作:灯火011

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第9話:暗い顔の最速と、発光する紅茶

「はぁ…………最悪だ」

 

 翌日の放課後。トレセン学園の図書室の片隅で、ジャージ姿の少女は机に突っ伏し、この世の終わりみたいな深いため息をついていた。

 

 目の前には『教育実習の心得』という本が開かれているが、全く頭に入ってこない。

 

 

 昨夜の皇帝とのナイターレース。

 

 メディアの目を誤魔化し、今後の平穏な学園生活を守るために、彼女は緻密な計算の末に「惜敗」を演じた。そこまでは完璧だった。

 

 しかし、その代償として最高級のシャトーブリアンを取り逃がしたばかりか、あろうことか『天皇賞(秋)』という日本中が注目するG1レースに出走させられるハメになってしまったのだ。

 

「テレビ中継とかめんどくさすぎる……。しかも勝負服とか着なきゃいけないの? ジャージじゃダメなの? あー、コスパ最悪。昨日のレース、もうちょっと上手く立ち回れば……」

 

 ブツブツと恨み言をこぼしていると、ふいに、甘ったるい薬品のような匂いが鼻を突いた。

 

「やあやあ。ひどく暗い顔をしているねぇ? 学園始まって以来の、最速のウマ娘君」

 

 頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこには白衣を羽織ったウマ娘が立っていた。

ボサボサの髪に、どこか狂気を孕んだ知的な瞳。彼女の手には、なぜか微かに青白く発光しているティーカップが握られている。

 

「よければ、この私が君の愚痴を聞いてあげようじゃないか。私の名はアグネスタキオン! 以後、お見知りおきを」

 

 タキオンはビシッと大仰なポーズを決めた。普通ならその怪しさに警戒するところだが、主人公は発光する紅茶をジッと見つめた後、無表情のまま口を開いた。

 

「……あ、どうも。タキオンさん。その紅茶、光ってますけど飲めるんですか?」

 

「フハハハ! 鋭いね! これは私の特製ブレンドでね、疲労回復と引き換えに三日間ほど味覚が消失する副作用があるんだが、飲むかい?」

 

「絶対にいらないです」

 

 即答する少女の隣の席に、タキオンは勝手にどっこいしょと腰を下ろした。

 

「それにしても傑作だったよ、昨日のレース! 皇帝シンボリルドルフの渾身の走りを前に、君、見事に『手心を加えた』だろう?」

 

「……っ」

 

 少女の肩が、ピクリと揺れた。誰にも、ルドルフ本人にすら(確証としては)気づかれなかったはずの絶妙な速度調整。それを、この白衣のウマ娘はあっさりと見抜いていた。

 

「警戒しないでくれたまえ。私は研究者でね。君のあの常軌を逸した走りのメカニズムを、ずっとスタンドから観察させてもらっていたのだよ。……で? どうしてあんな露骨な八百長を働いたんだい? 君なら、大差で勝つことなど容易かったはずだが」

 

 ニヤニヤと笑いながら覗き込んでくるタキオン。少女は少し警戒したが、どうせ隠しても無駄だと悟り、盛大に愚痴をこぼし始めた。

 

「……勝ったら目立つじゃないですか。俺はただ、三食タダ飯食って教員免許取りたいだけなのに。スポーツ紙に追っかけ回されたり、他のウマ娘から毎日勝負挑まれたりしたら、勉強の時間が削られるんです」

 

「ハハ! なるほど、あの皇帝のプライドを、君は『自分の平穏な学生生活』という天秤にかけて切り捨てたのか! いやはや、実に痛快だねぇ!」

 

 タキオンは腹を抱えて笑った。ウマ娘の誇りも、G1の栄光も、彼女にとっては「研究対象」でしかない。だからこそ、主人公のあまりにも俗物的で合理的な理由が、ツボにハマったのだ。

 

「笑い事じゃないですよ……。結局、天皇賞に出ることになっちゃったし。勝負服の採寸とか、記者会見とか、マジで時間の無駄すぎる……」

 

「そうだろうねぇ。君にとってのレースは時間の浪費だ。……そこでだ、最速君」

 

 タキオンは発光する紅茶をコトリと机に置き、妖しく目を細めた。

 

「私と、取引をしないかい?」

 

「取引?」

 

「ああ。君の天皇賞出走に関する面倒事……メディアの対応や、学園内での煩わしい手続き、群がってくる有象無象の挑戦者たちの相手。それらをすべて、私が『専属のトレーナー兼マネージャー』として肩代わりしてあげよう」

 

 それは、今の少女にとって喉から手が出るほどありがたい提案だった。だが、タダ働きしない主義の少女は、相手の要求も警戒する。

 

「……で? タキオンさんは何が欲しいんですか。俺、金は持ってないですよ」

 

「お金などいらないとも。私が欲しいのは……君のその身体だ!」

 

「は?」

 

「君の『身体データ』だよ! 私の研究室で、定期的に君の筋力や心肺機能の数値を測らせてほしいのさ。もちろん、痛みは伴わないし、君の睡眠や食事の時間はしっかり確保すると約束しよう」

 

 タキオンの瞳が、狂気と好奇心でギラギラと輝いている。要するに、「面倒な雑用を全部引き受ける代わりに、お前を実験動物として観察させろ」という要求だ。

 

 少女は少しの間、じっとタキオンを見つめた。

 

(……こいつ、ウマ娘特有の『熱血』とか『情熱』みたいなのが無いな。ただの理系オタクだ。話が通じる)

 

「……いいですよ。どうせ理事長にもデータ取られてるし、測られる項目が増えるくらいなら大した手間じゃない。それで面倒事から解放されるなら、安いもんです」

 

「交渉成立だね。素晴らしい、君のような面白い検体……いや、友人と出会えて私は幸運だ!」

 

 タキオンは上機嫌で立ち上がった。

 

「では、さっそく天皇賞(秋)に向けた『カモフラージュ用』のトレーニングメニューを組むとしようか。本気でやらずとも、周囲には頑張っているように見える完璧なスケジュールを用意してあげよう!」

 

「助かります。あ、ついでに今日の夕飯、学食でハンバーグ奢ってください」

 

「ちゃっかりしているねぇ! いいだろう、私の研究費から出してあげようじゃないか!」

 

 こうして、ウマ娘の情熱を理解しない「無冠の最速」と、ウマ娘の限界を解き明かしたい「マッドサイエンティスト」という、学園で最も異端な二人の奇妙な共犯関係が成立した。

 

 暗かった少女の顔に、ほんの少しだけ安堵の、そして人間らしい血の通った色が戻っていた。

 

「……天皇賞、サクッと終わらせて、早く教育実習行きたいな」

 

「ククク……。G1をただの消化試合扱いするウマ娘なんて、前代未聞だ」

 

 皇帝が課した「天皇賞・秋」という巨大な試練。

 

 しかし当の怪物は、変人サイエンティストを隠れ蓑にしながら、いかにして「最小限の労力でやり過ごすか」という、全く別の戦いに挑もうとしていた。

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