聖女ノアールの受難 〜私のMPはゴミクズ勇者のためにあるのではない〜 作:水上 空
初心者たちが去った後のカウンター。受付嬢は、折れんばかりの力でペンを握りしめていた。
「……また。また、またよ。あの、バカ……ッ!」
彼女の口から漏れたのは、祈りでも呪文でもなく、怨念に近い溜息だった。
ガリガリと音を立てて、彼女は緊急依頼の書式を書き換えていく。
「依頼内容……『あのバカ……いいえ、勇者(自称)の死体、またはそれに準ずる肉片の回収』」
本来なら、スライムにやられた死体の回収など、報酬も出ないドブさらい以下のFランク依頼だ。しかし、彼女のペンは止まらない。溜まりに溜まった事務処理のストレスと、カイトへの殺意に近い嫌がらせが、彼女を暴走させた。
【依頼ランク:S】
彼女は依頼書のランク欄に、ドラゴンの爪痕のごとき鋭い筆致で「S」の文字を刻み込んだ。
「……見てなさいよ。ただじゃ拾わせないんだから」
彼女は依頼書を掴むと、カツカツとヒールの音を響かせて掲示板へと向かった。そこには、屈強な冒険者たちが「次の命懸けの仕事」を探して群がっている。
彼女が向かったのは、掲示板の端ではない。中央。
国を滅ぼす魔王の軍勢や、伝説の古龍討伐といった、選ばれし者しか触れることの許されない**『Sランク専用エリア』**だ。
「おい、受付の姉ちゃん、正気か……?」
「Sランクの新作かよ、どれどれ……」
周囲のベテラン冒険者たちが息を呑んで見守る中、彼女は無表情に、漆黒のドラゴン討伐依頼のすぐ隣にその紙をペタりと貼り付けた。
『緊急Sランク案件:スライムに完敗した自称勇者の回収』
『報酬:受付嬢のささやかな感謝(という名の無言の圧力)』
「…………」
ギルド内が、静まり返った。
本物の勇者や英雄を目指す者たちが集う神聖な場所に、あまりにも場違いな「恥晒し」の依頼。
「いや……おかしいだろ! これのどこがSランクなんだよ! 内容ただのゴミ拾いじゃねーか!」
一人の冒険者のツッコミに、受付嬢は振り返りもせず、冷氷のような声で言い放った。
「私がこれを作成するのに要した精神的苦痛、および今後の事務処理の煩雑さを考慮すれば、これは間違いなく世界滅亡レベルの災厄(Sランク)です。不服がある方は、まずあのバカを蘇生させてから連れてきてください」
彼女はそのまま、事務室へと消えていった。
後に残されたのは、伝説のドラゴン討伐と並んで掲示された、「スライムに負けた男」の情けない依頼書。
普通の冒険者なら、これを受領しただけで「死体拾い(Sランク)」という不名誉な称号を背負わされることになる。
もはや誰も触れない、誰も受けられない、最高の晒し台。
掲示板の中央で、カイトの不名誉だけが燦然と輝いていた。
そんな現世の惨状など知る由もない、ここは静まり返った三途の川のほとり。
カイトはカロンに冷ややかな目で見下ろされていた。
カロン:「……ノアール様がいらっしゃらないのに、勝手にいくからですよ。挙句の果てに、**盾役(タンク)**を自称しておきながら、スライムにタケル様がやられるのを指をくわえて見ていたとは」
カイト:「いや、俺だって必死に防ごうとしたんだって! 盾を構えた瞬間に足元の……何かに躓いただけで! ていうか、早く生き返らせてくれよ。あそこに倒れたタケルや初心者たちを置いてきたんだ、早く戻らないと!」
カロンは冷ややかな目でカイトを一蹴し、手元の水晶板を眺めて鼻で笑いました。
カロン:「戻る? 無理ですね。ノアール様は今、お怒りで皿洗いに戻られていますし……。ああ、でもおめでとうございます。今、ギルドではあなたの回収が**『Sランク依頼』**に指定されましたよ」
カイト:「えっ!? Sランク!? マジで!? ついに、ついに俺の鉄壁の防御と希少性がギルドに認められたのか……! よっしゃあ、Sランク勇者カイトの誕生だぜ!!」
カロン:「……。おめでたい方ですね。自分の置かれた状況も、その依頼の『中身』も分かっていないとは」
カロンは深いため息をついた……