聖女ノアールの受難 〜私のMPはゴミクズ勇者のためにあるのではない〜 作:水上 空
. 帰還、そして静寂
「……おい。……嘘だろ、アイツ……戻ってきたぞ」
ギルド『安らぎの盾亭』の重い扉が開いた瞬間、喧騒に包まれていた酒場が、水を打ったように静まり返った。
だが、それは以前のような「汚物に対する恐怖」ではない。
カイトが一歩踏み出すたびに、彼の全身から「キュッ、キュッ」という、生物が発していいはずのない異常な摩擦音が響く。ルナの高圧洗浄とアイリスの回転ブラシ、そしてセレナの浄化魔法によって、カイトは表面の角質どころか、毛穴という毛穴まで完全に磨き上げられ、もはや歩く発光体と化していた。
冒険者たちは一様に鼻をつまんでいる。下水の臭いがするからではない。カイトから漂う「致死量の石鹸の香りと、無機質な消毒液の匂い」が、逆に本能的な拒絶反応を引き起こしているのだ。
「……お、俺……? なんだよ、みんなして。そんなに俺が……その、ピカピカなのが珍しいか?」
カイトがぎこちなく笑う。だが、その肌はあまりに磨かれすぎており、照明を反射して周囲の冒険者の目を灼いていた。
2. 非情なソーシャルディスタンス
「……。……。他人のふり。……。……ルナ、今は『カイト』という単語を記憶から消去しました」
「そうね。あんな『人間ケルヒャー』と一緒に歩いてたら、私たちの美的センスが疑われるわ」
ノアール、ルナ、アイリスの3人は、カイトから正確に5メートルの距離を保ち、まるで赤の他人のような涼しい顔でカウンターへと進んだ。
カイトが「おい、待てよ!」と歩み寄ろうとするが、アイリスが音もなく腰の剣の柄に手をかける。
「……来るな。カイト殿、貴殿の今の輝きは、騎士として直視できぬほどに……眩しすぎる(物理的に)」
3人はカイトをギルドのど真ん中に置き去りにし、受付カウンターへと滑り込んだ。
3. 受付嬢の「震える」対応
カウンターでは、受付嬢が書類の束を顔の前に掲げ、必死に下を向いていた。
「……はい。地下水道の……ふふっ、排水溝掃除および、巨大ネズミの……くくっ、駆除。……。任務、完了を確認しました……っ」
受付嬢の肩が小刻みに震えている。彼女が見ているのは、依頼書ではない。先ほどギルド裏で目撃された、「馬用ブラシで回転洗浄される全裸の勇者」の残像だ。
「……報酬の金貨です。……。……あの、勇者様によろしくお伝えください。……『次からは、せめて人間用の風呂に入ってください』と……ふふ、ふふふふっ!!」
ノアールたちは、真っ赤な顔をしてひったくるように袋を受け取った。
「……。……。屈辱。……。……報酬に、精神的苦痛への慰謝料が含まれていません」
「もういいわよ! さっさとズラかるわよ!!」
4. 晒し者の勇者
ギルドの中央で、独り取り残されたカイト。
周囲の冒険者たちは、ひそひそと指を差しながら笑いを堪えている。
「おい見ろよ、あの輝き。もはや勇者っていうか、ただの『磨きすぎたヤカン』じゃねーか」
「下水に流されて、最後は石鹸魔法で消滅しかけたらしいぜ。バカイト、ついに無菌状態になったんだな」
カイトはたまらず、受付嬢の方へ助けを求めるように顔を向けた。
「あ、あの! 受付のお姉さん! 俺、一応今回のメイン……」
だが、受付嬢は顔を上げることなく、シッシッ、と手で野良犬を追い返すような仕草をした。その口元は、引きつった笑いを堪えるために限界まで歪んでいる。
「……あっちへ行ってください。……。……まぶしいです。……それに、あまりに清潔すぎて……逆に、見てるこっちの心が汚されそうですから……っ!!」
「そんな殺生な!!」
カイトの悲鳴が、石鹸の香りと共にギルドに虚しく響き渡る。
彼は生き延びた。清潔にもなった。だが、引き換えに「人間としての何か」を、地下水道の藻屑として永遠に失ってしまったのである。