聖女ノアールの受難 〜私のMPはゴミクズ勇者のためにあるのではない〜 作:水上 空
「……おいて、いかないで……ください……っ! 今度は、ちゃんと付いていきますからぁ……!」
宿屋の一室。セレナは激しい寝言と共に、寝汗をかきながら「悪夢」を見ていた。
夢の中の彼女は、自分を置いて旅立った前任の勇者パーティーを追いかけ、魔王軍がひしめく真っ暗なダンジョン(※実際は宿屋の廊下)を爆走している。
「……立ちふさがる、魔族は……すべて、滅ぼします……。……。祈りの、時間です……」
寝ぼけたセレナは、護身用の巨大な聖水瓶を抱えたまま、鍵の開いていたカイトの部屋へフラフラと侵入していった。
下水道掃除の疲れで泥のように眠っていたカイトは、枕元に立つ「白い影」の気配で目を覚ました。
「……ん、なんだ……? セレナ……? 何して……」
薄目を開けたカイトの目に飛び込んできたのは、白目を剥いて「ふしゅー……」と荒い息を吐く、完全にキマっている聖女の姿だった。
「……。……見つけました、中ボス級の、邪悪な気配……。……。逃がしません。……。……【至福への強制昇天】!!」
「ちょ、待てセレナ! 目が、目が座ってるぞ! それ聖水瓶……ぶぎゃああああ!!」
カロンは、暗闇の中でティーカップを掲げ、水面に浮かび上がってきた「カイトの魂」を眺めていた。
カロン:
「……。……。ああ、来ましたね。……。……ふふ、カイト様、お久しぶり(笑)」
カロンは愛用のタブレットを優雅に操作し、魂の登録画面を開く。
カロン:
「『普通に死ねない体』になってからというもの、こちらの受付を通らずに済んでいたので……少し寂しかったですよ。……。……。さて、今回も死因は――」
だが、その瞬間。カイトの魂が「ズズズッ!」と強い力で後ろへ引っ張られた。
カロン:
「おや。……。……どうやら現世の仲間たちが、強制昇天の途中で食い止めたようですね。……。……残念です、カイト様。今日は良い茶菓子が手に入ったのですが……。……さあ、お帰りください。死ぬ一歩手前で踏みとどまった勇者の帰還ですよ」
「ちょっと、隣の部屋で何の騒ぎよ!」
「……。……。検知。……。……セレナ様の魔力が、殺傷圏内に突入しています」
物音を聞きつけたノアール、ルナ、アイリスの3人が踏み込むと、そこにはベッドの上で白目を剥くカイトに馬乗りになり、聖水瓶を何度も振り下ろそうとしているセレナの姿があった。
「セレナ殿、落ち着け! それは魔王軍ではない、カイト殿だ!」
アイリスが背後からセレナを羽交い締めにし、ルナが睡眠魔法を重ねて、ようやく瓶がカイトの頭を砕く直前で止まった。
翌朝。食堂には、頭に大きなタンコブを作り、全身に湿布を貼った満身創痍のカイトと、正座して小さくなっているセレナの姿があった。
「……。……。反省。……。……セレナ様、寝ぼけて勇者を『除霊』しようとするのは、職業倫理に反します」
「そうよ! あんたがカイトを壊したら、次の『盾』を探すのが大変じゃない!」
ノアールとルナの冷たい説教が飛ぶ中、アイリスも腕を組んで頷く。
「セレナ殿……気持ちはわかるが、カイト殿は『普通に死ねない』だけで、痛みは普通に感じるのだ。少しは慈悲を持ってやってくれ」
「うぅ……申し訳ありません……。……。置いていかれる夢を見て、必死だったんです……。……。カイトさん、大丈夫ですか……?」
「……大丈夫に見えるかよ……。……向こうでカロンさんが、新作の茶菓子を用意して待ってたんだぞ……あと数ミリで、俺は完全にそっち側の住人だったんだ……」
カイトは震える手でシチューを口に運んだ。
彼は死ななかった。だが、聖女の「置いていかれたくない」という重すぎる愛(物理)が、今夜も彼の安眠を奪う予感に満ちていた。