聖女ノアールの受難 〜私のMPはゴミクズ勇者のためにあるのではない〜 作:水上 空
1. 聖女のデトックス
「……。……。ふふっ、やはりこの宿のハーブティーは素晴らしいですね。心が、洗われるようです」
昨夜の騒動が嘘のように、セレナは朝日を背に受けて微笑んでいた。その表情は、ここ数日の「置いていかれた悲劇のヒロイン」といった陰鬱なオーラが霧散し、まるで初夏の風のように爽やかである。
説教を終えたノアールは、ティーカップを置きながらセレナの顔をじっと覗き込んだ。
「……ねぇ。そういえばさ、セレナ様。なんだかゆうべより、一段と機嫌が良くなってない? 顔色が明るいっていうか、肌のツヤまで良くなってる気がするんだけど」
ルナも無機質な瞳でセレナをスキャンし、コクリと頷く。
「……。……。肯定。……。……ゆうべまでの、重度の『ぼっちストレス』による負の波動が消失。……。……。今のセレナ様からは、非常に良好な精神安定(デトックス)効果が観測されます。……。……少し、どころか、満面の笑顔ですね」
「ああ、確かに。先ほどまであんなに青ざめて平謝りしていたというのに、今は随分と清々しい表情だ。騎士として多くの部下を見てきたが、これほど劇的な立ち直りは珍しいぞ」
アイリスも腕を組んで感心したように言った。セレナの「聖女パワー」が、自らのドジによる破壊活動(カイトの浄化)によって活性化されたのは明白だった。
2. 勇者の「いばり」と「不滅の価値」
それを聞いたカイトは、全身を覆う包帯の痛みをこらえながら、ミイラ男のような姿でふんぞり返った。
「へへん! 見たかお前ら! 結局のところ、俺が体を張って……いや、命を(一時的に)張ってセレナの『ストレス解消のサンドバッグ』になってやったおかげで、彼女の精神が安定したってことだろ? つまり、俺が彼女を救ったと言っても過言じゃないな!」
カイトは鼻を高くし、包帯越しに満足げな笑みを浮かべる。
「いやぁ、やっぱり俺って役に立つよなぁ! どんなに理不尽な浄化攻撃を受けても、翌朝には(だいたい)元通り。俺がいなきゃ、セレナは今頃ストレスで暗黒堕ちして、世界を滅ぼしてたかもしれないんだぞ? 俺こそがこのパーティーの精神的支柱、いや、不滅の防波堤と言ってもいい!」
調子に乗っていばるカイトに対し、三人の視線が一気に氷点下まで下がった。
食堂の空気がピシリと凍りつく。
「「「………………。」」」
「……ちょっとカイト。そんなことで威張る前に、魔物を倒すときに役に立ちなさいよ」
ノアールの低く冷たいツッコミを皮切りに、アイリスも厳しい口調で続く。
「そうだぞカイト殿。貴殿の役割は、深夜に寝ぼけた聖女に浄化されることではなく、戦場で敵の剣筋を読み、我々の戦線を支えることだろう。……というか、昨日の戦闘でも、貴殿はスライムの群れを前に『俺の体で窒息させてやる!』とか言って、ただ飲み込まれていただけではないか。あれを戦術とは呼ばん。ただの食事(される側)だ」
3. 反撃の「お前らだって」
カイトはたまらず、椅子をガタッと鳴らして立ち上がった。全身に湿布が貼ってあるため、動くたびにツンとしたメントールの香りが漂う。
「うるせぇ! お前らだって相当だろ! 棚に上げてんじゃねーよ!」
カイトはまず、凛々しい顔で紅茶を飲んでいるアイリスを指差した。
「アイリス! お前は大陸最強の騎士団出身とか言ってるくせに、ダンジョンの中で『騎士の勘だ、あっちだ!』って自信満々に指差して、真逆の行き止まりに連れて行く方向音痴じゃねーか! お前が先頭を歩くたびに、俺たちは最短ルートの三倍歩かされるんだぞ!」
「なっ!? あれは……その、敵を撹乱するための高度な戦術だ! 迷路を迷走することで、追手の裏をかいているのだ!」
「嘘をつけ! ただの迷子だろ! あとルナ! お前だ!」
カイトの矛先が、無表情にスコーンを口に運んでいるルナへ向く。
「お前、魔物を狙ってるフリして、さりげなく俺の背中にだけ属性魔法を飛ばしてきてるだろ! 俺が敵を押さえてる隙に、背後から火球やら氷柱やらを叩き込むのはわざとだろ! 俺を『魔法の着弾確認用の的(ターゲット)』にするな!」
ルナはゆっくりと視線を逸らし、静かに茶をすすった。
「……。……。気のせいです。……。……カイト様の背中が、あまりにも『ここに撃ってください』という絶妙な形状をしていたので、宇宙の摂理に従ったまで。……。……不可抗力です。あと、不滅なので問題ないと判断しました」
「どんな形だよ! 宇宙の摂理に殺されかける俺の身にもなれ!」
4. まとめ役の受難と、不穏な次話への予感
罵り合うカイト、アイリス、ルナの3人を見て、ノアールは深く、深いため息をついた。こめかみを押さえ、彼女は自分の運命を呪うように天を仰ぐ。
「……。……はぁ。不滅(バカ)、方向音痴(ポンコツ)、味方撃ち(精密射撃)、そして夢遊病(爆弾聖女)。……ちょっと、このパーティー、魔王の城に着く前に内輪揉めで滅びるか、宿代の弁償金で破産するんじゃないかしら……」
ノアールは呆れ果て、冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。
しかし、そんな騒動をよそに、セレナだけは聖母のような慈愛の笑みを浮かべたままである。
「ふふふ、皆さん仲が良いのですね。……。……あ、カイトさん。また少し、肩のあたりに邪悪な気配(コリ)を感じませんか? 宜しければ、今夜もまたじっくりと……『浄化』して差し上げますよ?」
「……。……。結構です。死ぬほど結構です」
カイトは、震える手でようやく最後の一口のシチューを飲み込んだ。
宿屋の食堂には、朝から元気な(?)怒号と、それを見つめる聖女の清らかな、しかしどこか底知れない笑顔だけが虚しく響いていた。
彼は死なない。死ねないのだ。
だが、その「死なない」という一点のみに支えられたこのパーティーの前途が、多難どころか絶望に満ちていることだけは、誰の目にも明らかだった。