爆発音が響いたのを、十神咲良はベッドの下で聞いていた。
「……っ」
直後、隣の部屋――入口から繋がる研究所区画から崩壊の音が響く。
棚やら机やらが爆風で崩れ落ちているのだろう。
あの爆発音は手榴弾。恐らくリズの仕業。初めて彼女に出会ったあの時の様に。
声を上げることも、碌に動くこともできなかった。
そうすれば、死んでいたのは十神の方だっただろう。
それほどの恐ろしさがあの異形の人間からは感じられた。
――リズさん、回復するとは聞いているが……
その場で回復? ならば助けに行かないと、また殺されてしまうではないか。
だが、思えば最初に出会ったあの時、ブラーの死骸の傍に自爆した筈の彼女の姿はなかった。
別の場所に逃げる手段があるのだろう。全くもって理解はできないが、あんな
当のリズ本人が『30分耐えろ』と言った以上、時間さえかければ大丈夫ということなのだろうが……また迷惑をかけてしまった。
それどころか、残り少ない彼女の命まで削って。
私は一体何を……っ。
『――コッ』
「……!!」
――今は、自分の心配が先か……。
爆風の音がすっかり消えた向こうから鳴ったクリック音。
流石にあの規模の爆発では、致命傷にはならなかったらしい。
奴が現れたのは、十神がこの地下研究所に再侵入し、指定された場所に爆薬を設置している途中であった。
『――――!?』
『……?』
外から響いて来たブラーの悲鳴。
リズでも戦っているのか……と思ったのも一瞬、怪物の声以外が一切の無音だったことに遅れて気が付いた。
彼女なら間違いなく銃声が鳴る。
次に響いたブラーの絶叫が
『――ココッ』
あの謎のクリック音。
それとともにやってきたのは、人の顔を持った異形であった。
この2年――否、学校に通っていた4年近くを踏まえても初めて見る種類の怪物であるが……
――被検体……やはり生きていたか。
人にブラーを埋め込む狂気の実験の産物。
4年以上の歳月を生き延びたらしい……が。
アレは、何の目的でここに? 今更この施設になんの用があるというのか。
『コッ――』
思考は、奴の足音で途切れた。
ひたひたと鳴る音が、こちら側へと近づいて来る。
――考えてる暇はないか。
今考えるべきは奴の目的ではなく、ここから生き残る手段だ。
リズは『30分耐えろ』と言った。戻ってくるつもりなのだろう。
ならば耐えなければ。
武装はカービン銃と手榴弾、後は
それで奴と正面から戦う? ――否、リズが瞬殺された今、無謀だろう。
奴を倒せるとしたら……設置した爆薬で吹き飛ばす?
自然と浮かんだ考えに、思わず笑みが浮かぶ。
――ははっ、まるでリズさんみたいだ。私も随分と毒されたらしい。
彼女のことだ。さっき殺された事も笑って済ませてしまうのだろう。
なら考えるは謝罪ではなく、あれ相手に
まずは30分……どう稼ぐ。
ふっと軽くなった心で、周囲を観察。
奴がいるのは入口付近の研究所区画。
十神が潜んでるのはその隣、ベッドが並ぶ治療区画。
奥に逃げてもあまり意味はないだろう。なにせこの先は行き止まりだ。
そこで奴相手に30分は耐えきれる自信がない。
一応、逃げ道はある。
前にこの場所に侵入した時に使った抜け道だ。
今隠れている場所とは違うベッドの下に穴が開いている。
そこを通れれば、外には出られる。
もし、奴の狙いが施設の奥なら、このまま逃げ出せばいい。もしこちらが狙いなら……。
視線を真上へと、罠の残るホテルへと向ける。
……道幅の広い街よりましか。なにより、ここを出たらリズさんが混乱する。
再び視線を振って、入口に通じる扉を見つめる。
――閉じるか。それでわかる。
ほとんど直感に近い閃きに従ったのは、間違いなくリズの影響があっただろう。
鞄から爆薬を取り出し、入口まで滑らせた。
重たい音を立てて滑るそれが到着するのと同時、手榴弾のピンを抜く。
――信じるぞ、リズさん……!!
手榴弾を投下すると同時に、地下研究所の奥へと走り出した。
抜け道へと飛び込んだ瞬間鳴り響いた爆発音。
崩落の恐れに全身が震える中、何とか這い出てホテルへ通じる階段へ向かう。
段を駆けあがった背後から、金属扉――研究所への入口を蹴破る音が響く。
やはり、狙いは自分らしい。
……30分、稼いでみせよう。
――なんなら倒してしまってもいい。
ふっと浮かんだ笑みで焦りと恐怖を飼い慣らし、十神咲良の戦いが幕を開けた。
***
どさりと拠点の塔屋に落下した。
見上げた先にはいつも通りずずっと消えていく巨大な影。
……あの遭遇をした今だから理解できる。あれ、あの肉の蛇か……。
つまり俺が死ぬと、あの蛇神様が俺をバクッと呑み込んでここで吐き出してた……ってこと?
だから毎回ちょっと湿ってるのか? だとしたら嫌なんですけど……。
「……って、呑気にしてる場合じゃない!」
跳び起きてすぐさま地下室へと走る。
三毛がうるさそうに顔を上げるのを横目に、銃器ラックに駆け寄り……めっちゃ金減ってる!?
蘇生費用、40万弱……もうちょっと節約すれば残機は3つか。
結構マズい。でもここで出し惜しみはなし!
同じ装備を身に着ける前に、通信装置を耳に嵌める。
「
『――見てた! 君たち何してんの!? てかなにあれ!?』
「知らん! それより咲良さん!」
装備を引っ掴みながら叫ぶ。
『……まだ無事だよ。通路を爆破して隠れてる!』
「爆破!? 無茶する……急いで戻る」
『戻るのはいいけど、どうすんのあれ!? 倒せるの!?』
「うーん、そこは実際問題あり……」
復活してから考え続けてるけど、ほぼ情報を得る前に死んだし。
とんでもなく速かったから、銃すら避ける可能性があるんだよなー。
「……あれ、使ってみるか」
『なになに?』
「説明は後!」
例の装備を鞄に突っ込んで、地下室を飛び出す。
移動は……バイクがあった!
「行ってくる!」
『――!!』
道も慣れたもの。
待ってろ咲良さん。俺とあんたで怪人討伐だ!
***
『――あの地下研究所。その設立を提案・実行したのは、あなたのお父上、十神重左さんでした』
鷹村に呼ばれて急いで訪れた、都市南東部に築かれつつある
その2階の角。脱出防止のために分厚いシャッターの降りた室内で。
ベッドに足を拘束された伊地知が、穏やかな顔でそう告げた。
『……』
『……そのお気持ちは痛いほど良く分かります。ですが、事実なのですよ』
――いけしゃあしゃあと……!!
あまりに落ち着いた声色で告げた言葉はどう考えても真実とは思えない。
だが、それを否定する材料は自分にはなかった。
『……』
ちらと横を見れば、呼び出した鷹村が青い顔して立っている。
彼女もまた特捜に良い様に扱われたのだろう。可哀そうに。
――あそこを父様……十神重左が造った、か。
奴の、伊地知の言葉は嘘かもしれない。
だが現局長より派遣された特別捜査班の伊地知がそう告げ、それをかつて名を馳せた裂け目ライターが聞いているこの現状。
迂闊なことをすればそれが『事実』になると、そういうことなのだろう。
実質、脅迫である。
『……それが言いたくて私をここに? 裏切者の娘だと糾弾して気分でも晴らそうと?』
『いえ、いえ! とんでもありません。これは協力のご提案ですよ。私があなたに情報を与えます。その代わり、十神さんには我々の代わりに、あの施設の破壊を頼みたい』
『……先の電話。聞き間違いではないのだな』
人好きのする老獪な笑みを浮かべて、彼は想像通り最悪の提案を告げた。
『お前らの代わりに証拠隠滅をしろと』
『はい。お恥ずかしながら、我々は失敗してしまいましたから。どなたか、
『……っ!!』
やはり気づかれていたか。だからこそ伊地知は接触してきたのだろう。
謹慎の身で危険領域に入り、特捜の仕事を妨害した。もう懲戒免職は免れない。
その上で更に父親に罪を着せることもできる……と。
迂闊だった。あの時
決して顔には出さないようにしながら息を整えるが、それすら見透かしたように伊地知は穏やかな声を放つ。
『ご安心ください。あなたを害するつもりはありません。……と言っても信じられないのかもしれませんが』
『……』
『ただ、事態は急を要します。あなた方は勘違いしているのです。我らの敵は、防がなければならないものは、活性化――ブラーだけではないのですよ』
『何……?』
『あなた方が手を結んだ
穏やかな――しかしよく聞けば震える声で、伊地知はそう告げた。
……怖がっている? 何を?
だが、睨むように観察したその顔は、いつもの余裕たっぷりの老獪な笑みに覆われている。
そこに隠されたものが何かは……聞くだけ無駄だろう。
『……皆の安全のためなんだな?』
『はい。誓って嘘ではございません』
『……代わりに、知っていること全てを話せ。それが条件だ』
『勿論です。ああ、装備は我らの持ってきたものがありますので、それをお使いください。場所は――』
というわけで私は単独で危険領域に入り――今に至る。
――全く、つくづく自分の無知が嫌になる。体よく利用されたわけだ。
ホテルの5階。
半日前に激戦が起こった跡の室内で、私は父から贈られた
――いくらなんでも、
何故か、人体実験の被験者に命を狙われている。
私が十神重左の関係者だと知ってるのか? まさか、特捜の手引きではあるまい。
どちらにせよ、これを生き残ればその秘密に手をかけることができる。
『ココッ――』
「……っ」
クリック音が静寂に響く。
……そのためにも、ここは生き残らなければ。
意を決して部屋を飛び出し、階段へと走る。
『コッ――』
可能な限り消した足音だが、それでも奴は反応してフロアに飛び込み、床を砕く音が響いた。
「くっ……!!」
すぐ横の部屋へと転がると、巨体が通り過ぎて壁を蹴り砕く轟音が響く。
奴は正確にこちらの位置を把握してる。
あのクリック音、音で
――
背負っていた鞄を静かに下ろし、手榴弾の類も外す。
爆弾類を置いていくのは怖いが、持ってるだけでも音が鳴る。
代わりに消音器付きの拳銃を取り出す。
音を狂わせるなら音だろう。
電源が活きてるなら色々あったが……。
「とりあえず……」
足音を殺しゆっくりと階段へ進みながら、目についた音のしそうな物に銃弾を撃ち込む。
水道、トイレ、家電――消火器!
廊下に置かれたそれが煙を吐き出した瞬間、怪人が跳ねるように移動してその赤い筒を蹴り潰していた。
『コッ――』
やはり音。そして……。
白濁した両目がこちらをじっと見る。
――
……駄目か。
『――――』
防御態勢をとったのと、奴の
衝撃、轟音。それが2度。
蹴り飛ばされそのまま叩きつけられたのだろう。
何かが砕ける音がした。
「ご……っ、ぁ……」
白く染まる視界。
やられたのは腰か背か。
腹には圧がある。きっと、奴の足が乗っている。
ならば……!!
見えなくても場所が分かるそれに手を触れる。
父から贈られたその刀を僅かに引き抜き、現れた刀身を全力で握りしめた。
――駄賃だ、持ってけ!
0.02%、自分を喰わせる。
部下を喰らったあの
『――――ッ』
「……げほっ、くはっ……」
身体が一気に軽くなった。
慌てて息を吸い込んで、起き上がろうとして――激痛に身体が固まる。
「……っ」
やはり腰がやられた。
電撃の痺れもあって、まともに動けそうにない。
――爆弾があったら死んでいたな。……どのみち、死にかけだが。
視界は掠れて碌に見えないが、銃は衝撃でとり落としたらしい。
怪人は恐らく数歩先。のたうち回る音が微かに聞こえる。
息を整えながら、そちらへと顔を向ける。
『コッ――』
クリック音が鳴る。きっと息の荒い私は良く見えるだろう。
無事な右手で短刀を握る。最早これで戦うしかなさそうだ。
――ははっ、私の人生、奪われてばかりだ……!!
女に生まれ、軍人としての未来を半ば奪われ。
ブラーが現れ、その可能性すらなくなった。
更に父が消え、家族すら失い。
ようやく認めてくれた部下も守れずに。
こんな私を受け入れてくれた街すら奪われようとしている。
――ああ、そうだ。リズさん、あなたの言う通りだ。
奪われてばかりのこの人生。
私には、その全てを取り返す権利がある……!!
「ふふっ、ははは!」
腹から声を張り上げて、短刀を構える。
揺らぐ視界で蠢く巨体を見つめて、笑う。
「欲しいのはこの首か? 来い」
『――――!!』
ぐっと固まる身体。
だが、想像していた衝撃はやって来なかった。
「……?」
「――間に合った!」
掠れた視界。
そこには黒とオレンジの2色が揺れていた。
「……リズさん?」
「お待たせしました、咲良さん!」
荒い息でそう叫び、いつも通りの声色で彼女は笑う。
「ははっ、さあ、怪人退治です!」
『ココッ――』
放棄された夜鳥羽セントラルホテルにて、彼女の言う怪人退治が開始されるのだった。