第一章 博麗の巫女
第一話 巫女チルノ
「ミーン、ミーン、ミーン……」
蝉の声が容赦なく降り注ぐ季節。この音を聞くと「夏だなぁ」と思うと同時に、余計に汗が噴き出してくるのが霊夢の悩みだった。
昨年までは……。
「本当にいつも涼しいよな、博麗神社って」
金髪をなびかせた少女、霧雨魔理沙が隣に座る親友に話しかける。その問いに答えるように、赤いリボンの巫女、博麗霊夢は静かにお茶をすすった。
「チルノが遊びに来ているおかげね」
霊夢は夕暮れ時のオレンジ色に染まる空を見上げながら、ポツリと答えた。
「ふーん。でもさぁ」
魔理沙は不思議そうに人差し指を唇に添える。
「最近あのバカ、見てない気がするんだが……今どこにいるんだ?」
「さあね」
霊夢は湯呑みをコトッと置き、はぐらかすように視線を外した。涼しいはずなのに、なぜかわざとらしく汗を拭い、ため息をつく。
「私の寝室で寝てるんじゃない? 私の苦労も知らないで……。ま、涼しいからいいんだけど」
「へぇ」と頷いた魔理沙は、ふと思いついたように手をポンと叩いた。
「そうだ、久しぶりに弾幕ごっこに誘おうかなぜ!」
「起こさないであげて、魔理沙」
霊夢が慌てて制止すると、魔理沙は一瞬ジト目を向けたが、やがて後ろで手を組み、大きく背伸びをした。
「ちぇ……つまんないの」
魔理沙は取り出しかけていたミニ八卦炉を懐にしまう。
「じゃあ、涼んだしそろそろ帰るぜ」
「ええ、また来てね」
霊夢の笑顔に見送られながら、魔理沙はボソッと呟いた。
「……ああ。大好きだぜ、霊夢」
「? 何か言った?」
「いや、なんでもないぜ。んじゃな!」
魔理沙が箒に跨った瞬間、砂埃が舞い上がった。ビュンと風を切り、凄まじいスピードで飛んでいく。
「やっと……帰ったわね」
霊夢は寂しさと安堵が混ざり合ったような複雑な心地で、親友の背中を見送った。そして境内へ向き直り、独り言のように呟く。
「さて。チルノ、もう出てきていいわよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドタドタという足音が響き、襖が勢いよく開いた。
姿を現したのは、霊夢にそっくりな格好をした少女。いや、色以外は瓜二つと言っていい。
水色のリボン、水色のラインが入った巫女装束。背中には結晶のような氷の羽が輝いている。
少女はテケテケと霊夢に駆け寄り、誇らしげに腰に手を当てた。
「霊夢! あたい、ちゃんと静かにしてたよ!」
今度は後ろで手を組み、首を傾げて満面の笑みを浮かべる。
「あたい、えらい?」
「ええ、偉いわよ。チルノ」
霊夢が優しく頭を撫でると、チルノはくすぐったそうに、けれど嬉しそうに目を細めた。
しばらくして霊夢が手を離すと、チルノは名残惜しそうにその手を目で追う。しかし、その先にあったのは少し呆れたような霊夢のジト目だった。
「でも、何かあったらすぐ私に言うのよ」
「わ、わかってるよ!」
「本当? チルノは忘れっぽいからなぁ」
「そ、そんなことないもん!」
ふたりの間に一瞬の沈黙が流れたが、すぐに同じタイミングで吹き出してしまった。
ひとしきり笑った後、霊夢はふぅと深呼吸をして切り出した。
「チルノ、ちょっといい?」
「うん?」
霊夢は戸惑うチルノの脇を掴んでひょいと持ち上げると、自身の膝の上に座らせた。
「ちょっ!? 霊夢!?」
「いいじゃない、これくらい」
驚くチルノの耳元で、霊夢は懐かしむように囁く。
「あんたが博麗の巫女見習いになったばかりの頃、霊力をうまく扱えなかった時も、こうやったでしょ? 覚えてる?」
チルノは霊力を発現させ、正式に博麗の巫女見習いとなっていたのだ。
指摘されたチルノは、照れ隠しに顔を背けた。
「覚えてるけど……今じゃなくてもいいじゃん……霊夢♡」
「? 最後なんて言ったの?」
「……なんでもないよぉ……」
はぐらかすような言葉と共に、柔らかな風が吹き抜けた。
霊夢は少し頬を赤らめ、乱れた髪を抑えながら風の行く先を見つめる。
「……うん」
チルノもまた、同じ空を眺めて小さく呟いた。
これは、そんな二人の――博麗の巫女の物語。
博麗の巫女伝:
博麗の巫女とは、人間と妖怪の力の境界を等しく保つための存在である。