欲しいなら奪えばいい 作:陸神
「……はぁ?」
男──いや、“彼”の意識が急速に焦点を結んだ瞬間、眼前に広がるのは見慣れた灰色の部屋ではなく、血の気が引くほど眩しい白亜の天井だった。点灯した照明にはきめやかな彫りが幾何学模様と紋章が光を反射している。
ふかふかとした背中感触。耳障りな浅く、早く上気する自分の呼吸音だけが奇妙に鮮明に聞こえた。
「何が……?」
上体を起こそうとするが、全身が鉛のように重い。視界の隅には、何かが映っている。小さなウィンドウだ。そこには数字と文字列が脈打つように流れていた。
『
名前:ヨミ・アルブレヒト
種族:純人種
種族レベル:1
職業:《なし》
職業レベル:0
汎用スキル:《なし》
固有スキル:《天賦》
汎用魔法:《なし》
固有魔法:《なし》
…………
』
「よ……ヨミ?」
以下、視界いっぱいに拡がる文字の集合体は、混乱のさなかにある思考を余計に惑わす。
不意に自分の手を見る。指は細くしなやかで、肌は透けるように白い。爪も整えられていた。
「……夢、じゃないよな。さすがに」
掠れた声が喉から漏れる。
自分のものとは思えない、甲高い笛の音のような声色だった。
(そうだ。俺はあのとき転んで…………)
転倒して頭でも打ったか、と。
(……それともあのモニター? 幻にしてはやけにリアルな…………)
いまいち現実味がない。
再度、手を見遣り、照明にかざした。
どうみてもどうしても、自らの意思の下に動く…………小さい手のひらであった。
「おや」
意識の外からの声が、彼の意識をそちらへと寄せた。
どうしてか疑問や驚愕はなかった。その柔らかな芯の通ったしゃがれた声に彼はかんばせを向ける。
「既にお起きでしたか」
「…………
その声に導かれるように彼は、寝そべっていた
まとわりついている布状のそれらを押しのけて寝台から降りようとしたが、どうにも頭が重い。
否、実際に重いのだ。未成熟な彼の身体は子どもらしい頭の重さを支えるには、嫌に脆かった。
それに加えて、異様に見渡す世界が大きかった。意識を失う前の彼の世界とは異なる視界だ。
「う、あ」
全てが大きく見えている。
扉も照明も、控えるように立つ初老の彼も。
彼はそこで初めて自分が幼児の肉体を持っていることを把握する。
「う……」
呻くように呟いて、そのまま
赤と濃紺の
壁に埋め込まれるようにして取り付けられている
そしてまた、彼の五感が告げていた。
ここは間違えようもなく、
(現実)
なのだ、と。
◆
「ふむ」
腕を組み、自信に満ちた表情で黒板を見上げる少年。
そのそばには、階段状の木製足場が置かれていた。
「とりあえず、わかったのはこんなとこか」
やや舌っ足らずな声。
彼の見上げる先には、箇条書きされた文字列が黒板いっぱいに書かれていた。
『
・自分の名前は、ヨミ・ゾル・アルブレヒト(8)
・家は貴族で、辺境伯の次男第三子として生まれた
・我が家が所属しているのは、イクス・オーレ王国
・黒い髪だが、裏側が赤く、興奮すると毛先が白くなる
・この世界にはゲームのような「スキル」というものが身体能力の1つとして存在している
・上記と同じく「ステータス」と「
・魔法がある
・獣耳や長耳などの異種族
・上記らによる異種族国家がある
・モンスター(魔物・魔獣)がいる
・神・精霊・悪魔などが存在している
』
その中でも彼は『スキル』、そして『ステータス』の項目に注目した。
特に後者だ。
視界にうっすらと見えるウィンドウ。意識して操作しようとする。最初こそ意味不明な文字の羅列。
少年──―改め、ヨミはそれらを睨み付ける。
すると、半透明に見えていたそれらは、意識すればするほど、浮かぶ情報が増えたり減ったりするのだ。
目が覚めてすぐ見たウィンドウ、その下部へとスクロールするように視線を動かす。
『
HP:8
MP:32
STR:18
END:9
DEX:22
AGI:29
LUC:59
』
「やっぱり……」
ヨミは頷く。
信じたくはないが確信を持って頷いた。
「ゲームみたいな世界なんだなぁ」
しかし妙に納得してしまいそうな自分もいた。
今までよく見てきた創作物やアニメなどではよくある設定なのだからと。
「ええーっと」
側に積んであった本の内の1つを手に取る。
赤い付箋が貼られたページを開き、ある一項の文章を指でなぞりながら読み上げた。
「『成人のステータスの平均値は
続いて、青い付箋が張られたページへと飛ぶ。
「『「スキル」とは、
再びページをめくり、黄色の付箋のページへと飛ぶ。
「『「
読み切ったヨミは本をバタンと閉じ、積んであった本の塔の頂上へと積み上げた。
「多分、ステータスの基本値が高いのは、血筋かな。辺境伯の血筋だし」
辺境伯。
すなわち、隣国などの国境に位置する領地を任された、言ってしまえば「軍事権限をフルに与えられた、国境守備の最高責任者」のことである。つまり、辺境伯とは伯爵とはまた一線を画する存在なのだ。
そんな辺境伯が任される領地とは、異民族や敵国と隣り合わせの危険地帯である。ことさらアルブレヒト領においては王国から遠く離れた東北東に位置し、突き出した太い幹から枝状に拡がったような領地の関係上、北方草原から定期的に現れる異民族の侵入に加え、東方・アマツクニ龍皇国、南西方角に位置するアーキテクト聖王国の三者に囲まれた王国の中でも屈指の危険地域であった。
もっとも、
「龍皇国とは何十年も前に停戦してるし、聖王国は国交結んでるから関係無いんだけどね」
ともあれ、そういった事情が入り組み合ってアルブレヒト領は現状北方から南下してくる異民族への対処だけで済んでいた。なお、彼らが脅威であることには変わりないのだが。
「さてと」
積み上げられた本の中から一冊を取り出す。実録戦記ものの本だ。
「これも読まなきゃダメか?」
「あ、あの~…………」
「あん?」
恐る恐るといった様子の声色。
ヨミが目を向けた先には、ロングスカートの、しかしフリルのついた振り袖の少女がいた。
その頭の上には、ぺたんと伏せられた猫耳がついており、背後より時折見える尾が彼女の身体的特徴として可視化されていた。
彼女は、動物的な身体的特徴を持つ獣人種である。そしてその中でも
(…………確かこの子は、メイド長の孫の見習い
「アズサか」
「はっ、はい! 何でしょうか坊ちゃん!」
オドオドとした態度から一変。耳と尾をピンと立てた。
「…………俺を呼びに来たのはそっちだろうが」
「あっ…………そうでした…………じゃ、じゃなくて! お勉強の時間ですよ! 先生が既にいらっしゃってますので、坊ちゃまをお呼びに参りました!」
「はいはい。分かったから、そんなに大声出さなくても聞こえてる」
本を置いて立ち上がる。
「行くぞ」
「は、はい!」
二人並んで歩き始めたところで、アズサはチラリと横目で主人を見た。
(坊ちゃん…………なんだか雰囲気が変わられたような……)
以前の彼は、もっと人見知りだったはずだ。
それが何故なのか分からないが、それでも良い方向に向かっていることは嬉しかった。自分と接するときでも怯えることがなくなったことや言葉遣いなどがその証左であろう。
(何かあったのでしょか?)
考えども考えども、アズサの頭ではどうにも答えを出なかった。
「じゃ、後片付けよろしく」
「はえ? え?」
アズサはぐるりと周囲を見渡す。
乱雑に積まれた本。散乱する文献。びっしり書かれた黒板。
これを?
「ええ!? でも! 坊ちゃんが使ったんですよね!?」
「ああ。だから、頼むな」
「えっ、嘘! 待ってください! 本当に行っちゃうんですか!?」
「頑張ってねー」
アズサの叫びも虚しくヨミは部屋を出ていってしまう。
ため息を吐いたアズサは、仕方がないと思いながらも、片付けを始めた。
(まったく。坊ちゃんのワガママにも困ったものです)
とは言っているものの、彼女の耳はせわしなく動き続けており、誰がどうでも見ても上機嫌であることには間違いなかった。
アズサは部屋に備え付けてあるロッカーから、掃除用具を取り出す。手際よく行われるそれは、鼻歌交じりに行われていた。
本を種類ごとにまとめ、文献を畳む。
ほこりを叩き、払う。
彼女の名前は、アズサ。
フルネームをアズサ・カーカシャ。カーカシャ家は、アズサの祖母の代からアルブレヒト家に仕えており、アルブレヒト家においても強権を握る一族の名である。
彼女の祖母は伯爵夫人に代々仕えている人間だった。
伯爵夫人…………つまり、ヨミの母に当たる人物は東方──―龍皇国出身のやんごとなき身分の傍流に位置する人間である。それに仕える家系のカーカシャ家はアルブレヒト家においても特殊な立場である。
それこそ、齢が10に達したばかりのアズサがヨミの側付きになっていることからも分かることだった。
「それにしても」
振り返り、白く文字が埋め尽くされた黒板を見る。
「
彼女の眼前には、見たこともない文字…………記号のようなものがずらりと書き連ねてある。
各国各種族の言語を修めているアズサにとってもそれらは見たことのないものであった。しかし、かろうじて文字だと理解できたのは、体系的な形と似たような形が連続していることから推測したからだ。
まあいいかとかぶりを振り、黒板の文字を消していく。
伸びた白線が塗り広げられ、白い粉へと変わる。
────────―坊ちゃま! どこへ行かれるのですか!
屋敷のどこか遠くでそんな声が聞こえた。
「…………まさか」
バンッ!
乱暴にドアが開かれて、部屋に光が差す。
振り返ると、満面の笑みを浮かべたヨミがアズサへと言った。
「アズサ!」
「…………はい、なんでしょうか?」
「俺、魔法やってみたいわ!」
ヨミはそう叫んだ。
アズサの波瀾万丈な日常は、春先、風が心地よくなってきたこの頃から始まったのだ。