改心悪女四種盛り 作:白のワイん
「よっす。隣あいてる?」
『見てわかるでしょ。ナンパならお断りよ』
あの日、初めて会った時に返した言葉が頭の中で蘇る。
でも、今は何を言っていいのかわからない。
私が自分の手で叩き壊した大切なものが目の前にある。
まるで、自分が壊してしまったものがなんだったのかを改めて見せつけてくるかのようだ。
神はなんと残酷なことをするのだろう。
吐きそうなほどの罪悪感に全身の至る所を串刺しにされているようだ。
これが死の間際に見ている幻覚なら、どうか早く終わって欲しい。
この眩しくて目を細めてしまいそうなほど、幸福な地獄を。
私の母は高校生の頃、普通の家庭で育ったが付き合った彼氏に影響されて夜遊びを嗜み、そのまま私を身籠った。
当時、どういう話をつけて私を産むと決断したのかは私の預かり知らぬことだ。
母は私を産むために高校を中退。
未婚ということは彼氏は逃げたということだろう。
私の記憶は母子生活支援施設から始まった。
母は日中は活発に動いていたようだ。
通信制高校に入り直したり、パートやバイトを掛け持ちしたり、私を産んで以降の生活態度は誠実そのものに見えた。
顔を合わす機会は少なかったが、私にとっては良い母であった。
『いい? あなたはしっかり勉強して普通に大人になるのよ?』
母は事ある毎に同じ言葉を私に言いきかせた。
母なりに自分の人生には後悔や反省など思うところがあったのだと思う。
私は無邪気にその言葉を受け止めて勉強に傾倒していく。
母がそこまで言うなら、重要な事なのだろう。
私の認識などその程度のものだった。
私が中学に上がる頃には母子共に施設を出て生活を始めた。
私が手が離れたから、母も自分の人生を生き始める。
ある日、カレシを紹介された。
なにか、会話をした気がする。正直印象にない。
ただ、私を見る目にドロドロとした粘っこさだけが記憶に残っている。
私は施設の中で暇を持て余して大人を観察し続けていた。
そして、母の奨めと知識欲の赴くままに手広く知識を収集していった結果、男性の持つ性質というものを正しく理解していたのだ。
また、施設の職員や年上の子供たちからもそう言った話をよく聞く。
母の連れてきたカレシがそういう類の人間だというのはすぐに理解した。
部屋に鍵は必ずかけたし、部屋にはいくつも目印を置いて侵入を気付ける工夫を施した。
私は施錠した自室に侵入の形跡を見つけてもすぐに告発したりしなかった。
出来れば母自ら本性を見抜いて別れて欲しかった。
ここまであからさまならそのうちボロを出すだろう、と。
その後の顛末は、残念なものだった。
なんと、母に一服盛って私の部屋の隣で一頻り楽しんだあと、私にも一服盛って勢いで関係を持とうとしてきたのだ。
そこまでしてくると思ってなかった私は薬で思考と身体を焼かれながら押さえつけられたとき、本当に生きた心地がしなかった。
衣服を剥ぎ取られもうダメだと諦めかけたとき、ドアが蹴破られ私に覆い被さっていた男は絶叫をあげて床に転がった。
あられもない姿で押し入ってきた母が手に持った太めと木製ハンガーで無防備な男の股間を背後から打ち上げたらしい。
後に聞いた話だが、玉は元より恥骨の骨折までしていたというのだから力の入りようが窺える。
母は正当防衛としてお咎めなしであったが男は前科も見つかったらしく、あっという間にブタ箱送りとなった。
母はことが終わって冷静になると泣いて私に謝罪した。
その取り乱しようは今まで見たことがないほど酷かった。
なにせ、母にとっては男関係で2度目の失敗である。
しかも、どちらも私を巻き込んだ形で。
母は程なくして重度の適応障害となり、PTSDに悩まされて入院することになった。
母は私の見えないところでとっくに限界を迎えていたのかもしれない。
今回のことがトドメとなって心がポッキリと折れてしまった。
私が中学2年の時の話である。
高校に上がってからはアルバイトが解禁されたことでできるだけ貯金を増やすことを考えるようになった。
寝る間を惜しみ、食費を惜しみ、アルバイトと学業に打ち込む。
学校では何度も倒れて保健室で目を覚ました。
ドクターストップが掛かるか掛からないかの瀬戸際を綱渡りした高校生活。
正直、周りを気にする余裕を完全に無くしていた。
私が出した結論が私の方向性を定めてしまった。
誰にも頼ることなく一人で生きていかなければいけない。
それが私が母の失敗から導き出した結論であった。
以降、私の執着は学問から自立へとシフトしていく。
大学入試は期待通りの結果となり特待生での入学が許された。
これで成績さえ維持すれば学費の心配はしなくて済む。
万が一、成績不振になった時に備えて経済基盤を確保しなければ。
『よっす。隣あいてる?』
そんな中、講義室で声をかけてきたのが雨宮悠真という男だった。
男性不信、というよりは人間不信に近かった私に近付いてきた男。
この手のナンパは入学してからまだ日が浅いのにうんざりするほどあったせいで、初対面なのに攻撃的な返しをしてしまう。
『見ればわかるでしょ。ナンパならお断りよ』
『ヒリついてんねぇ。じゃ失礼しますよ、と』
『ちょっと?』
『ナンパじゃないならいいんだろ? でさ、この講義なんだけど』
『勝手に座るな。学生課に通報される前に失せなさいよ』
『まあ、最後まで聞けよ。二人1組作ってレポート交換してレビューし合えって言われるらしい。まともに講義受けてんの俺たちだけだからさぁ。頼むよ、この通り!』
その厚かましさと無邪気さに私は毒気を抜かれてしまった。
その時、初めて彼のレポートを読んだが、この軽そうな言動に反して文体は驚くほどしっかりしており、どこかのWEBサイトから転記してきたのではと疑ったほどだ。
続くレビューでも私のレポートについて手痛いコメントをいくつも残し、私は生まれて初めて屈辱に歯を食いしばった。
私も負けじと彼のレポートを論理的にこき下ろし、それに対して冷静にボールを投げ返してくる男にムキになって──ー
気がつけば食堂のど真ん中でお互いのレポートを詰り合うバカが二人。講義時間を超過してヒートアップする私たちは場外乱闘にまでもつれ込んでいた。
遠巻きに見る他の学生たちにはただの痴話喧嘩にしか見えなかっただろう。
それ以降、何かと二人で行動することが増えた。
勉強について話し合える学友など、今まで一人もいなかったせいか。
打てば響くような会話というのは実に新鮮だった。
『お前のは賢い奴しか読めねぇよ。もう少しバカ向けに噛み砕いてくんねぇかな』
『あんたはアホみたいにダラダラ書きすぎなのよ。ホラ、ここなんて気持ちよくなって無駄に丁寧に書き込んでるじゃない。無駄よ、無駄』
『教授ー、俺と水野のレポート継ぎ接ぎで出したらダメ? ……ですよねぇ』
成績は一進一退だったが、こういった社会性だけは認めざるを得なかった。
まともな人間関係を作ったことがない私はそこら中で衝突したが、その度に間に入って取り持って場を納めてくれるのはありがたかった。
ついぞ、その感謝を言葉にすることはなかったのが心残り、かもしれない。
そして大学二年生の春。
私は彼にある賭けを持ちかけた。前期試験の専門科目の合計点で勝負し、勝った方の言うことを一つ聞くという、今思えば子供じみた遊びだ。
結果は私の勝利だった。
わずか一点差。
私は勝利の報酬として、彼にこう告げた。
『私の起業を手伝いなさい』
冗談だと思ったのか、彼は一瞬だけ目を丸くした。
しかし、私の目が本気であると悟ると、ふっと力を抜いて笑った。
『……わかった。今日からお前が俺のボスだ。で、何を作るんだ?』
私が構想していたのは、AIを用いた精細なモーションキャプチャアプリだ。
専門的な機材がなくとも、スマートフォン一台でスタジオレベルの動きをアバターに反映させる。
爆発的に増え続ける個人配信者や、メタバース需要を背景にした勝算はあった。
だが、私の描いた青写真に肉を付け、骨を通したのは彼だった。
そこからの彼の動きは、一学生の域を完全に超えていた。
彼はどこから工面したのか、「起業準備金だ」と言って、一般人が一生かかっても稼げないような額の現金をポンと用意してみせたのだ。
当時の私はその金の重みを知らなかった。後先考えない若さゆえの無謀さか、あるいは彼ならそれくらいやって当然だという傲慢な信頼か。
その資金を元手に、彼は大学の教授陣を味方につけて技術的な助言を引き出し、学外の投資家たちに堂々とプレゼンを行い、半年も経たないうちに組織の形を整えてみせた。
私たちのアプリ『Persona-Link』はリリースと共に、特定の業界で熱狂的な支持を得た。
SNSを開けば自分たちの技術を使った動画が溢れ、専門誌には「業界の勢力図を塗り替える新星」として私のインタビューが載った。
若き女性経営者、自立した新時代の象徴。
世間からの賞賛を浴びるたび、私が渇望した自立を自身で勝ち取った喜びを噛み締めた。
私がこの会社を、この成功を作ったのだ。
その自負が、私から冷静さを奪っていった。
一方で、現場の社員たちは私よりも、常に現場を回り、泥臭い調整をこなす悠真を慕っていた。
ある日の深夜、オフィスに残っていた社員たちの会話が、パーテーション越しに聞こえてきた。
『やっぱり、雨宮さんの方が実質的なリーダーって感じだよな』
『わかる。水野社長はカリスマ性はあるけど、現場の苦労がわかってない。雨宮さんが裏で全部フォローしてるから持ってるようなもんだし』
ドクン、と心臓が跳ねた。
屈辱だった。
誰にも頼らずに生きるために築き上げた私の城が、彼という「支柱」なしでは成立しないのだと公言されたに等しかった。
私は、自分が彼に依存しているという事実を認めることができなかった。
『悠真君。貴方は現場に入って。経営は私が一人でやる。もう貴方の助言は必要ない』
私はできるだけ平静を装って口を開いたが指先が震えているのが目に入り瞳が揺れる。
私はいま何に動揺した?
自分で自分のことがわからない。
私は自分のことに気取られていると彼はあっさりとそれを承諾した。
『わかったよ、栞。……でもな、あんまり力みすぎるなよ』
その言葉すら、私を見下しているように聞こえた。
私は彼を開発現場の主任へと事実上降格させ、彼の代わりに私の手足となる秘書を雇うことにした。
『初めまして、水野社長。兵藤優馬です!』
美しく整った容姿。彼と同じ名前。
──ーふん、良いじゃないか。彼と同じ名前ではるかに整った容姿の男を側に置けば多少は溜飲が下がるだろう。
その先に待ち構えているのが、底なしの暗闇であるとも知らずに。