改心悪女四種盛り 作:白のワイん
「奈緒、来い」
私が死んで戻ってくる前、見たくて仕方がなかったユーマの怒った顔がこんなに近くにある。
その事実に私の脳みそは甘く痺れ、蕩けて流れ出しそうな感覚に悶え苦しんでいた。
手首を掴まれて引っ張られて無ければ膝から崩れ落ちて地面でのたうち回っていただろう。
いつかのあの日と同じ、私の手を引いて歩くユーマの背中を茹だった頭で見つめ続ける。
やはり、これは私が死の間際に見ている都合良い夢なのかも知れない。
最初の出会いは幼稚園だった。
私はまだ訳も分からず親元から引き離される事に耐えきれず泣き出す子供達の1人だった。
当時のことははっきりと思い出せない。
ただ、泣いて一歩も動けない私の手を優しく握って一緒に歩いてくれたユーマという男の子がいたということと、いつもその子が貸してくれたハンカチの不思議な刺繍の形だ。
私の物心がついたときにはユーマが既に隣におり、家族の次に身近な存在となっていたのだ。
だが、幼稚園生活を折り返した頃、私の隣にいた男の子は幻のように消えていた。
大泣きして探し回った末、家の事情で転園したという話を母から聞いた。
その思い出がわたしの原点。
1度目の転機は小学校に上がった時だ。
私はユーマを相変わらず探し求めていた。母の話では近所に戻って来ているらしい。一縷の希望をかけて張り出された児童一覧を穴が開くほど探し、ついにユーマを見つけたのだ。
私は浮かれ切った気持ちでユーマに飛び込んであれやこれやと一方的に話しかけて、おしゃべりを覚えたての子供そのままだったと思う。
困惑しながらでも、受け入れてくれたユーマに私の胸は幸せでいっぱいだった。だが、その浮かれた気持ちはすぐに水を刺されることになる。
私は幼稚園のときと同じ感覚でユーマと一緒に居られると思っていたのに、当のユーマはどことなく他人行儀になっていた。
あの時のことははっきりと思い出せる。あの、困ったような苦笑いを。
『なんでだめなの?! 前みたいに同じがいい! ユーマといっしょがいいの!』
『ええ? まあ、奈緒が良いなら良いけど……』
『いいの! ずっといっしょにいてよね、ユーマ!』
ワガママを言って、一緒に手を繋いで登下校をせがんだ。
わざわざ家の方向も少し違うのに、毎日私の家の前まで送迎をさせた。
当時の私はそれを当然の事だと思っていた。
その頃からユーマが時折見せる困った顔が少しだけ嫌になった。
それから同じクラスになったり、違うクラスになったりを繰り返していくうちに他の友達が出来た。
当時、それはユーマしか見えてなかった私には一種のカルチャーショックだった。
とりわけ、同世代の男の子というのがユーマと比べると筆舌に尽くし難い別の生き物だという事実に私は打ちのめされ、徐々に構ってくれなくなるユーマにさらに不満を募らせた。
私はその段階になってようやくユーマが他の同世代の子供達とは全く違う精神性を持っている事を認識したのだ。
一度認識して注目してしまえば、日常的なユーマの立ち振る舞いも異常性で満ちている。
思春期に差し掛かった子供達は非常に距離の近い私たちを時には囃し立て、時には嫉妬で責め立て、無邪気な悪意を遠慮なしにぶつけてくる。
その全てを鮮やかにあしらう様は私でも唖然とするものだった。
『そりゃもうラブラブよ! 大人になってもこのままならそのまま結婚だな!!』
『いいか、よく聞け? 奈緒はチョコに目がない。バレンタインで逆にチョコ渡して、そこで勝負仕掛けんだよ……! こんな遠回しなことしてたら一生気づかないから! 男は度胸だ!』
『おちつけ! 小学生で昼ドラ展開はだめ! 俺は刺されたくない! イヤー!!』
『もしもし、お巡りさん? 窃盗です、すぐ来て! ……ごめんで済んだら警察はいらねーんだよ、しっかり叱られとけ』
『こんの、馬鹿野郎がっ!!! 殴り合いの喧嘩が遠慮なくできんのはガキの特権だ! 手加減なんてしねぇぞオラァ!』
私の中でそんな特別な存在に守られているという事が一種の優越感じみた物が生まれたのはこの頃だったのでは。
今更ながら自分の幼稚さに喉を掻きむしりたくなる。
中学に上がる頃には私も順当に思春期に入り、ユーマとの関係について頻繁に考えるようになった。
私のことをどう思っているんだろう? 意識しているのは私だけなのだろうか?
一日中ユーマを視線で追い、ぐるぐると同じ疑問を頭を駆け巡る。
もう幼かった頃、無邪気に何でも聞けなくなってしまった私はついに自分からユーマを遠ざけ始める。
他の男子から感じる欲情の気配が感じられないことが、
私以外の女子のためにイヤな顔せずに奔走する姿が、
残酷なまでに自分はユーマの特別じゃないという事実だという事に、遂に耐えられなくなったのだ。
ひとしきり拗らせた私は発想を切り替えた。
自分の容姿は周囲に比べて優れている。これを武器に出来ないだろうか?
それこそユーマが意識してしまうほどの美女になって彼の視線を独占する、或いは周囲から殺到する求愛を見せつける事でユーマを嫉妬に狂わせる事が──ー
『モデルにスカウトされた? そうなんだ』
ただの一言、だった。
周囲は熱狂し、私に称賛と羨望と嫉妬を隠さず注ぐ中、ユーマが発したのはその一言だけだった。
顔色一つ変えずにそう嘯いたユーマのことを、考えるのもイヤになったのはその時である。
偶然にも同じ高校に通い始めた私は顔を合わせるたびにユーマに対して悪態をつくようになった。
時には自分ではなく取り巻きたちにやらせることも。
ユーマに比べたら赤子のような精神性のクラスメイトたちを扇動するのは私にとっては容易いことだったから。
中学の頃はまるでヒーローのように人気者だった彼のヒエラルキーは地に落ちた。
私が嫌っているというだけで周囲が勝手に排斥してくれる。
ユーマ自身が事を荒立てないこと良いことにやりたい放題を尽くした結果だ。
本人は涼しげな顔をしていたが誰からも無視される様を見るのは私にとって最高の愉悦を齎す麻薬のよう。
当時の私は猿山の大将として大いに溜飲を下げて満足していたのだ。
ある日のことである。
取り巻きの1人が面白い提案をしてきた。
『雨宮に奈緒が告ってどんなキモいリアクションするか動画に撮って見ない?』
普段、取り合うのも億劫になるような稚拙なことしか言わない癖に、たまには良い事を言うじゃないか。
俄然、興味が湧く。
ユーマが私から告白された時、どんな反応をするのか。
あの澄まし顔をどれだけ乱すことができるのか、想像しただけで背筋がゾクゾクする。
あの日の私の愚かさは今でも治りきらない古傷のように胸の内に疼いている。
『今までごめんな。わかった。約束する。これからは、ずっと佐倉のこと、みてるよ』
私は、夢にまでみた、その聞きたかったセリフを聞いて頭が真っ白になっていた。
私の内面はぐちゃぐちゃだ。
こんなあっさり? あんなに悩んだ時間は? 何も思ってないんじゃなかったの?
やった! ついに! 手に入れた! 屈服させた! ザマアミロ!
いやだ。嘘にしたくない。もう手放したくない。
仲間内には、このままフリを続けるといった。もっと面白いものが撮れるだろうと。
何故、ユーマが私のことを名前で呼んでくれなかったのか、気にも留めなかった高校2年の終わり頃の話である。
これが最後の転機──ー
高校三年に上がればモデルの仕事も軌道に乗り、引っ張りだこで学校には卒業に必要な出席日数と単位を取るためだけにしか通わなくなった。
仕事後の打ち上げや懇親会で大人たちと夜の食事と称して遊び歩いて夜を明かすことも多くなり、母からは半ば愛想尽かされて何ヶ月も連絡を取っていない状況が続いた。
ユーマとの交際関係は表向きには醜態を収集するためなどと言いながら彼を我儘で振り回すことに終始していた。
私は試すように何度も無理難題を吹っかけてユーマを困らせた。幼かったあの日のように。
あの頃は嫌だった、困ったような苦笑いを見て愉悦に浸っていたのだ。
そんなある日、悪名高い業界人と食事を同席した際に薬を盛られ、前後不覚になった。
無理やりクラブの奥にあるVIPルームへ連れ込まれてしまう。
本当に血の気が引く思いで自由が効かない身体を恐怖に震わせて気を失ったはずが……。
翌朝目覚めたのは病院のベッドの上だった。
様子を見にきた看護師から話を聞いたところ、夜遅くに傷まみれの男の子が私を担ぎ込んできたと言う。
検査の結果、薬を盛られた以外は抵抗した際にグラスの破片で腕を切っていたくらいで衣服の乱れはなかったとか。
枕元には腕の切り傷の手当てに使われたハンカチが置かれている。
そのハンカチに刺繍された珍しい模様は──ー
『ユーマ……?』
『目が覚めたんだね!』
『あなた、だれ?』
『覚えてない? 僕が君をここに運んだんだ』
『でも、このハンカチ。これは、ユーマの……』
『そうだよ、僕のだ。やっぱり覚えてくれてたんだね! 奈緒!』
『え?』
頭が殴られたような衝撃を受ける。
幼かったあの日、慰めて手を引いた男の子はユーマではなかった。
小学生に上がったとき、急に距離を置こうとしたのは、単に私が記憶違いで初恋相手を間違えただけだった。
今にして思えば滑稽な話だ。
私の記憶違いがあったところでずっと長い間私を守って導いてくれたのがユーマである事実は変わらないのに。
私は転校生、兵藤優馬と過ごすようになった。
同世代より少しだけ大人びていて、私を際限なく甘やかしてくれる彼にどんどんのめり込んだ。
それは、ユーマがくれなかったものを埋め合わせてくれるようで。
いつしか仕事にもついてくるようになった。
余程実家が大きいのだろう。打ち合わせなどについて来た時には大人達が揃って媚びてる姿を見て、いつかに感じた優越感を思い出した。
もう忘れてしまった多幸感と全能感を取り戻していた。
そして、私はユーマとの交際という名の加虐行為にを加えることに決めた。
すでに浮気と断言できる行為に及んでおきながら、これを機に盛大に捨ててやろうと企んだ。
取り巻きたちが2人を比較して一方をこき下ろし、一方を褒めちぎる。そして私がそれを肯定する、そんな筋書き
散々馬鹿にされて言い返せないような貧乏人なんかさっさと捨てて容姿、性格、身分、全てにおいて優れている御曹司と付き合えと囃し立てる取り巻きたち。
謙遜しながらも言葉の端々からユーマを見下していることを隠さない優馬。
顔を醜く歪めてユーマを侮辱する私。
そんな光景を見たユーマは最初だけ、驚いたそぶりを見せたが──ー
『わかった、別れよう』
『お前が本気で告ってないのはわかってた。どうせ卒業までだと思って付き合ってたが、ちゃんとカレシ捕まえれたなら話は別だ。もう必要ないだろ?』
『負け惜しみ? いや、この件についてはあの日、すぐに生活指導の教諭に話を持って行ったよ』
『相談記録として業務日誌に挙げて貰ったからな。嘘だと思うなら聞いてこいよ』
『お前らが度を越したときには間に入ってもらうよう、ずっと前から頼んでおいた』
『これ以上騒ぐ気なら今すぐ呼んでくるが、どうする?』
『佐倉』
“佐倉”
その呼び方に、やっと違和感を持った。
いったい、いつからだろう。
ユーマが私のことを名前で呼ばなくなったのは。
何故、昔のように呼んでくれなくなったのか。
愚問だ。自分でもわかっていた。
そんなわかり切った答え。
変わらない。ずっと前から。
ユーマは何一つ変わっていない。
変わってしまったのは私だ。
いつかのように同級生たちを黙らせたユーマは私を一瞥もせず、その場を後にした。
私は、私の世界を自分で壊した事を、やっと認識したのだ。
そこから先、私がどう生活していたのかはっきり思い出せない。
学校に行っていたのか休んでいたのか、モデルの仕事を続けたのかやめたのか、定かではない。
たぶん、習慣をただ繰り返す廃人のようだったのだろう。
そして、運命の日。
私は校舎を幽鬼のように歩いて帰路に着いていた。
そんな中、視界の隅にユーマの影を見かけて一瞬、意識を取り戻す。
私は何をしたいのかもわからないままユーマの背中を追った。
後先など考えていない衝動的な行動。
ただ、どうしても会いたいという衝動だけが強く燃え上がっていた。
もう一度だけ良い。正面から私を……。
そのとき、ユーマが突然駆け出した! 階段を駆け上がっていく!
もしや、気付かれたか?
そう思って物陰に隠れて様子を伺うとユーマが駆け寄った先に倒れた人影が見えてギョッとした。
階段の踊り場に女子が倒れている。
やっぱりユーマは昔と変わってない。
いつだって誰かを助けるヒーローみたいな男の子。
だが、ぴたりと足を止めたユーマは困惑を隠さず口を開いた。
『……ツツモタセならもう少し上手くやれよ』
『!!』
『っ! ……ふん、いいさ。欲しかった画は撮れたよ』
優馬? 何故彼が?
スマホを片手に出て来た優馬はいつもの爽やかな表情は見る影もなく、不愉快そうに歪めた顔でユーマを睨みつけてくる。
女子もサッと起き上がって姿を現した優馬の側に駆け寄る。
『優馬くん! ごめん! ばれちゃった……』
『良いんだよ、栞ちゃん。証拠になる写真は撮れた! 観念しろ、変態! もう逃げられないぞ!』
『……おい、この茶番、続けんの?』
『お前はもう終わりだ!』
『チッ、本当にセコイ野郎だ、な!! 隙ありだぜ!』
『!! 離せ!』
飛び掛かったユーマが優馬からスマホを奪おうとして揉み合いになった!
これは、早く誰か呼ばないと……。
『優馬君から離れろ!!』
ドン
『?!』
『死ね!!』
その時、世界から音が消えた。
優馬の側にいた女子がユーマを突き飛ばしたことで手が弛み、身体が離れた隙をついて、優馬が拳を振り上げて、
ゴッ
ユーマの、身体が──ー宙に投げだされ──ー
ドサッ
手すりに、頭が──ー
『ユー、マ……?』
まるで現実感がない。
手足をめちゃくちゃに投げ出し、倒れ伏すユーマの頭から、ドス黒い血が静かに広がっていく。
『いや、イヤアアアアアア!! ユーマ! ユーマ!!』
『優馬君、ど、どうしよう……』
『奈緒?! どうしてここに……!!』
『なんで、いや、めをあけて、しなないでぇ』
『こんなの、バレたらおしまいだ!!』
『優馬君……?』
『ユーマ、ユーマ、ユーマ、ゆー、うぐゔ?!』
『そんなにコイツが恋しいならお前も一緒に送ってやる!!』
私に馬乗りになり、首を締め付ける優馬の顔は醜く歪んでおり初めて会ったときの王子様然とした雰囲気は欠片もない。
私はどうしてこんなヤツを信じてしまったのだろう。
バカだ。本当にバカだ。
大切な、本当に大切なものを自分で捨ててしまったのに。
どうして私に後悔する資格がある。
これは報いなのだ。
愚かすぎる私に対する罰──ー
『な、お──ー』
倒れ伏したユーマの顔がすぐ近くにあった。
薄れいく意識の中で私の名前を呼ぶユーマ。
それが私が最後に見た光景。