改心悪女四種盛り 作:白のワイん
そろそろあらすじ詐欺か?
「琴音、お前……」
思わず裾を引いてしまったが何か考えがあったわけではなく言葉に詰まってしまった。
困惑の声を上げる兄の顔を正面から見れない。
一体どんな顔をしているのだろう?
嫌悪か? 呆れか? 怒りか?
いつかの私が兄にした顔をしているのだろうか?
頑なに拒んできたはずなのに。
今は自分が拒絶されることが堪らなく怖い。
下ろした視線の先に震えた自分の膝が見える。
兄が手当してくれた傷が、ズキズキと痛み出すのは現実なのか。
それとも私の負い目が感じさせる幻覚なのか。
今の私にはわからない。
私には実の両親の記憶はほとんどない。
父親は遠巻きにしか見たことがなく、その姿はいつもどこか余裕のなさそうな雰囲気を醸し出していた。
母親は部屋に篭りがちでいつも部屋の片隅でぼんやりしている、観葉植物と大差ない存在。
代わりに私に接したのは祖父だった。
祖父はとにかく教育熱心で、自分の時に失敗した子育ての経験を私に活かそうと鬼気迫る勢いであった。
別に、辛いと感じた事はない。
当時の私は外界とは隔離されており、それしか生き方を知らなかったから比較対象がなかった。
唯一、辛いと感じたのは祖父が時々恨み言のように何故女なのかというボヤきだけだ。
幸いなことに私は優秀な部類だったらしく、祖父の出す厳しい課題をそれなりに苦労はしながらも淡々と消化できていた。
本来なら子供に到底達成できないようなノルマを課したつもりだったらしく、何とも複雑な顔をしていた祖父はどんな心境だったのだろう。
10歳のとき、両親は帰らぬ人となった。
伝え聞く話では、父親は外で愛人を作っており、母親が疲弊していたのはそのためだったそうで、欲をかいた愛人が正妻の座に収まろうと小細工を弄した結果、目論見通りにいかず3人とも仲良く逝ってしまったらしい。
笑い話にもならない。
祖父が倒れて救急搬送されるのも当たり前のように思えた。
勢いで後を追わなかったのが奇跡だ。
それから病床でしばらく悩んだ祖父は断腸の思いで伯父に縋った。
圧倒的な才覚を持っていたのに子供が作れなくなったというだけで次男である父を跡取りに据えて伯父を追い出したとか。
教育の合間に伯父に対する怨嗟を溢す祖父をよく見ていた私はどれほど品性が下劣な人間が来るか恐怖し、使用人に当たり散らすほど動揺していた。
この時の私の世界というのは兵藤の屋敷の中だけで使用人は同じ人間と思っていなかったため、祖父以外に接する初めての外の人間であり未知のバケモノと同義であったからだ。
そしてあの日、世界が一変するような衝撃を受けたのだ。
艶やかな黒髪が、白磁のような額に鋭い影を落としている。切れ上がった端正な眉の下、切れ長の双眸は、凍てついた湖のようだ。
高く、真っ直ぐにそびえる鼻梁。薄い唇は淡い桜色を帯びているが、その口角は硬く結ばれ、容易には人を寄せ付けない峻厳さを物語っていた。
視線を下げれば、衣服の合わせ目から覗く喉仏。陶器のように滑らかな首筋は驚くほど細く、それでいて浮き出た胸鎖乳突筋が、彼が紛れもない「男」であることを静かに主張している。
張りのある肩幅は決して逞しすぎず、薄い胸板から続くラインは、しなやかな柳の枝を思わせる。その身体のどこにも無駄な肉はなく、ただ削ぎ落とされた美学だけがそこに宿っていた。
長く、節の目立たない指先が、何かに触れるたびに優雅な弧を描く。白く細い指先は、まるで冷たい玉(ぎょく)を彫り出した工芸品のようだ。
腰つきは、驚くほどに薄い。そのくびれは、女性的な柔和さとは異なる、引き締まった獣のような危うい均衡を保っている。
すらりと伸びた脚は、歩みを進めるたびに、仕立ての良い衣服の中でその長い骨格を浮き彫りにする。膝の位置は高く、足首に向かって急激に絞り込まれたその造形は、まるで一振りの名刀のように鋭利で、美しい。
頭の先からつま先まで、一点の淀みもない。目の前に立ち昇る体温だけが、彼が残酷なまでに実在する人間であることを、私の脳裏に焼き付けて離さない。
『君が琴音か。初めまして、伯父の竜也だ』
私は伯父の頭からつま先まで舐め回すような見た後、生唾を飲み込んだ。
こんな人間が、まるで絵本の挿絵から飛び出してきたようなヒトがこの世に存在したのかと全身を雷に撃たれたかのように強張らせた。
生まれてずっと屋敷の中で生活してきたせいか、娯楽らしい娯楽は屋敷にある蔵書しかなかった。
なんども読み耽った本に出てくる、お姫様を迎えにくる王子様の如く、私を屋敷から連れ出す男性が現れることを幾度となく夢想した。
まさか、本当に叶うなんて、と。
そこからどう言う話があったかはよく覚えていない。
伯父、今の父に会ったことが衝撃すぎて夢見心地だったせいだろう。
実のところ、私は伯父のことを勝手に父と呼ぶようになっただけで養子縁組をしたわけではない。
祖父との間で、だいぶ揉めたらしく結局祖父の意見が通り、未成年後見人で落ち着くことになった。
私が成人した時、兵藤の財産が確実に継がれることを強く望んだためだ。
正面からお前のことを信用していないと言われたに等しい父はいい気持ちはしなかっただろう。
兵藤の家を出ていくのも当然だ。
それでも、ただの家族として扱おうとしてくれたことには感謝しかない。
今だからこそ言える感想ではあるが。
父は祖父の条件を受け入れる代わりに今後一切、私に干渉しないことを祖父に承諾させ、私の手を引いて屋敷を後にした。
私は雨宮の宅邸に移ることになった。
出迎えてくれたのは父の妻、それから養子の男の子。
私の母と兄になる人だと紹介されたが私はそれを無視して父としか会話しないことを徹底した。
今だからこそ言えるが無視というのは大いに間違っており、ただ人見知りをして話すことができなかっただけだ。
人との付き合い方を知らないマセた子供。それが私だった。
『えっと、よろしく。琴音ちゃん? 俺は悠真』
『荷物はもう運び込んである。とりあえず中を案内するから着いてきて』
『……慣れないうちは大変だろうから、何かあったら言ってくれ』
私は、兄を睨みつけて一言を発さなかった。
祖父から兄のことは聞いていた。
子が残せない寂しさを紛らわすために何処の馬の骨とも知れぬ親なし子を引き取った、と。
卑しい血は隠せない、そのうち欲をかいて兵藤の財に手を出すかも知れない、絶対に気を許すな、とも言われた。
父に媚を売って懐に潜り込んだ薄汚い野良犬。
当時の私は本気でそう思っていた。
母については──ー正直、思い返したくない。
愚かにも私は父の寵愛を競う相手として、時として兄に対する以上に無礼な行いをした。
初潮が来るか来ないかの小娘に絡まれて、さぞ不快だったことだろう。
そのあたりを生活の中でおくびにも出さなかった時点で私との差を論ずるまでもないことだ。
母は早々に見切りをつけて私と積極的に交流することはなかった。
父も仕事で家を空けることが多く、もっぱら私の相手をするのは兄の役目となるのは自然な流れだった。
『このあたり、車通りがほとんどないから散歩するにはいいところだぞ』
『近所の人から桃をもらったんだ。下で一緒に食べないか?』
『掃除の時間だー! ちょっと外で時間潰してこーい!』
『晩飯どうする? 今日もここで食うか?』
返事一つ、ろくに返さない私に来る日も来る日もただの家族として接する兄。
ただ私は忌々しく睨め付け、毒づき、犬を追い払うように拒絶した。
なぜ、そこまで頑なに拒んだのだろう。
多分、それは嫉妬だったんだと思う。
自分と同じ年、誕生日が数ヶ月早いだけの男の子。
それなのに大人達は彼を子供扱いしない。
ともすれば、目上の大人のように接する人さえいる。
自分を上辺だけ持ち上げながら子供扱いする大人達の態度とは根本から違う。
祖父から英才教育を受け、自他共に同年代として優秀であると認められている私でさえ、子供の枠を出ることができないのに。
そうでありながら、父と母の3人で笑い合う姿を見せつけてくる。
私が欲しいものを全て持った、私より格下の存在。
私に取って最も認め難い存在、それが兄だった。
私は幼稚な反発心で兄を拒絶し続けた。
そんな生活が半年ほど経ったとき、兄は攻め方を変えた。
『本が好きなんだって? 父さんに聞いたんだ』
『どんな本が好きなんだ?』
『フッフッフ……どジャアァぁぁぁ〜ン』
『図書館で琴音が読めそうなやつ、借りてきた!』
『え?! 読んだことあんの?! まじかぁ』
『なるほど? ……そういう感じか』
私が本を読むと聞いて腕一杯に本を抱えて帰ってきた。
読んだことがあるものもあれば、読む気が失せるようなものもあったが、いくつか興味を持つようなものがあった。
いい加減、根負けしかけていた私は兄が持ってきた貢物を、遂に受け取ってしまっていた。
そこから兄は定期的に私に本を届けるようになった。
最初こそ積み上げるように持ってきた本は、2回目以降は決まって三冊だけ持ってくる。
一つは、私が要求した本。
一つは、兄が読んで面白かった本。
残った一つは、その時々によって全く異なる本を持ってきた。
学校で子供達の間で流行っている本の時もあれば、ファッション雑誌の最新号であったり、ビジネスの啓発本だったり、その時によって様々なジャンルを持ってきた。
私は表紙にすら触れない時もあればこっそり最後まで読み切って読まなかったフリをすることもあったが兄はただ満足そうに突き返された本を手に次の本を探しに図書館へと通い詰めていた。
意外だったのが、学のなさそうな顔をしていて私でも驚くくらい本に詳しいこと。
しかも、かなり幅広い分野で本を読むことだ。
悔しいが兄が読んで面白かった本は大体私が読んでも面白い。
こんなところでも差を見せつけるのか。
つくづく憎らしい子供だ。
私は歯噛みしながら届けられる本を読み耽った。
振り返ってみれば、兄が本当に読ませたかったのは3つ目の本だったのだろう。
私は家庭教師が着いているから、と学校に通っておらず世間のことは何も知らない。
一応、中学からは普通に学校にいくと父と約束はしていたが世間ズレは深刻なものだった。
その後に学校に通った時に戸惑いながらも適応できたのは、流行りの本で手に入れた知識が活きていたせいだろう。
歪な交流が始まっていくらか時が経った時、私の人生で2度目の衝撃を受ける出来事があった。
『もうこの続きは持ってこないで。表紙も見たくない』
『ええ? ずっと新刊楽しみにしてたじゃん』
『…………』
『あ、あぁ〜……なるほどね。わかる気がするな』
『無駄口はいいわ。さっさと出てって』
『へいへい。そんなに気に入らないなら自分で好きに書いてみればいいのに……』
『!!!!』
自分で書いてみる。
想像したこともなかった言葉に私は固まってしばらく動けないほどの動揺が走った。
自分が気に入った物語が無ければ、自分の手で望む物語を作ればいい。
私に取って天啓に近い言葉だった。
それが認め難い兄の口から出たことも忘れて私は真剣に考え始めたのである。
父にパソコンを強請り、ネット通販で必要なものを買い集める。
執筆活動はパソコン一台あれば事足りたが、試しに書いてみた結果、如何ともし難い物足りなさを感じて、ペンと紙を使うことに決めたのである。
自室では原稿用紙、外では文庫本サイズの手帳を持ち歩き、思いついたらペンを走らせた。
手を動かしていると胸の内に抱える重たいものがペン先から抜けていくような爽快感に私はますます紙にのめり込んでいく。
将来、兵藤を継ぐ為に必要な知識を詰め込む傍らで息抜きをする、というものを意識するようになったのはこの時だ。
そんな光景を見たからか、私が17歳の誕生日に父から万年筆を贈られ、喜びを爆発させた。
とてもシンプルな白を基調とした万年筆で有名な文具メーカーではあるものの、父が手に取るには些か安すぎるような代物だったが、私にはそんなことが気にならないくらい嬉しかった。
以降は肌身離さず持ち歩くようになり私だけの宝物となった。
一方で、約束通り中学から通い始めた私は必要最低限な社会生活をギリギリ送る毎日だった。
当初は恐怖のあまり真夜中に膝を抱えて声を噛み殺して泣いているような有様だったが、いざ通ってみるとなんとか対処できることにほんの少しだけ自信を取り戻していた。
なんだ、意外とできるじゃないか。やはり、私は優秀だったのだ、と。
当然の如く、そんなのはまやかしであり、私がしでかした失敗の後始末に奔走する兄の姿は視界にいながら認識の外にあっただけ。
クラスメイトや教師との諍いの仲裁、授業の準備、食事の世話……。
私は1人では何もできない箱入りのお嬢様でしかなかった。
私だけが知らなかった。知ろうとしなかった。
そして、分岐点が訪れる。
『僕は優馬。よろしく! 琴音!』
私が18歳の冬、祖父が亡くなって死後手続きのために兵藤の屋敷に戻ることになった。
父に連れられ戻った兵藤の屋敷で私たちを出迎えたのは父と瓜二つの顔の少年だったことに、全員が仰天した。
曰く、私と入れ違いに屋敷にやってきて祖父に養育されていたという。全くもって寝耳に水な話であった。
祖父が残した遺書によると、彼は父の実子だという。親子鑑定書とその来歴をまとめられた書類が残されていたらしい。
父と母は揃って動揺したし、書類を見ると動揺はやるせない怒りに変わって表情を険しくしていた。
兎にも角にも祖父の死後手続きをしなければならないということで屋敷には子供のみが残され、父と母は手分けして奔走した。
経緯はよく知らないが、大人たちが屋敷に帰ってこなくなると1人の少女が屋敷を訪れた。
母方の実家から遠縁の娘が1人、使用人見習いとして兄につけるのだという。
一般家庭育ちで兵藤の使用人に囲まれては兄に不都合があると思ったのだろうか。
しかし、年頃の男に同じ年の女を使用人として当てがうなんて──ー
微かな嫌悪と違和感を覚えたがすぐに切り捨てた。
この時の私の興味は、父に瓜二つの少年に向けられていたからだ。